最高の祭り
「どぉっせいっ!」
轟く胴間声と共に、青黒い血飛沫が虚空に舞った。
ドワーフの
樽のような体に漲る筋肉が操る
月光の中に妖しく咲いた血花の跡に沸くものは、腕の三本あるもの。五角の生えたもの。翼の生えたもの。一本足のもの。狒々の顔をした騎士。黒いもの。黄色いもの。笑うもの。這うもの。悍ましき混沌の手先ども。
その中でも一際大きな躰をした無貌の魔物が、その長い腕を鞭のようにしならせ、横薙ぎに叩きつけた。
「ふんっぬぅ!!」
大戦斧の腹を盾代わりに、全身を使ってそれを受け止めた戦士が、渾身の力を篭めて弾き返す。
鈍い音が暗い森の中に響き渡り、それに負けぬ野太い声が短く叫んだ。
「
「
それに答えたのは、ヒューマンの少年。
戦士の背後から音もなく駆け抜けた彼は、颶風となって無貌の巨人に飛び掛かった。
両手に握るは、銀色の
少年の矮躯が中空に踊り、閃きが二つ。
巨人の首筋がぱっくりと裂け、血潮が吹き出した。
「
「上じゃ、バカモン!!」
「ひえっ」
快哉を上げる少年の体が浴びる月光を、真上からの影が遮る。
二つ首の
「はい残念」
菫色の閃光がそれを射落とした。
その輝きの軌跡を辿れば、そこには櫟の
豊満な体を薄衣に包み込み、金色の瞳で油断なく
黒焦げた死体が地に落ちる。
猛る大戦斧と舞い踊る短剣が交錯し、次々と
その殺戮の奥、一際奇怪な姿を顕した敵の首魁が、その長い喉を膨らませているのが見えた。魔力がうねり、収束していく。
「
「あいあい!」
その掛け声に呼応するように、樹上から小さな影が舞い降りた。
鈴の鳴るような声と共に、金輪の連なった儀式槍が、瀟、と清らか音を響かせる。
現れたのは、ホビットの
「『守って守って、床几の塞ぎ! 風吹きゃ台無し一夜の衣!』」
闇の褥に若草色の方陣が現れ、その内にいる
そして前を往く、ドワーフの戦士。
丸太のような両足をどっしりと踏みしめて、両腕に握った大戦斧を前にかざす。
ぶるぅぉおああ!!
号砲。
周囲の樹木を朽ち果たし、世界を赤黒く塗り替える死の吐息を、
焦げる。焼ける。熔ける。
その肌が粟立ち、爛れていく。
しかし。
「
透き通るような祈りの声の後に放たれた力ある言葉が、その傷を瞬時に癒していく。
一党の最後方。ヒューマンの
その手に備う聖典が示す
ぶる。ぶろう。ぶろろろろ。
敵は渾沌の怪物。
頭は豹。首は
その野太い首が震え、豹の口が大きく開く。
快癒の奇跡によって
べええええ!!
同時に散開して襲い掛かった雑兵を、菫色の電撃が薙ぎ払う。
支援術によってさらに速度を増した二本のナイフが、長く伸びた舌を切り刻む。
そして。
道が開く。
敵まで、一直線。
それを駆け抜けるは、ヒューマンの男。
怪物は油断していた。
目の前の斧も短剣も、己の躰に
襲い来る菫色の電撃は瘴気の衣に防がれて届かない。
ならば、じっくりと時間をかけて奴らを嬲り殺すのに、一体なんの障害があるだろうか。
しかし、怪物には知る術もない。
一党には全て役割がある。
ならば、本命の
「お。おぉぉおお!!」
駆け抜けるその身が握るのは、一振りの剣。
神代に鍛えられし日輪の輝き。
それを振るうことを許されるのは、この世にただ、勇ましき者一人のみ。
「ぜぁあああああ!!!」
この一撃のためだけに温存されていた力が開放され、夜ノ森の暗黒を切り裂いた。
……。
…………。
「いやぁ。なんとかなったねぇ」
「……」
「おや、どうした。浮かない顔して」
「べっつに~」
赤々と、炎が燃えている。
夕闇に染まりゆく空を茜の色に押し返そうとするように、炎の盛りが天へと伸ばされる。
そこは、寂れた農村であった。
村の中央に立てられた木組みの砦に火が点けられ、その周りを村人たちが回って踊っているのである。
楽の音はちゃかぽこと小気味よく、麦を醸した酒の匂いが天地に緩く漂っている。
「今頃は王都の祝祭で
「そういうなよ、少年。なんなら私と
「勘弁してくれ、姐さん」
その輪から外れたところで、不貞腐れたように骨付き肉を齧っていたヒューマンの少年に、頬を赤く染めたエルフの女性が酒器を片手に絡んでいた。
少し離れた所には、豪快に酒樽を掲げるドワーフの男と、きゃらきゃらと笑いながら質素な料理を貪るホビットの少女が見える。
そして、村人たちに混ざって仲良く踊る、ヒューマンの男女一組……。
「はぁ~あ」
その視線の先にある光景を認めたエルフの女が、意地悪気な目を少年に向けた。
「おいおい。
「そんなんじゃねぇよ」
ドワーフ一人、エルフ一人、ホビット一人、ヒューマン三人。
この奇妙な六人が
その中心たるヒューマンの男は、この国に代々伝わる宝剣を受け継がされ、魔神王との戦いに身を投じることを宿命づけられた救国の英雄だ。
嘘だろ、と、少年は思う。
確かに、彼は強い。
彼の持つ宝剣によって、混沌の怪物たちは成す術もなく斬り祓われ、少年自身も幾度となくその身を助けられてきた。
それでも、彼は穏やかで、涼し気で、綺麗な目をした、ただの農夫だ。
一体、彼の何処に伝説の戦士たる所以を見つければいい?
今日だって、本当は王都で催される祝祭の
上等の酒と料理。蕩けるような楽と唄。どこまでも沈み込む一級品のソファにベッド。舞い踊るのは天上の美しさを誇る美姫たち。そんな
けれど。彼らの耳には一つの
曰く、辺境の村に異変あり。混沌の勢力の雑兵の姿を、森の奥で見かけたものがいるとの由。
国の大臣はそれを笑って切り捨てた。
この日は最も重要な祭日。そこで、彼の力の神聖なる威光を以て民の心を安寧せしめるのだ、どうせ田舎村の異変など一日二日放っておいて何の不都合もない。そんなことを賢しらに大臣は語っていたが、あの男が知らしめたいのは一党の頭目が持つ神聖な力などではなく、ただただ彼を召し上げた自分の権力なのだと、全員が分かっていた。
だから、
そうして件の村に駆けつけて見れば、異変どころの騒ぎではない。森の奥の祭壇では、今まさに邪法による大召喚の儀式が執り行われていた。あと一日到着が遅れていれば、そこから溢れ出た混沌の軍勢が、国の地図を端から塗り潰していたことだろう。
危うくその蹂躙の第一の犠牲となるところだった農村の民たちが、こうして今、心づくしの祭りを催してくれているのである。
当然、寂れた村の寂れた祭りだ。酒は酸っぱく、痩せた家畜の肉は硬く、野菜の滋味も薄い。
それでも。
「いいじゃないか」
ふうわりと、花の香りのする吐息を吐き出して、エルフの女は微笑んだ。
「どこにいようと、この身は一つ。酒の一献、いずくに消えよう」
「なんだよ、それ」
「都の酒は、そりゃあ美味かろ。けど、君がいるのはここだ。なら、ここが君の、酒の一献さ」
「わっかんねえよ……」
それでも、少年の口元には恥ずかし気な微笑が浮かんでいた。
風は高く、藍の色が勝りつつある空には、優し気な夕月がほろり。
安っぽい楽の音に、薄い味の肉。
下品な笑い声と、悪酔いする仲間たち。
――悪くない。
そう思ってしまう自分が、何故だか無性にこそばゆかった。
「なあ、姐さん」
「なんだい?」
「あんた、この戦が終わったらどうするんだ?」
「うん?」
混沌の軍勢との戦争は、佳境を迎えていた。
魔神王との決着も近いと、誰もがそう感じていた。
「あの人はさ、きっと勝つよ」
「へえ?」
「そしたら、この一党も解散だろ。姐さん、その後はどうする?」
「ふうん。そうだねえ。しばらくのんびり、故郷で羽でも伸ばそうかね」
「エルフの『しばらく』って、ヒューマンの一生三回分くらいだろ」
「違いない」
くつくつと笑う女は、その豊かな体をさらに寄せ付けて、少年に問いかけた。
「君は?」
「俺は……」
少し、言い澱んで。
「俺は、騎士になるよ」
「騎士? 君が?」
「あの人は勝つ。世界は救われる。だから、救われた後の世界を守る人間に、俺はなりたい」
「……」
「そりゃ、俺はコソ泥上がりの斥候もどきだよ。でも。でもさ――」
「いいじゃないか、少年」
「え?」
女は立ち上がり、艶然と微笑んだ。
「私がのんびりし終わった後で、叙事詩に君の名前を見かけるくらい、立派な騎士になりたまえよ。楽しみにしててあげる」
「無茶言うなよ」
苦笑した少年を、鈍く轟く胴間声が呼ばわった。
「おら、小僧。お前もこっちこいや!」
見れば上半身裸になったドワーフの男が、楽の音に合わせて奇妙な踊りを踊っている。
「次はおめぇだ、そりゃ踊れ!」
「はーい、あたし行きまーす!」
「引っ込んどれやツルッペタ!」
「ぶっ殺すぞジジィ!」
顔を真っ赤にしたドワーフと、衣を脱ぎかけたホビットが取っ組み合いを始める。
「おーい! こっちおいでよー!」
そんないつもの光景と一緒に、女神官の透き通った声がかけられる。
「スバル君! クイナ先生も! 一緒に踊ろ!」
輝くような笑み。
それを守るのは、きっと隣にいる彼の役目だ。
――なら、俺は。
少年は立ち上がり、喧騒に身を投じた。
酒の一献、いづくに消えよう。
「始めるか、
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