第5話

 翌日。


 晴れ渡る青空の下、王城の庭で開かれたお茶会でのこと。


「ルシア様、正直に教えてください。ルシア様は王太子殿下のこと、どのように思っていらっしゃるのですか?」


 昼らしい軽い色のドレスでひしめき合うお茶会の会場の中、私は会場の隅でルシア様と向き合っていた。お茶会にはお義兄様と来ているが、建国祭のお茶会は夜会と違っていくらか自由に動けるため、私一人でルシア様に会いに来たところだ。


 昨日、屋敷に帰ってから考えてみたが、まずはルシア様の気持ちを確認しないことには始まらない。まず間違いなくルシア様の心にいるのは王太子殿下だけだと思うが、万が一ということもある。


 当のルシア様と言えば、幼馴染からの突拍子もない質問に、深緑の瞳を瞬かせていた。無理もない。何の脈絡もなく切り込むにはいささか繊細な話題だ。


「突然こんなこと、申し訳ありません。ですが、昨日の夜会の様子を見ていたら何だか不安になってしまって……」


 正直に打ち明ければ、ルシア様は私の言葉の意味を図りかねたのか、説明を求めるようにじっとこちらを見つめてきた。


 本当に、お義兄様の前では、あんなにも流暢に喋っていたことが信じられないほどの無口さだ。


「……余計なお世話だということは分かっているですけれど、ルシア様の想いが、正しく殿下に伝わっているとは思えないのです」


 ルシア様は、はっとしたように深緑の瞳を見開いた。自分の想いが殿下に伝わっていないなんて、微塵も考えていなかったのかもしれない。


「言葉がすべてだとは言いませんが……ルシア様、一度勇気を振り絞って、殿下にお気持ちをお伝えしてみてはいかがでしょうか?」


 ルシア様は私の言葉を聞き届けるなり、僅かに頬を赤く染めて、やがて俯き気味に首を横に振った。分かっていたことだが、ルシア様は相当初心なようだ。


「……殿下のことは、お好きなのですよね?」


 確認のため今一度問えば、ルシア様はゆっくりと頷いた。


「それは、異性として……つまり恋愛感情なのですよね?」


 ルシア様は一層頬を赤く染めたが、ぎこちなくもう一度頷いてくださる。


 これにはほっと息をついた。どうやら、お二人をくっつける方向に動くこと自体は間違っていないらしい。


 そうとなればやはり、お二人にはハッピーエンドを迎えていただきたいものだ。「狂愛のスノードロップ」の中で唯一まともなハッピーエンドと言ってもいい結末を迎えられるお二人なのだ。コントロールされたハッピーヤンデレルートを見せつけてほしい。


「ルシア様、いい機会です。この建国祭の中で告白しましょう? ね? 建国祭で結ばれた恋人同士は幸せになれる、なんて言い伝えもあるでしょう?」


 ありきたりなジンクスだが、実際これに便乗して告白をする男女は多い。初心なルシア様の御心を動かすためならば、眉唾物の言い伝えでも何でも利用するしかない。


「未来の王太子夫妻が幸せであればこの王国も安泰! というものです。ね? いい機会でしょう?」


 思わずルシア様の手を握って詰めよる。ふわりと甘い香りが漂った。この香りに殿下も惑わされているのだろうな、と思うと思わずにやけそうになったが、何とかそれらしい微笑みを保つ。


 やがて、ルシア様は深緑の瞳を揺らがせたのち、おずおずと頷いた。


 やった! これでまた、ルシア様が殿下のお人形にされるルートから遠ざかった!


 思わず小躍りしそうなほどに喜びを噛みしめていると、ルシア様が珍しく私をじっと見つめてくる。


「……どうしました?」


 十数年の付き合いがあるだけあって、無口なルシア様の言いたいことも大体察することが出来るようになっている私だが、分からないこともある。ルシア様を無理やり喋らせるのは気が進まないが、こういう場合は問い返すほかない。


「……あなたも」


「え?」


 ルシア様はそれだけ言うと、何かを強請るようにまじまじと私の瞳を見つめ続けた。


 会話の流れと「あなたも」という一言からして、何となく察しがついてしまう。思わず、苦笑いが零れた。

 

「……まさか、私も告白をするように、と仰っているのですか?」


 ルシア様は大真面目な表情で、大きく頷いて見せた。


「ですが、御存じの通り私には婚約者もおりませんし……ましてや想い人なんて……」


「……エレノアが言わないなら、わたくしも言わない」


「っ……」


 いじけたように軽くそっぽを向くルシア様を前に、慌ててしまう。


 ルシア様からの告白がない限り、遅かれ早かれお二人を待つのはバッドエンドなのだ。それだけは何としてでも避けなければ。いくら私好みのバッドエンドとはいえ、大切な幼馴染をお人形にされては敵わない。


「わ、分かりました、分かりましたわ!! 私もちゃんと告白しますから!」


 告白する相手の検討すらついていないというのに、勢いのまま半ば自棄になって宣言すれば、ルシア様はにこりと満足そうに微笑んだ。何だかルシア様にまんまとしてやられたような気がする。


「……とにかく、殿下にちゃんとお気持ちをお伝えくださいね? ルシア様からの、好き、の一言でもあれば、あの方は舞い上がるほどにお喜びになるでしょうから」


 念を押せば、ルシア様は再び頬を染めてこくりと頷いた。やっぱり可愛い。このままルシア様の告白を殿下が聞き届けて下されば、コントロールされたハッピーヤンデレルート突入間違いなしだ。


「ふふ、じゃあ、建国祭を楽しみましょうね! ハルスウェルの女神にハルスウェルの祝福あれ!」


 小躍りするような軽快な足取りでルシア様に別れを告げ、私は御茶会の輪の中へ戻った。


 少し離れたところからちらりと振り返れば、私たちの様子をどこからか見守っていたのか、王太子殿下が早速ルシア様の元へ駆け寄っている。

 

 大方、「エレノア嬢と何の話をしていたんだい?」とでも聞いているのだろう。世間話の域を出ないその会話も、捉えようによってはルシア様にまつわることなら何でも知りたい、という殿下のルシア様への執着を伺わせるものだと思うと尊い。どうしようもなく尊い。


「はあ……やっぱりお二人にはこのままお幸せになって頂きたいわ」


 歪んだ愛を内包しつつ、表面上はあらゆる人々からの祝福を受ける円満なカップル。やっぱり美味しすぎる。いくらでもパンを食べられてしまう。パン一斤で済む話ではなくなってきた。


「ジャムやバターとは無縁の生活を送ることになりそうね……」


 はあ、と悩まし気に溜息をつけば、ふと、背後から悲愴な嘆きが聞こえてきた。


「お嬢様、ジャムはお嫌いになってしまったのですか……!? お嬢様のお好きな苺のジャムのクッキーがありましたので、お持ちしたのですが……」


「レイン!」


 いつの間に、私の傍にいたのだろう。気づけばレインの傍にはお義兄様の姿もある。


 レインの手元にはクッキーが数枚乗った小皿があり、どうやら私のために取り分けて持ってきてくれたようだった。その親切に、思わず頬が緩む。


「違うのよ、何でもないの。持ってきてくれてありがとう、レイン。調度おなかが空いていたの」


 レインの灰色の瞳を見つめて微笑みかければ、彼女ははっとするほど愛らしい表情で笑った。これぞヒロインの笑みだ。眩しい。


 「今のご覧になりました? お義兄様。あなたのヒロイン、天使みたいですわね!」と口にしたいところを何とか抑えて、視線だけで問いかけるようにお義兄様の紺碧の瞳を見上げれば、彼は睨むように私を見下ろしてきた。相変わらず、冷たい眼差しをする人だ。


「……昼間とはいえ、あまり人の輪から外れるな。ロイル公爵家の令嬢である自覚を持て」

 

 やっぱり、お義兄様は私に手厳しい。まあ、これもレインに見せる病んだ笑みとのギャップだと思えば、痛くもかゆくもないけれど。


「ごめんなさい、お義兄様。そんなに怒らないで?」


 これ以上追及されないよう、甘えるようにお義兄様を見上げれば、相当不快だったのか彼はすぐに視線を逸らした。恐ろしいほど整ったその横顔には、苛立ちにも似た表情が浮かんでいた。


 この手法、やっぱり使える。あざといだけのエレノア・ロイルもなかなか便利な役回りだ。


 私はレインが持ってきてくれたクッキーを一枚摘まみながら、改めて遠目にルシア様と殿下のお姿を視界に捉えた。


 何だか若干ルシア様が詰め寄られている気もするが、公の場だから殿下も滅多なことはなさらないだろう。


 そんな呑気なことを考えながら、苺のジャムがたっぷりついたクッキーをほおばったその時、不意に、ルシア様が殿下を見上げて涙目になっていることに気が付いた。


「っ……ルシア様?」


 よく咀嚼せずに飲み込んだクッキーが、喉につかえるように痛んだが、それどころではない。遠目に見守っていた王太子カップルが明らかに不穏な空気を醸し出していた。


 いつだってにこにこと微笑んでいるルシア様が涙目になるなんて、よっぽどだ。殿下も驚いているのか、戸惑うようにルシア様を見下ろしている。


 そのままルシア様はきっと睨むように殿下を一瞥すると、ドレスを摘まんでその場から走り去ってしまった。


 殿下は直前までルシア様に触れていた手を、遠ざかる彼女の方へ伸ばしていたが、やがて腕を下ろし、軽く俯くようにしてルシア様の後姿を見つめていた。


 遠目でも分かるほどの憎悪と嫉妬の混じった翳りのある殿下の視線に、思わず寒気が走る。周りの人はこの威圧感に気づかないのだろうか。私のヤンデレセンサーが発達しすぎているだけだと言うのか。


 ともかく、ルシア様が涙するなんてただ事ではない。一刻も早く彼女に事情を聞かなければ。


 指先についた苺のジャムを舐めとって、睨むように殿下を見つめる。ヤンデレは尊いが、いざ目の前で幼馴染が涙する場面を見るとそうも言っていられない。


 とにかく今は、ルシア様の元へ急がなければ。


「ごめんなさい、レイン。ルシア様の所へ行ってくるわ。そのクッキーはお義兄様と一緒にいただいて頂戴」


「わ、私がですか……!?」


 慌てふためくようなレインはやっぱり可愛くて、これで二人の親密度が少しは上がればよいな、などと期待しながら、私はそのままルシア様の元へと駆けだしたのだった。

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