灼熱回廊(2)

  *  *  *


 シオンの残留香を追うトバリ達は、松明を片手にブルートドラゴンで夜の山道を駆けていた。

 入り組んだ道は巧妙に通る者を惑わせ、まるで迷路のようだ。〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉がなければ確実に迷っていただろう。


(なるほど。こうやって奴らは身を隠していたのか)


 トバリはいかにも通りやすそうな道ではなく、枝葉に隠された小道に残留香が続いていることに気がつき舌を巻いた。

 背後を見ると、イグルカが乗るブルートドラゴンは問題なく後ろをついてきているが、エルーが少し遅れている。いや、訓練も受けていないのによくブルートドラゴンの足についてきたと評価した方がいいだろう。


 満ちた月が木々の間から顔を覗かせた時だ。月明かりに照らされ、道の向こうに古びた建造物の姿が浮かび上がった。

 トバリは手綱を引いてブルートドラゴンの速度を緩めると、手で背後のイグルカに停止するよう合図を送った。


「イグルカさん、おそらくあの遺跡が奴らの基地だ。火を消して慎重に行こう」


 頷いたイグルカはブルートドラゴンを降りると、手に持っていた松明の先端を地面に押し付けて火を消した。

 後から息を切らしたエルーが追いついてきた。トバリは仔竜の頭を優しく撫で、「よくやったぞ」と賞賛の言葉をかける。


「トバリ、ブルートはここらにつないで歩いて行こうか。相手は何人いるかわからない。できる限り気づかれずに中に忍び込む方法を考えよう」


 イグルカが肩や首を回しながら言った。


「そうだな。最悪、エルーは置いていくことになるかもしれないが、ギリギリまでついてきてもらおう」


 エルーが一緒ではこっそり潜入するのは難しいだろう。状況を見極め、適切に判断することが大切だ。

 身を屈め、息を殺して遺跡に近づいていく。

 神経はかなりすり減ってしまっているが、トバリは〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉を発動したままにしていた。敵はどこに潜んでいるかわからない。この術を発動している間は、少なくとも奇襲を受ける危険性は限りなく減る。

 岩に両側を囲まれた遺跡へと続く道の前に、武器を手に持った2人の亜人が立っていた。〈解放団〉の門番だろう。


「どうする、イグルカさん。この暗さでは迂回する道を探すのも難しいが、正面から行ってはすぐに見つかってしまう」


 トバリ達は少し離れた茂みに身を隠して様子を伺っていた。


「そうだね……相手が2人だけなら、どうにかできるかもしれない。確証はないけどね」


 どうやらイグルカには考えがあるようだ。トバリは目を見て頷き、任せる意思を伝えた。

 イグルカが上着の隠しから取り出したのは、赤い布だった。何に使うのが訝しんだトバリだったが、彼女がそれを自分の腕に巻いたのを見て合点がいった。

 〈解放団〉は全員、腕に赤い布を巻いて仲間の印としていた。イグルカは同じ印を付けることによって、団員に見せかけようとしているのだ。


「何かに使えないかと思って、牧場で檻に押し込んだ奴から一つ拝借したのさ。あとはアタシの演技次第だけど、そっちは少し自信がないかな」


 イグルカは苦笑いする。

 亜人だからと言うだけですぐに信用されはしないだろう。瞬時に看破される危険もある。


「それじゃあ、行ってくるかね。悪いが、アタシの武器を預かっておいてくれ」


「わかった。何かあればすぐに自分も出る。健闘を祈る」


 イグルカはトバリに金棒を預けると、茂みを飛び出していった。

 走って近づいてくる人影に、門番達は武器を構えて鋭い声を発した。


「止まれ、何者だ!」


 イグルカは荒い息を吐き、ずっと走ってきたかのような演技をする。その際に手で膝をつき、左腕に巻いた赤い布をそれとなく見せることも忘れない。

 ゆっくりと近づきながら、イグルカは門番達に気取らない様子で声をかける。


「牧場から来た。シャガさんから伝言を預かっているから、急いでガルザリク様に伝えたいんだ。通してくれないか」


「シャガさんからの伝言だと? ガルザリク様は大切な用事の最中だが、内容次第では伝えるべきかもしれんな。言ってみろ、どんな伝言だ」


 門番はイグルカの言葉を信じたようだった。武器を下ろし、警戒を解いている。暗がりなので、個人を識別できていないのだろう。言葉だけを捉えれば、怪しむべき内容ではない。

 イグルカはさらに2人との距離を詰め、両手を伸ばせば届くくらいの距離にまで来た。


「あぁ、少しお待ちを。ええと、ガルザリクに伝えたいことはね……」


 そこで門番達はようやくイグルカが全く見知らぬ者だと気がついたようだった。再び武器を振り上げようとするがもう遅い。鬼人族オーガの手が2人の顔を同時に掴む。


「大切な仲間は返してもらうよってね!」


 イグルカはそのまま門番の頭を岩に叩きつけた。後頭部を強打した2人は意識を失い、その場に崩れ落ちる。

 死んではいないが、当分目を覚ますことはないだろう。


「……名演技じゃないか。すぐにでも舞台に立てるぞ」


 茂みからエルーを連れて出て来たトバリは、半分呆れた様子でイグルカに言った。

 逆の立場だったら完全に信じてしまっただろう、とトバリは思う。堂々とさえしていれば、疑いがかかることは少ないのだと学んだ。


「はっはっは、お世辞はよしてくれよ。アタシが村娘の役でもやるのかい? それとも悪い魔女の役? そっちの方が緊張してしまいそうだ」


 金棒を受け取ったイグルカは、笑いながらトバリの背中を軽く叩いた。


「さぁ、騎士様。さらわれたお姫様はもうすぐそこだ。大団円で終われるよう、気合を入れていこうか」


「シオンがお姫様なのはともかく、自分が騎士というのは役不足だな」


「へぇ、随分な自信じゃないか」


 イグルカが苦笑混じりに言った。


「? どういうことだ?」


 自分の発言に何かおかしいところがあったか考えてみるが、思い当たらない。自分に騎士の役は似合わないと言いたかったのだが。


「役不足ってのはね、演者が自分の実力を軽んじられていると感じて、役割に不満を持つ時に言う言葉なんだ。だからトバリは騎士の役なんて自分にとってはどうってことはない役だって言ったのさ」


「んなっ!? 決してそう言う意味ではないぞ! 自分のような品がない者には務まらないと思っただけで……」


「アハハ、ごめんごめん。からかって悪かったよ。さ、いい具合に緊張がほぐれたところで先に進もうか」


 トバリは不満気に頷くと、イグルカの後ろについて遺跡への道を歩き出した。

 そう、自分に騎士の役割は似合わない。大切なものを何一つ守れていないのだから。

 だから進む。何者になれなくてもいい。せめて、自分が大切だと思ったものを取り戻すだけの役割を果たしたい。





 遺跡だと思っていたものは、どうやら何かを祀る神殿のような場所であるらしかった。

 こんな山奥に建てられていることから察するに、邪教に認定されるなどして身を隠さなければならない者達が崇めた神が祀られていたのだろう。そして年月が経ち、今は〈解放団〉が隠れ家として使っているというところだろうか。


「あの神殿の内部が野営地になっているみたいだな。声が聞こえる。5、60人はいるんじゃないかな」


 トバリは神殿の前庭にあった石柱の影から、〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉で内部を伺う。


「シオンはそこにいるのかい?」


 イグルカの問いに、トバリは首を横に振る。


「香木の匂いはさらに奥に続いている。位置的には、神殿のさらに向こうだ」


「トバリ、神殿は崖に沿って作られているんだよ。さらに向こうってことは崖の中に空間でもあって、そこにシオンが閉じ込められているのかい?」


「そう、かもしれない。だが詳しい構造はわからない。何か秘密の入り口のようなものがあるのかもしれない」


 だが、その入り口を探すためには数十人規模の〈解放団〉がひしめく神殿の内部を突破しなければならない。


「それじゃあまたアタシの出番ってとこだね。〈解放団〉の振りをしてうまく潜入するから、その秘密の入り口ってのを見つけたら合図を送るよ。アンタとエルーは合図を聞いたら外から走ってきて入り口に入るんだ」


「待て! そんなことをすれば確実にバレるぞ。別の道がないか探してからでもいいんじゃないか?」


「時間はあまりかけられない。牧場での会話から察するに、奴らはシオンを使って何かをするつもりだ。その何かがシオンを傷つける可能性はあるし、全てが終わった後にあの子がどんな目に合うかわかったもんじゃない」


 トバリは牧場でシオンがさらわれた時に、彼女がまるで物のように扱われていたことを思い出した。確かに彼女が無事でいる可能性は、時間が経つごとに低くなっていくだろう。

 いずれにしても、どこかで必ず〈解放団〉とは正面からぶつかるのだ。腹を括るしかない。

 イグルカが見つけた秘密の入り口に飛び込み、シオンを救出してすぐに逃げる。それが最速の方法だ。


「お、ちょうどいいところに出て来たな」


 神殿からは、1人の酔っ払った人狼族ウェアウルフが足元をふらつかせながら外に出て来た。宴会の間に用を足そうというのだろう。近くの茂みの前で立ち止まった。

 後ろから近づいたイグルカが人狼族ウェアウルフの首を絞め、声を上げさせる前に茂みに連れ込んだ。人狼族ウェアウルフはしばらくジタバタしていたが、やがて泡を吹いて動かなくなった。


「イグルカさん、さすがに人狼族ウェアウルフに化けるのは無理があるんじゃないか?」


 気絶しながら尿を漏らし、目もあてられない姿になった亜人を気の毒に思いながらトバリは言った。


「別にこいつの振りをするわけじゃないさ。誰も出て行ってないのに、誰かが入ってたら不審がられるだろう? 誰かが出て行って、そして誰かが帰って来たと思わせればそれでいいのさ」


 イグルカは再び棍棒をトバリに預けてさっさと神殿の中へ歩いて行ってしまった。

 本当に豪胆な人だ、とトバリは感心する。あれほど自然体で敵の本拠地に潜入できる人を自分は知らない。


 トバリは入り口近くの石柱の影に隠れてイグルカの合図を待った。

 息を潜め、石のように気配を殺していると少しの間が無限の時間のごとく感じられてしまう。心臓が波打ち、汗が吹き出す。

 神殿の中で騒ぎが始まったのか、いくつもの声が飛び交うのが聞こえてきた。


 だが、合図はまだない。


 まだ、まだ——



「さぁ、トバリ。アンタの出番だよ!」



 イグルカの声が聞こえた瞬間、トバリは立ち上がって駆け出した。


「行くぞ、エルー!」


『きゅう!』


 地面を蹴り、神殿の内部へ身を踊らせる。

 天幕が張られて野営地となっている屋内は、巣を突かれた蜂の群れのように騒然としていた。武器を探してあちこちをひっくり返す者や、慌てて立ち上がったが千鳥足になって倒れる者もいる。

 イグルカの声がしたのは神殿の奥からだ。そこまで一気に駆け抜ける。


「新手の侵入者だ! 仲間がいやがったぞ!」


 素早く混乱に対応した団員数人が道を塞いできた。

 トバリが両手で持ったイグルカの金棒を振り回して敵の足を止めると、そこへエルーが衝撃波を放って蹴散らした。

 エルーには自分の意図がきちんと伝わっている。心を通じ合わせる、〈竜印ドラグニカ〉の本来の力だ。


「イグルカさん!」


 鬼人族オーガの牧場長は、開け放たれた石の扉の前で奮戦していた。素手で相手の槌を止めると、蹴りの一撃で相手の体を吹き飛ばす。

 トバリが渡した金棒を片手で軽々と担ぐと、横薙ぎに大きく振るった。その迫力に威圧された〈解放団〉が足を止める。


「トバリ、お姫様はこの扉の向こうに連れて行かれたようだ。アンタとエルーは先に進め! アタシはここで他の奴らを足止めする!」


「イグルカさん、相手は50人以上はいるんだぞ! 自分達もここで戦い少しでも敵を減らす!」


 腰の片刃剣ファルシオンに手をかけたトバリの頭を、イグルカは軽く小突いた。


「何言ってんだい、アタシは1人で暴れている方が真価を発揮できるのさ。50に遅れは取らないよ。終わったらそっちに向かってやるからアンタ達はさっさと行っちまいな」


 イグルカは当然のように言った。

 彼女が見栄を張っているようには思えない。「たかが50人に遅れは取らない」。その言葉を信じてもいいのだろうか。

 いや、信じるしかない。尊敬する牧場長の言葉を——!


「ではこの場は任せた! 自分達は先へ進む!」


「あぁ、そうだ。もしクリスロアの奴に会ったら伝えておいてくれよ……始末書はしっかり書いてもらうから覚悟しておけってね」


 駆け出そうとしたトバリに、イグルカが少しだけ悲しげな声色で言った。

 トバリは少しだけその意味を考え、そして頷いた。


「わかった。しっかり伝えておく。イグルカさんは安心して暴れてくれ!」


 トバリはイグルカと手を打ちあわせると、エルーを伴い扉の向こうに広がる闇の中へ飛び込んでいった。

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