灼熱回廊(5)

 

 長い階段を降りた先に広がっていたのは、地下にしてはやけに天井が高い空間だった。石畳が敷き詰められ、空間を支えるように高い柱があちこちに立っている。

 最奥に巨大な球体が見える。地下空間は球体が放つ不気味な赤い光に満ちていた。


 〈解放団〉を束ねる隻眼の鬼人族オーガ——ガルザリクは空間の中心に立っていた。

 その鋭い眼光を炎のように揺らし、まるで自らが支配者であるかのような威厳を漂わせながら、赤い光を背中に受けていた。


「自分はシオンを助けるためにここへ来た。彼女をどこへやった」


 階段を降りきり、同じ目線の高さに立ったトバリがガルザリクへ問う。

 地下空間を見渡したが、シオンはどこにも見えなかった。この先さらに別の部屋が隠されており、そこに幽閉されている可能性もある。


「無礼な口を閉じろ、愚かな人間ヒューマ。貴様が私に物を尋ねる権利などないのだからな」


 ガルザリクが冷笑を浮かべながら言う。


「だが、非力な人間ヒューマでありながらこの神域に踏み込んだその無謀な勇気を讃えて、世界を変える力の目覚めを見せてやろう。貴様の疑問の答えもすぐにわかるさ」


 右腕を高く掲げると、手の甲が見えるように裏返す。

 トバリは驚きで目を見開いた。そこには、円形の縁に竜の爪痕のような模様が刻まれていたのだ。


「まさか、それは……〈竜印ドラグニカ〉、なのか……!?」


 間違いない。

 人と竜の心を通わせる印、〈竜印ドラグニカ〉。自分の右手に刻まれた模様と全く同じものが、確かにガルザリクの手の甲に浮かんでいた。

 ありえない。〈竜印ドラグニカ〉を刻むには、〈竜の巫女〉の力と、そして契約の対象となるドラゴンが必要なはずだ。

 ドラゴンは一体どこにいる——?


 トバリはあることに気がつき、顔を上げた。

 赤い光を放つ巨大な球体、あの中に何かが隠されている。


「はははははっ! 驚愕し、戦慄しろ! 新たな世界の目覚めの光だ!」


 球体の光が増幅し、空間を覆い尽くす。トバリはあまりの眩しさに顔の前で手をかざした。

 一度飛び散った光は、主人のもとへ舞い戻っていくかのようにガルザリクの右手に吸い込まれていく。猛烈な力のうねりが、ただ一点に収束されていく。

 徐々に光が弱まり、トバリは閉じていた目を開いて腕の隙間から覗き見た。


(やはりそこにいたのか! しかもなんだ……この大きさは!)


 ドラゴンだ。

 赤い鱗を持つ巨大な竜が、球体の光の中で金色の眼を爛々と輝かせていた。

 その大きさは牧場にいた中型の〈毛長竜〉ファードラゴンですら足元に及ぶかどうかというほどだ。禍々しい棘が生えた一対の翼に、怒りを象徴しているかのような曲がりくねった2本の角。地を叩き割る強靭な尻尾、万物を噛み砕かんという鋭い牙……その存在感の前には、自分など踏み潰されるだけのちっぽけな生き物に思えてしまう。


 これが根源的恐怖。


 これが


「魔術そのものの力が世界に満ちていた太古の時代。弱者は生存することすら許されなかった絶対強者の時代を戦ったドラゴン、その生き残りだ。〈古代炎竜〉エンシェント・ファイアドラゴン。言っておくが、こいつはそこで震えている子犬とは違い、血が薄まっていない正真正銘の古代竜だ」


 太古の時代。

 魔術のもととなった〈力ある言葉〉で構成されていた世界。

 エルーは、その世界で覇を唱えていた〈古代竜王〉エンシェントドラゴンの末裔だ。だが、ガルザリクの言葉が本当ならば、球体の中で浮かんでいるエンシェント・ファイアドラゴンはその時代に生きた個体だと言う。


 エンシェントドラゴンは時代の変遷に伴い弱体化し、その数を減らしていった。

 今目の前にいる竜が当時の強さをそのまま保持しているとしたら、それはどれほどの力なのだろうか。

 振り返ってエルーを見れば、自分と同じように恐怖を感じているのか及び腰になって震えている。無理もない、体の大きさだけを見ても絶望的な差があるのだ。


「この地で封印されていたこいつを、私の祖父が所属していた亜人の教団が偶然見つけた。神殿を作り、その存在を隠したはいいものの、力の活用方法が見つからないまま教団は崩壊した」


 どこかで聞いたことはある。昔、理想郷を作り上げようと反乱を起こした亜人の教団があったと。ここはその教団の聖域だったのだ。

 いや、聖域に見せかけた秘密の兵器の隠し場所と呼んだ方が正しいか。


「封印を解いても忠実に命令に従ってくれるはずもないからな。逆にその怒りの牙に触れて滅ぼされてしまう危険の方が大きい。我々はずっと封印を解かないまま、力を利用する手段を探していた。そしてついに鍵を見つけたのだよ。〈竜印ドラグニカ〉という鍵をな!」


 ガルザリクが紋様を刻んだ手の甲を誇らしげに掲げた。

 〈竜印ドラグニカ〉には竜の力を人に伝播させる機能がある。先ほど球体から発せられた光がガルザリクの印に吸い込まれていったが、あれはエンシェント・ファイアドラゴンの力を吸収したのだ。


 なぜ、自分が〈竜の巫女〉たるシオンも知らなかった機能を発見してしまったのか。今ならば推測がつく。


 人への力の伝播は古代種の竜にしかできない芸当だったのだ。


 だから古代種が数を減らすごとにその機能は忘れ去られていって、〈竜の巫女〉の間にも受け継がれることがなくなった。自分はエルーと共に、その扉を知らないまま偶然開けてしまったのだ。

 しかしそれは同時に〈古代炎竜〉の力の利用方法を探していた〈解放団〉に、クリスロアを通じて鍵の存在を知らしめる結果になった。


「はははっ! あの小娘はよくやってくれたよ。その身を竜の生贄に捧げ、私に力をもたらしてくれた。人間ヒューマに感謝したいと思ったのはこれが初めてだ」


 ガルザリクが振り返り、球体の光を見上げた。トバリもつられてそちらを見る。

 エンシェント・ファイアドラゴンが封印された球体の内部。赤い光の中で、美しい銀髪の少女が眠るように目を閉じて浮かんでいた。


「シオン!」


 その姿を認めた瞬間、トバリは走り出していた。

 彼女を助けなくてはならない。その思いの強さが巨竜への根源的恐怖を上回った。


「誰が近づいてよいと許可した、劣等種!」


 ガルザリクが無造作に振った右腕から、爆発するような熱波が生まれた。トバリの体はあっけなく吹き飛ばされ、石畳の床を転がる。


『きゅう!』


 這いつくばるトバリに、エルーが心配そうな鳴き声を上げて駆け寄った。


「言っておくが、この小娘は死んではいない。生きているとも言い難いがな。霊薬を使って心を壊し、従順な下僕にしてやったのだ。正規の方法で〈竜印ドラグニカ〉を刻むことが難しいとわかるや、自ら竜と意思を繋ぐ媒介の役割を担った。本当に、役に立つ人間ヒューマだった」


 トバリは倒れたまま拳を握った。

 今の言葉の全てに対して怒りを覚える。心を壊した? 従順な下僕? 媒介の役割? 役に立つ? シオンは——道具ではない!

 しかし、トバリは奥歯を噛み締め、思いのままに叫ぼうとする衝動を堪えた。体を起こして、ガルザリクに問いかける。


「……あんたは、なぜこんなことをするんだ。シオンがあんたに何かひどいことでもしたのか? 一体どんな理由があって、その人を傷つけるんだ?」


 トバリの声は震えていた。

 恐怖ではなく、必死にこみ上げる怒りを抑え込んでいるがゆえだった。


「なぜ、だと? 我らが人間ヒューマを憎むことに特別な理由があるとでも思っているのか? それこそ人間ヒューマの驕りというものだ」


 隻眼の鬼人族オーガは、己の額に生えた角に手を当てる。


「私の一族は祖父の代で、先祖代々暮らしていた火山の麓の村を人間ヒューマ共に追われた。山に眠る鉱石資源を狙われてな。その時に多くの若者が抗い、命を散らしていったと聞いている。貴様ら人間ヒューマが我が物顏で世界を支配し、我らを虐げた怒りと憎しみは決して忘れない。親から子へ、子から孫へ、復讐の業火は受け継がれていく!」


 ガルザリクが声を荒げた。

 過去のことだ、別の誰かがやったことだと思ってしまうのは、奴の言う人間ヒューマの驕りというものなのだろうか。

 だが、自分はガルザリクにかける言葉がない。歩み寄れるとは思えないし、歩み寄りたいとも考えられない。今、目の前で起きていることへの怒りが遥かに他の気持ちを凌駕している。


 ガルザリクは復讐の業火と言った。自分の心で燃えているのも怒りの炎だ。

 憎しみは連鎖する。炎と炎はせめぎ合い、終わらない戦いの道を作る。

 まるで——灼熱の回廊のように。


「痛みを知っていることは、誰かに痛みを押し付けていい理由にはならない。それぐらいしか、自分に言えることはない」


 トバリは立ち上がると、左腰に下げた鞘からゆっくりと片刃剣ファルシオンを引き抜いていく。


「何が正しいのか、今はわからなくていい。この場において自分はあんたを許さない。シオンも竜も、あんたの道具ではない!」


 蓋をしていた怒りの感情を解放し、トバリは叫んだ。

 片刃剣ファルシオンの切っ先をガルザリクに突きつける。


「理由ではなく、与えられた当然の権利だと言っているだろう。全く不快だ。話はもうよい、貴様には新しい力の実験台として役立ってもらうことにしよう」


 ガルザリクはトバリに背中を向けると、階段を登ってエンシェント・ファイアドラゴンが封印された球体に近づいた。そしてその足元の床に刺さっていた両刃の大剣を片手で引き抜く。

 大剣を担いだ隻眼の鬼人族オーガが階段を一歩一歩降りていくごとに、体の周囲で炎がほとばしった。


 来る


 来る——!


 トバリは押しつぶされそうな重圧感に抗うように、剣の柄を握る両手に力を込めた。

 ガルザリクは狂気の笑みを浮かべながら告げる。


「貴様をこれより煉獄へといざなってやろう。業火に焼かれ、せいぜい苦しみ死ぬがいい」

 

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