ファイブ・ストーリーズ

lager

四年に一度の逢瀬

 どこまでも抜けていくような青空が、窓の外に広がっていた。

 部屋の中に吹き込む風は冷たく、それでも春の精の息吹を含んだそれは、柔らかく私の髪を撫ぜる。

 花の香が、淡く色を持ったように室内に満ちていく。


 私はすっかり冷えてしまった指先でそっと窓を閉じると、僅かに残った春の匂いの余韻に浸って、しばらく目を瞑った。

 大きく目を開いて、深呼吸。

 古ぼけた姿見に、自分の全身を映す。

 今日のために切り揃えた髪。

 上から下まできっちりと整えたコーディネート。

 荷物、良し。

 アクセサリー、良し。

 笑顔、良し。

 準備は万端。

 さあ――


「行ってきます」


 返事をするものもいない家の扉を開け、私は外へ出た。



 城下町は、賑やかな喧騒に包まれていた。

 今日は祝祭の日だ。

 12年前、魔神王が滅ぼされ、長きに亘る混沌の軍勢との戦に終止符が打たれた記念の日。

 そこかしこに楽の音と酒の匂いが立ち込め、人いきれと花の香りに噎せ返りそうになるような目抜き通りを、私は人々の流れとは逆向きに歩いていた。


 そう。今日はこの王国の記念日。

 私の愛したあの人が、魔神王と相討ちした、戦勝記念の日だ。


 私が彼と共に世界を旅した一党パーティの一人だと知っているものは少ない。かつての仲間は離散し、ただ私だけがこの王都に留まり、一人きりで生きている。

 あの、灼けつく熱風の中をひた走るような、氷雪の嵐の中で希望の灯火を守り抜くかのような冒険の日々を思うと、今でも胸の奥がひりつく。

 眩い情熱も、幾度となく流した涙も、全てが私の中で、消えぬ光珠みたまとなって残り続けている。


 この痛みは、なんだろう。

 私たちが勝ち取った平和。彼の齎した安穏の日々。

 柔らかな風の中にあってなお、黒々と胸を焼くこの熾り火は。

 市場で買い物をしていても、清らかな真白いシーツをベッドにかけているときでも、不意に訪れる朱い衝動に、思わず叫び出しそうになる。


 それでも、今日くらいは。


 私の恰好を見て、「お、今日は随分気合入ってるな」と声をかけてくる顔馴染みの商店のおじさんに手を振り、「俺たちと一緒に行かない?」なんて声をかけてくる若いお兄さんたちを適当にあしらって、私は石造りの門を潜って、町の外へ出た。


 歩くこと小一時間。

 街道から逸れた小高い丘に、一本の楡の古木が生えている。

 私は誰もいないその場所に立って、遠く遠く、世界を眺めた。


 春霞。

 遠景は錦に烟り、高い空を千切れた雲の欠片が頼りなく流されていく。

 薫る風。青い匂い。生命の息吹。

 彼が守った、世界の声。


 一体、誰が知っているというのだろう。

 この平和が、たった一人の男の犠牲の上に成り立っていることを。

 彼が、なんの変哲もない農家の次男坊であったことを。

 彼に、心から愛し、愛された女が一人、いたことを。


 あの日、一人の勇敢な男が死んだ。

 けれど、私は知っているのだ。世界に隠れて、こっそりと彼に会う方法を。


 今日は記念日。

 誰も知らない、四年に一度の特別な日。

 

 今日、この時、この場所で、私は彼に会うことが出来る。

 魔神王との決戦の地であった、この場所で。


 これは、奇跡だ。

 この世界で私だけが知っている、秘密の逢瀬。


 四年間、この時のことだけを思って生きてきた。

 徐々に近づくその時に私の鼓動は高鳴り続け、頬が赤くなっているのが自覚できる。

 知れず力を込めていた指先は白く、目の前の気色が潤んでいく。


 伏せた目の先には、優しい色合いの春の花。

 黄色い蝶。

 揺れる葉。


 風が――。



「また、来てくれたんだね、トワ」


 

 彼の言葉を運んだ。


 優しい声。

 暖かな声。

 びくりと、私の肩が震える。


 微笑みを一つ零して、私はそれに応える。



「ええ。逢いたかったわ、クオン」



 振り返った。


 四年ぶりに見る彼の姿は、前回に見た時と少しも変わりがなかった。

 私より少し高い背も、若草のような癖毛も、線の細い体も。

 少し垂れ気味の目も、低い鼻も、柔らかな微笑みも。


 その全てが、青黒く腐れ果てた、悍ましい姿と成り果てていても。


 ぴしり、と、空気が帯電した。

 急速に大気が冷えていく。

 彼の足元から立ち昇る瘴気が、周囲の草を燃やしたような灰色に染めていく。

 さらさらと風化していく長閑な春の野の景色の中で、彼はゆっくりと歩を進めた。


 一体、この世界の誰が知っているというのだろう。


 魔神王が、滅んでなどいなかったことも。

 自身を追い詰めた戦士の体を乗っ取った挙句、その体ごと聖女によってこの地に封じられていることも。

 その封印が、四年に一度解かれる度に、聖女わたしがそれを再び封じていることも。

 一体、誰が。


「ぃぃぃぅぅぅえええああああああ!!!!!」


 咆哮。

 びりびりと鼓膜を震わし、腹の底に重く響く絶叫が、私の全身を打つ。

 この日のために短く刈り揃えた髪に、舞い上げられた灰が絡みつく。

 鋲を打ったソールで地を踏みしめ、伝説級武器レジェンダリィ・ウェポンの剣を正眼に構える。

 磨き上げられたプレートメイルと、指と耳に装備した身体機能向上ステータス・アップのアクセサリーが、頼もしく光る。


 立ちはだかるは、悪しき魔神王。

 最早生前の彼の面影は何処にもない。

 いつしか顔の半分は歪に膨れ、象のような牙が三本口からはみ出している。

 不自然に隆起した肩と、六対の羽。

 関節をなくしたかのようにうねる腕。

 身に纏わりつく衣は瘴気の顕現。

 

 この世界が四年に一度滅びかけていることなど、一体誰が知っているというのだろう。

 いや。

 そんなものは、いるはずがない。

 魔神王は滅んだのだと、世界は救われたのだと、仲間やこの国の大臣たちにそう話したのは、


 私は、四年待つ。

 そして、こうして彼に会い、殺し合う。

 私が負ければ、世界は滅びる。

 私が勝てば、もう四年、世界は生き永らえる。

 これは、そういう遊戯ゲームなのだ。


 彼に会えるなら、私はこの世界を生きよう。

 けれど、彼に会えない世界なら、私は要らない。

 だから、私が死んだら世界はお終い。


 ああ、なんて愉快。


「ド、ト、ドア! ドワ! トワァァアアイイイイイイ!!!!」


 ああ、愛しい人。

 もっと、私の名前を呼んで。


 渾沌そのものの姿を顕すかつての恋人に、私は鈍色の刃を向けた。


 さあ。

 今年も。



あいし合いましょう、クオン」



 ……。

 …………。








「……終わったか?」

「はい。確認しました。残留魔力、徐々に減少。封印は完了しています」

「よし。状況終了。観測班を残し、総員撤収する」

「了解。総員撤収」

「……今年も終わったな」

「はい」

「もう三回目か。早いものだ」

「はい」

「全く、よくやるものだ」

「はい。ですが、隊長。恐らく……」

「ああ。次か、良くて次の次が限界だろう。戦闘にかかる時間がどんどん増えていっている」

「一つ、質問を宜しいでしょうか」

「いいだろう」

「何故、この作戦が必要なのでしょう? 彼女一人に任せるには、あまりに危ういかと。国の力を使えば、もっと強固な封印を施すことも可能なのでは?」

「いい質問だ。確かに、宮廷魔導士全員でならば、もっと確実な封印処理ができるだろうし、我々の仕事も一つ減ることになるだろう。だが、それをすれば、たった今我々の目の前で魔神王を単騎にて沈めた人界の化け物が、我々に牙を剥くことになる」

「そんな……。彼女は、救国の聖女では」

「元、聖女だ。当時の彼女を知る者が今の彼女の姿を見ても、とても同一人物とは見抜けまい」

「隊長は、もしや――」

「その質問は、国家機密だ、若者よ」

「も、申し訳ありません」

「構わんさ。さあ、今年も世界は救われた。みな、祝祭に向かおうじゃないか。浴びるほど飲め。飲んで忘れろ。次はまた、四年後だ」


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