第4話

 よく晴れた夏の昼下がり、私はシャノンと共に、騎士団の剣術大会に足を運んでいた。


 ロイル公爵領に隣接するレアード伯爵領の訓練地で開かれた剣術大会には、意外にも貴族の主要な面々が足を運んでいた。


 我が親友、ルシア様も例外ではない。


「王太子殿下、ルシア様! お久しぶりですわ!」


 貴賓席の中でも最上位の席には、鮮やかな新緑のドレスを身に纏ったルシア様と、紺色の軽装姿の王太子殿下のお姿があった。お二人とこうして顔を合わせるのは建国祭以来だ。


「……エレノア、怪我は……?」


 開口一番にルシア様は整った眉を下げて心配そうに問いかけてきた。相変わらずの口数の少なさだが、愛らしいことこの上ない。


「ふふ、まだ傷は塞がり切っていないのですけれど、普通に生活をする分には支障ありませんわ」


 右手に巻かれた包帯は、絹の手袋で包んで見えないようにレインが配慮してくれている。ルシア様や王太子殿下の目に触れるには見苦しい傷であるので、幸いだった。


「これをきっかけにと言っては何だが、たまには公爵領でゆっくり休むといい。……ルークまで連れていかれたのは少々痛手ではあるがな」


 王太子殿下は朗らかな笑みを浮かべたが、私に向ける視線には僅かにも熱を帯びていない。ルシア様に向けるまなざしとは大違いだ。


 この一見親切な言葉だって、私がいない方がルシア様を独占できるという下心満載の言葉なのかもしれないと思うと、殿下の独占欲の強さににやけてしまいそうだ。


「ありがとうございます、殿下」


 左手で鮮やかな赤のドレスを摘まんで礼をすれば、意外なことに、ルシア様がもう一度口を開いた。


「……早く治して、エレノア。寂しいわ」


 ルシア様は座った状態でお話なさっているので、必然的に私を上目遣いで見るような形になったのだが、そのあまりの愛らしさに絶句した。


 いつでも完璧な笑みを崩さないルシア様が、甘えるような言葉を口になさるなんて。何だか嬉しくなってだらしなく頬をにやけさせてしまった。


「えへへ、もちろんです、ルシア様。もしお時間があれば、ロイル公爵領にもぜひいらしてくださいね。全力で歓迎いたしますから!」


 ルシア様とロイル公爵領で過ごす日々は、きっと何物にも代えがたいほど楽しいに違いない。そんな妄想をしていると、横から王太子殿下の鋭い視線が突き刺さった。


「……ルシアは王太子妃となる準備で忙しい。残念ながら、君の領地に遊びに行く暇はないだろうな」


 そう言いながらさりげなくルシア様の腰を引き寄せ、自分のものだと言わんばかりにアピールするその独占欲に、頬が緩み切ってしまう。


 これはあれだ、私がいなくなった後に「俺から離れて別の人間に会いに行くなんて許さない」と冷え切った声で束縛しつつ、愛を囁くヤンデレムーブが引き起こされるやつだ。


「はあ……本当に、ルシア様と殿下は私の理想の恋人像ですわ……。いつまでも眺めていられます」


 思わず指を組んで尊い二人の前でほう、と溜息をつくと、ルシア様が頬を赤く染めて照れていることに気づいた。王太子殿下も満更ではない様子だ。


「……そろそろ大会も始まる。君も座ったらどうだ、エレノア嬢。日差しに当てられて倒れたりしたら、あいつに嫌味を言われるのは俺なんだ」


 殿下のいうあいつ、とはもちろんお義兄様のことである。今日は公爵領の仕事の関係でどうしても私に付き添うことが出来ず、代わりに王太子殿下とルシア様に私を託した形なのだ。未来の国王夫妻に義妹の面倒を押し付けることが出来るのは、恐らくこの国でお義兄様くらいなものだろう。


「では、お言葉に甘えて失礼いたしますわね」


 私はルシア様の隣に用意された革張りの椅子に座り、剣術大会の会場を見下ろした。土埃が舞う訓練場には、早速最初の試合を行う一組の騎士が睨み合っていた。


 未来の国王夫妻に見守られているというだけで騎士たちの士気は上がる。現に先ほどからちらちらと貴賓席の方に視線が向けられているのを感じた。この大会で活躍を見せれば、お二人や高位貴族の護衛騎士に抜擢されるかもしれない、という期待があるのだろう。


 ルシア様は優雅な微笑みを湛えたまま、じっと訓練場を見下ろしていた。ルシア様は、どちらかと言えば室内で本を読んだり刺繍をしたりするのが好きなお方だから、こうして外で剣術を見るのは気が進まないだろうに、それを微塵も感じさせないのだから本当によくできたお方だと思う。


 満を持して、剣術大会が幕を上げた。騎士たちの威勢の良い掛け声の中、剣がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。夏の暑さも相まって、非常に熱気のある会場だ。


 私としては、こういう場所ではお上品に座っているよりも、みんなと一緒に声を上げて応援したいところなのだが、公爵令嬢という身分ではそれも叶わない。ここはおとなしく、騎士たちの健闘を祈ることにしよう。






 盛大な盛り上がりを見せた剣術大会も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。


 訓練場の真ん中で睨み合うのは、赤銀の髪を小さくまとめた青年騎士と、煌めく金の髪を揺らす王子様のような騎士団長だ。


 今から始まるのは決勝戦。今季の剣術大会の優勝者を決める重要な試合だ。


「……エレノアの、騎士?」


 ルシア様が興味津々と言った様子で問いかけてくる。シャノンと出会ってまだ一週間ほどしかたっていないので、彼女は私の護衛騎士だと胸を張るのも気が引けるのだが、にこりと微笑みながら頷いた。


「はい。代々騎士を輩出しているオートレッド子爵家の令息です。是非、一緒に応援してくださいませね」


 内緒話をするようにルシア様に話しかければ、ルシア様はこくん、と小さく頷いて、熱っぽい眼差しで訓練場を見下ろした。どうやら数々の試合を眺めているうちに、すっかり騎士たちを応援することに夢中になってしまったらしい。こういう素直なところも可愛らしいお方だ。


「ルシアとエレノア嬢がオートレッドの肩を持つなら、僕は騎士団長を応援するとするか。第五騎士団の天才二人の試合を見られるとはな……」


 殿下も殿下で、この試合に注目なさっているようだった。シャノンとハドリーの剣術の腕前は、殿下のお耳にも届いているらしい。


 そうこうしている間に、二人の試合が始まった。「狂愛のスノードロップ」のヒロインと攻略対象者の戦いという、私にとっては美味しいにも程がある展開を固唾を呑んで見守る。

 

 剣同士がぶつかり合う金属音と、二人が踏み込んだ際に舞い上がる土埃が、何とも緊迫感のある試合を演出していた。明らかに大会の始めのほうで脱落していった騎士たちとは素早さが違う。


 また、観覧席からの声援も段違いだった。これが決勝戦であることが大きな要因だろうが、令嬢たちからの声援も今までの比ではない。


 一見冷たそうに見える赤銀の髪の騎士のシャノンと、王子様と言った風情のハドリー。どちらも他に類を見ないほどの美貌の騎士であるのだから、令嬢たちが騒ぐのも無理はない。


 思わず手に汗を握って見守る。二人の物語が進むうえでどちらが勝った方が都合が良いのかは分からなかったが、どうせならば私の護衛をしてくれているシャノンに勝ってもらった方が私としても嬉しい。

 

 だが、途中までは互角に見えた戦いも、数分が経った頃には状況が変わってきた。シャノンが押され気味なのだ。


 騎士団の中では最も小規模なものとはいえ、相手は二十代前半で団長の座にまで上り詰めた凄腕の騎士だ。ある意味当然の流れなのかもしれないが、居ても立ってもいられず、思わず私は貴賓席から立ち上がって目一杯訓練場に向かって叫んだ。


「シャノン様ー!! エレノアが応援しておりますわよ!!」


 この喧噪の中で私の声が届くとは思えなかったが、叫ばずにはいられなかった。

 

 だが、ちょうどそのタイミングで、額に汗を滲ませ、苦しそうな顔をしていたシャノンが不敵な笑みを浮かべたかと思うと、わざと土埃を舞わせてハドリーに斬り込んだ。騎士道精神に照らし合わせると物議を醸しそうな行動であるが、その悪戯っぽい笑みに会場の誰もが目を奪われていた。


「勝てるわ! シャノン様!!」


 一気に形勢逆転となるか、と思われたその瞬間、一際鋭い金属音の後に、シャノンの細身の剣が舞う。ハドリーの剣に振り落とされたのだ。


 土埃の中から姿を現したハドリーは、剣先をシャノンの細い首元に突きつけて意味ありげな笑みを見せた。一見すれば爽やかだが、シャノンからすれば憎たらしくて仕方がないだろう。


 当然ながら、これで試合は決した。勝利を収めたハドリーに、会場中から歓声が沸き起こる。


 ハドリーは剣を収めると、シャノンに手を差し出して何やら話しかけているようだったが、シャノンは深紅の瞳でハドリーを一睨みしたのちにさっさと訓練場を後にしてしまった。ハドリーはその後ろ姿をどこか名残惜し気に眺めていたが、駆け寄ってきた他の団員たちに囲まれ、シャノンを追うことは叶わなかった。


 ハドリーとシャノンの様子を観察したのはこれが初めてのことだが、何だか思っていたよりも険悪そうだ。ハドリーはともかく、シャノンが全く彼を相手にしていない。


 どうしたものか、と思案していると、ふと、周りでご令嬢たちが黄色い声を上げるのが分かった。


 何気なく見やれば、赤銀の髪の騎士がこちらへ向かってくるところだった。何試合も終えた後だからか、疲労が滲んでいるが、軽く乱れた襟元と言い、僅かに飛び散った赤い血と言い、目に焼き付くような色気を漂わせている。


「……エレノア様」


 彼女の目的は私のようだった。私は慌てて彼女に駆け寄り、持っていた白いレースのハンカチで彼女の汗や血を拭う。


「シャノン様、ご苦労様でした。素晴らしかったわ! 私、思わず惚れ惚れしてしまったもの」


 正直な感想を告げれば、どこか悔し気な表情をしていたシャノンはふっと気が抜けたような笑みを見せた。ほう、と周りから感嘆の溜息が聞こえる。


「……申し訳ありません、エレノア様のお声が聞こえたから、多少卑怯な手を使ってでも勝とうと思ったのですが……団長には敵いませんでした」


 なんと、私の声は届いていたのか。私の声が聞こえたから頑張ろうと思ってくれるほど彼女が心を開いてくれていることには驚いたが、素直に嬉しい。


「途中まで互角だったもの。いつかは勝てる日も来るかもしれないわ! 今日は本当にお疲れ様」


 左手でぎゅっとシャノンの手を握れば、不意に彼女は何を思ったのか、騎士らしく跪いて私の手の甲にそっと口付けた。


「次こそは、輝かしい勝利をあなたに捧げます、エレノア様」


 護衛騎士として最大限の礼儀を尽くした結果なのかもしれないが、これには思わず私も頬が熱くなってしまった。周りで見守っていたご令嬢に至っては、失神しそうな勢いだ。無理もない。今のシャノンの麗しさは異常だ。


「あ、ありがとう……楽しみにしているわね、シャノン様」


 どぎまぎしながらも跪くシャノンに微笑みかければ、シャノンもそれに応えるように僅かに頬を緩める。その拍子に僅かに切れていたらしい頬から血が滴って、私は慌ててハンカチで傷口を抑えた。


「怪我をしてしまったのね。救護室ではお医者様が待機なさっているはずだから、すぐに診てもらいましょう」

 

「このくらい、何てこと——」


「――シャノン!」


 シャノンの言葉を遮るようにして彼女の名を呼ぶ澄んだ低い声に、はっとする。咄嗟に顔を上げれば、どこぞの国の王子様と言った風貌の美青年が駆け寄ってきた。ハドリーだ。


「シャノン、怪我をしたんじゃないのか? 一度救護室に——」


 明らかに心配そうな眼差しを向けるハドリーを、シャノンは溜息を交えながら冷淡にあしらう。


「言われなくとも行くところだった。私のことなど放っておけ」


 先ほどまでとは打って変わって苛立ちを滲ませるシャノンの声は、二人の事情を知っている私からすればどうにも痛ましいものだった。かつてはただのシャノンとハドリーとして笑い合った二人なのかと思うと切なくてならない。


 シャノンは跪く体勢から静かに立ち上がると、私にハドリーを紹介してくれた。


「エレノア様、彼が私の上官に当たる第五騎士団長のハドリー・レアードです。こんな奴は忘れてくださって結構ですが、一応紹介しておきます」


「シャノン、お前な……」


 ハドリーもハドリーで苛立ったようにシャノンを睨んだが、人目があるためかそれ以上何も言わなかった。代わりに私の前で慎ましく腰を折り、手短に挨拶をする。


「ロイル公爵令嬢、部下がお世話になっています。ハドリー・レアードです。何かお困りのことがあればいつでもご相談下さい。特に、この生意気な部下のことであれば何なりと。すぐに代わりの者を用意させましょう」


 シャノンが舌打ちしそうな勢いでハドリーを牽制する。本当にいがみ合ってばかりの二人のようだ。


 表面上だけかもしれないとはいえ、想像以上に険悪な二人を前に思わず笑みが引き攣るが、公爵令嬢らしくドレスを摘まんで淑女の礼をする。


「レアード様、優勝おめでとうございます。最後の試合は思わず手に汗を握って応援してしまいましたわ。レアード様といい、シャノン様といい、第五騎士団には優秀な騎士様ばかり揃っていらっしゃるのですね」


 当たり障りのない笑みを浮かべれば、ハドリーの表情が意外そうなものに変わった。大方、世間一般の印象通り、私のことを我儘で高飛車な令嬢だと思っていたのだろう。


 ハドリーもまた無難な返事を返していたが、折角二人を前にしてこのまま引き下がるのは勿体ない。ここは一つ、揺さぶりをかけてみようか。


「それにしても、お二人は大変仲がよろしくていらっしゃるのね。何でも言い合える関係って、とても羨ましいですわ」


「仲がいい? 私と団長がですか?」


「ロイル公爵令嬢は随分変わったものの見方をなさるようですね。これほど可愛げのない部下もいっそ珍しいと言うのに」


 断固として私の意見を認めないとでも言うようにすぐさま否定に入った二人だが、却って息が合ってしまっているのが何とも面白い。やはり、根本的なところで気が合うのだろう。


 何だか微笑ましい二人を前に、思わずくすくすと笑みが零れてしまった。


「ふふ、そういうところですわ」


 シャノンもハドリーもどことなく気まずそうに視線を彷徨わせる。悪態をつきつつも、お互いに憎み切れていない二人の姿は大変尊いものがあった。


「……とにかく、シャノン、お前は救護室に行け。ロイル公爵令嬢、これにて失礼しますよ」


 ハドリーはどこかぶっきらぼうに言い放ったかと思うと、私たちに背を向けて歩き出してしまった。


 シャノンは彼の背中を睨むように見つめつつも、その瞳には彼の隣を切望するような熱が浮かんでいた。ハドリーはシャノンのこの様子に気づいていないのだろうか。


 二人がハッピーエンドを迎える様子を見届けるまでの道のりは長そうだ。だが、諦めるわけにはいかない。何が何でも隠れヤンデレカップルを成立させてみせる。


 傾き始める橙色の光の中で、改めて私は一人意気込んだのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る