解放の風、来たる(4)
ガルザリクが去った後、〈解放団〉は十数人が食堂に残った。
「よく聞け、オレ様がガルザリク様からこの場の統治を任されたシャガ=ヴラノスだ。この牧場には監獄みたいな建物があるらしいな、今からお前らをそこへ連れていく!」
シャガの言う「監獄みたいな建物」とは、かつてエルーを閉じ込めていた隔離竜舎のことだろう。ドラゴン用に作られた檻は、とても人では破ることができない。
「寛大なるガルザリク様の慈悲に感謝するんだな! お前達はなるべく傷つけてはならないと仰せつかっている。抵抗しなければ、こちらからは手出ししないと約束しよう」
シャガは倒れたまま動けないでいるトバリに近づくと、獲物をいたぶる楽しみを前にしたような目で見下した。
「……ただし、こうも言われている。何か不慮の事故があって
シャガは舌なめずりをすると、背中に背負った鞘から湾刀を引き抜く。あまり手入れされていない曇った刃に、トバリの姿が映った。
おそらくクリスロアは自分も含めて牧場の人には手出しをしないようにとの約束を取り付けたのだろう。しかしガルザリクからすれば憎き人間については約束を守る気がないのだろう。
(くそっ……自分もここまでか……!)
もはや体には戦う力も逃げる力も残されていなかった。
刃が降りかかれば、それに抗うことはできない。生きるも死ぬも、この
だがその時だ。
トバリは背中に温もりが伝わってくるのを感じた。
「トバリ君は殺させないのだ。ラキが、ラキが絶対守るのだ……!」
ラキはトバリの隣に座っていた。その距離をどうにか這いずってきたのだろう。
「なんだぁ、こいつは?
シャガの恫喝に、ラキは首を振る。
「嫌なのだ! トバリ君は、ラキの、ラキの大切な人なのだ! ずっとずっと一緒なのだ!」
ラキの言葉に、トバリは胸が熱くなった。だが、このままでは彼女も巻き込んでしまう。声を出そうとするが、息に血が混じってうまく言えない。
(逃げろ、ラキ……お願いだから、逃げてくれ……! 君は自分にとっても大切なんだ。大切な人を、2人も失いたくはない!)
だがその願いは通じず、ラキはぎゅっとトバリの体を抱きしめ続けた。
シャガが苛立ったように唸り声をあげた。
「チッ、しょうがねぇ。不慮の事故で死ぬのは2人になっちまうが、大した問題じゃねえか。しょうがねえよなぁ、自分から死ににきたんだしよ」
シャガが湾刀を大上段に振り上げる。そのまま振り下ろし、ラキとトバリの体を両断するつもりだろう。
トバリはかろうじて動く左手で、ラキの手を握った。ラキが、ぎゅっと力強く握り返してくる。
「……ずっと一緒なのだ、大切な相棒」
ラキがトバリの耳元で小さく呟いた。
思い出すのは、嵐の日に1匹のブルートドラゴンに相乗りしてシオンとエルーを探しに行った時だ。あの時も互いに「相棒」と呼び合った。
生まれてしまった絆が、自分の死の瞬間にラキを巻き込んでしまった。申し訳なく思うが、しかし同時に少しだけ嬉しくもある。
死は恐いが、2人一緒ならいくらか安心してその瞬間を迎えることができる。
(違う)
自分がこの牧場で得たものの大きさを改めて実感する。自分を庇ってくれるような信頼関係を亜人の少女と結ぶことができたのだから。
(違う)
これは今まで自分が亜人と向き合ってこなかった罰だ。さぁ、おとなしく死を受け入れ——
「違う! 違うだろ! それで……いいわけねぇだろ!」
トバリはあらん限りの声と力を振り絞り、立ち上がる。その背に相棒の少女を庇いながら。
死にかけていたはずのトバリから発せられる異様な眼光に威圧され、剣を振り上げていたシャガの手が止まる。
「な、なんだぁ、てめぇ……まだ立ち上がる力が残って……!」
「はっ! 残念ながら自分も男の子なんでね。1日に2回も3回も……負けるわけにはいかねぇんだよ!」
何が2人一緒なら安心して死ねるだ。何が亜人と向き合ってこなかった罰だ。
そんなものは、ラキを見捨てる理由にはならない。
大切ならば守れ。たとえどんな手段を使ったとしても——!
心の中で燃え始めた炎が伝播するように、折れた右手の〈
(来い)
この熱が何を意味するか、トバリは直感で理解した。
「ごたごたうるせぇ、糞
シャガが己に掛けられた威圧を振り払うように声を上げ、振り上げた湾刀を真っ直ぐに振り下ろす。
刃が体に届く前にトバリは最速の動作で左足の蹴りを放ち、
(来い……!)
トバリは歯を食いしばり、心の中で念じる。
あと少し。もう少しだ。あとほんの少しの時間でその時は来る。今の攻撃は自分ができる精一杯の時間稼ぎだ。
「この……オレ様をコケにしやがった……! あぁ、もう許さねぇ! この怒りはぶっ殺したって収まらねええええええええ!」
恥辱で目を血走らせたシャガが立ち上がり、湾刀で周囲のテーブルや椅子をやたらめったらに切り裂いた。
歯ぎしりする口の端から唾液を垂れ流しながら、シャガがトバリを睨みつける。
「終わりだ、糞
シャガが強靭な脚力で飛び上がり、湾刀を振りかぶったその時——
「来い、エルー!
『きゅくしょん!』
トバリの声に呼応するかのように竜の鳴き声が響き、突如生まれた衝撃波が食堂の壁を外から崩してシャガの体を吹き飛ばした。
壁に空いた穴から小さな影が屋内に滑り込んでくる。影はトバリのそばに着地すると、威嚇の唸り声を〈解放団〉に向けた。
『ぐるるるるるるるぁああああああああ!!』
〈古代竜王〉エンシェントドラゴンの末裔エルーが、その美しき青の体で戦場に降り立ったのであった。
(すまない。結局、お前を戦いに巻き込んでしまった)
トバリは初めて会った頃より成長したその姿に頼もしさを感じる一方で、まだ幼い仔竜を戦いの場引きずり出してしまったことに後ろめたさを覚えた。
自分がほぼ動けなくなるまで追い詰められてしまった焦燥感と、どんな手段を使ってもラキを守らなければならないという責任感が熱となり、〈
呼んだのは自分だ。しかしエルーは応えてくれた。
自分を助けに来てくれたのだ。
『きゅう? きゅっきゅっ』
トバリの怪我に気づいたエルーが、折れた右腕を舌でぺろっと舐めた。ザラザラした感触が伝わってくる。
舐められた場所からほのかに温かさを感じる光が生まれ、体を包んでいく。不思議なことに、光が当たった箇所から痛みが引いて元の体の感覚が戻ってくるのを実感する。
「これは、まさか……」
完全に折れたはずの右腕を上げ下げし、拳を握ったり閉じたりしたトバリは驚きと声を漏らした。
「〈
対象の怪我などを治し、望ましい状態に変える術だ。
何よりも微細な感覚を問われる術で、これ一つ使えれば〈癒し手〉として食いっぱぐれることはないほど重宝される。
エルーは見た魔術を模倣する力を持つ。だが、この仔竜は一体いつ〈
記憶を辿っていったトバリは、またあの嵐の日に突き当たった。
そうだ。
なんのことはない。自分が初めてエルーに魔術を教えたものだと思っていたら、シオンに先んじられていたらしい。
「やっぱりすごいなあ、シオンは。本当にすごい」
トバリは自嘲気味に笑いながら呟いた。
彼女への純粋な尊敬の気持ちと、そして彼女を守ることができなかった自分への苛立ちがトバリの中で渦巻き始めた。
そうだ。自分は彼女を守ることができなかった。目の前でみすみす奪われてしまった。
だが、まだ遅くない。
今からでも手を伸ばせば届くはずだ。
(弱気になンな。エルーの前で、ラキの前で、弱さを見せるな!)
トバリは完治した右手を力強く握りしめた。
〈解放団〉に目をやると、一時の混乱は収まりそれぞれが武器を手にして体勢を整えたようだった。
シオンを追うには、まず彼らを突破しなければならない。
自分の後ろにはラキがいる、イグルカがいる、牧場の仲間たちがいる。今度こそ守り切る。
「エルー、よく覚えておいてくれ。自分が同じ言葉を2度言ったら、それは戦いの始まりの合図だ」
左手でエルーの首を撫でながらトバリは言った。
再び〈
体は動く。
心は静かに燃えている。
あとはただ、戦うのみ——
「ずいぶん好き勝手にやってくれたじゃないか。だが、これ以上は誰も仲間は傷つけさせない。あぁ、そうさ! 誰も仲間は傷つけさせやしない! 2度言ったぞ。あとはわかるな? さぁ、反撃の
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