第4話

 眩いほどのシャンデリアの光を受けながら、私はお義兄様と共に、前夜祭の会場に足を踏み入れていた。


 甘ったるいお酒と花やら果物やらの香水の香りが入り混じる、熱気のある空間だ。人によっては苦手な場所だろうが、私は嫌いじゃない。きらきらとしていて、華やかで、胸が躍る。


「まあ、今年も盛大ね! ね? お義兄様」


 お義兄様の腕に自らの手を添えたまま彼の顔を見上げれば、相変わらず感情の読めない表情をしていた。


 無愛想もここに極まれり、と言った様子ではあるが、この義兄は黙っていても絵になるほどに整った顔立ちをしているので、今も周囲のご令嬢の視線を独り占めしている。


 さらさらとした銀髪に、神秘的な光を宿した紺碧の瞳。やはり、惚れ惚れするような美貌だ。漆黒の礼服も、お義兄様のすらりとした体格を際立たせていて、良く似合っている。


 この美しい義兄が、レインに対してだけは執着を見せ、重い愛を押し付ける展開になるのだから、たまらない。想像しただけで口元がだらしなくにやけてしまいそうだ。


「そうだな」


 今日も今日とてそっけない返事をするお義兄様に、ゲームの中のエレノアならば憤慨していただろうが、これもやがてお義兄様が見せる病みとのギャップを生み出していると思えば、やっぱり口元が緩む。


「今夜は王太子殿下とルシア様もいらっしゃるのよね。楽しみだわ」


「……ティルヴァーン公爵令嬢とはこの間も会ったばかりだろう」

 

「あら、好きな相手とは何度顔を合わせても楽しいものでしょう? お義兄様もそうではなくって?」


 思わずレインのことを思い浮かべながら、お義兄様の顔を覗き込むように微笑めば、彼は僅かに私の瞳を見据えた後、興味なさげに顔を背けてしまった。


「……どうだろうな」


 わかっている。今は色恋沙汰になどまるで興味もないという様子のお義兄様も、いずれレインへの重すぎる愛に溺れるようになるのだ。


「うふふ、ふふ……」


 気持ち悪い笑い声を堪え切れずにやついていれば、お義兄様が若干引いたような目で私を見下ろしてきた。大方、不気味な義妹だと思っているに違いない。


「エドウィン王太子殿下、ティルヴァーン公爵令嬢の御入場です」


 高らかな従者の声が響いたかと思えば、やがて、広間の中心が騒めき始める。あちこちから感嘆の溜息が聞こえてきた。どうやら、たった今響き渡った言葉通り、王太子殿下とルシア様が入場してきたようだった。


「行きましょう、お義兄様! ルシア様にご挨拶しなくちゃ」


 軽くお義兄様の腕を引くようにして歩き出せば、お義兄様は渋々ついて来てくださった。


 人の波を掻き分けて、幼馴染と王太子殿下の御前に躍り出る。広間の中心に佇む二人は、神々しいまでの美しさだった。


 真っ先に目を奪われるのは、光輝くようなルシア様の美貌だ。どうやら私のアドバイスに従うことにしたらしく、ルシア様は鮮やかな新緑のドレスを身に纏っている。森の妖精と言われても納得の美しさだ。


 淡い白金の髪は緩くまとめられていて、この間のお茶会で私が選んで差し上げた深緑の髪飾りが留められていた。イヤリングとネックレスにも、髪飾りと同じ新緑の宝石が散りばめられていて、完璧だ、と言わざるを得ない。


 現に、ルシア様の手を引く王太子殿下は、いつもにも増してご機嫌なように思えた。もともと人当たりがよく、お優しい殿下なので、普段から穏やかな表情で微笑まれていることが多いが、今日は格別だ。


 殿下のお姿も、ルシア様に負けず劣らず素晴らしい。王族らしい落ち着いた深い蒼の礼服を身にまとい、青みがかった黒髪も程よく整えられている。新緑の瞳にはルシア様への愛しさが滲み出ていて、見ているこちらが恥ずかしくなるほどだ。


 この二人、このまま病まずに幸せになってくれたらいいな、とヤンデレ好きの私でも思わざるを得ないくらい、お似合いのお二人だった。


「ロイル公爵家のルークとエレノアが、王太子殿下並びにティルヴァーン公爵令嬢にご挨拶を申し上げます」

 

 お義兄様の言葉に続いて私も慎ましく礼をする。私はついこの間社交界デビューしたばかりなので、なんだかんだ言って王太子殿下ときちんと顔を合わせるのはこれが初めてだった。


「ああ、堅い挨拶は抜きにしよう、ルーク。今更お前に畏まられても落ち着かないからな」


 王太子殿下は人好きのする笑みを浮かべて、お義兄様に顔を上げるよう促した。殿下とお義兄様は、公務で何かと顔を合わせることが多いようで、お二人はすっかり顔なじみなのだ。


「それから、あなたがエレノア嬢か。一度お会いしたいと思っていたところだよ。……成程確かに、美しいご令嬢だな」


 妙に含みのある言い方だが、エレノア・ロイルは性格はともかくとして見目の美しさは相当なものだ。ロイル公爵家に我儘な美少女がいるくらいの噂は耳にしていたのだろう。


 王太子殿下は、こうして見るととてもじゃないがヤンデレとは思えぬほど朗らかで、健全な好青年といった印象だった。


「お初にお目にかかります。王太子殿下。改めまして、ロイル公爵家のエレノアと申します。どうかお見知りおきを」


 深く膝を折ってドレスを摘まめば、王太子殿下の視線が私に注がれているのを感じた。間もなくして、くすくすと気さくな笑い声が降ってくる。


「ルークのような厄介な男と暮らすのは、さぞかし心労が絶えない日々だろうな。同情するよ、エレノア嬢」


「殿下」


 お義兄様の一見不躾に思える呼び止めにも、殿下は穏やかな微笑みを崩すことはなかった。殿下とお義兄様は、このくらいの言い合いをする程度には仲が良いようだ。


 私は私で、屋敷にいるときはなかなか見られないお義兄様の新たな一面を見ることが出来て、何だか新鮮な気持ちだった。


 自然と頬を緩ませながら顔を上げると、私はこのやり取りを静かに見守っていたルシア様に向き直った。 


「ルシア様、大変お美しいですわ」


 その言葉と共にルシア様に笑いかければ、彼女はやっぱり恥ずかしそうに微笑んで、小さく頷いてくれた。


 彼女もまた、私の姿を頭のてっぺんからつま先まで見つめると、僅かに笑みを深める。


「……あなたも」


 傍から見ればそっけないほどの言葉だが、彼女にしては珍しく口を開いた方だ。いつもならば微笑むだけで終わりにしていてもおかしくない。


 それもこれも、この場にお義兄様がいらっしゃるからだろうか。さして仲良くも無い人が一人いるだけで、ルシア様の態度はがらりと変わる。


 その証拠に、お義兄様とも会話をしなければならないと悟ったらしいルシア様は、驚くほど流暢に挨拶を始めた。


「……ルーク様、ご機嫌麗しゅう存じます。このところは、ロイル公爵のお仕事をお支えになり、公爵領では見事な経営手腕を発揮なさっているとお聞きしておりますわ」


 ルシア様がここまで流暢に喋るのは久しぶりに聞いた。それこそ、以前ルシア様がロイル公爵家に遊びに来た際に、お義兄様に挨拶をしたとき以来ではないだろうか。


「恐れ入ります。ティルヴァーン公爵令嬢におかれましては、今宵もハルスウェルの女神の名に相応しいお美しさと気品を兼ね揃えておられますね」


 お義兄様もお義兄様で、普段は絶対に口にしないような褒め言葉を、公の場では淡々と口にする方だった。社交辞令と割り切っているのか、やはりその言葉に感情はないが、聞きようによってはルシア様の美しさに心底感心しているようにも聞こえるかもしれない。

 

 ……あら、ちょっと待って? ひょっとして、王太子殿下の前でルシア様とお義兄様を引き合わせたのは失敗だったのではないかしら?


 今更になって、さっと血の気が引くのが分かった。恐る恐る王太子殿下の表情を窺ってみれば、口元こそ笑ってはいるが、案の定、新緑の瞳は仄暗かった。苛立ちとも憎悪ともとれる翳りの帯びた瞳は、ルシア様だけを見つけている。


 恐らく、ルシア様が公の場では流暢に喋るのに、殿下の前ではほとんど口を開かないことに、疑念を抱き始めている段階なのだろう。


 ルシア様と王太子殿下の様子を窺いたいばかりに御前に出てきてしまったが、思えばこれは本来のシナリオには無い展開だった。これをきっかけに、王太子殿下の病みが加速したらことである。


 頼むからルシア様、もうお義兄様とお話にならないで、と縋るように彼女を見やるも、ルシア様は眩いばかりの微笑みを浮かべたまま、お義兄様を見つめていた。


「身に余るお言葉ですが……ありがとうございます、ルーク様。……エレノア様にはいつもお世話になっておりますの。どうぞこれからも、変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたしますね。未来あるルーク様とエレノア様に、ハルスウェルの祝福を」


 ルシア様自身、お義兄様は幼馴染である私の家族というだけあって、一等仲良くしておきたいという気持ちがあるのだろう。それを前面に押し出した挨拶になったわけだが、普段のルシア様はここまでは言わない。


 これがますます王太子殿下の気に障ったであろうことは、火を見るよりも明らかだった。


 現に、王太子殿下の新緑の瞳に差す翳りは、先ほどよりも色濃いものになっている。まずい。ヤンデレ覚醒まであと一歩と言ったご様子だ。


 やはり、私の記憶は正しかったようだ。このままでは建国祭が終わるころには、ルシア様は王城に監禁されてしまう。


「こちらこそ、エレノアをよろしくお願いします」


 お義兄様の返事はそっけないものだったが、それで殿下の疑念が晴れるわけでもない。殿下は今も形ばかりの笑みを浮かべていたが、瞳に浮かんだ翳りを隠しきれていなかった。


「……仲睦まじいようで何よりだよ。ティルヴァーンもロイルも王国有数の公爵家だ。これからも均衡を保つようにな」


 王太子殿下はそれらしい纏め方をなさったが、明らかに言葉尻に苛立ちが浮かんでいる。その矛先は今はお義兄様なのかもしれないが、ルシア様と二人きりになった途端、彼女に向くに決まっている。


 当のルシア様と言えば、王太子殿下の瞳の翳りに気づくことも無く、にこにこと美しい笑みを振りまくばかり。


 その鈍感さがヒロインらしい愛らしさでもあるのかもしれないが、見ているこちらとしてはひやひやする。ルシア様、もう、お家に帰れないかもしれませんよ、とそっと教えて差し上げたくなる。


 もっとも、仮にルシア様が殿下に監禁されたとして、その先で待ち受ける殿下の横暴と鬱展開の中で、ルシア様がきちんとご自分の想いを殿下にお伝えできれば、ハッピーエンドを迎えることもできる。もしもその通りに事が運ぶならば、このまま監禁されても問題ないと言えるのかもしれない。


 だが、私がその現場を目撃できない以上、不安が残るのは確かだった。幼馴染であるルシア様が、お人形になってしまうのだけはどうしても避けたい。


 そうなると、私の目の届く範囲で決着を着けてもらわねば困るのだ。お城に引っ込まれては敵わない。殿下がルシア様を監禁しそうな素振りがあるのならば、何としてでも止めなければ。


 やはり、建国祭が終わるまでに、ルシア様の意識を変えなければならない。殿下にルシア様の想いが正しく伝わっていない可能性に気づいてもらわなければならないのだ。


 ……欲を言えば、この建国祭の間に、ルシア様の口から殿下への想いが正しく告げられればそれに越したことはないわね。


 翳る瞳をルシア様に向ける王太子殿下と、その隣でにこにこと微笑むルシア様を見つめる。悲しいだけのバッドエンドにはさせないと誓ったのだ。絶対に、ルシア様をお人形にはさせるものか。


 この日、建国祭が始まる前夜、私は一組目の尊いヤンデレカップルを成立させるべく奔走することを心に決めたのだった。

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