6.くちづけの街

 ガラガラとスーツケースを引いて、背中にはカメラバッグを背負っている。一目で旅行者と分かる格好で、福山駅から広島駅までを新幹線で移動した。

 駅に降り立ってすぐ、ホームの出口に夏輝はいた。


「津山さ~ん! こっちです!」


 夏輝は大きく手を振りながら近づいてきた。今日はリュックを背負って、それがポニーテールに括られた黒髪と合わせて上下に揺れている。その毛先をよく見れば、昨日とは違って緩く巻かれていた。

 昨日とは違うスポーツブランドのシャツに黒のスキニーを履いて、まるで快活な少年よう。


「おはよう」


「もう二時じゃけぇこんにちは!」


 そう言って夏輝は白い歯を見せてにっこりと笑った。つられて俺も笑う。見ている側も楽しくなるような、無邪気な笑顔だった。


「それじゃさっそくご飯食べに行こ! 私もうぺこぺこで」


 夏輝は自分のお腹をさする。するとギュウっと音がして、彼女の頬に赤みが差した。


「……お腹もそう言ってます」


「行こうか。俺もぺこぺこだ」


「えへへ、はいっ」


 夏輝は笑う。照れた笑みから明るい笑みへと表情が変化する。天真爛漫なその表情を見たものは特別感や優越感を覚えるだろう。

 彼女はやはり美しかった。

 昨日は夜という事もありよく見えなかったが、スタイルがよく、目鼻立ちが整っていて、しかしコロコロと変わるその表情は愛嬌の塊だった。

 陽の光の中の少女は、あの頃のあいつと同じ表情をしていた。

 そう、まだ未完成のそれはこれから更に磨かれること間違いなく、見るものの心を穏やかにさせてくれないだろう。楽しみだ。


「? 重いん? 持ちましょうか?」


 そう言うと夏輝は俺の背中に回った。首だけを振り返って彼女を追う。


「重いけど、持たなくていい。それに、上岡さんが持とうとしたら押し潰されるよ」


「それ言い過ぎですよ。なんか辛そうな顔しとるけぇ、……後ろから支えていいですか?」


 返事を言う前に肩が軽くなった。


「わっ、重っ!」


「なっ? いいよ、無理しないで」


「いや、でも……」


 夏輝はしばらく粘っていたが、結局重みに耐えかねて手を離した。

 そして疲れた腕をほぐすように振り始める。


「ムリ、おっも! 何が入っとん!?」


「機材だよ」


「えっ、こんな重いんじゃ……。私持てるようになるかな?」


「肩から掛ければ大したことないし、まぁ、最初から全部は持たせないから」


 荷物は駅のコインロッカーに預けることにした。ホテルは駅の間近に構えているが、そこまで夏輝を歩かせるのは億劫だった。



 広島市内にはまだ路面電車が通っている。

 広島駅の南口を出てすぐ、噴水の向こう側、俺達は「本通行き」の路面電車を待っていた。

 駅の周辺に目をやれば、十数年前と比べて飛躍的に発展しているのが分かって驚いた。

 戦後の闇市から続いていた商店街はまとめて取り潰され、跡には家電屋やバーレストランを含めた総合施設が真新しい電光掲示板に今日のニュースを表示していた。

 そうして周りをキョロキョロ伺っているのを「なんかお上りさんみたい」と言われて止めた。


「仕方ないだろ、こんなに発展してるなんて思わなかったし」


「まぁね〜。ここ数年で急に都会目指し始めたんよ。キモいよね」


 キモい。という表現が確かに合っていた。18の時から25まで、広島で過ごした7年の時が飛んで消えたような違和感。


「こんなじゃなかったんだけどなぁ」


「昭和っぽかったじゃろ」


「そう、ど田舎って感じだった」


「そうそう! なんかダサかったけぇね。これからオシャレになる気なんよ――」


 その時、俺達の乗る路面電車がやって来た。


「まぁムリじゃろうけどね」


 夏輝はそう言うと一足先に乗り込んでいく。


「なんで?」


「地下鉄を作らんとじゃろ」


 彼女の中ではオシャレな街に地下鉄はマストらしい。たしかに路面電車よりかは新しくて、オシャレと言えなくはないかも。


「いや、けどこれはこれでいい感じだよ。撮りたくなる」


「ウソぉ。私には分かりません!」




 八丁堀駅で路面電車を降り南へ、福屋を左手に広島PARCOまでを歩く。周辺には貴金属の店が多い。

 ここはほとんど変わっていなかった。


「路面電車から見てても思ったけど、この辺は変わらないなぁ」


「いや変わってますよ。あそことかちょっと前は服売りよりました」


「あれ? そうなの?」


 町並みについて話をしながら歩いた。すると思っていたよりも自分は街を記憶していなかったようで、変わったと言われても前が何の店だったのか思い出せなかったりする。

 どうにか思い出せるのは良く通っていた店なんかで、記憶も移ろいゆくのだなと思えて今見えている景色を写真にしたくなった。

 一眼レフは置いてきたのでスマホを取り出してカメラを起動させる。

 ふと気まぐれで夏輝にレンズを向けると舌を軽く出してウインク付きのピースをされた。


「後で送ってくださいね!」


 撮られ慣れているようだった。




 PARCOからスタバを右手にさらに南へ。有名なお好み村を左に通り過ぎて並木通りをまっすぐ南へ向かう。

 もう、すぐそこを右に回った先に公園が見える。


「……変わってないのか」


 その道を挟んで公園の向かい側に、あの式場が今もあった。

 17年前にあいつと、秋帆と祝福を受けた、あの結婚式場が今も。

 ――記憶というのはどうして、切っ掛けがあると湧き出してくるのか。


「津山さーん?」


 気付くと遠くから夏輝に呼ばれていた。慌てて駆け寄る。


「うろうろせんでって言ったじゃないですか」


「ごめんごめん、――やっぱり、地下鉄の方がいいかもな」


「え? 急になんです?」


「さっきの話。やっぱり路面電車より地下鉄の方がオシャレだ」


 ――いろんなことを思い出して、苦しくなるから。

 それなら全部、丸ごと変わってしまったらいいのに。


「あー。……ごめんなさい、私いまは路面電車がいいかな〜って思います」


「え?」


「だって景色が見れるじゃないですか」


 そう言って夏輝は笑った。


 

 

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