第9話
◆ ◆ ◆
レアード伯爵領の小さな森の中、人知れずひっそりとたたずむ古びた屋敷の前で、第五騎士団をはじめとする騎士たちが、犯罪者たちの捕縛を行っていた。
エレノア様の誘拐事件をきっかけに、このところレアード伯爵領で目立つ動きをしていた犯罪組織を一掃することになったのだが、今はちょうど摘発された犯罪組織の幹部を一通り捕らえ終えたところだった。
「さてと……こんなものか。シャノン、ルーク様に報告に行くぞ」
ハドリーは、地面に転がったならず者たちを見下ろして、自身の手についた彼らの血を適当に払った。無駄に綺麗な顔をしているが、基本的にこいつは残酷な人間だ。今だって抵抗する犯人たちの腕を、顔色一つ変えずに折ったところなのだ。
「……何だ? 何か文句でもあるのか? 喧嘩なら後で買ってやる」
ハドリーが怪訝そうに私を睨んでくる。何だかんだで彼のことを憎み切れない私も大概だと思うのだが、こんな残酷な場面は絶対にエレノア様には見せられないな、と小さく嘆息した。
ハドリーを連れて、私はルーク様が待っている馬車へと向かった。カーテンまで閉め切られた馬車は、何だか物々しい雰囲気だ。
「ルーク様、私です。シャノン・オートレッドです」
落ち着いた色合いの豪華な馬車の扉の前で、慎ましく礼をしながら中の貴人に呼びかける。
騎士団総出で取り掛かったならず者たちの捕縛がすぐに済んだのは、馬車の中にいる彼の協力のお陰だ。彼がエレノア様を取引の体で助け出し、内情を探ってくれたおかげで、円滑に事件を処理することが出来たのだ。
「入れ」
冷たい響きのある青年の声を合図に、そっと馬車の扉を開け、改めて礼をする。護衛騎士でありながらエレノア様をならず者たちに攫わせてしまった私に、挽回の機会をくださったルーク様には頭が上がらない。
「ルーク様、主犯格たちの捕縛が終了しましたのでご報告に——」
と、そこまで言いかけて口を噤んでしまった。馬車のソファーに座ったルーク様の膝の上には、彼の胸に寄りかかるようにして眠る彼の美しい義妹君の姿があったからだ。二日間もの間捕らえられていたせいか、品の良い藍色の髪も白磁のような肌も薄汚れてしまっているが、それでも彼女の美貌が損なわれることはない。
「あ……その……お邪魔してしまいましたでしょうか」
義兄妹とはいえ、あまりに近すぎる二人の距離に、何だか見てはいけないものを見てしまったような気分になる。ルーク様がエレノア様に向けるまなざしに執着のような感情が混ざっていることには薄々勘付いていたが、お二人はそういう関係だったのだろうか。
「別にいい。報告を続けろ」
ルーク様の膝の上で眠るエレノア様は大変愛らしいが、捕食者の前ですやすやと眠る子兎のようにも思えて、やはりはらはらしてしまう。ルーク様はエレノア様を慈しむようにそっと藍色の髪を撫でているが、目を離せば可愛い義妹君を食べてしまいそうな危うさがあった。
とはいえ、ここは言われた通りに報告を続けるしかない。内心の動揺を悟られないように、淡々と用件だけを口にする。
「……幹部に当たる主犯格が五人、その中にはエレノア様の誘拐事件を企てた者も混ざっています。彼らの処遇をどうなさいますか?」
ルーク様は、まるで膝の上で眠る子猫の毛並みを整えるような調子で、エレノア様の髪を何度か梳いた。彼の長い指に藍色が絡まるのを見て、やはり視線を逸らしてしまう。ルーク様はちょっとした仕草がとんでもなく色っぽいのだ。心臓に悪いお方だ。
「全員拷問にかけ、一通りの情報を吐き出させた後に殺せ。特に……エレノアに触れたあの赤毛の中年には容赦しなくていい。拷問はお前たちの得意分野だろう」
ルーク様の視線は、私の隣に控えるハドリーに向けられているようだった。
確かに拷問に関しては、第五騎士団の中ではハドリーの右に出る者はいないだろう。たまに他の騎士団からも助言を求められるくらいなのだから、ルーク様のお耳にその事実が届いていてもおかしくはない。
「……何のことかわかりかねますが、最善を尽くしましょう」
整った顔に意味ありげな笑みを浮かべるハドリーは、幼馴染ながらやっぱり恐ろしい奴だ。早々に彼からルーク様に視線を戻す。
大して私たちに興味を示していないルーク様のことだ。今までの経験から言っても、これで会話は終わりかと思われたが、ふと、彼の美しい銀髪から覗く紺碧の瞳が私に向けられた。
「……オートレッド、エレノアにはこのことは黙っておくように」
感情を感じさせないような表情ばかりするこのお方も、愛する義妹君にはあくどいことをしていると知られたくないらしい。そう思うと人間味を感じられて、仕事中だと言うのに口元がにやけそうになった。
「承知いたしました。仰せのままに」
騎士らしく敬礼をすれば、今度こそ会話は終わり、馬車の扉が閉ざされた。それから間もなくして、馬車はロイル公爵邸へと走りだす。私はハドリーと共にその後ろ姿を見送った後、早速ルーク様の指示に従うべく動き出したのだった。
◆ ◆ ◆
公爵邸に戻り、泣きじゃくるレインの手で綺麗に身を清められた私は、お父様との面会を終え、ベッドで溜息をついていた。
今回ばかりは、お父様にも多大なるご心配をおかけしてしまった。ただでさえこのところ痩せ気味なお父様が、一層やつれたような気がして、申し訳なさで心が一杯になった。
「それで」
ベッドサイドの椅子に座ったお義兄様が、怒りすらも伺わせる紺碧の瞳で私を睨みつける。
「言いつけを破ってレアード領の王立図書館にまで足を運んでいたことについて、何か弁明はあるのか?」
どくん、と心臓が跳ねるのが分かる。この一週間ほどの私は、お義兄様の言う「いい子」ではなかった訳なので、当然ながら追及は免れないと思っていたのだが、いざ問い詰められるとどうにも言葉に迷ってしまう。
シャノンとハドリーの恋を後押しするためのキーアイテムを探していただなんて、まともに説明するわけにもいかない。私は毛布の中で僅かに身を縮めながら、ぽつぽつと言い訳じみた言葉を口にした。
「その……申し訳ありません。少し、探し物をしておりまして……」
「探し物? 使用人に頼むわけにはいかなかったのか?」
「誰かに頼むには抽象的なものでしたので……」
あの日、私が攫われる直前、私は確かに「レディ・エドナの遺書」を見つけ出し、鞄にしまったのだが、残念ながら誘拐された折にあの鞄は行方不明になってしまっている。大方、私を攫った男たちの手で売りさばかれてしまったのだろう。
残念だ。シャノンとハドリーの間にある溝を埋め得る品という意味では、「レディ・エドナの遺書」に勝るものはないと言うのに。二人の恋物語については、また別のアプローチの仕方を考えなければならないのかもしれない。
何とも言えない喪失感に、何度目とも知れぬ溜息が漏れる。
だが、不意にお義兄様が私の左手を取ったのをきっかけに、私の意識は完全にお義兄様に向けられることとなった。
「……痕はもう消えてしまっているな」
お義兄様の指先がそっと左手の甲をなぞる。その感触に、彼に手の甲に口付けの痕を残された時の光景がまざまざと蘇ってきて、妙に落ち着かない気分になった。
「……ごめんなさい、お義兄様。『いい子』で待てなくて」
彼の言う「悪い子」になってしまったらどんな目に遭うかと恐れていたが、ついに現実になってしまった。思わず毛布の中から窺うようにお義兄様を見上げてしまう。
「悪いことをした自覚があるのなら、何をされても文句はないな?」
お義兄様が意味ありげな笑みと共に私の指先にそっと口付ける。それだけでも一気に脈が早まっていくのが分かった。
……お義兄様は、前からこんな風に笑う方だったかしら。
非常に心臓に悪い、悪すぎる。頬が熱を帯びるのを感じて、お義兄様の顔をまともに見ていられなかった。毛布の中で身じろぎをして彼から顔を背けてしまう。
ぎし、とベッドが軋む音がして、お義兄様がベッドに手をついたのが分かった。やがて、彼の指が洗ったばかりの髪をさらさらと梳く。お義兄様の指に、藍色が絡まっている光景を想像しただけで、余計に胸が苦しくなった。
お義兄様は一しきり私の髪に触れたかと思えば、今度は手の甲で私の頬を撫でた。まるで小動物にするようなその仕草には慈しみが感じられるが、何だか余計に気恥ずかしい。思わずぎゅっと目をつぶって羞恥に耐えた。
その様子を見てか、お義兄様がふっと気の抜けたような笑い方をなさったのが声でわかった。
「……可愛い」
それは、およそお義兄様の発言としては信じられないほどの甘さを帯びた言葉だった。あまりの驚きにはっと目を開けば、ベッドに手をついた姿勢で私を見下ろすお義兄様とばっちり目が合ってしまう。
お義兄様もまた、自分で自分の発言に驚いているというような表情をしていた。私と目が合ったのも束の間、すぐに顔を逸らして姿勢を正してしまう。
彼を視線で追えば、お義兄様は私から顔を背けるようにして椅子に座り直していた。それだけならいつものことなのだが、彼の耳の端が僅かに赤くなっていることに気づいて、余計に何も言えなくなってしまう。
……可愛いのはどちらですか、お義兄様。
思わず左手で毛布を手繰り寄せて、にやけそうになる口元を何とか隠した。気まずいような、甘ったるいような沈黙が二人の間を支配する。
この気恥ずかしさを払拭するためにも何か言わなければ、と焦れば焦るほど言葉を失っていくようだ。どうしたものか、と頭を悩ませていたところで、隣の部屋で何やら作業をしていたレインが戻って来た。
「……どうなさいました? お二人とも。そんなにお顔を赤くして」
私の着替えらしき衣類を手にしたレインは、可愛らしく小首をかしげる。
「少し、お部屋が暑いでしょうか? 窓をお開け致しますね」
「そ、そう、暑かったの。助かるわ!」
緊張で掠れた声で全力で同意を示せば、レインは訝しむように私を見た。だがそれも一瞬のことで、手にしていた衣類をソファーに置くと、手早く窓を開けに行ってくれる。
そう、頬に帯びたこの熱もきっと、うだるような夏の暑さのせい。
毛布に蹲り、どこか悶々とした気分が拭えないまま、流れ込む夏の夜風に再びぎゅっと目を瞑ったのだった。
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