灼熱回廊(7)

  *  *  *



(ふふふっ、はははははっ! 素晴らしい! 素晴らしい力だ!)


 ガルザリクは滝のように降り注ぐ膨大な炎の魔力に酔いしれていた。


 鬼人族オーガは身体能力こそ他の種族を圧倒するが、その天恵と引き換えに魔術をほとんど使うことができない。魔術を最も得意とするのは精霊族エルフで、その次に人間ヒューマだ。肉体が虚弱な種であるほど、魔術との親和性は高くなっていくらしい。


 ガルザリクはそれが面白くなかった。

 軟弱な種族が小手先で覚えた借り物の力で、鬼人族オーガとも互角以上に渡り合ってくる。強き者が強いのは当たり前であるはずなのに、魔術という不確定な要素が時に戦力差をひっくり返してくる。


 クリスロアから〈古代炎竜〉エンシェント・ファイアドラゴンの力を我が物にする手段が見つかったと知らされた時は心が躍った。これで自分も魔術を使うことができるかもしれないと。

 幼少期から魔術に憧れ、使えもしないのに〈力ある言葉〉を覚えてきた。鬼人族オーガのクセにと笑う者は、皆叩き潰してきた。


 夢描いた魔術を実際に使う気分は最高だ。

 これでようやく、誰が真の強者なのかを証明することができる。

 数ばかり多く、力もないのに威張りくさる人間ヒューマ共の支配から世界を解き放つ。強者が統べ、弱者が従うあるべき姿に戻るのだ。


(うん……?)


 その時、ガルザリクは背筋に冷たい感覚が走るのを覚えた。

 それは幾多の戦場をくぐり抜けた戦士としての勘だった。


 地下空間を見渡せば、目に映るのは赤い光を放つ球体の中で封印されたエンシェント・ファイアドラゴンの巨体、その触媒となった人間ヒューマの小娘、隅の方で様子を伺う子犬のようなドラゴン、そして——今にも倒れそうになりながら、立ち上がる人間ヒューマの小僧の姿だった。


 何度も炎の術で焼き、自らの剣で地に叩き伏せた。すでに死に体であるはずなのに、こちらに向けられた底知れぬ眼光を見て、冷たい感覚は寒気に変わった。


(なぜだ? なぜ私はあのくたばりぞこないの小僧を警戒しているのだ?)


 ガルザリクは危険を伝える自分の勘を疑った。絶対強者である自分が恐れることなどないと、決めつけてかかった。


(次で仕留めれば済む話だ!)


 ガルザリクは手をかざし、炎の弾を形作った。今度は上から降らせる奇襲技ではない。正面から打ち砕く火力の術だ。


「〈連射炎弾セプタス・イグニ・ボロ!〉」


 手を払うと、その動作を合図に周囲に浮かんでいた炎弾が一斉掃射される。

 人間ヒューマの少年は意外な行動に出た。身を屈めると、低い姿勢のまま炎弾の幕に正面から突っ込んでくる。

 破れかぶれの特攻か——そう嘲笑したのも束の間、少年の動きを見て笑みが消えた。

 弾幕の薄い箇所を的確に通り、最低限の炎弾を剣の腹で受けていく。あっという間に間を詰めてきた少年に、ガルザリクは慌てて手を大剣に戻した。


「ぐっ!」


 少年の振るった剣を大剣で受けたガルザリクはわずかに押される。

 握りが甘かったのはある。だが、それ以上に少年の膂力が想定以上に増している。


「調子に乗るなあ!」


 ガルザリクは魔術の過程を経ずに、体に蓄積された炎の魔力をそのまま放出した。

 熱波がガルザリクを中心に爆発し、広がる。

 だが、それすら察知されたのか少年は打ち合いをやめてすでに後方へ跳ねて退避した後だった。少しの傷は与えられただろうが、決定打にはならない。


 魔力の放出は時間差なく術に似た力を振るうことができるが、恐ろしく燃費が悪い。〈竜印ドラグニカ〉を通じて魔力は無尽蔵に流れてくるとは言え、溜まるのには多少の時間がかかるのだ。


(なぜだ! あの小僧に何があったと言うのだ!)


 少年の動きは見違えるようだ。身体能力自体はそこまで変化していないが、最適解の選択肢を選んで行動に移す反応速度が上昇している。

 いや、思い返せば炎の雨と壁の罠をくぐり抜けてきた時も、似たような反応をしていた。

 総括して答えを出すならば、

 そうとしか考えられない。


(だが、なぜ急激に変化を遂げたのだ。力を隠していたのか? そうだ! そうに違いない!)


 力と考えすぐに思いついたのは、ドラゴンだった。

 少年が〈竜印ドラグニカ〉で得た力は竜の屁のような衝撃波一つだけだとクリスロアの報告にはあったが、誤りだったのだ。


(ならば先に狙うべきは、あの忌々しい子犬の竜か!)


 地下空間の隅で震えながら、しかし両目を見開いて戦いの様子を見ている青色の鱗の仔竜へ目を向けた。

 生かしておけば利用価値があるかと思いわざと攻撃の対象にしていなかったが、考えを改める。わずかなりの脅威となるなら、排除するのみだ。

 ガルザリクが巨大な火球を放つ〈火炎の審判ラ・イグニ・ディミオ〉を発動させようと、右腕を頭上に掲げる。

 その刹那、少年が地を蹴り飛び出した。


(! しまった——!)


 ガルザリクの脳内に「誤断」と言う文字が浮かんだ。


火炎の審判ラ・イグニ・ディミオ〉は規格外の速さで巨大な炎を生成できるが、やはり他の術に比べると発動までの時間がかかる。

 少年は自分が右腕を上げたのを見て、瞬時に術の発動前に速攻を仕掛ける判断を下したのだ。


 手を戻して大剣で防御するか、それともこのまま術を発動させるか。

 一瞬の迷いが、決定的な隙を生んだ。


「喰らえ、ガルザリク! お前が弱者と呼んだ者達の力を思い知れ!」


 少年の叫びと共に、鋭い斬撃が隻眼の鬼人族オーガに叩き込まれた。



    *  *  *



 トバリは振るった片刃剣ファルシオンが敵に食い込む確かな感触を感じながらも、同時にこの一撃が致命傷には至らないことを理解した。


(硬い! さすがは鬼人族オーガの肉体。体が流れている状態では、うまく刃は通らないか!)


 〈身体強化ヴァルハイド〉と〈感覚強化エトランジュ〉の重ねがけは、予想以上の効果を生んだ。

 周囲の物がゆっくり動いて感じられる世界の中で、自分はそのままの速さで動くことができる。言葉にすればただそれだけのことだが、一瞬一瞬の隙間に好機が隠れている高速戦闘の中では比類なき強力な術であることは間違いない。


 加えて、今回は相性も良かった。

 ガルザリクが得たドラゴンの力は強大だが、あまりに強大すぎるがゆえに持て余してしまっているように見える。どのような状況でどの術を使うか選ぶのは、あくまでも術者自身だ。ガルザリクの判断には、不慣れさとぎこちなさがある。

 そこが鍵だ。

 もしもガルザリクが強大な力の使い方に慣れてしまったら、先ほどのように隙を突くことは難しくなるだろう。今この場においてのみ、自分は互角に戦える状況に持ち込めたのだ。


「ぐっ、おのれ人間ヒューマ!」


 ふらついたガルザリクが体勢を立て直し、両手で大剣を握った。

 トバリは構わず前に出て追撃する。片刃剣ファルシオンと大剣の刃がぶつかり合う甲高い音が地下空間に響いた。


 剣の根元で互いに押し合う膠着状態が続き、トバリは刃の向こうでガルザリクの隻眼と目が合った。

 ガルザリクが自分を見ている。睨みつけている。

 どうやら、ようやく敵として認められたようだ。


「……名を言え、人間ヒューマ


 迫合いの中、隻眼の鬼人族オーガが低い声で問う。


「トバリだ。トバリ=テジャ……」


 剣を弾いたトバリは再び構え直し、真正面から答えた。


「ロンロン牧場の職員だ!」


 剣戟の応酬が始まる。

 手数に優れる片刃剣ファルシオンの連撃を、ガルザリクが大剣の腹で受け切る。返しに空間を抉り取るような一撃が振るわれ、トバリは身を引いて回避した。 


「トバリ=テジャ! 貴様はここで叩き潰す! 鬼人族オーガの誇りにかけてなぁ!」


 ガルザリクが大股で走り出し、トバリとの距離を詰めて剣を振るう。

 遠距離から魔術を撃ってばかりだった隻眼の鬼人族オーガが前に出てくるのは、この戦いでは初めてのことだった。


 おそらくこの鬼気迫る迫力がガルザリクの本当の姿なのだろう。

 鬼人族オーガの膂力に任せ、大剣を振るい前線で暴れ回る。これが〈解放団〉を率いて戦い続けてきた男の、本来の姿。


 だが、その姿は——あまりにも極端すぎる。


「一つだけじゃ、だめなんだ……」


 嵐のような猛攻に耐えながら、トバリは呟いた。


「一つのことだけを考えていたら、大切なものが見えなくなる。色んな世界があることを知って、色んな側面からものを見るんだ。きっとそれが、大切なんだ!」


 それは何に向けた言葉だったのか。

 ガルザリクは眉をひそめる。


「なんだ、貴様。一体何を言って——」


「この戦いのことだ! さぁ、終わらせるぞ!」


 トバリは大上段から片刃剣ファルシオンを振り下ろす。ガルザリクが大剣の側面で受け止めると、トバリは素早く剣を引き戻して跳躍。さらにガルザリクの大剣の腹を足がかりに、空中に身を躍らせた。


「もう忘れていたんじゃないのか? 自分のこっちの力をな!」


 トバリは〈竜印ドラグニカ〉を刻んだ右腕を下方に突き出す。

 この体勢から放つのは、エルーの力を借りた一撃竜の咆哮ドラゴン・ブレス

 時間の経過と共に力は再装填された。〈竜印ドラグニカ〉はまばゆいばかりの青白い光を放ち、右腕にはビリビリと暴れるような振動を感じている。


「おのれ、貴様……!」


 ガルザリクの目が驚愕で見開かれる。

 だがすぐに歯を剝きだすと、右手の〈竜印ドラグニカ〉を頭上に掲げた。


「〈炎鬼激昂イグニ・オーガドライバ〉!!!!」


 ガルザリクの〈竜印ドラグニカ〉が赤い光を放出した。


 炎が鬼の形相を形作り、そこから憤怒の感情が具現化したように熱波が爆発する。

 トバリは怯まない。


 思いを込めて。


 力を込めて。


 ただ一撃をぶっ放す。


衝波ラァグアァァァァァアアアアアアアアアア!!!!!!」


 咆哮が轟いた。

 生まれた青白い光は、ドラゴンのあぎとの形に変わっていく。


 竜の衝撃波と鬼の獄炎が激突する。

 地下空間が振動し、吹き飛んで壁に叩きつけられた石畳の破砕音が鳴り響く。

 拮抗していたかに見えた力と力のぶつかり合いだったが、徐々に竜の顎が鬼の炎を押し込み始める。


「バカな! こんな、こんなことが……!」


 ガルザリクから焦りの言葉が口を突いて出た。

 赤い光に亀裂が走る。それはガルザリクの心理状態を表していた。

 割れかけている。亜人を率いて歴戦をくぐり抜けてきた鬼人族オーガの魂が。

 そして彼の隻眼は見た。青白い光の向こう、頭上から自分を見下ろす少年の黒い瞳を。


「私を……」


 その瞳に気圧された時、ガルザリクは叫んでいた。


「私を見下すなァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」


 落ちたガラスが割れるような破裂音が響き、ガルザリクを覆っていた赤い光が砕けていく。同時に衝撃波が鬼の炎を四散させ、竜の顎が鬼人族オーガの体を飲み込んだ。

 だが、竜の咆哮ドラゴン・ブレスの直撃を喰らっても、ガルザリクの強靭な四肢は屈しない。そこにあるのは魂を超えた、最後の意地とでも呼ぶべき精神だった。


 空中のトバリが落下の勢いを乗せて片刃剣ファルシオンを振り下ろす。

 地上のガルザリクが迎え撃とうと大剣を放り投げるような勢いで振り上げる。


「ガルザリク!!!!」


「トバリ=テジャアアアアアアア!!!!」


 一瞬の交錯があった。


 互いに背中合わせの姿勢のまま、時が止まったがごとく静止する2人。


 額から血を流し、トバリの体が先にぐらりと揺れる。


 その直後、左肩から右腰に掛けて深々と斬撃の跡が刻まれたガルザリクが鮮血を吹き出し、正面から地面に倒れていくのだった。

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