第6章「灼熱回廊」

灼熱回廊(1)

 

「ははははっ、戻ってきたぞ。ここが我らの神殿だ」


 十数頭のブルートドラゴンに乗った〈解放団〉の先頭を走っていた鬼人族オーガの頭目、ガルザリクが手綱を引いて減速した。

 そこは山深くに隠された石造りの神殿だった。長らく放置されていたのだろう、一部の壁が崩れていたり石柱が折れていたりなど、悠久の時をその場で過ごした様子が伺える。


 ガルザリクは己のブルートドラゴンに乗せていたシオンを、縛っている縄を掴んで乱雑に地面に放り投げた。

 受け身も取れずに落下の衝撃を受けたシオンは、口に咬まされた猿轡の隙間から息を漏らした。何度も咳き込むが、猿轡のせいでうまく空気が吸えずしばらく苦しんだ。

 苦悶の表情を浮かべるシオンをブルートドラゴンの上から満足そうに眺めた後、ガルザリクは地に降りて少女の首を掴んで無理やり立たせた。


「歩け、人間ヒューマ。お前の役割はこれからだ」


 よろよろ歩き出したシオンを、ガルザリクは後ろから蹴る。〈酩酊スートヴェル〉を掛けられた上、荷物のようにブルートドラゴンの背で運ばれ体力を失っているシオンは、自分の姿勢を保つ力も残っておらず、前のめりに倒れた。


「ガルザリク様。その人間ヒューマが壊れてしまっては、目的を果たせません。いたぶるのはほどほどにした方がよろしいかと」


 ブルートドラゴンを降りたクリスロアが、ためらいながら進言する。


「ははっ。なんだ、クリスロア。この人間ヒューマが気に入っているのか? 安心しろ。役目を終えたらお前に優先的に使さ」


 ガルザリクが笑みを浮かべながら言った。


「いえ、そういう意味では……ともかく、速やかに例の場所へ連れていくべきだと考えます」


「わかったわかった。お前もしばらく見ない間にせっかちになったものだ。言われずとも行くさ、絶大な力を手に入れられるかもしれないのだ。この私も胸が震えている」


 シオンは状況を把握しようと、2人の会話を盗み聞いていた。


(一体、力とは何のことなの? この神殿に何があるというの?)


 クリスロアが行動に至ったのは、〈竜印ドラグニカ〉に秘められた機能を知ったからだった。竜と意思を交わすだけではなく、力すらも共有する機能を。

 自分がもし何かしら強大な力を目覚めさせる鍵となることがわかったのなら、覚悟をしなければならない。


(私の命を、自ら断つ覚悟を)


 〈竜の巫女〉として〈竜印ドラグニカ〉が悪用されることだけは阻止しなくてはならない。たとえ自分の命と引き換えになろうとも。


「いつまで寝ている。さっさと歩け」


 再びガルザリクに首を捕まれ無理やり立たされた。

 猿轡を咬まされ、呪文を唱えられないどころか舌を嚼み切ることもできない今の状況では大人しく従うしかない。

 シオンはガルザリクに促されるまま、神殿に向けて歩き出した。





 神殿の内部は〈解放団〉の野営地となっていた。

 あちこちに天幕が張られ、焚き火を囲んで宴会も行われている。当然だが、全員が角や牙や特徴的な耳を持った亜人だ。この場にいる人間はおそらく自分1人だろう。

 いや、先ほどのガルザリクの言い方からすると、他にも人間はいるのかもしれない。見えないだけで、に。そこにいる人々が一体どのような状況に陥っているか、シオンは想像したくもなかった。


「まだだ。まだこの先だ」


 ガルザリクに背中を蹴られ、さらに奥へ進んで行く。

 神殿の最奥には扉があった。その両脇を武器を持った2人の亜人が警護している。見張り役の亜人はガルザリクに気づくと、慌てて姿勢を正した。


「こ、これはガルザリク様! この先に用事で?」


「あぁ、そうだ。扉を開けろ。今すぐにだ!」


 祭りを前にした子供のように逸りを抑えられないと言った様子で、ガルザリクは2人の部下に檄を飛ばす。

 部下達は窪みに手を突っ込み、重そうに石の扉を横に動かして開けた。

 開いた扉の先では、暗闇が口を開けていた。シオンには、まるで冥界に続く道のように感じられた。


「進め」


 ガルザリクに背中を押され、シオンは恐怖と戦いながら闇の中へと歩き出した。

 震えながら一歩一歩を踏み出していく。足音が反響することから、どうやら洞窟の中のような場所を歩いているらしいことがわかる。

 心臓が暴れ、呼吸が嫌でも荒くなる。これほど恐怖を覚えたのはいつぶりだろうか。


 やがて暗闇にも終わりが見えた。洞窟を抜けると、そこは四方を崖に囲まれた穴の中のような場所だった。上を見上げると、星空が丸くくり抜かれたように目に映った。

 空間の中央には、先ほどの神殿とは比べものにならないほど立派な建造物が建っていた。幾本もの大理石の柱が三角屋根の天井を支えている。


「そう。我々が先ほどいた神殿は、この場所を隠すためにあったのだ。言ってしまえば、この建物こそが本当の神の住まう社と言うわけだ」


 ガルザリクが隠された神殿を見上げながら言った。

 この男は今、神が住まう社と言った。ならばこの先に眠っているのはだとでも言うのだろうか。


(私にそれほどの力はない。私は半人前の〈竜の巫女〉で、ただの牧場の職員だ。一体何をさせようとしているの……?)


 シオンが戸惑う間にも強制的な歩みは続いていく。

 神殿の内部は壁際で篝火が焚かれ、薄暗い空間をぼんやりと照らしていた。

 シオンが神殿に足を踏み入れ目にしたのは、篝火に照らされ浮かび上がる巨大な像だった。台座に座った姿で、杖をその手に掲げている。


「この神の名はレヴィルダーヤと言う」


 ガルザリクが隻眼で像を見つめながら言った。


「レヴィラ教と呼ばれる、かつて存在した亜人の教団が崇めた神だ。よく見ろ、レヴィルダーヤの外見を。鬼人族オーガの角に精霊族エルフの耳、人狼族ウェアウルフの牙、そのどれもが亜人の特徴を示している」


 レヴィラ教。


 何かの書物で読んでその名前を聞いたことはあった。

 数十年前、今よりもずっと過酷な環境で虐げられていた亜人達が人間からの解放を謳って作り上げた教団だと。一部の土地を占拠し、そこを亜人だけが住む理想郷にしようとしたが、内部の対立をきっかけに瓦解したと伝わっている。

 おそらくこの神殿は、理想郷計画の一部だったのだろう。


「親族の1人がレヴィラ教の中心人物だったため、この場所のことは知っていた。探し当てるまでに随分時間がかかったがな」


 以前は南方にいた〈解放団〉がなぜか活動拠点を北東へ移していったと聞いていたが、この神殿を探すために動いていたらしい。


「もっとも、我らは神の存在など信じていないがな。もしも亜人の神とやらが存在しているのならば、とっくの昔に人間ヒューマなどと言う下等種族は滅びていてしかるべきだからな」


 滔々と語るガルザリクをシオンが凝視していると、何か言いたいことがあると察したのか猿轡の布のちぎった。


「……あなた達は、この場所を亜人の理想郷にするつもりなの」


 口の拘束が解かれたシオンは、ガルザリクに質問をぶつけた。


「理想郷? そんな場所があるとすれば、人間ヒューマが根絶やしになった世界だな。我らはレヴィラ教のように隅っこに狭い我が家を建てて満足するような矮小な輩ではない。戦い、戦い、戦って、この世界を変えるのだ!」


「では、なぜこの神殿を探していたの。あなた達が不必要だと断じた神の偶像を」


 ある特定の民族が先祖が建設した遺跡や像を心の拠り所として求めるのはよくあることだ。だが、〈解放団〉はそれを必要としていない。

 ならばなぜ、彼らはこの神殿を目指したのか。


「その理由はさらに進んだ先にある。そこで人間ヒューマ、いよいよお前の出番というわけだ」


 ガルザリクの答えに、シオンは目を細める。


「……私が、素直に協力すると思っているの」


 そう返答したシオンに、ガルザリクは首を掴んで力を込める。苦しそうに顔を歪めるシオンを見て、口元を綻ばせた。


「協力だと? これは命令だ。そしてお前は我らの言葉に素直に従うことになる」


 シオンは首を掴まれたまま、乱暴にガルザリクに引きずられていった。

 連れられた先は、レヴィルダーヤの像が座る台座の裏側だった。そこに地下に続く階段が隠されていた。


 階段を下っていくごとに、空気が重く張り詰めていく。

 間違いない。この先に何かがある。


「レヴィラ教の生き残りだった祖父がよくこぼしていたものさ。神殿の地下に隠したをうまく使うことができれば、人間ヒューマの世界など容易く壊せただろうにとな!」


 ガルザリクは興奮を隠しきれないといった口調で話し続けた。


「さぁ、見ろ! これが世界を変えうる力だ!」


 階段を降りた先には、地下とは思えない巨大な空間が広がっていた。

 その空間の最奥に、まばゆい光を放つはあった。

 巨大なその姿を目にした瞬間、シオンは全身に震えが走った。


(駄目だ、決してこれを目覚めさせてはならない……! もし私が万が一にでも鍵になる可能性があるのだとしたら、それを断たなくてはならない!)


 シオンは一瞬の迷いもなく、自分の舌を突き出し噛み切ろうとした。

 だが、歯が舌に触れる前にガルザリクに指を口の中に入れられ自決は阻止されてしまう。


「は、ははっ! なるほど、確かにお前はいい女だ! 人間ヒューマであることが勿体無く感じるほどのな。だが、その固い意志すらもあっさりと壊れる。この霊薬を使えばな」


 と、ガルザリクはシオンの口を抑えながらもう片方の手で懐から小さな瓶を取り出した。


「これは内部争いが起こるようになったレヴィラ教の末期に開発された霊薬でな。飲ませれば従順な神の使徒になれるというものだ。言ってしまえば心を壊す薬だな」


 ガルザリクは片手で瓶の口を折ると、無造作にシオンの口の隙間に入れた。

 シオンは吐き出そうとしたが、口の間に手を入れられているせいで液体は喉の奥へ侵入していく。まるで体が内部から焼かれていくかのような感覚に、シオンは恐怖で手を握った。


(トバリ、トバリ……!)


 心の中で無意識に呼んでいたのは、後輩の少年の名前だった。

 彼は自分の顔に刻まれた紋様を見て、「特別な役割を持った人だ」と言ってくれた。自分自身が誇りに思っていても、奇異の目で見られてばかりだった〈竜の巫女〉の証を純粋な気持ちで受け入れてくれた。

 あの言葉がどれだけ喜びを与えてくれたか、きっと彼には想像がつくまい。自分は、感情を表現することが苦手だから。


 不器用ながら誠実に牧場のドラゴンや亜人の職員達に向き合う彼の姿を、自然と目で追っていた。

 昨日の夜に、エルーの竜舎でなぜ彼に求愛とも取れる言葉を告げてしまったのか、自分でもよくわかっていなかった。


 今ならわかる。

 きっと自分は——生まれて初めての恋をしたのだ。


(お願い、トバリ)


 自我が自分の手を離れて遠のいていく中、最後に願ったのは


(生きて、いて)


 記憶の中の少年が少しだけ微笑んだ。しかしすぐに彼の顔も、濃い霧の向こうへ霞んで消えていく。

 一滴の涙を流したシオンの目から、生気の光が失われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る