解放の風、来たる(5)


 トバリは素手のまま駆け出し、立ち上がれないでいるシャガとの距離を詰めていく。


「シャガさんをお守りしろ! 全員でかかれ!」


 〈解放団〉が鬨の声を上げ、武器を振り上げた。

 トバリの前に割って入ったのは手に棍棒を持った犬人族コボルトの少年だった。まだ戦いに慣れていないのか、武器を握る手が震えている。

 真っ正面から素直に振るわれた棍棒を、トバリは寸前まで引きつけて身を捻ってかわす。勢い余って床にめり込んだ棍棒を、トバリは足で蹴り上げて奪った。


「あっ……!」


 武器を奪われ絶望の表情に代わった犬人族コボルトの少年を、トバリは膝で鳩尾をしたたかに打って気絶させる。


 続いて精霊族エルフの男が細身の剣でトバリを狙った。風を切るかのごとき速度振るわれた刃を、トバリは棍棒の中心で受け止める。

 跳ね返そうとしたが、相手の思わぬ力に膠着状態になった。細身の精霊族エルフのどこにこのような剛力が隠されているのかと不思議に思ったが、血走った目を見て合点がいった。


(こいつ、〈身体強化ヴァルハイド〉使いか!)


 身体能力を底上げする〈身体強化ヴァルハイド〉の術を身に付けている戦士は多い。しかもこの男はかなりの練度に磨き上げている。恐らく術の上昇率は自分の上を行く。

 まずい。膠着状態はまずい。

 乱戦の中で動きを止めてしまうと、別の敵に狙われる。急いでこの体勢を解かなければならない。


(押して駄目なら……!)


 トバリが棍棒を支える力を抜いて腕を引くと、全力で押し込んでいた精霊族エルフの男が平衡感覚を崩して前のめりになった。

 その一瞬を狙い、肘で素早く顎に一撃を加える。

 顎はどれだけ体を強化しても鍛えることができない全人類共通の弱点だ。顎への打撃はそのまま衝撃を脳に伝える。精霊族エルフの男は目を回してその場に倒れこんだ。


 だが、この男に時間を割き過ぎた。視界の端で、テーブルの上に立つ鬼人族オーガが剣を構えて上から自分を狙っているのが見える。

 防御が間に合うか? 避けられるか?

 頭の中で瞬時に思考を巡らせ、下した判断は——そのまま何もしない。


『きゅくしょん!』


 大きなくしゃみのような音と共にエルーの口から放たれた衝撃波が、飛びかかってきた鬼人族オーガを空中で吹き飛ばした。


「よくやったぞ、エルー! さすがだ!」


 賛辞の言葉を送ると、仔竜は自慢気に鼻を鳴らした。

 トバリは棍棒を構えて再び〈解放団〉達に向きなおる。

 どうやら長いテーブルや椅子など障害物が多い室内で、人数の利を活かせていないようだった。攻めあぐねて様子見をしている者が多い。


「野郎ども! 人間ヒューマを後回しにして他の奴らをひっ捕らえろ! 人質にするんだ!」


 片腕を抑えながら立ち上がったシャガが指令を飛ばす。〈解放団〉は散開し、食堂内に広がっていく。


(まずい……これは控えめに言って非常にまずい!)


 トバリは歯ぎしりした。

 あの人狼族ウェアウルフの男は戦いの嗅覚に優れているようだ。

 自分1人が狙われるだけならばこの障害物だらけの戦場フィールドは有利に働くが、多人数で他の職員を標的にされては防ぎきれない。エルーに一面を任せたとしても、必ずどこかで抜かれてしまう。


 トバリが棍棒を振るいエルーが衝撃波を放つが、目的を「撃破」から「突破」に切り替えた〈解放団〉達の流れを完全に止めることができない。

 テーブルを乗り越え2人の〈解放団〉がラキ達に迫ったその時——突如として飛来した木製の椅子が男達を打ちのめした。

 椅子が飛んできた方向に目をやると、立ち上がったイグルカが投擲後の姿勢で不敵な笑みを浮かべていた。


「ふぅ。ようやく動けるようになったかな。トバリ、後ろはアタシに任せろ! 牧場の仲間を守るのはアタシの仕事だ。アンタは思う存分暴れな!」


 イグルカは〈解放団〉の男を片手で持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。木の床が壊れ、男はそこにめり込んで動かなくなる。

 〈酩酊スートヴェル〉の魔術から自力で立ち直っただけではなく、素手でも十分すぎるほどに強い力を見せつける。


(あれが、〈鬼神兵〉と呼ばれたイグルカさんの力か……! 彼女が味方だというのは本当に心強いな)


 イグルカになら安心して背中と仲間達を任せられる。自分は前だけを向いて戦える。トバリは心に湧いてくる勇気と共に、棍棒を力強く握った。

 憂いのなくなったトバリの動きは、戦場を飛び回る怪鳥のようだった。

 あちらで1人を倒したかと思えば、こちらで敵の死角に回り込む。強靭な肉体に恵まれなかったがゆえに磨いた身の軽さを活かした、トバリの本来の立ち回りだった。


 トバリとイグルカ、そしてエルーの奮戦で、十数人いたはずの〈解放団〉はシャガを残すのみとなった。

 シャガは痛めた片腕を庇いながら、もう片方の手で湾刀を構える。


「くそ! くそ! くそ人間ヒューマめ! テメェなんざ片腕で十分だ!」


 人狼族ウェアウルフの司令官は、恐怖に駆られたように湾刀をやたらめったらに振り回す。刃に当たった陶製のグラスが割れ、中の葡萄酒があたりに飛び散った。

 トバリは手に持った棍棒で冷静に湾刀を弾き飛ばすと、丸みを帯びた先端の部分でシャガの腹部を突いた。

 牙の間から胃液が漏れ、シャガは仰向けに倒れる。苦しそうに呻くシャガに、トバリは拾った湾刀の切っ先を突きつけた。


「さぁ、決着だ。おとなしくしていればこれ以上傷つけはしない。全員、隔離竜舎の檻の中に入ってもらうことになるがな」


 初めは彼らが自分達を隔離竜舎の中へ閉じ込めようとしていた。立場がまるっきり逆になったようだ。


「くそ! 殺せ、殺せよ人間ヒューマ! お前らの嫌いな亜人をよ! 情けをかけられるぐらいなら、オレぁ、オレぁ、自分から命を断つぜ!」


 シャガが片手で刃を掴み、自分の喉に突き刺そうとする。だが、湾刀は動かない。動かせない。トバリは決して力を緩めようとしなかった。


「……別に情けをかけているわけじゃない。自分達は襲われた側だ。危害を加えようとした者を思いやれるほど聖人ではない」


「ならなんで殺さねぇ!」


 噛み付くシャガに、トバリは言葉を考えて選びながら答える。


「自分は、あんた達を知らない。なぜ〈竜印ドラグニカ〉が必要なのか、なぜ世界を変えようとしているのか、そもそもなぜ人間を憎んでいるのか。自分の凝り固まった頭の中で自己完結したくない。声を、言葉を交わす前に目を背けることはしたくない。うまく言えないが、そんな理由だ」


 自分に優しく接してくれたクリスロアでさえ、この凶行に及ぶほどの内なる理由を秘めていた。彼らの中にも、自分では推し量れないほどの憎しみが巣食っているのかもしれない。


 何も知らない。

 何も知らなかった。

 だから知りたい。

 異なるものとの間にある距離を。交わることがなかったものとの心の隔たりを。

 話せば必ず理解し合える、なんておとぎ話は信じていない。だけど、一歩でも二歩でもいい、近づくことができるかもしれない。その努力をしないまま相手を否定するのは、嫌だ。


「なんだよ、わっけワカンねぇ……テメェ、本当に糞人間ヒューマかよ……!」


 呆けた顔になったシャガが、がくんと力を失い気絶した。

 完全に昏倒していることを念入りに確認してから、トバリは湾刀を手放すのだった。

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