混沌へUターン

 焦げた脂の匂いと、噎せ返るような酒精が霧のように漂っていた。

 あちらでは鉄の匂いと、ドワーフのバリトン。

 こちらでは花の匂いと、ホビットのメゾソプラノ。

 そちらでは血の匂いと、コボルトの唸り声。

 弦楽。打楽。香辛料と蜂蜜。

 詩人の語るは悲劇か、喜劇か。


 いい具合に混沌としてるじゃないか、と、私は密かにほくそ笑む。


 ここは王都のとある酒場だ。よく冒険者たちが屯していることで有名で、それ以外の人たちはあまり寄り付かない。まあ、寄り付くとしたらそれなりに理由のある人か、もしくはってことだ。

 ぐわんぐわんと、体を攪拌されるような喧騒の中で、私はそっと耳を澄まし、奴らの会話の行方を追った。


「そういえば、クイナ先生。前から聞きたかったんですけど」

「なにかな、トワ君」

「先生は、弓はお使いにならないんですか?」

「弓?」

「はい。私、てっきりエルフの人はみなさん弓がお得意なのかと思ってました」

「なんだい、私の呪文スペルじゃあご不満かな?」

「いえ、そんな!」

「ふふ。まあ、エルフにだって武器の好き嫌いはあるさ」

「そうなんですか?」

「やだな。なに言ってるのさトワちゃん。見ればわかるでしょ、クイナちゃんおっぱ――ブッ」

「おっぱぶ?」

「あっはっは。ピノくん。お酒が足りないかな? 遠慮しないで飲みたまえよ」

「あぶ。あぶぶぶ」

「ちょ、クイナ先生!? ピノちゃん溺れてます!」


 ヒューマン、エルフ、ホビットの女三人。

 テーブルの一つを使って姦しく騒ぐが、私の標的ターゲットだ。


 奴らが明日の日の出を見ることは、ない。


 ……。

 …………。


「宝剣が抜かれた?」


 そんな話が私の故郷の町に届いたのは、もう二年ほど前のことになる。

 ぐつぐつと煮える泥沼に鉄筍の竿を垂らしながら、ぷかぷかと赤紫の煙を吹かしていた爺さんは、何処か遠い目をしながら私に言った。

 

「んだ。もう何年ぶりだかなぁ。俺のひいひい爺さんが、そん時の宝剣持っとった奴に膾にされたってぇ、よぐ聞かされたっげな」

 私の爺さんは、獏の頭と猩々の体を蛙の皮で繋げたような外見をしている。

 混ざっていれば混ざっているほど良いとされている私たちの仲間の中では、まあ中の下くらいのものだけど、私は生まれた頃から両親がいなかったので、この四六時中鬱魚釣りをしてのらくら生きているご隠居が、結構好きだった。


「俺がもうちっと若げりゃ、魔神王様の元さ参じて手勢に加えてもっらっだんだけんどなぁ」

 爺さんは昔、世界の境を渡って、秩序の国へ乗り込んだことがあるらしい。

 そこであちらの騎士隊長との一騎打ちの末に敗れさり、この混沌の世界へと出戻ってきたのだそうだ。

 まあ、それは爺さんが何百回となく聞かせてきた武勇伝の話であって、実際には冒険者の集団に小遣い稼ぎで追いかけ回され、這う這うの体で逃げ帰ってきたのだと、婆さんから教えられてはいたのだけど。


 常に混沌と秩序がせめぎ合う界境は、このところ魔神王様の力の増したおかげで徐々に混沌へと傾きつつあったのだが、その揺り戻しが起きた、ということなのだそうだ。伝説の宝剣を操る戦士が、あちらで活躍する渾沌勢を悉く蹴散らしている――。

 ここの所やけに周りが落ち着いてるな、と思ったら、どうやらあちらの世界で一旗揚げようと、みなこぞって界渡りをしているのだそうだ。


 けれど、実際には向こうで成功して無事に混沌としていられるモノの方が少ない。秩序を保とうと人は徒党を組んで混沌を駆逐するし、そもそも界渡り自体が危険な行為だ。

 近所に住んでいた、鯱と鰻と蛸を混ぜて捏ねたみたいなお兄ちゃんも、意気揚々と渡って行った一年後にUターンで戻ってきた。気恥ずかし気な顔をして、「やっぱり、俺にはこっちの方が合ってるよ」なんて言って、今は極塩湖で運送をしてる。


「お前はどうすんだ」

 爺さんが、吐き出した煙で星の形を作りながら聞いてきた。


 私?

 ううん、私なー。


 宙に浮かぶ星の輪っかを潜って着地。後ろ足でくしくしと耳の後ろを掻く。

 だって、私、三毛猫に雀の羽が生えただけだもの。

 混じり具合としては下の中がいいところだ。

 そりゃあ、向こうの世界に興味はあるし、混沌として生まれ付いたものの本能として、秩序を乱してやりたいという根源的な欲求もある。

 でも、それが実現できるかどうかと言われれば……。


「行ってみいよ」


 え?

 爺さんは、そのいい具合に濁った虚ろな目で、私の顔を覗き込んだ。

「お前がこっそり呪いの練習しでんの、知っでんだぞ?」

 

 んにゃ!?


「そりゃ、俺やお前の父ちゃんみでえに、腕っぷしは強くねえかもしんね。だが、自分に何ができっがなんで、自分だけじゃ分がらんもんだべ」


 ば、ばれてたのか。うぅ、恥ずかしい……。


「何も正面からどろどろ行くだけが混沌の戦いじゃあねえべ。お前はお前らしく、汚く悪どく戦えばええ」

 爺さんの言葉に、私の胸の内が黒々と濁って行く。

 戸惑いも、躊躇いもある。

 それでも、いいのかな?


「行ってみいよ。駄目だっだら、ここさ戻ってくればいいべ。ここはいつだって、お前の帰る場所だ」


 そうして、私は界境を渡った。

 一緒に渡った連中には散々馬鹿にされたけど、そんなものは気にしなかった。

 どれだけ汚く混じった強い姿をしていようが、そんな連中の言葉より、私には爺さんの言葉のほうが大事だ。


 これは渡りを終えて初めて知ったのだけど、今の宝剣継承者は、田舎の農家出身なんだそうだ。戦った経験なんて当然なくて、ほとんどド素人の戦士なのだという。

 なんだなんだ、親近感が湧くじゃあないか。

 きっと、宝剣自体の力だとか、周りの人間に助けられて戦っているんだろう。


 それなら、私にだって勝ち目はあるはず。


 伝説の戦士、何するものぞ!



 ……。

 …………。



 そう思っていた時期が、私にもありました。


 いやいや。

 無理無理。

 勝てるわけない。

 なんなの、あの化け物集団は?


 斥候スカウトの男の子と支援術師バッファーの女の子は滅茶苦茶勘が鋭くて奇襲が全然出来ないし、いざ戦いとなれば戦士ウォリアーのドワーフと魔術師キャスターのエルフが遠近隙なしだし、女神官プリエステスの治癒術が発動するたんびにこっちの戦意がガリガリ削れるし。

 それに極めつけはあの宝剣の男!

 何あれ、反則でしょ! どこが秩序の戦士なんだよ。お前が一番この世の秩序乱してるわ!


 はあ。

 あほらし。

 やっぱり正面から戦ったって勝てるわけがない。


 一緒に界渡りをした仲間たちは、みんな私のひいひいひいひい爺さん同様膾にされて、混沌の世界へと帰って行った。

 散々私を馬鹿にしてたくせに、なんで最後だけ私庇ってやられてんだよ。ツンデレかよ。


 けど、収穫はあった。

 仲間全員の血を少しずつ集めた呪いの欠片を、あのエルフの服の端に付着させることに成功したのだ。

 計画はこうだ。

 奴が寝静まった隙に寝所に忍び込み、その出鱈目な魔力を借りながら邪法の儀式――大召喚の秘術を行う。普段、王都には強固な結界が張り巡らされており、とても混沌の勢力は侵入できないが、その内側からとなれば話は別だ。


 深夜の町中に突如湧き出る異形の大軍勢。

 厄介な一党は集まる前に物量に任せて各個撃破。

 王都は一夜にして阿鼻叫喚の地獄巡り。

 

 これぞ、混沌の誉れ。


 やがて買い出しから帰ってきたらしい男三人が女たちに混ざり、勢揃いした一党ががやがやと酒場の一角を賑わした。私は魔術を使って姿を変え、卓の下に隠れて機会を窺った。


 やがて火の勢いの衰えるように人の声も疎らになり、三々五々、酒場の客も散って行くと、私はその流れに合わせて自身の寝床へと帰るエルフの後を付けた。

 ちなみに、今の私の姿は、飲食店にあっては最も自然な生き物を象っている。

 このお尻に生えた二本の尻尾、可愛いんだよね。

 平べったいフォルムに生えた肢をカサカサと動かし、階段を昇るエルフの後をつける。

 そして、ドアが開けられる。

 

 ふふ。人間どもよ。害虫の侵入する最もメジャーなタイミングは、玄関の開け閉めの時と知れ。


 ここまで辿り着けば、もはや勝ったも同然だ。

 私の弱小な魔力なんて、このエルフからすればあってもなくても同じようなもの。たとえ姿を見られたとして私の正体に気取られる心配はないし、ヒューマンやホビットと違い、エルフはたとえどんな生物だろうと無益な殺生はしない。

 さあ、安穏と眠りにつくがいい。

 次に目覚めた時が、お前たちの死ぬ時だ。


「あ、しまった。忘れ物……」


 え?

 しゃなりしゃなりと歩いていたエルフの足が不意に向きを変えた。


 ちょ、何で急にUターン――

 待って。

 あ。



 ぷちゅり。



「うあ。……あっちゃー。やっちゃった。うぅ。ごめんよー、ゴキくん。全く、足元見えないのが一番困るんだよなー。ホント、肩は凝るわ服は選ぶわ、良いことなんか何にもないよ……。トワ君もさぁ、こいつが邪魔して弓が引けないなんて、言えるわけないだろ……」



 ……。

 ………。



「おう。どうだった、あっちは?」

「じっちゃん。私はやっぱり、こっちの暮らしが性に合うべ」

「そうけ。んだら、ほれ。鬱魚食うけ?」

「にゃん♪」

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