解放の風、来たる(6)

 

「よくやったよ、トバリ」


 倒れた〈解放団〉を手近な布で縛る作業を続けるイグルカが声をかけた。


「さて、アンタはこれからどうする? いや、どうしたい?」


「シオンを追う」


 トバリは即答する。


「彼女からは香木の匂いがした。あれだけ強い匂いならば、たとえ丸一日経過してようが追跡できる。自分の〈感覚強化エトランジュ〉は特別製だ。猟犬よりも鼻がきく」


 〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉は匂いや音などを視覚の情報として認識できる。真っ暗闇の中でもまるで目で見ているように状況が把握できるのだ。

 シオンは犬人族コボルトの少年ティビからもらった香木を炊いていた。あの柑橘系に近い匂いがあれば、残留香を追っていくのはたやすい。

 この場にいる〈解放団〉の誰かに道案内を任せる手段も考えたが、脅しをかけたところで本当のことを教えてくれる者はいないだろう。金銭や名誉ではなく、信念のもとに戦うとはそういうことだ。


「奴らのアジトへ乗り込むつもりなら、アタシも同行するよ。相手が何人いるかわからないなら、戦える奴は1人でも多い方がいいだろう。それに……あのクリスロアのバカには一言言ってやらないと気が済まないからね」


 イグルカが拳を打ち合わせて申し出た。彼女が同行してくれるなら、これ以上頼もしい助っ人はいない。


「だが、その前にやらなきゃいけないことがある。今は伸びちまってるが、解放団こいつらが暴れ出さないように檻の中に入れなきゃならない」


「あぁ、それはもちろんだ。早めに終わらせよう」


 トバリが言うと、イグルカは首を横に振った。


「いや、アタシともう何人かの職員で十分だ。トバリには2匹のブルートドラゴンに鞍を取り付ける準備をしてほしい。ラキちゃんもそれを手伝うんだ。いいね?」


 イグルカがラキに視線を向けると、炎蜥蜴族サラマンダーの少女はこくんと頷いた。


「わかったのだ! ラキはトバリ君を手伝うのだ」


 トバリはまだ〈酩酊スートヴェル〉の影響で少しふらついているラキの手を取ると、ブルートドラゴンの竜舎へ急ぐのだった。





 なるべく手早く済ませたつもりだったが、全ての準備を終える頃には日が完全に沈んで夜の時間が訪れていた。

 トバリは左腰に下げた片刃剣ファルシオンの柄を握って具合を確かめる。どの武器でも全く使えないということはないが、やはり使い慣れた愛剣の感触はいい。ぴったりと手に馴染む。


 屋外でブルートドラゴンの手綱を持つトバリとラキのもとに、イグルカが手を振って現れた。

 その背中には、身の丈に迫ろうかという鉄製の金棒が装備されている。


「イグルカさん、一体その物騒な武器はなんなんですか……?」


 トバリが尋ねる声は震えていた。


「あぁ、これかい? こいつはアタシが現役時代に振るっていた相棒だよ。昔から言うだろ、鬼人族オーガに金棒ってね」


 現役時代というのは、彼女が〈鬼神兵〉と呼ばれて恐れられていた頃だろうか。これから先、なるべくこの牧場長は怒らせないようにしようとトバリは心に誓うのだった。


「エルーも連れて行くのかい?」


 イグルカはトバリの傍で控える仔竜を見て言った。


「あぁ、こいつがさっきから離れようとしないもので。多分だけど、自分も連れていけと言っているみたいだ」


 トバリが説明すると、エルーが同意するように『きゅう!』と力強く鳴いた。

 戦闘経験を積んでいないエルー自身は大した戦力にはならないだろうが、エルーの力を借りて放つ右手の〈衝波ラグア〉——名付けて〈竜の咆哮ドラゴン・ブレス〉は切り札になりうる。

 エルーが遠くにいても発動できるかもしれないが、一か八かに賭ける余裕はない。


「トバリ君、もう行っちゃうのだ?」


 ラキが震えながらトバリを見上げて声を発した。

 トバリはしゃがんで彼女の目線に合わせると、その温かくて小さな手を両手で包んだ。


「大丈夫だよ。すぐに戻ってくる。シオンと一緒にな。ラキはここで待っていてくれ」


 笑顔で告げたが、ラキは目に涙を溜めたままだ。


「ラキは、よく夢を見るのだ。大きくなったラキがイグルカさんの後を継いで牧場長になって、そばにはトバリ君がいて、シオン姉ちゃんがいて、エルーちゃんがいて、イグルカさんがいて、本当だったらクリスロア君もいるのだ。幸せな夢なのだ」


 今この場にシオンとクリスロアはいない。そしてイグルカとトバリとエルーはこれから〈解放団〉の根城へ向かおうとしている。

 きっと、ラキは自分だけが取り残されてしまうようで悲しいのだろう。


「ラキ」


 トバリは小さく名前を呼ぶと、炎蜥蜴族サラマンダーの少女の体を抱きしめた。


「自分は、君の太陽のように明るい笑顔が好きだ。その笑顔を曇らせないために自分は戦おう。きっと明るい明日は来る。君が夢描くような、幸せな明日が。だから泣かないでくれ。自分達はまたこの場所へ帰ってくる」


 耳元でそう告げると、ラキはぎゅっと抱きしめ返してくれた。彼女の体温が伝わり、温かな気持ちが広がってくる。


「ラキは、もう泣かないのだ」


 そっと手を離すと、ラキは涙を拭ってお日様のような笑顔をトバリに向けた。


「だから、みんな無事で帰ってきてほしいのだ!」


 ラキの言葉に、トバリは頷いた。

 彼女との約束は裏切れない。大切な相棒との約束は、必ず守ると誓おう。

 トバリはブルートドラゴンに跨ると、目を閉じて深呼吸した。深く集中して、呟く。


「〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉……!」


 瞬間、トバリが知覚する世界が変化する。

 月明かりだけが頼りだった暗闇の世界が、音と匂いの情報を取り込み再構成され視覚に反映される。木々の配置も、怪しげに鳴く夜鳴鳥の正確な位置も、そして道に残る柑橘系に近い香木の匂いも。

 トバリの目には、香木の匂いは橙色のもやとして映っていた。このもやを追っていけば、その先にシオンはいる。


「イグルカさん! エルーもついて来られるように少し速度を落としていく。自分はシオンの残留香を感知することに集中するので、周囲の警戒を頼む!」


「任せときな! アンタは追うことだけを考えろ。万が一襲いかかってくる奴がいたら、アタシが迎撃する!」


 鬼の牧場長が頼もしく答えた。

 トバリが手綱を打つと、ブルートドラゴンが走り出す。イグルカもそれに続き、エルーが並走を始めた。


 夜の風が頬を撫でる。ブルートドラゴンとエルーが地面を蹴る音が小気味良く聞こえてくる。


 さぁ、進め。


 明日をこの手に取り戻せ——!

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