第5話

「シャノン様は、騎士団長様とはいつもあのような調子なの?」


 夕暮れの光が差し込む馬車の中、私は向かいに座ったシャノンに何気なく問いかけた。剣術大会を終え、会場では貴族たちによる騎士のスカウトなんかが行われているようだったが、お義兄様に言いつけられた門限がある私は、早々に会場を抜け出して、帰路についている次第なのだ。


「……お見苦しいところをお見せしました」


 シャノンは呆れたような溜息をつきながら、窓の外を見やった。心底苛立っていそうな表情を浮かべる彼女を前に、やっぱりくすくすと笑みが零れてしまう。


「見苦しくなんてないわ。言葉ではいがみ合っているけれど、気が合っている感じがして、とても微笑ましかったもの」


「気が合うなんて、とても……。彼は、我がオートレッド子爵家と敵対するレアード伯爵家の子息ですから」


「……何となく、知っているわ。両家の溝は、悲劇の令嬢レディ・エドナ……数代前のオートレッド子爵家の令嬢がレアード家に嫁いだ後に、非業の死を遂げたことで生まれてしまったのでしょう?」


 エドナ、という名前にシャノンははっとしたように顔を上げる。


「……よくご存知ですね。私を雇うに当たって詳しくお調べになったのですか?」


「まあ、そんなところよ」


 それとなく誤魔化せば、シャノンは軽く姿勢を正して、ぽつぽつと語り始めた。


「レディ・エドナの件の前から、金銭的な問題やら政治的対立やらで争いの絶えない両家でしたが……仰る通り、両家の溝は彼女の一件で深まりました。両家の関係を改善しようと試みて結ばれた婚姻が、結果的に両家の溝を決定的なものにしてしまったのですから、皮肉な話です」


「あなたはそれを、残念に思っている?」


 間を置かずに問い返せば、シャノンが再び戸惑うように私を見た。やがて、降参したとでも言わんばかりにふっと笑みを零す。


「エレノア様は非常に鋭い観察眼をお持ちなのですね。あの短い間で見抜かれてしまいましたか。……ええ、実を言えば、私と騎士団長——ハドリーは幼馴染なのです。互いの家が対立していることも知らずに、お互い屋敷を抜け出した森で出会ってしまった……。まあ、よくある話なのかもしれませんが」


 シャノンは微笑みつつも、どこか切なげに深紅の瞳を揺らした。その瞳には、やはり、ハドリーに焦がれる熱が見て取れる。


「……あなたは、レアード様のことが好きなの?」


 直球にも程がある問いかけに、シャノンはどこか困ったような笑みを浮かべ、小さく息をついた。


「好き……は好きなのかもしれません。誰より大切な幼馴染ですから。でも……家同士の関係を無視して私に纏わりつくことには多少の苛立ちと……嫉妬も覚えます。彼は、家のしがらみになど囚われずに生きていける自由の身なのだと思うと……どうにも腹立たしくて」


 作中では、使用人同然に育てられたシャノンは、少しでも子爵夫妻の意に沿わない行動をすると、「卑しい女の娘を貰い受けてやったのに、恩知らずだ」と罵られていた。その言葉は、目の前のシャノンの心にも深く刻み込まれているのだろう。


 対してハドリーは、裕福な伯爵家の次男としてのびのびと生きてきた。ある意味では彼女と対照的な人なのだ。ハドリーもハドリーなりに葛藤はあるのだろうが、それを踏まえてもシャノンにとっては眩しい相手なのかもしれない。


 普通に生きていればいつまでも平行線をたどりそうな二人が、作中ではケンカップルとして結ばれたのはある意味奇跡的な出来事だったのかもしれない。逆を言えば、二人の物語を動かすにはシャノンが襲われた事件のような、大きな出来事が必要だとも考えられる。


 かといって、私がシャノンを襲わせるような命令を下すことはあり得ない。いくら何でもそれは気が引ける。


 何か代替案は無いものか、と頭を悩ませていると、ふと、二人のハッピーエンドルートで登場したあるアイテムの存在を思い出した。


「……ねえ、シャノン様、例えばの話だけれど」


 悪戯を思いついたとでも言わんばかりの笑みでシャノンに向き直る。彼女の深紅の瞳が、言葉の続きを待つように私だけに向けられていた。


「例えばね、両家の溝が少しは埋まるような……レディ・エドナの死の真相が明らかになるようなことがあったら、シャノン様はレアード様と少しは向き合いやすくなるかしら?」


「レディ・エドナの死の真相ですか……。それはもちろん、そんなことが叶えば両家の関係に変化が生まれる可能性は高いですが……」


 シャノンは困惑していた。私の話が読めないらしい。無理もない話だ。


 私とて、今考えていることを正直に話して受け入れられるとは思っていない。これは、「狂愛のスノードロップ」にまつわる記憶を持つ私だからこそ、確証もなく挑めることなのだから。


 シャノンとハドリーのハッピーエンドルートのキーアイテムに、「レディ・エドナの遺書」というものがある。


 この時代から遡ること百年前、当時、この国では図書館の本に手紙を挟んで文通する手法が流行っていた。


 本が好きだったレディ・エドナもまた、その手法に乗っ取ってある手紙を分厚い御伽噺の中に託すのだ。


 ただし、それは送る相手のない、行き場のない手紙だった。何故ならそれは、彼女がこっそりとしたためた遺書だったからだ。


 オートレッド子爵家からレアード伯爵家に嫁いだエドナは、幸せな結婚生活を送り、両家の懸け橋となる役目も十分に果たしていたのだが、ある日、自身が不治の病に侵されていることを知る。


 告げられた命の期限はあと僅か、エドナは愛する夫との別れを予期して悲しみに暮れ、そして決意するのだ。


 愛する夫に病気であることを悟られる前に、いっそのこと自ら命を絶とう、と。少しずつ弱っていくであろう最後の日々の中で、悲しみに暮れる夫の顔を見たくない、というある意味では自分勝手で、儚く切ない最後の願いのもと、固められた決意だった。


 もっとも、自ら命を絶ったことが公になれば、両家の溝を深めかねないと危惧したエドナは、初めは遺書を残さない方向で動いていた。自らの死の真相を曖昧にして、なるべく両家の関係に影響が出ないよう取り計らうつもりだったのだ。


 だが、命を絶つ前日になって、どうしても愛する夫への想いを収めることが出来ず、こっそりと手紙をしたためる。宛先のない遺書の内容は、いわばいかに夫を愛していたかという恋文だった。


 エドナはそれを、レアード伯爵領の図書館に寄贈されているあるお伽噺の中にひっそりと託す。誰にも見つからなくていい、けれど自分が夫に向けた愛の証が、確かにこの世に残りますように、という淡い願いを込めて。


 百年の月日を経て、ハッピーエンドルートに進んだシャノンとハドリーは、レディ・エドナにまつわる本を二人で読み耽る途中で、その遺書を手にすることとなる。


 そして、レディ・エドナの遺書は両家の関係を改善するきっかけとなり、シャノンとハドリーの婚約によって、百年ぶりに手を取り合うというまさにハッピーエンドとしか言いようがない道を辿るのだ。


 分岐の後のお話なので、そこまで詳しく語られてはいなかったが、もしかするとこの「レディ・エドナの遺書」こそが、今のシャノンとハドリーの物語を大きく動かすきっかけになるのかもしれない。


 試してみる価値はある。幸いにも、レアード伯爵領はロイル公爵領からほど近い場所にある。日帰りで行ける距離だ。


 事情を正直に話すわけにはいかないが、何とか私の怪我の静養期間のうちに「レディ・エドナの遺書」を見つけ出してみよう。


「そのためには、あの過保護なお義兄様をどうにかしないといけないわね……」


「ルーク様がどうかなさったのですか?」


 私の独り言までもを丁寧に拾ってくれるシャノンに、曖昧に微笑みかけながらも、何とかしてお義兄様から外出の許可を得る言葉を、今から思い巡らせるのだった。

 


 

 その夜、屋敷の程近くにある街の視察から戻って来たお義兄様は、休む間もなく私の部屋にやってきた。相変わらず感情を思わせない表情だったが、紺碧の瞳には確かに私を案ずるような色が浮かんでいて、このところの過保護っぷりを改めて思い知らされた気がする。


「シャノン様の活躍ぶりは素晴らしかったですわ。決勝戦では、あと一歩で騎士団長に対して勝利を収めるところでしたのよ!」


 今日一日の様子を聞かせてくれ、と、お義兄様に頼まれるがままに語っているうちに、つい熱くなってしまった。湯浴みを終えた直後だからか、余計にうっすらと汗ばんでしまう。


 今は薄いネグリジェ姿にストールを羽織っているだけという、仮にも異性であるお義兄様の前に姿を現すには多少心許ない装いではあったが、このところはもう慣れたものだ。レインだって、私とお義兄様を見張る必要もないと判断したのか、今は続き部屋の寝室で私の就寝準備を整えているところだ。


「シャノン様の素晴らしい姿、お義兄様にも見ていただきたかったですわ! それはもうご令嬢たちの注目を集めていて、大変でしたのよ」


 お義兄様は、ただ黙って私の話を聞いてくれていた。時折心地の良い声で相槌を打つだけの、とても穏やかな時間だ。


「素敵な騎士様を護衛に選んでくださってありがとうございます、お義兄様」


 心からの感謝を込めてお義兄様に微笑みかければ、ここに来て彼の紺碧の瞳が咎めるように私に向けられた。見ようによっては怒っているとも捉えられる表情だ。


「報告はそれだけか?」


「え? ええ……他には、特に。あ、騎士団長様にもご挨拶をさせていただきましたけれど」


 お義兄様の表情はそれでも尚変わらなかった。今日の出来事を聞きたいと言うから語っただけなのだが、もしかして、お義兄様の期待していた内容ではなかったのだろうか。


 窺うようにお義兄様の言葉を待っていると、彼は深い紺の上着から一通の手紙を取り出した。王家の紋が刻まれている。


「殿下からの報告によると、あの護衛騎士に手の甲に口付けることを許したらしいが本当か?」


「殿下からの報告って……まさか、お義兄様、殿下に報告書を書かせたのですか……?」

 

 王族に報告書を書かせるなんてことがあっていいのだろうか。呆れ半分、驚き半分で思わず問い返してしまったが、お義兄様の瞳は揺らぐことはなかった。


「これはあくまでも友人として頼んだことだからな。……それで? どうなんだ? 殿下の報告は本当なのか?」


 人一人分の距離を空けた状態で、ソファーに並んで座っていた私たちだったが、ここに来てお義兄様が僅かに距離を詰める。


 お義兄様は怒っているのだろうか。問い詰めるようなお義兄様の態度に僅かに委縮しつつも、正直に答えた。


「ええ……でも、あれはあくまでも護衛対象と騎士としての親愛の証ですわ。それに、シャノン様は——」


 そこまで言いかけて口を噤んでしまう。何の前触れもなく、お義兄様が私の左手を取ったからだ。


「口付けられたのは左手か?」


「え、ええ……」


 指先で左手を軽く撫でられる感触にびくりと肩を震わせたのも束の間、お義兄様はそのままそっと手の甲に口付けた。


 その仕草自体は、騎士がする忠誠と親愛の口付けと何ら変わりはないはずなのに、お義兄様がすると途端に色気が溢れて心臓に悪い。


 現に、どくどくと脈が早まっているのが分かった。手首に添えられたお義兄様の指先から、この鼓動の早さが伝わってしまうようで、ますます恥ずかしくて思わず視線を逸らしてしまう。


 やがて、手の甲から温もりが離れたのを機に、恐る恐るお義兄様の様子を窺う。彼はどこか意味ありげな笑みを浮かべたかと思うと、そっと私の耳元に顔を寄せ、囁くように告げる。


「……今後は、無闇に人に触れさせるなよ」


 先ほどまでお義兄様が触れていた左の手の甲には、くっきりと赤い、口付けの後が残されていた。これには思わず頬が熱を帯びる。


 ……お義兄様は一体どんな感情でこんなことをなさったのかしら。


 義兄妹の域を超えた戯れのように思えて、お義兄様が離れた今も脈は速いままだ。お義兄様は、そんな私の戸惑いを愉しむように僅かに口元を緩めると、思い出したように告げた。


「明日から少し、この屋敷を離れる。公爵領の南部の街を視察してくることになった」


「そ、そうですか……。どのくらいでお戻りに?」


 何事も無かったかのように事務連絡をするお義兄様を前に、私ばかりが動揺していて余計に恥ずかしい。


 お義兄様は僅かに浮かべた笑みを崩すことなく私の左手を取ると、たった今つけられたばかりの赤い跡にそっと指先を滑らせた。それだけでも甘い寒気が背筋を抜ける。


「この痕が消えるまでには戻る」


「っ……」


 そんな風に言われたら、嫌でもこの痕を気にして日々を過ごさねばならなくなる。何てずるい言い方をするのだろう。

 

 お義兄様は、私がシャノンに手の甲とはいえ口付けられたことが気に食わなかったのだろうか。お義兄様は前から私に対してそこまでの独占欲を見せる方だっただろうか。


 やはり、私たちの関係は変わりつつあるのだ、と思い知らされる。恐らくは、思ってもみない方向に。


「エルはいい子だから大人しく待っていられるな?」


 お義兄様にしては甘さを孕んだ言葉を前に、思わず問い返さずにはいられない。


「……いい子で待てなかったら、どうなるのです?」


 お義兄様は何も言わなかった。代わりに、恐ろしいほど美しい笑みを浮かべて、紺碧の瞳で私を射抜いたのだ。


 その瞬間再び背筋を走った寒気の意味を正しく認識することはできなかったが、お義兄様の言う「悪い子」になってしまった場合、碌な目に遭わないことだけは分かる。


 いっそヒロインたちのように人の病みや独占欲に鈍感であれたら良かったのに。残念ながらヤンデレ至上主義の私はそのあたりには敏感だ。だが、それでも寒気を誤魔化すように、引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。


「……お気をつけて、行ってらっしゃいませ、お義兄様」

 

 お義兄様は私の答えに満足したのか、彼にしては珍しい微笑みを崩すことなく私の部屋を出ていった。


 左手に残された赤い跡が、いつまでも熱を帯びて肌を焼くように感じたのは、きっと気のせいではないだろう。

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