灼熱回廊(4)

 

「さぁ、行くぞ!」


 トバリは地面を蹴り、再びクリスロアへ迫る。

 〈感覚強化エトランジュ〉の術下の世界では、全てがゆっくりに感じられる。一方で自分の動きの速さ自体は変わっていないので、まるで水の中で動いているように錯覚することもある。


「〈酩酊スートヴェル〉」


 クリスロアが術の煙を散布する。

 だが、トバリは足を止めなかった。ここで速度を緩めれば相手の思う壺だ。

 息を止めると、煙が漂っていないわずかな隙間を〈感覚強化エトランジュ〉の目で見切り、そこに体をくぐらせる。

 剣の届く範囲まで近づいた。


「〈障壁ベリロア〉」


 トバリが振るった刃が、半円状の薄い光の幕に防がれる。構わずに体を回転させながら連続で斬撃を繰り出すが、光の幕は破れずに全て防がれしまった。


 この壁は崩せない。トバリはそう直感する。

 硬さで防ぐ防壁ではなく、概念的な力を持つ。単純な物理攻撃では突破することはできない。そして残念ながら、単純な物理攻撃以外の手段を自分は持っていない。


 おそらくこの術がクリスロアの最後の防衛線だろう。

 もう一歩。あと一歩だ。この刃が彼に届くまで——


「竜の力は使わないんですね」


 光の幕の向こうでクリスロアが言った。

 彼の言う竜の力とは、右手で繰り出す〈衝波ラグア〉こと〈竜の咆哮ドラゴン・ブレス〉だろう。


「あぁ、こっから何があるかわからないからな。力は温存しておきたい」


 自分は〈竜の咆哮ドラゴン・ブレス〉の力を完全に把握していない。ここで一撃を放ってしまえば、再発動までどれだけの時間がかかるかわからない。

 あの隻眼の鬼人族オーガ、ガルザリクとは近いうちに必ずどこかで激突する。シオンを救うために焦る気持ちはあるが、力の使い所は見極めなければならない。


 それに、自分でも把握できていないこの力を使ってしまえばクリスロアを殺すことにもなりかねないと言う思いも確かにあった。

 相手が殺す気を隠さずに攻撃をしてきても、自分は未だにかつて友人だった者の命を絶つことを躊躇している。

 甘いと言われるかもしれない。

 それでも、何も知らないまま、何も聞かされないまま、道だけを違えて別たれることが嫌なのだ。


「……なぁ、自分は何も理解できないとあんたは言った。それならなぜ昨日の夜、自分にお兄さんのことを話してくれたんだ?」


 トバリは昨晩の会話を思い出し、障壁の向こうからクリスロアに問うた。

 これまで顔色を一切変えなかった精霊族エルフの青年の表情が、明らかに動揺を浮かべた。その反応を見てトバリは確信する、彼が世界を壊す力を欲した理由に兄が大きく絡んでいると。


 釣りを教えてくれた兄。自慢の兄。

 そんな兄について語るクリスロアの顔は終始穏やかで、しかしどこか寂しさを抱いていた。


「これは自分の想像で的外れだったら謝るが……本当は知ってほしかったのではないのか? 本当は聞いてほしかったのではないのか?」


「黙れ、人間ヒューマ! お前に何がわかる!」


 クリスロアの激情がそのまま形になったかのように、風が吹き荒れた。〈風襲アエル・フェン〉の魔術だ。だが、その威力は先ほどとは比べものにならない。

 トバリは突風に体をさらわれ、宙に放り投げられた後に床に転がった。


「僕が人間ヒューマのお前に自分の過去を知ってほしかっただって? 冗談を言うな。僕は人間ヒューマを憎み続けている。お前やシオンに優しく接していたのも、ただの演技だ。心の中ではずっとお前達を嫌っていたんだ!」


 クリスロアの叫びが神殿に響く。〈障壁ベリロア〉の術が切れ、光の幕が四散した。


「そんなことはない。あんたは自分やシオンを嫌っちゃいなかった」


 立ち上がりながら、トバリは告げた。

 自分でもなぜこんなことを言っているのかわからない。だが、言葉に確信はあった。


「そうでなければ、を自分に言っているはずがないからな」


 聞いたその時は気に留めてもいなかったが、思い返せば自分が牧場に来て得たもの全ての原点とも言える言葉があった。

 その言葉を最初に言ってくれたのは、他ならぬクリスロアだ。


「何を言っているんだ。僕を惑わせようとしているのか?」


「……わからないなら、それでもいい。ひとまずこの場は決着をつけさせてもらう」


 トバリは片刃剣ファルシオンを構える。これで全ての準備は整った。

 この日、三度目となる真っ正面からの突撃を敢行する。クリスロアは当然のように〈酩酊スートヴェル〉の煙を張った。

 先ほどまでと違い、煙が数段濃くなっている。薄くなった場所を突破された反省を活かしたのだろう。


 だが、トバリにはもはや関係はなかった。

 両手で持っていた片刃剣ファルシオンを右手だけで持つと、左手を前に突き出し叫ぶ。


「〈衝波ラグア〉!」


 そこから生まれた衝撃波が、煙を吹き飛ばしそのままの勢いでクリスロアに襲いかかる。


「しまっ——〈障壁ベリロア〉!」


 クリスロアが慌てて防御の魔術を使おうとするが、光の幕は完全な形を作ることができなかった。

 衝撃波が直撃し、クリスロアは後ろにあった像に叩きつけられた。かなりの振動を全身に受けたためか、床に崩れ落ちたクリスロアはぐったりとして動かなくなる。


 〈障壁ベリロア〉のような強力な防御術は再発動までに時間を要する。

 トバリが愚直に接近戦を挑み続けたのも、相手の防御手段を全て出させるためであり、そしてこちらに中距離の攻撃手段はないと思わせるためでもあった。

 クリスロアは竜の力で何かの術が強力になったことは知っていたようだったが、大本の〈衝波ラグア〉を知らない。そこを利用した。


 相手の手札を使い切らせたところで、自分は隠していた切り札を出す。

 それがトバリの狙いだった。


「宣言通り、自分はこの先に進む。シオンを救うためにな」


 戦いを見届けたエルーが駆け寄ってくる。仔竜を連れて、トバリは像の裏側に歩き出す。

 像の台座にもたれかかりながら微動だにしないクリスロアのそばで立ち止まった。


「……クリスロアさん。今でなくていい。いつか話してもいいと思える時が来たら、自分に話してほしい」


 そう言うと、精霊族エルフの青年は嘲るような笑い声を出した。


「くくくっ……いつかがあると思っているのですか? 完全に道を違えた僕達に?」


 その問いかけには答えず、トバリは歩きながら背中越しに告げる。


「そういえば、イグルカさんから伝言を預かっていた。始末書はしっかり書いてもらうから覚悟しておけってね。意味は自分で考えてくれ」


 クリスロアがハッと顔を上げたのが、気配でわかった。

 トバリはもう振り向かず、像の背後に隠された階段を降りていく。


「本当に、甘い人達ですね——」


 小さな呟きが聞こえた気がした。




  *  *  *




 はやる気持ちを抑え、警戒しながら階段を下っていく。

 山深くの神殿の、秘密の通路の先にある建物の、さらに地下。

 それほどまでに厳重に隠したかったものとは何なのだろうか。一体この先に何が待ち受けているのだろうか。

 エルーも何かを感じ取っているのだろう。時折足を止めて小刻みに震えている。


「お前は無理して来なくてもいいんだぞ」


 トバリは問いかけながら、仔竜の広い背中を撫でた。

 ここまで付いて来てくれただけでも十分に役割を果たしたと言ってもいい。戦いの中での役割以上に、ただそこにいるだけで自分を勇気付けてくれた。


『きゅうう』


 しかしエルーはこのまま付いていくとでも言いたげに全身を揺らした。逆に自分の不安をぬぐい去ろうとするように頭を擦り付けてくる。


「励ましてくれるのか? ありがとう」


 エルーの頭を撫で返した時、ふと自分の右手の甲に刻まれた紋様が目に入った。


 〈竜印ドラグニカ


 ドラゴンと心を通わせる、不思議な不思議な印。


 そしてドラゴンの力を引き出し、力を伝播させる恐るべき印。


 もしも自分が扉を開けようとしなければ、クリスロアが力に気づかず、牧場ではいつも通りの日常が繰り広げられていたかもしれない。

 もしも、を上げれば切りがない。もしも自分が〈竜印ドラグニカ〉の力を誰にも言わなかったら、もしもあの嵐の日にエルーを助けることができなかったら、もしもシオンが〈竜の巫女〉でなかったら……


 もしも自分がロンロン牧場に来なかったら。


 怒りに任せて上官を殴った一発の拳から始まった物語は、いくつかの分岐点を経てどこかの終着点へ向かおうとしている。

 これは運命だ、なんてキザに受け止めることはしたくない。

 自分はこれから証明をするのだ。

 自分が牧場に来たことは間違いではなかったことを。

 あの場所で得た全ての出会いが、必然であったことを——




「おかしなことがあったものだ。不慮の事故で死んでいるはずの人間ヒューマが生きて、しかもこの神域に踏み込んでくるとはな」



 自信に満ちた低い男の声が闇の中から響いた。



「どこにだって行くさ。大切な人を取り戻すためならな」



 トバリは覚悟を込めた声で返答した。

 

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