3.運命の出会い(3)
「そろそろ花火にカメラを向けた方がいい」
いま夜空は破裂音が止んで、正しい暗闇を取り戻している。これは次のフィナーレまでの凪の時間。
「もう少しでスターマインが始まる。大フィナーレだ、撮り逃すなよ」
そう促すと少女は慌て始めた。
「あっ、あっちょっとまって、おじさんカメラ得意でしょ?」
「……どうした?」
「これ見て」
少女はそう言って近寄ってくると、撮った写真を見せてくる。ちょうど肩をくっつけて、二人並んでカメラを見るような形になった。
不意に女の子らしい甘い香りが、花火に照らされた綺麗な黒髪からソースの匂いに割りこんで鼻腔に流れてきた。
「ちょっと、なんで腰が引けとん?」
「あ、いや、何でもない……」
姿勢を正すと、少女が見せつけてきた写真を改めて見てみる。
「あー、ボケボケじゃないか」
「そうなんよ。さっきちらっと見たら全部こんな感じで……」
「ピント調節すらできてないじゃないか。……あっ! オートフォーカスで花火を撮ろうとするなよ」
「ぴんと? ふぉーかす?」
少女はさっぱり分からないといった風に俺の言葉を言い返した。
「君、初心者だろうなとは思ってたけど。もしかして今日が初めての撮影?」
「そうよ。これの使い方とか全然わかんない。――勝手に色々してくれるもんじゃないの?」
真新しい一眼レフは少女の手にしっかりと握られている。なるほど、買ってもらったばかりのカメラを試そうと、親にせがんで福山まで来たという事か。
「スマホじゃあるまいし。――ほら貸して、調節したげるから、っと」
そう言って伸ばした手から、少女はカメラを遠ざけた。
「ぶーん、だめ~、それは私がやる」
「俺がやったほうが早いだろ」
フィナーレがいつ始まるか分からないのだから、準備に滞って撮り逃すなんてのはあり得ない。
「ダメったらダメ。私のカメラに触らんといて」
少女はそう言って背中にカメラを隠した。これ以上問答しても、余計に時間を食うだけだ。
「……じゃあ説明してやるから」
「うん、教えて」
少女が答えて、俺は丁寧に一眼レフの使い方を彼女に教えていく。
説明している間、少女はうんうんと時折頷いて理解を示した。
そして俺の言った通りにカメラの設定を手早く終えると、少女は明るく笑った。
「えへへ~。ありがと。助かりました。まだよくわかんないけど、これで花火が撮れるんよね」
「ああ、いいよお礼なんて。とりあえずさっきみたいにボケボケにはならないかな。……おっと」
そうして話していると夜空に光の花が散った。遅れて破裂音。
「最後の花火だ。しっかり撮らないと」
「うん」
少女は夜空にカメラを向けた。そのワクワクとした瞳につられて、俺もカメラのレンズ越しに夜空を望む。
「うわぁ、すご……」
少女の感嘆の声がする。
「ああ、すごいな。すごく綺麗だ」
胸に響く破裂音を連れて、最後の花火が夜空に上がり続けている。
二人で夢中になってその一瞬を撮り続けている。俺達は話しながらもお互いの顔によそ見をすることはない。
「これは……やっぱり人混みを我慢して川岸から撮ったほうがよかったか」
「ダメ。私と会えなくなるじゃろ」
「え……?」
どういう意味かと戸惑った。
「だから、私が困る。カメラの使い方分からんままになる」
少女は俺が聞く前にその意味を教えてくれた。すると少しがっかりした気分になって、俺はまた自分が怖くなった。
おかしい、一体どうしてこんなに心がざわつくのか。
「おじさん手が止まっとるよ。一瞬は逃したら手に入らんのんよ」
「おっ……ああ!」
俺は気を取り直して撮影を続ける。夜空には花火が明かりを灯して美しい。写真家として今を切り取らないで何を切り取るのか。
打ち上がる花火の数が増えていくのと共に、集中力が増していくのを感じる。
しかし一瞬の違和感に、俺はちらりと少女を見た。
「えっ、おい」
「あっ」
少女はいつの間にか俺にカメラを向けていた。
「何やってんだ」
「いや~、えへへ。ちょっとからかってみただけ」
また俺の慌てた顔を撮ろうとしたのか。
「まったく、そろそろ本当に最後のくるぞ。撮り逃すなよ」
「わ、分かっとるよ」
慌てたような少女の声を隣に、俺はカメラのレンズ越しに花火を捉えていく。五感は視力を残して消え失せて、今はもう鼻に残っていたソースと少女の髪の匂いも気にならないほど。
夜空に眩むほどの光の花が、咲き誇っては消えていく。
その一瞬の煌めきを逃してはいけない。
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