7.1%の薄氷

 そこは秋帆とよく食べに来ていたお好み焼き屋だった。


「ここね! めっちゃおいしいんよ!」


 知っているとも。


「へー、そうなのか」


 薄氷のような嘘をついたのは、まだ縋り付いていたかったからに他ならない。

 まだ店の外にいるにも関わらず、食欲を刺激するお好みソースの匂いが辺りに充満している。

 八丁堀駅を降り南へ、並木通りをまっすぐに通り抜けて平和大通りも越えたその先にこの店はある。

 ここへは、付き合い始めた時に初めて連れてこられた。

 ――あいつは店の親父さんとよく話してたな。

 自然と深く息を吐いた。


「いらっしゃーい」


「こんちは~」


 若い兄ちゃんの挨拶に夏輝が答える。見知った人物はいない、恐らく。なぜなら他の店員もみな若いからだ。そして店内には俺たちの他に客はいなかった。時間的に昼ご飯には遅いから当然かもしれない。

 ほっと胸を撫で下ろした。

 一番奥の席に案内される。夏輝はメニューを俺に開いて見せてきた。


「ここはキャベツがしゃきしゃきなのが良いんよ。オススメはみったんスペシャルかなぁ」


 同じセリフ。


「……焼きそばもあるんだな」


「うまいよ! けど今日はお好み焼き食べんとじゃろ!」


 ――あの時は、どう返したっけな。


「……腹が、減ってるから両方、食うよ」


「えー、食べすぎぃ。津山さん年なんじゃけぇやめときんさいや、太るよ?」


「ふっ、ははっ。確かにな! じゃあ一番のオススメにするよ」


「はーい。――っていつまでにやけとん? ……方言が面白かったですか?」


 顔を赤くした夏輝に首を振って応える。

 夏輝はじゃあない。あいつとは違う、そんな当たり前のことを再認識できて安心した。


「気にしないで。まぁ、久々にコテコテの聞くとちょっと面白かったかな」


「もーぅ! ――あっ注文良いですか!」


 夏輝は店員を呼びつけるとテキパキと注文を終わらせた。

 「いつもの」という言葉が成立する程度には、彼女はここに食べに来ているようだ。


「よく来てるんだな。家族と?」


「はい! お母さんが好きでよく来てるんです」


 俺はもう夏輝が娘であることに疑いを持っていなかった。99%間違いない、目の前の女の子は俺の子だ。その自信の理由には明確な根拠なんてない。あるのは状況証拠ばかり。

 ただ、そうだという勘が、俺にそうだと信じ込ませている。

 じっと見つめて、夏輝の顔を深く観察してみる。目、鼻、口に至るまで、ほとんどあいつに、秋帆にそっくりだ。俺に似ている所といえば、それは耳の形と顎の形。周りの音をよく聞き取れそうな大きな耳、そして鼻先と口と顎をキレイなEラインにまとめ上げる輪郭は、俺からの遺伝だろう。


「あの……な、何かついてます?」


「いや、別に。ただ綺麗だなと思って」


「急に口説くとかこわっ! ええっと――」


「今日は化粧をしてるんだな」


 この子が娘であるなら、あとは、


「耳にピアスまでつけて。親にはデートか何かだと疑われなかったか?」


 あとは、偶然出会ってしまったのかどうか、だけ。

 もう二度と劣情を抱くことはないだろう。

 嫌悪感で吐きそうになる自分を抑えつけながら聞き出していこう。


「昨日も化粧してました! ピアスもつけてました!」


 夏輝は店員に怒られない程度に声を荒げた。しまった。


「ごめんごめん、ほら暗くてさ。よく見えてなかったかな」


「でも、ま、今日は昨日より気合入れてますけど……。昨日と比べて私、どうですか?」


 目を逸らし、毛先を指で弄びながら夏輝はそう言った。


「こっちを向いてくれないとよく見えない」


 「んなことないっしょ」と言いながら彼女はゆっくりと顔を向けた。それでも真正面から目を合わせることには抵抗があるようで少し俯いている。

 その見上げる姿があまりに可愛らしくて、よくここまで育ってくれたと、俺は彼女を包むすべてに感謝した。


「うん。……ばっちり余所行きって感じ」


「……なにそれ、おもんない」


 夏輝は口を尖らせた。――ごめんな。


「写真に収めたいくらい、今日はバッチリ決まってる。キレイキレイ」


「もぅ! あとから付け足されても喜べないです!!」


 素直に誉め言葉を言えないくらい、俺もちょっと照れちゃってるんだ。

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