灼熱回廊(3)

 洞窟のような暗闇の道を抜けると、星空が目に飛び込んできた。

 そこは山の中をくり抜いて作った秘密の部屋のような場所だった。周囲は高い崖に囲まれているが、天蓋を取り外したかのごとく頭上には夜空が広がっている。


 草原の中央に、並んだ石柱に支えられた三角屋根の建造物があった。

 残留香を確認しないまでもわかる。シオンはあの場所に連れて行かれたのだ。


(一体、あの場所に何が眠っているというんだ。シオンに何をさせようとしているのだ)


 次から次へと湧き上がってくる疑問は、三角屋根の神殿の中で全てが明らかになる。

 トバリは片刃剣ファルシオンの鞘に手をかけ、いつでも抜剣できる状態のまま草地を歩いていく。


『ぐるぅぅぅぅ』


 エルーが低く唸りながら、後ろをついてきた。

 三角屋根の下には、天井にも届かんという巨大な像が鎮座していた。

 おそらく亜人達が崇める神なのだろう。鬼人族オーガの角や精霊族エルフの尖った耳など、体の部位はどれも亜人が有する特徴を表している。

 台座の上からこちらを見下ろす像のなんとも言えない不気味さに、トバリが唾を飲み込んだ時だった。


「やはり生きていましたか。そればかりか、この場所にまでたどり着いた。本当に、あなたには驚かされてばかりです」


 冷たい声が響き、神像の影から何者かがゆっくりと姿を現した。

 トバリはその姿を見て安心したが、しかしすぐに自分自身を叱咤して睨みつけた。


「クリスロアさん……!」


 精霊族エルフの青年は無表情のまま、トバリの視線を受け止めた。


「もうさん付けは結構ですよ。もはや我々は敵同士なんですから」


 クリスロアが冷たい声で言い放つ。その声も、態度も、自分が知る彼とは全くの別人のように感じられる。


「お探しのシオンさんはこの地下にいますよ。像の裏にある階段を降りた先です」


「そうか、教えてくれてありがとう。早速そこに行きたいんだが、通してくれないか」


 少しだけ、沈黙が流れた。ややあって、クリスロアは重々しく首を横に振る。


「それをさせないために僕がここにいるんですよ。言っておきますが、僕は本気です。もしもあなたがここを通ろうとするならば、本気であなたを殺しにかかります」


 クリスロアは後ろ手に隠していた小弓を見せると、そこに右手で矢をつがえた。そして視線は真っ直ぐにトバリを捉える。

 その目はこれから殺しにかかる相手に向ける冷酷な光に満ちていた。

 トバリはその目を見た時に全てを察した。彼が本当に、敵であることを。


「もしかしたら……もしかしたら、何か事情があってこんなことをやらされているのかもしれないって思っていた。本当はやりたくないけど、誰かに無理やりやらされているのかもしれないって」


 トバリは自分でも情けなくなる今にも泣きそうな声で言った。


「だけど、違ったんだな。あんたは心の底から自分達を、牧場の皆を裏切っていたんだな」


 トバリの言葉に、クリスロアは小さく息を吐いた。


「少し違いますよ。僕はあなたを含めて誰も傷つけたくはなかった。だが、力を見つけてしまったからには動かずにはいられなかった。世界をひっくり返しうる力をね」


 クリスロアの言う力とは、〈竜印ドラグニカ〉のことだ。

 〈竜印ドラグニカ〉をどのように利用すれば世界を揺るがす力になるのか想像もつかない。だが、クリスロアの声は確信に満ちている。


「なぜあんたはそれほどまでに世界を壊したがるんだ。一体どんな理由があんたを破壊に駆り立てるんだ」


「言ったでしょう。平穏の中に生きてきたあなたには理解できないと。今引き返すならば、無傷で帰れるように僕が〈解放団〉に交渉しましょう。逆にそこから3歩前に出れば、僕は完全にあなたを敵とみなします」


 クリスロアが矢をつがえた弦を引き、狙いを定めた。


 トバリはためらいながら、足を踏み出す。


 1歩、2歩……


 歩くごとに、精霊族エルフの青年との思い出が蘇ってくる。

 未知の職場を前にして怯える自分に優しい言葉をかけてくれた。彼が作る料理は工夫が凝らされていて、毎日の食事が楽しみだった。釣りについて熱心に話す姿はまるで少年のようだった。


 ——3歩。


 トバリはきっちり3歩進んで、クリスロアに目を向けた。


「……それが答えですね、トバリ=テジャ!」


「あぁ、後戻りはしないさ。進ませてもらうぞ、クリスロア=エルアルト!」


 クリスロアが弦を離し、放たれた矢が風を切る。

 トバリは片刃剣ファルシオンを引き抜き、迫る矢を叩き落とす。


 視線が交差する。

 今の応酬は決別の証。この瞬間、2人の道は決定的に別たれたのであった。





 トバリが斬りかかると、クリスロアは後方に跳んで距離を取ろうとする。

 相手が持っているのは取り回しがしやすい小弓とはいえ、接近戦は苦手なはずだ。積極的に間合いを詰めていく。


「〈酩酊スートヴェル〉」


 親指と人差し指で作った輪っかにクリスロアが息を吹きかけると、そこから白く染まった霧のような煙が吹き出た。

 トバリは加速していた足を無理やり停止させ、息も止めた。


 あの煙を吸い込んでしまうと、まるで酒に酔ったように体の自由が奪われてしまう。牧場では魔術を誘発する液体をスープと一緒に体内に取り入れてしまっていたため時間差なく術中にはまってしまった。

 気をつけていれば対処できるとはいえ、一度の失敗が戦闘不能になる恐ろしい魔術だ。


「〈風襲アエル・フェン〉」


 風の魔術を唱えたクリスロアを中心に瞬間的な突風が生まれた。

 風自体に大した威力はない。踏ん張っていれば飛ばされることはないという程度のものだ。だが、問題は別にある。


(〈酩酊スートヴェル〉の煙が風に乗って……!)


 その場を漂っていた魔術の煙が、風を受けて一気に広がり襲いかかってくる。なんてことはない術が組み合わさり、大規模攻撃に変化した。

 手で口を塞いだトバリが床を転がり、術の範囲から逃れる。間髪いれずに矢音が聞こえ、トバリは幅広な片刃剣ファルシオンの腹でなんとか矢を弾いた。


 淡々と次の矢を準備するクリスロアと目が合う。

 彼の戦い方がなんとなく掴めた。一定の距離を保ったまま、術による搦め手と弓矢の奇襲を組み合わせる嫌らしい戦術が得意らしい。


(搦め手が相手なら、〈身体強化ヴァルハイド〉よりもむしろ……)


 トバリは一つ呼吸を置くと、


「〈感覚強化エトランジュ〉!」


 五感を強化する魔術、〈感覚強化エトランジュ〉。第二深域ではない通常の術ならば体力の消費を抑えて戦うことができる。


「術は一つだけですか?」


 唐突にクリスロアが語りかけてきた。


「……なぜそんなことを聞くんだ?」


「いえ、牧場では〈酩酊スートヴェル〉にかかっているところへ〈身体強化ヴァルハイド〉を使っていたようなので、あなたは本来想定されていない術の使い方ができる人なのかと思っていました。が、考えすぎだったようですね」


 クリスロアは似たようなことを食堂でも言っていたが、意味が掴めない。本来想定されていない術の使い方とはなんなのだろうか。


 いや、今は無駄なことを考えず、目の前の戦いに集中するべきだ。

 気を抜けば、一つ間違えれば、それが敗北に繋がる。クリスロアは単純な戦力差をひっくり返しうる手強い相手なのだ。

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