灼熱回廊(6)

 

 〈身体強化ヴァルハイド〉と燃え上がる怒りで活性化したトバリの体が、極限まで引き絞られた矢のように放たれる。

 とにかく速攻。そこに勝ち筋を見出していく。

 ガルザリクはまだ〈竜印ドラグニカ〉を通じてエンシェント・ファイアドラゴンの力を得たばかりだ。力の使い方を身につける前に叩く!


「らあっ!」


 跳び上がり、頭上から片刃剣ファルシオンを振り下ろす。

 初撃は当然のように大剣の腹に受け止められた。だが、構わない。負荷を掛け続けて魔術を発動させる余裕を与えないことが重要だ。

 着地の勢いで体を沈ませると、今度は斜め下から斬り上げる。ガルザリクは身を引いて刃をかわした。

 距離を詰めようと前に出た時、不意に頭上に気配を感じて顔を上げた。


「〈炎雨イグニ・レイ〉」


 握り拳ほどの大きさの火の玉が、天井から無数に降り注いでくる。しかもそれらは落下だけの速さではなく、明らかに加速している。

 トバリは前方に掛かっていた自重を脚力で無理やり押しとどめ、横に転がる。

 左肩を焼ける激しい痛みが襲った。一発はもらったが、何とか魔術の射程外に逃れたようだ。自分がつい先ほどまで立っていた場所は、爆発の跡地のように石畳が剥がれている。浅い穴からは煙がくすぶっていた。


「〈炎槍イグニ・ランケーア〉」


 視界を覆っていた煙を突き破り、炎で形作られた槍が飛来する。

 反応が遅れたトバリは寸前で身を捻り、何とか直撃は避けた。先端から突き刺さるのは免れたが、炎の余波に背中を焼かれた。


(くそっ! 痛みに気を取られるな! 次が来る! 次が来るぞ!)


 ふらついた足に力を込め、体勢を整える。

 すぐにでも動き出そうとしたトバリだったが、思わずその場に立ち竦んだ。煙が晴れた先で目撃したのは、まるで太陽のように巨大な火球を右手の上に創造したガルザリクの姿だった。


「〈火炎の審判ラ・イグニ・ディミオ〉」


 ガルザリクは心の底から愉快に感じるように顔をほころばせる。


「素晴らしい。これほどの炎を瞬時にして生成できるとは。しかもまだまだ力が湧いてくるのを感じる。千分の一ほどの能力しか使えていないという実感すら感じる。はははっ、なんと素晴らしい力か」


 ありえない。

 隊列のど真ん中に落とせば一個中隊は消し飛ばせるほどの炎を作り、しかもそれが千分の一の力だという。世界を変える力とクリスロアやガルザリクは表現していたが、それは誇張ではない。全ての力が解放された時、確実に世界は炎に包まれる。

 いや、逆に考えろ。勝機は今しかない。

 千分の一しか力が使えていない今ここで、倒すしかない。


「じっくり味わえ、人間ヒューマ。これが我らの怒りの業火だ!」


 ガルザリクが右手を前方に突き出す。その動きに呼応して、巨大火球が放たれた。

 速い。そして範囲が広い。

 今から走ったところで炎からは逃げられない。逃げたとしても、後ろに控えるエルーに直撃してしまう。


(あれを、あれをやるしかないのか!)


 切り札は、できれば最後まで取っておきたかった。だが、取っておいたところでその前に死んでしまっては意味がない。

 手を伸ばせ。

 次の一瞬を生きろ——!


「〈衝波ラグア〉!」


 トバリが突き出した右腕の〈竜印ドラグニカ〉が光を放ち、竜のいななきのような轟音と共に手のひらから衝撃波が生まれる。

 左手で撃つ通常の〈衝波ラグア〉ではない。〈竜印ドラグニカ〉を通じて借りたエルーの力を込めて放つ竜の咆哮ドラゴン・ブレスだ。


 衝撃波と巨大火球が正面から激突する。

 響く鳴動、飛び散る熱波、激しく振動する地下空間。


 トバリが閉じた目を開いた時、目に映ったのは深くえぐれた地面だった。まるで火山の噴火跡のようだ。

 力と力のぶつかり合いは、相殺という形で終わった。


「それが貴様の竜の力か」


 ガルザリクが吐き捨てるように言う。


「つまらん。あまりにも弱すぎる。同じ〈竜印ドラグニカ〉に由来する力と考えれば、絶望的なまでの格差にため息が出てしまうほどにな」


 悔しくて、トバリは歯ぎしりした。

 確かに、ガルザリクの感想は的を射ている。今の一撃は、自分の全力を振り絞った結果だ。力を溜めに溜めて、取っておいた切り札だ。

 だが、その全力の一撃はガルザリクが即興で作り、試しに放った火球と同じ威力だったのだ。

 自分は同じ技を放つまでにあとどれだけの時間を置かなければならないだろう。対するガルザリクはいつでも同程度の炎を生み出す余裕がある。

 これが絶望的なまでの格差と言わずなんと呼べばいいのだろうか。


 その要因は、間違いなく契約を交わしたドラゴンの力量差だ。古代世界で暴れた炎竜と、まだ子竜のエルーとの如何ともしがたい差。

 封印したドラゴンの力を〈竜印ドラグニカ〉によって己が物にする。単純ではあるが、これほど簡単に強大な力を手に入れる方法はない。努力もなく、研鑽もなく、工夫もなく、挫折もなく、その手の中に掴み取ってしまえる。


「次は精密な術の使い方を試してみよう。そら、私の手の上で踊れ!」


 頭上から小さな火の玉が高速で降り注いでくる。

 トバリは〈身体強化ヴァルハイド〉が掛かった肉体で逃げ回るが、火の雨はどこまでも追尾して降り注いでくる。

 豪快なだけではない。これほど器用に炎を扱うことができるのか。

 火の雨ばかりに注意を向けてしまった結果、トバリは自分が走った先に薄い炎の壁が張ってあることに気がつかなかった。


「ぐあぁあああああ!!」


 炎の壁にぶつかったトバリは、全身を焼かれる痛みで叫び声をあげた。そこを追撃するように火の雨が降り注ぐ。


 炎は踊る。炎は奪う。

 なんとか残った力を振り絞って術の範囲から脱出したトバリに、ガルザリクは分析するような冷たい視線を向けた。


「追跡する〈炎雨イグニ・レイ〉と視認しづらいように設置した〈炎壁イグニ・スクロ〉の合わせ技だ。逃げる敵を追い込むのには使えるが、威力に課題が残るな」


 こちらは一瞬一瞬を全力で戦っているのに、ガルザリクはまるで自分の力を研究しているかのようだ。


 トバリは火傷の痛みで悲鳴をあげる体に鞭を打ち、立ち上がる。不意に体が温かくなり、痛みが引いていくのを感じた。

 驚いてエルーの方を振り向くと、仔竜は小さく『きゅきゅう』と鳴いた。どうやらエルーが遠隔で〈治癒ティオ〉の魔術をかけてくれたらしい。距離が離れているので効果は薄いが、これで再び戦える身体になった。


(ありがとう、エルー。助かった)


 心の中で感謝の言葉を述べる。多分、エルーには通じているだろう。

 少しだけ落ち着きを取り戻したところで、トバリは思考を巡らせた。


(奴の術を掻い潜るには、体の速さよりも反応の速さが有効なのかもしれない)


 これまでに自分が受けた傷を振り返れば、煙に紛れて放たれた炎の槍も、視認しづらい炎の壁の罠も、認識の外から襲いかかってきた。

 ならばこの場において必要なのは、〈身体強化ヴァルハイド〉よりもむしろ——


「〈感覚強化エトランジュ〉」


 小さく呟くと、認識する世界が瞬時に切り替わった。

 これほど素早く魔術の切り替えができるのは得意な〈感覚強化エトランジュ〉に限った話だ。逆はできない。

 この鋭敏化された目と、耳と、鼻があれば、奴の術を見切ることも難しくはない。クリスロアとの戦いでも有効だった。


「まだ立ち上がるか、頑丈だな。そら、もう一度だ!」


 本日三度目となる火の雨が降り始める。

 だが、加速して落ちてくる小火球の一つ一つが、トバリの目にはゆっくり動く物体に映った。今度は外へ逃げ出さない。降り注ぐ火の雨の隙間を見つけて掻い潜り、前へ進んでいく。

 自分が進む方向に三重に薄い炎の壁が展開されたのを、わずかな音で認識する。壁と壁の間を通り抜けてガルザリクへ迫る。


 これが〈感覚強化エトランジュ〉。


 自分に与えられたただ一つの天恵だ。


 ようやく刃の届く範囲に入った。トバリは勢いをつけて片刃剣ファルシオンを横薙ぎに振るい——


「なんだ、この剣は。軽い上に遅い。貴様は私を舐めているのか?」


 その刃はあっさりとガルザリクの大剣に防がれた。


 〈身体強化ヴァルハイド〉の状態では有利に打ち合えていたはずの近距離戦闘。だが、身体能力の上昇補正バフが掛かっていない状況では、如実に差が出てしまった。

 即ち、鬼人族オーガと人間の圧倒的な膂力の差が!


「剣とはな、こう振るうのだ!」


 ガルザリクが両手で握った大剣を豪快に、それでいて鋭く振り切った。

 トバリはなんとか片刃剣ファルシオンで防御する。だが、あまりに強烈な一撃にトバリの体は勢いよく宙高くに吹き飛んだ。

 地面に叩きつけられ、何度も転がる。息がつまり、体が空気を求めて咳き込んだ。

 仰向けに倒れながら、トバリは段々胸中で広がってきた絶望が怒りの色を染め上げていくのを感じていた。


 及ばない。


 〈身体強化ヴァルハイド〉も、〈感覚強化エトランジュ〉も、竜の咆哮ドラゴン・ブレスも、剣技も、腕力も。


 何一つ及ばない。

 勝てる未来が見えない。わずかな可能性も感じない。


(くそっ、考えろ……考えろ……!)


 追い詰められて不思議な力が覚醒するようならば苦労はない。だが、そんな奇跡を期待してはならない。自分は英雄ではない。勇者ではない。特別な人間ではないのだから。


 だから考える。

 手を尽くす。

 ひらめきを信じる。


 どうすれば。

 どうすればガルザリクに勝てる?

 どうすれば囚われたシオンに手が届く?


 ——?


(そういえば、クリスロアさんが何かを言っていたな……)


 ずっと心の中に引っかかっていた言葉があった。


『魔術がすでにかかっている体にさらに重ねがけをしたのか!? そんなことができる人がいるなんて』

『あなたは本来想定されていない術の使い方ができる人なのかと思っていました。が、考えすぎだったようですね』


 あれはどういう意味だったのだろう。彼は何に驚いていたのだろう。

 重ねがけ。

 一つの体に、二つの魔術。


 例えば、〈身体強化ヴァルハイド〉を発動している状態で〈衝波ラグア〉を放つことはトバリにも容易にできる。外なる世界と内なる世界に別々に〈力ある言葉〉を書き込んでいるからだ。

 だが、体という狭い内なる世界に二つの術を掛けることは、小さな紙片に書いた文字の上にさらに別の文字を書き加えるようなものだ。言葉は混ざり合って判別も難しくなるだろう。


 トバリは、〈酩酊スートヴェル〉に掛けられた状態で無理やり〈身体強化ヴァルハイド〉を発動させた時を思い出した。体の内部がぐちゃぐちゃに混ざり合うようないつもと異なる感覚があり、しかしそれでも強化は


 思考の車輪が加速する。


 ならば、自発的に似たようなことができるのではないだろうか。誰も教えてくれなかっただけで、自分が試そうともしなかっただけで。もしかしたら、自分には何らかの適性があるのかもしれない。

 本当にできるかどうかはわからない。自分の仮説に自信もない。


 それでも——暗闇の中に逆転の鍵があるのだとしたら、手を伸ばしたかった。

 トバリは手をついてふらふらと立ち上がると、大きく呼吸を吸った。

 視線は前に。思いは強く。

 声に出して〈力ある言葉〉を内なる世界に刻む。


「〈身体強化ヴァルハイド感覚強化エトランジュ〉」


 ——二重起動。


 閉ざされた扉に差し込んだ鍵が、ゆっくりと回り始めた。

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