桃納言
甘木 銭
桃納言
昔々の話で御座います。
どれくらいの昔かと言うと、まあ、昔々と二回も繰り返すほどなので、ちょっとやそっとの昔では御座いません。
コンピュータどころか電化製品もありませんし、道路にはアスファルトも敷かれておりません。
なんて言うのですらまだまだ足りないくらいの大昔。
国の中心、いわゆる
昔々のある所には、おじいさんとおばあさん住んでいるのが定番で御座います。
その次に多いのが男の一人暮らしで御座いましょうか。
この時代には、遠くの人とやり取りするような手段などほとんどありません。
ですからさぞかし不便だったでしょうが、その分遠くの人とやり取りをする必要もなかったのでしょう。
案外その方がずっと楽かもしれません。
さて、話が逸れましたがこの家にはやはりおじいさんとおばあさんが住んでおります。
二人は長年連れ添った夫婦でしたが、子供がおりません。
つつましく、つつましく二人で暮らしております。
つつましくと二度繰り返すほどですから、とてもつつましかったのでございます。
二人の着物はたいそう汚れていて、どこかほつれるたびに直しては何度も着ておりました。
なので二人が来ているのは、つぎはぎのぼろで御座いました。
毎日の食事はその日食べる分だけ、裏の山から獲ってきます。
その日もおじいさんは、晩ご飯と明日の朝ご飯のために山へ向かいます。
弓を手に持ち、鉈を腰に下げて矢筒を背負った、いかにも勇ましい姿でけもの道へと分け入っていきます。
元々は草が茂る斜面でありましたが、数十年おじいさんが踏みつけ続けた場所だけは、一本のはっきりとした道になっておりました。
一方で、おじいさんが出ていく前からずっと家事をしていたおばあさんは、釣り具をまとめて家を出ていきます。
近頃山の獣が獲れなくなってしまい、タンパク源が不足しているので、川に魚を釣りに行くのです。
川辺に腰を下ろしたおばあさんは、川面に糸を垂らすと竿を固定し、その横で本を広げます。
川の水とともに、静かに時間が流れていきます。
「ヨコの五は桃の節句だろう」
おばあさんがクロスワードパズルに熱中していると、不意に後ろから声をかけられました。
おばあさんが驚いて振り返ると、そこにはおじいさんが立っています。
おばあさんは自分が全然出来なかった問題をあっさりと解かれ悔しい思いをすると同時に、たくましく物知りなこのおじいさんにひかれた若かりし日のことを思い出しました。
おばあさんの目にはおじいさんしか映っておらず、おじいさんはクロスワードパズルを見ていたので、川上から流れてくる大きな桃に気が付きませんでした。
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「ここは……どこだ?」
川のほとりの草の上に、大きな桃がゴロンと転がっております。
人気のないその場所で、桃はごろごろと動きます。
どうやら、声は桃の中からしたようです。
桃は、しばらく辺りを転がっておりましたが、やがて坂に差し掛かると、そのままごろごろと転がり落ちていきました。
「うわあああああああ!?」
悲鳴を上げながら転がっていく桃は、物理法則に則ってどんどんと速度が増していきます。
しかしその表面は、いくら小石にあたっても傷一つつきません。
桃というのは本来キズのつきやすいものですので、どうやらこれはタダ桃では御座いません。
長い長い坂道をずっと転がっていった桃は、とうとう木にぶつかってしまいました。
めきめきっ、と大きな音を立てて木が倒れます。
それでもやはり、桃には傷一つありません。
「いたた……あれっ、動けない!」
どうやら桃は、自分が倒した木に引っかかって動けなくなってしまったようです。
そもそも桃は動きませんが。
そこに、複数人の足跡が近づいてきました。
「ようやく見つけたぞ、桃の
やってきたのは、刀を構えたたくましい体つきの男達。
五人ばかりで、桃を取り囲むと荒々しい声で怒鳴りつけました。
「はてさて、自分はただの桃であるが」
「こんな大きさで喋る桃がおるか!」
この手の男は短気でございます。
声を上げるや否や、桃に向かって一斉に刀を振り下ろします。
しかしそこは、坂を転げ落ちても傷一つつかない桃のこと。なまくらの刀では文字通り歯が、いえ、刃が立ちません。
かあんっと大きな音が響いたと思うと次の瞬間、桃が内側から真っ二つに割れました。
左右両側に、男ごとふっ飛んでいく割れた桃。
その中からは、たいそう美しい青年が現れました。
端正な顔立ちと長く伸ばした美しい黒髪の上に烏帽子を被り、女性のように細い体には淡い桃色の直衣をまとっております。
「桃が割れてしまった。これでは命が危ないな」
「でしたら私がお供をいたします」
青年が声の方に顔を向けると、そこには先ほどの男達の中の一人が跪いておりました。
この桃から出てきた青年は、名をきびのつひこといいますが、都では桃の大納言と呼ばれておりました。
大納言とは、とてもえらい貴族のことです。
つひこのお父さんはとてもえらい人でしたが、つひこはさらに賢く、その才能でどんどんと出世をしていきました。
都の人々にも慕われており、その姫のように麗しい容姿と、屋敷に埋めた桃の木から、いつしか桃の大納言と呼ばれるようになっていたのです。
しかし、いつの時代にも人気者には「あんち」が付くもので御座います。
自分の出世の邪魔になると考える者。
悪いことがしづらくなると感じた者。
単純に人気が妬ましい者。
いつしか彼らは結託し、桃の大納言は命を狙われるようになってしまいました。
命の危険を感じた桃納言は、桃の中に入って命からがら都から逃げ出しました。
都のことはたくさんの家来に任せてあります。
しかし、彼らが桃納言をそのまま見逃すはずがありません。
大勢の追っ手を差し向けてまいりました。
さて、この追っ手の中に、正義感に燃える男がおりました。
いぬかいろくろうという名の武士で御座います。
追手として桃の大納言を追いかけ、この時ようやく対面することが出来たのです。
「我がいぬかい家は代々ふじ様に仕えておりました。しかし、民を大切にする大納言様を毒牙にかけようとする主に疑問を抱き、あなたをお守りするためにここに参りました」
ふじ、というのは桃の大納言の命を狙った貴族の一人で御座います。
「今、都の貴族はみな自分勝手にふるまい、民を虐げております。人の姿をした鬼で御座います。この状況を変えられるのは大納言様意外に居りませぬ。ぜひとも都に戻り、鬼退治をしてくださいませ」
ろくろうは、桃の大納言に必死で頭を下げました。
「しかし、都に戻ればまた命を狙われてしまうな」
ろくろうの顔が、見る見るうちにくもります。
「それでは……」
「ああ、仲間が必要だな」
ろくろうの顔が、頭上の青空のようにぱっと晴れました。
桃の大納言はいつでも困っているもの、弱い者のために動きます。
これが、皆に慕われている所以で御座いました。
---------------
二人は都に戻るため、山の中を歩きます。
新たな追手に出くわさないように、人気のない道を歩いているのです。
その日は夕方まで歩き、草を枕に寝ることにしました。
石の上に腰を下ろした時、すぐ近くの茂みががさがさと揺れました。
二人がそちらを見た瞬間、次々と辺りの茂みが音を立て、何十人もの山賊に囲まれました。
「そのかっこう、お前貴族さんじゃろ。命が惜しけりゃ金目の物を置いていけ」
「やれやれ、今日は男に囲まれてばかりだな」
桃の大納言が呆れていると、猿顔の大男が出てきて、
「きれいな着物じゃな。あんたらは都でええ暮らしをしとるんじゃろ。見ての通り、わしらはこんな生き方しかできん社会のはぐれものじゃけん、ちぃっとばかり恵んではくれんかね」
どうやら、彼は山賊どもの親分のようで御座います。
下手に出るような態度をとっておりますが、その目はぎらぎらと怪しく光っております。
「残念ながら今は持ち合わせがないのだ。金が欲しいならまっとうに働けばよい」
桃納言は堂々と、そう言い放ちました。
「それが出来ねえからっ……」
「それでな、お前らに少し働いてほしいのだが、都までついてきてはくれんか」
「……は?」
桃納言がほほ笑むと、山賊たちは皆一様にぽかんとした顔をしています。
「そんなこと言って、都で俺たちを役人に突き出すんだろう」
「そんなことが出来るなら二人で野宿なんかしていない」
山賊は、確かにとうなずいています。
「もちろん、礼はきちんとする。そのまま武士になってもいいだろう。そうすれば略奪もせずに済む、嫁だってもらえるかもしれんぞ」
「大納言様、そんなこと!こいつらは賊で御座います、武士に取り立てるなど!」
ろくろうがそう叫ぶと、またも山賊たちはピリピリと雰囲気になりました。
ろくろうと親分がにらみ合い、お互い刀に手をかけます。
「やめろ、ろくろう」
「しかし……」
「いいか、この者たちが賊をしなければならないのは、我々のせいだ。お前の言う、都の鬼によるものだ。この者たちは悪くない」
その言葉を聞き、さすがのろくろうも観念し、にらみ合うのをやめました。
いつしか辺りは暗くなり、星が光っておりました。
---------------
山賊の親分は、名をさるひこと言いました。
元々は畑を耕しておりましたが、都の貴族のせいで土地を失い、山賊に身を落としていたのでした。
「貴族に土地を奪われ貴族に救われるとは思わんかった」
猿彦は桃納言についていきながらそうぼやきました。
その後ろには三十人ほどの部下がついてきております。
「当たり前だろう。大納言様はただの貴族なんぞとはわけが違うのさ」
ろくろうが誇らしげに言うと、猿彦とその部下たちもそれに同調します。
「そうでもない。私も都の貴族の一人にすぎん」
桃納言が口を開くと、皆が桃納言の背中を見つめました。
ここ数日の旅で、桃納言のきれいな着物は泥と汗とですっかり汚れておりました。
桃納言の言葉に反してろくろう達の目には、いつも先頭を歩いて、布団も屋根も無い寝床に文句ひとつ言わない桃納言は、やはりほかの貴族とは違って見えるのでした。
十日ばかり歩いたころ。
一行は都を見下ろせる山の上まで辿り着きました。
ここまでくれば、都まではあと少しです。
「しかし、ここからどうやって都に入るつもりだ?俺達みたいな山賊は門前払いだろうし」
「大納言様も追われる身で御座いますから……。民は受け入れてくれるでしょうが、ふじの者に見つかればやはり命が危ない……」
ろくろうとさるひこの二人は、険しい顔をしています。
「なに、心配いらないさ。とにかく夜まで待っていればいい。それより、火を起こすのを手伝ってくれ」
桃納言は、のんきに木の枝を拾い集めています。
桃納言にこう言われては、二人も黙るほかありません。
火を起こして、釣ってきた魚を焼くことにしました。
煙が、空高く昇ってゆきます。
その日の夜のことです。
見張りをしていた山賊の一人が、走って桃納言たちに知らせました。
「大変だ、役人のような男が一人ここに向かってきている!」
さるひこたちは、にわかにざわざわとし始めます。
ここまで来て役人に捕まっては、何もかもが無駄になってしまいます。
山賊たちは次々に刀を抜きます。
ろくろうは、黙って桃納言の顔を見ておりました。
「あわてるな、その者は味方だ、ここに通せ」
桃納言の言葉で、皆が一斉に静まりました。
「これは大納言様、お早いお帰りで」
「ああ、こんなに早くなるとは思ってもみなかった」
桃納言の前に座っている目付きの鋭い男は、名をとりのおしおみといいます。
小柄なおしおみは、大柄なろくろうやさるひこと並ぶと、大人と子供ほどに差がありました。
しかし、その態度は二人よりも堂々としていて、頼りない印象は受けません。
桃納言は都から逃げる時に、最も信頼していた家来のおしおみに、後のことを任せてきたのでした。
そして、都が落ち着いて桃の大納言が返ってきたときに迎えに来る約束をしておりました。
山の上から昇る煙が、大納言が帰ったことを知らせる合図になっていたのです。
「あまりに早かったので、猟師が獲物を焼いているのかと思いましたが、念のため確認しに来て正解でした」
「私ももう二、三年ほど地方でのんびりするつもりだったんだがな……」
「しかし気が変わったということは、それだけのことがあったのでございましょう?」
「そう思うか」
不敵に笑う二人を見たさるひこは、やはり貴族は恐ろしいと思ったのでした。
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ここは都に入るための大きな門の前で御座います。
普段なら役人が夜の間も門番をしているのですが、不思議なことにその日は門の前には誰もおりません。
それもそのはず。
都の警備にあたる役職のおしおみが、昼間のうちに手をまわしていたのです。
このおしおみという男、桃納言が都にいたときから抜け目がなく、優秀な側近として活躍しておりました。
ちょっとした情報操作や仕掛けなどは簡単にやってのけてしまうのです。
桃納言は、おしおみも都にいては命を狙われるかもしれないと密かに心配しておりましたが、そこは強かなこの男。
物騒な都でも上手く生き残っていたようです。
その日は新月で御座いました。
そのため、闇に紛れて動く彼らを見る者はおりません。
豪華な赤で塗られ、昼間は素晴らしく美しい門も、夜の闇の中では真っ黒な塊がのしかかって来るようです。
それはそのまま、この都の貴族たちの姿のようでもありました。
この時間になるまでに、作戦は練ってあります。
皆で木の枝を集め大きくなった焚き火を囲うように、桃納言、おしおみにろくろう、さるひことその手下たちが、円を描くように座っています。
「しかし、都の前まで来たは良いがそれから何をするつもりなんだ?あんたの目的は都に戻ることだったよな??」
さるひこが桃納言に尋ねます。
桃納言に対するさるひこの無礼な言葉遣いに、おしおみはが立ち上がりかけます。
しかし、桃納言はそれを手で制すと、静かに話し始めました。
「関白、ふじのもとつねの屋敷に忍び込み、もとつねを暗殺する」
「なっ……!?」
座が、にわかにざわつきました。
「ふじは都での権力を独占し、利己的な政治で多くの者を苦しめている。まずは彼を排除する」
場の者全員が動揺している中、おしおみだけは涼しい顔をして桃納言の顔を見ておりました。
「しかし、それは……」
「ろくろう。ふじと言えばお前の主だ。それを討つとなればやりにくいこともあるだろう。無理にとは言わんが……」
気遣う様子を見せる桃納言に、しかしろくろうは決意を込めた声で答えました。
「いえ、今の私はふじの家臣ではありません。それに、もとよりふじの在り方に疑問を抱き、桃の大納言様にお味方することを決めたのです。しかし……暗殺というのは……」
「それでは、他の貴族と同じか?」
桃納言の冷たい声に、ろくろうはビクッと身を震わせました。
周りにいる皆も怯んだ様子ですが、やはりおしおみだけは涼しい顔をしていました。
「しかし私は言っただろう。私も所詮、都の貴族の一人にすぎんと」
その声には、確かな覚悟がこもっているようでもありました。
「俺は賛成だがな。ちまちま小細工して追い出そうとするよりよっぽど楽でいい」
「まあそう楽に運ぶかはわからんがな」
さるひこののんきな言葉に、桃納言は苦笑いしながら答えます。
ろくろうは、意を決したように一歩前に出ると桃納言の前に跪きました。
「まだ少々、迷いがあったようでございます」
ろくろうの硬い声に、場の者全員が耳を傾けております。
「しかし、今ようやく決心がつきました。たとえ不忠と罵られようと、必ずや目的を達します」
ろくろうの静かな覚悟に、桃納言は淡く微笑むと立ち上がりました。
「今夜、大手門より都に入りふじの屋敷へと忍び込む。当然見張りがいるだろうが、その者達は殺すな。もとつね並びにふじの一族の有力者だけを確実に討て。都の鬼退治だ!」
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ふじの屋敷は、都の奥の御所の近くにありました。
その規模は大きく、ふじ一族の都での権威をそのまま示す豪華な装飾で彩られています。
桃納言は、久しぶりに見たその屋敷の前に立ち、都で過ごしていた日々のことを思い出しました。
新月で屋敷は影しか見えませんが、その威厳は十分に伝わってきます。
いよいよ決行の時を前にして、桃納言にも緊張の色が見え始めました。
桃納言とふじ一族。都と、ひいてはこの国の運命を左右する一戦が始まろうとしていました。
おもむろに腕を上げた桃納言は、大きく息を吐き、一気に腕を振り下ろしました。
開戦の合図です。
足音を忍ばせながら静かに塀を上る、五人ほどの山賊たち。
おしおみの偵察で、そこに人がいないことはわかっています。
彼らが内側から門を開け、皆が一斉になだれ込みます。
足音を忍ばせてはいますが、人数が多く、夜の静寂の中に不穏な音が響きます。
しかし、その異様な気配に気が付いているものはまだおりません。
暗闇の中をそろそろと進んでいると、まるで闇に飲み込まれそうになります。
「誰だ?」
不意に、声をかけられました。
屋敷の警備をしていた兵士です。
先頭にいた桃納言が刀の柄に手をかけた瞬間、後ろから影が飛び出しました。
「ぐあっ!」
黒い血を流しながら倒れる影。
ろくろうが、警備を切ったのです。
「あなたが手を下すことはありません。こんなことは、私にお任せください」
それを皮切りに、屋敷内では激しい戦闘が始まりました。
とても短い夜の話です。
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蔵というのはものをしまい、守るところで御座います。
ものというのは、人の命も例外ではありません。
「どうやらもとつねはこの中に逃げ込んだようです……」
おしおみの報告に、さるひこが歯噛みしました。
屋敷を警護していた者たちは、誰一人動いておりません。
奇襲は成功したのです。
東の空がうっすらと明るくなり始めております。
驚くべきことに、大納言一行には脱落者は一人もおりませんでした。
おしおみの調査、計画が大いに役に立ったのです。
しかし、まだ喜ぶことはできません。
目的は、扉一枚隔てた向こうに息を殺して潜んでいるのです。
「関白ふじのもとつね様に、
桃納言が、扉の前で声を張り上げます。
「私はこの度、初めて都を出ました。そして、その旅路で多くの者を見た。ぼろを着て寄り添う老夫婦、財産を奪われ他人を蹴落としながら生きることを余儀なくされた者たち。そして、自分の在り方に疑問を抱く者……」
皆一様に黙り、横から後ろから桃納言を見守ります。
「都にいるだけでは見えないものを見てまいりました。そして、自分が何をすべきか悟った……。もとつね様とは争うこともございましたが、そのおかげで外を見てくるよい機会となりました。このような機会をいただいたこと、感謝申し上げます」
桃納言は大きく頭を下げ、そのまま続けます。
「そして、このような手段に出たことを謝ります」
そう言うと、そこから皆が思いもよらなかった言葉を続けました。
「私はこの国を立て直したいと思っております。どうか、お力をお貸し願えませんでしょうか」
蔵の前が騒がしくなります。
「おい、何言ってんだよ!?」
「もとつね様を、お助けになると!?」
さるひことろくろうが問い詰めます。
今度ばかりは、おしおみも戸惑った顔をしておりました。
しばらくすると、蔵の扉が開かれました。
中からはやつれた一人の男。
もとつねです。
恐怖のためか顔がひどく歪んでおり、華やかな貴族の面影はそこにはありません。
「ああ、ああ。すまない。すまない。助けてもらえるのならば、従おう。桃の……」
その言葉が、最後まで紡がれることはありませんでした。
もとつねだったものが倒れ、桃納言は赤く染まった刀を打ち捨てました。
「大納言様……?」
先ほどよりもいっそう驚いた様子のおしおみが、何も言えずにいる一同の中で真っ先に声を出しました。
「ここで助けたところで改心などするはずもない。最初からこうするつもりだったのだ。私は、これ以外のやり方を知らない」
桃納言はこれまでにないほど暗い顔をしておりました。
その場にいる誰もが見たことのない顔でした。
やがて、桃納言に向かって一歩踏み出したものがおりました。
ろくろうです。
「皆、わかっておりまする。きれいな手できれいな世が築けぬことくらい、皆、わかっておりまする」
東の空が、白んできたころのことでした。
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関白というのは、
しかし、関白が乗る車には豪華な飾りもほとんどついておらず、きわめて質素なもので御座いました。
それでも、都を移動するその車を見る人々は、豪奢な車よりもずっと、その質素な車を尊敬するのです。
「関白さま!!」
その車を、走って追いかける若者が一人。
「おう、いぬかいか。久しいな」
車から顔を出した関白は、変わらぬ美しい笑顔で若者に微笑みかけます。
「ええ、一年ぶりで御座います」
「すると、あの夜から五年か。いや、年を取るとどうにも……」
「何をおっしゃいます。まだ花のようであらせられるのに……って、そんなことでは!!」
若者は焦ったように切り出します。
「本当に、行ってしまわれるのですか」
若者が寂しそうに尋ねると、関白は少し驚いたような顔をしましたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべて答えました。
「おしおみに聞いたか。……まあな。もうここには私は不要であろうし、地方にはまだまだ、困窮しておるものがいるのだ」
「不要だなどと、そんなっ……」
「不要だ。花が去ってこそ実がなるように。私のような物は、この栄えた都からは去ったほうがいいのだ。時代が変われば、世を治めるべきものもまた変わる」
車は、再び動き始めます。
「あいつもつれてけばよかったんじゃあないですかね」
「ふふ、あれはあれでここに必要なものだ。いわば実であり、種だな」
「俺たちはここにはふさわしくねえと」
「そうへそを曲げるな。お前は……まあ枝といったところかな」
もう関白の車を追いかけるものはおりません。
ゆったりした風に乗り、桃の花の香りが漂ってまいりました。
冬が、明けたところで御座います。
桃納言 甘木 銭 @chicken_rabbit
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