4.運命の出会い(4)

 そして最後の花火が夜空に咲いて、静かな浮遊感が俺を支配した。

 いいのが取れた。本番へのいい練習になった。今日の写真は満足したものになった。ホテルに戻ったら早速確認して――。


「ね、おじさん」


 少女の声と共に周りの騒々しさが耳に戻ってきた。公園に少し火照ったような空気を残して、人々は元の日常へと歩みを進めている。

 少女はそんな中で、頬を赤らめて俺を見上げていた。

 ドキリとした。何とも言えない期待感が湧き上がってくる。

 これまでの小生意気な女の子から打って変わって、まるで乙女のように恥ずかしそうに手をもじもじさせて、彼女は話を続ける。


「……津山望さん、ですよね」


「えっ? なんで?」


 それは俺の名前だ。教えていない。


「私、おじさんのファンなんです。フォトグラファーの津山望。もちろん写真集も持ってます」


 なるほど。そうか。だから。


「……君に、気を遣わせたかな」


 だから、楽しく話せたのか。


「え?」


「あぁ、ごめん。――ファンなら知ってるだろ。俺は女が苦手だってこと」


 崖から突き落とされたような気分だ。まったく、何を期待していたのやら。しかもこんな若い子を相手に。


「はい。奥さんと別れてからずっと女性不信、なんですよね。でも全然そんな感じじゃなくてビックリしました。ずっと楽しくて、その、言い出すタイミング逃しちゃいました」


「ファンだってこと?」


「はい。――あの! 私! フォトグラファーになりたいんです!」


 少女がいきなり大声を出したので、周りの目が俺たちに集まった。あまりいい気分ではない。


「ちょ、ちょっと声のボリューム落として――」


「あの、それで、えと……」


 少女は視線を地面に落とした。そして一つ頷いたかと思うと、両手を胸の前で握って飛び掛からんばかりにその顔を寄せてきた。少女の長いまつ毛の付いたクリクリとした目が俺の目にまっすぐに入り込んでくる。

 輝きを持ったそのままの勢いで少女は続けて言う。


「で、弟子にしてください!」


「だから声大きいって!」


「へっ!?」


 真正面から俺の言葉を受けて、やっと少女は周りの状況に気付いたようだった。


「えっ? あっ、すみません」


「まったく、さっきまでとはまるで別人だな。――ごめん、今はそういうのいらないんだ。それに……」


「宮島花火まででいいです! 分かってます!」


 誰かをアシスタントにするなんて今の俺には考えられない。と続けようとした俺の言葉を遮るように少女は叫んだ。

 そうか、俺が宮島花火まで広島にいることも把握していたのか。どうやらブログも読み込んでいるようだ。


「……私、津山さんと話してて楽しかったです。もちろんファンだから嬉しいのもあったと思います。――けど津山さんも楽しくなかったですか? 私と話してて、つまらなかったですか?」


「それは……」


 十数年ぶりに、女性との会話が楽しいと思えた。

 そして何より、少女はとても魅力的だった。


「――女性不信を公言してる男に、知らないそぶりで近づくなんてのはやめた方が良かったな」


「それは……恥ずかしかったんです」


 そう言って少女は俺の胸に視線を向けた。右手を左手で包むように握って、両腕は力なく垂れ下がっている。


「ごめん。俺もそれは分かってるんだけど、どうしても」


「……けど、楽しかったんですよね?」


「そうだけど……」


「なら!!」


 少女がひと際大きく叫んだかと思うと、俺の両肩を掴んでガクガクと揺さぶってきた。その目はギンギンとして彼女の必死さを物語っている。


「宮島まででええからカメラ教えてよ~! お願い! おごる代わりでええけ! この通り!」


「ちょ、脳が揺れるっ! ――声もデカいって!」


「知らん! 言うこと聞いてくれるまで揺さぶるけーね!」


 いつの間にか方言に戻っているし、人目はさらに集まっている。

 なにより体と頭を揺らされて気持ちが悪くなってきた。


「はよ観念せえ! 叫ぶぞ!」


「もう叫んでるだろうが! --ああもう、分かった分かった!」


 そうだ。いい機会なんだ。彼女に覚えた胸の高鳴りはきっと、糸口なんだ。彼女は過去に囚われ続けている自分をほどいてくれる。

 そう、なぜか彼女とは不思議と自然に会話ができる。そのことに少し、救われている。


「よっしゃ! 言質とったけーね!」


 少女は揺さぶる動きを止め、俺の肩に体重を預けるようにしてその顔を間近に覗かせてくる。

 瞳がキラキラしていて綺麗だ。唇も、今は色気を感じないが程よく収まっていて、底抜けに咲いたその笑顔はまるで……。


「私、上岡夏輝!」


 その一言に血の気が引いた。心臓が慌てて脈を打ち出す。足が地面から浮いてしまったかのように力が抜けて、彼女の体重を支えていられない。


「あっごめん。のしかかりすぎたわ」


 ふらつき、背中から地面に倒れそうになった俺を夏輝が引き戻した。彼女に何か言おうとしたが、口の中が渇いて上手く言葉が作れない。息が浅くなって呼吸が苦しい。

 体は冷や汗をかきながら震えて、指先さえまともに動いてくれない。


「……よし! じゃ、また連絡するけーね。早く帰らないと怒られるけ、もう行くね」


 夏輝は大きく手を振って、砂利が踏まれる音がした。彼女はスキップしながら公園を出ていった。

 きっと彼女と何か話したはずだ。しかし、何も頭に残っていない。名前を聞いてからずっと頭の整理ができていない。


「上岡、夏輝」


 それは俺の娘の名だ。

 女性不信の原因となった、妻との別れ。

 少女は、妻と別れたその日に生まれた俺の娘の名を名乗った。

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