解放の風、来たる(3)


 外から騒がしく足音が響き、食堂に数十人もの人がなだれ込んできた。

 おそらく付近で待機していたのだろう。そしてクリスロアが術を発動させたのを合図に、一気に押し寄せてきたのだ。

 トバリはすぐに侵入者達にある二つの共通点があることに気がついた。一つは、左腕に赤い布を巻きつけていること。そしてもう一つは——全員が亜人だということだ。


「なに、モンだ……アンタら……!」


 イグルカが片膝をついて立ち上がろうとしながら、侵入者達に鋭い声で質問を飛ばす。

 人波が分かたれ、その間をゆっくり歩く人影があった。人影はトバリ達の前に立つと、見下すような目で全員を見た。


「ごきげんよう、これから同志となる者達よ。我々は〈解放団〉だ」


 その人影は、鬼人族オーガだった。

 片目を失ったのか眼帯をつけている。そして種族の特徴たる額の2本の角が、イグルカ達ほかの鬼人族オーガよりも大きく、禍々しい印象を放っていた。


「私は〈解放団〉を率いる誇り高き鬼人族オーガのガルザリク。劣等種の人間ヒューマどもから優良種を解放するために戦っている」


 隻眼の鬼人族オーガ——ガルザリクは威圧的な態度で声を張った。


 〈解放団〉


 話にだけは聞いたことがある。亜人種の解放を謳って盗賊まがいの事件を引き起こしている集団だと。そして、以前はより南方を活動拠点にしていたが、最近になってこの辺りまで移動してきたとも。


「……で、その〈解放団〉の団長とやらの隣にどうしてあんたが当然のように立っているんだ、クリスロアさん!」


 トバリは、ガルザリクの横でこちらを見下ろす精霊族エルフの青年に問いかける。クリスロアは、彼がこれまで発してこなかった冷たい声で答えた。


「僕が彼らの協力者だからさ」


 クリスロアは数歩前に出て、トバリに近づく。


「本部にいた頃は兵士団の動きや作戦の情報を流していた。ロンロン牧場に来てからは、力を探していた。この世界をひっくり返しうる力を。そして見つけたんだ……〈竜印ドラグニカ〉をね」


 トバリは、牧場長の部屋で不意に聞こえた声を思い出した。『力、力、それが力か』という声を。


「まさか、聞いていたのか! 〈竜印ドラグニカ〉の力について報告していた自分達の会話を! 扉の前で!」


「少し違うな。僕は君に〈読心ザフィル〉の魔術の根を植えていたんだ。〈竜印ドラグニカ〉の力を探るためにね。と言っても、僕の魔術は大した効果がないからね。盗み聞きに少しは役立ったくらいかな。あるいは、僕の言葉がそちらに逆流してしまったかもしれない」


 トバリは執務室の中で聞こえた冷たい声を思い出した。あれはクリスロアが〈竜印ドラグニカ〉の力を知った時に漏らした声だったのか。


「そう、魔術と言えば、今君たちを昏倒させた〈酩酊スートヴェル〉にしても、スープに魔術誘発剤を仕込んでいなかったら、これほど大人数に掛けることはできませんでした。つまりは、僕の魔術なんてその程度のものなのさ」


 そうか。全員を一斉に術中に陥れるためにはこの祝宴が最高の機会だったのか。

 しかし、あれほど料理に強いこだわりを持っていたクリスロアがスープにまがい物を混ぜるなんて行為をしたことが信じられない。


「なぜ……なぜなんだ……!」


 唐突に告げられた裏切りに、トバリは困惑と憤りが混じった感情を込めて拳を床に叩きつけた。


「なぜ? ふふっ、きっと君には一生理解できることはありませんよ。の中に生きていた君にはね」


 クリスロアは今、平穏と言った。

 戦いの中で生きてきた自分の過去を知らないわけではあるまい。それを指して平穏と言うならば、この精霊族エルフの青年は一体どのような過去を歩んできたのだろうか。


「もう人間ヒューマとの話はいいだろう、クリスロアよ」


 ガルザリクが苛立った声で言い、クリスロアを手で後ろに追いやった。ゆっくり全員を見渡したかと思うと、イグルカを見てニヤリと笑う。


「これはこれは……かつては最前線で敵をなぎ倒すその姿から〈鬼神兵〉と呼ばれたイグルカか。鬼人族オーガの希望だったお前がなんてザマだ。お前を恐れ、こんな場所に閉じ込めた人間ヒューマが憎いだろう。どうだ、その力を今度は解放の戦いのために振るわんか?」


 ガルザリクの誘いに、イグルカは小馬鹿にしたように笑って答えた。


「は! 何を勘違いしているんだか知らないけれど、アタシは自分から望んでこの牧場に来たんだ。そんな誘いはごめんだね!」


 イグルカの言葉に、ガルザリクは眉をしかめた。イグルカは構わず続ける。


「昔は強さを見せれば亜人達が認められると信じて戦っていた。今のアンタたちみたいにね。だけど、戦えば戦うほど、アタシは周囲から孤立していった」


 それはトバリが初めて聞くイグルカの過去だった。

 〈鬼神兵〉と言う呼び名は兵士団時代に少しだけ耳にしたことがあった。かつて恐ろしく強い鬼人族オーガの兵士がいたと。その正体がまさか牧場長のイグルカだったとは。


「気づいたんだよ。お互いを理解するために必要なのは、強さを思い知らせることじゃない。一緒に飯を食って、一緒に働いて汗を流すことだってね。アタシは牧場をそのための場所にしたかった。うまくいかないことの方が多かったけれど、それでも少しずつ、少しずついい方向に向かってきているんだ。それが今のアタシの戦いだ!」


 トバリは昨日、「この場所は自分の知らない知識と感動に溢れている」と伝えた時にイグルカが浮かべた表情を思い出した。

 嬉しかったのだ。トバリが牧場で確かな学びを得たことが。


「つまらん。闘争心という魂の角が折れた鬼人族オーガなど、興味はない」


 ガルザリクは吐き捨てるように言った。


「クリスロアよ、どうやらお前の報告の中で私の興味を引くのはこいつだけのようだな」


 ガルザリクは無造作に床に手を伸ばし、何かを掴んで持ち上げた。

 テーブルの陰からガルザリクが掴んだものの姿が現れた時、トバリは無意識に叫んでいた。


「シオン!」


 鬼人族オーガの男は片手でシオンの首を掴み、軽々と目線の高さに掲げる。シオンは苦しそうに息を漏らすが、ガルザリクはまるで兎でもしめているかのように気にしない。


「こいつが報告にあった〈竜印ドラグニカ〉を刻むことができる人間ヒューマの雌だな。クリスロア?」


「……はい。しかし、ガルザリク様。首を掴む手を緩めてください。〈酩酊スートヴェル〉の術で呼吸は弱まっているので、死んでしまう恐れがあります」


「ああ、そうだったな。この牧場の者はなるべく傷つけないという約束だったな。ふん、人間ヒューマの命などどうでもいいが、こいつには利用する価値があるからな」


 ガルザリクはそばに控えていた別の鬼人族オーガに、乱暴にシオンを放り投げた。


「ト、バリ……」


 鬼人族オーガはまるで荷物のようにシオンを担ぐ。少女はすがるようにトバリの名を呟いた。しかし、すぐに気を失ったのか彼女の水色の瞳が閉じられる。

 瞬間、トバリの中で怒りの感情が爆発した。


「シオンを、離せ!!」


 酩酊の魔術でフラフラしている体を気合いで無理やり叩き起こし、トバリは立ち上がる。卓上のナイフを掴むと、逆手に持ってガルザリクに斬りかかった。

 ガルザリクは鼻で笑うと、振るわれたナイフを刃の上から素手で掴んで受け止めた。そしてもう一方の手で、トバリの体を容赦なく殴りつける。

 床に叩きつけられたトバリは、強烈な胸部の痛みとともに肋骨にヒビが入ったことを感じた。

 呼吸するたびに刺すような痛みが走る。だが、止まるつもりはなかった。目はまっすぐに隻眼の鬼人族オーガを睨みつける。


身体強化ヴァルハイドぉぉぉぉぉぉ……!」


 自らの身体能力を底上げする魔術を唱える。

 今回の魔術はいつもと感覚が違った。一旦体の中の別のものとぐちゃぐちゃに混じり合ってから、強化が始まっていく。

 トバリの行動に意外そうな声を上げたのは、クリスロアだった。


「バカな! 魔術がすでにかかっている体にさらに重ねがけをしたのか!? そんな芸当ができる人がいるとは」


 クリスロアが何について話しているのか今は考える余裕はない。

 今はただ、彼女を助けることに専念しろ——!


「待ってろ、シオン……今助ける……!」


 新しいナイフを手に取ると、先ほどよりも数段身軽な動きでガルザリクに迫る。

 横薙ぎに振るった刃は、ガルザリクの腕に付いた手甲に防がれる。返しに振るわれた拳は、身を屈めて回避した。

 一つ一つの動きをするごとに、ヒビが入った肋骨に激痛が走る。〈酩酊スートヴェル〉も完全に解けた訳ではないので、油断していると体が痺れてくる。

 周囲に職員達がいるこの状況では〈衝波ラグア〉は使えない。ましてやの〈衝波ラグア〉はどれだけの被害を引き起こしてしまうか想像もつかない。

 体の調子は最悪だ。

 だが、肉弾戦で制するしかない。


「このっ……!」


 しかし身を屈めた状態から足の屈伸を利用して突きにいった動きは、あっさりと鬼人族オーガの手に止められた。


「貧弱な人間ヒューマめ。なぜ勝てもしない戦いを挑むのだ。頭には脳ではなく糞が詰まっているのは本当らしいな」


 ガルザリクに掴まれた右腕がミシミシと嫌な音を立てる。万力で締め付けられるような鈍い痛みに、トバリは絶叫した。


「あぁああああああああああ!」


 あまりの激痛に〈身体強化ヴァルハイド〉を保つことができず魔術が解除される。同時に抑え込んでいた〈酩酊スートヴェル〉の痺れが一気に全身に広がる。

 体がおかしい。痛みと痺れと吐き気と倦怠感が自分の体を我が物顔で支配している。もう争いたくない。全てを手放して楽になりたい。

 ただただ、苦しみだけがトバリを襲い続けた。


「ほぅ、これが〈竜印ドラグニカ〉か。なるほどなるほど。人間ヒューマにはもったいない、不思議な力を感じるな」


 スクラヴェルがトバリの右腕を捻り、手の甲に刻まれた〈竜印ドラグニカ〉の文様を眺めた。


「どれ、潰してやろう」


 一瞬、ガルザリクの手に強い力が込められたかと思うと、緊迫した場には似合わない軽い音が響いた。

 ガルザリクが手を離すと、トバリの体はぼろ布のように床に転がる。


(みぎ、てが……)


 トバリは視界の先に映る自分の右手が、どれだけ力を入れても動かないことに気がついた。


 折れた。


 折られてしまった。


 剣を振るう利き腕であり、〈竜印ドラグニカ〉を刻んだ大切な右手が。


「クリスロアとの契約だ。命は取らずにおいてやろう」


 ガルザリクが唾を吐き捨てながら言った。


「同志達よ、撤収だ。一部の者は残りこの場を収めろ。イグルカには十分注意をすることだ。腑抜けたと言ってもかつては我が種族を代表する戦士だったからな」


 後ろに控えていた〈解放団〉の面々を見渡した後、ガルザリクは狼の耳や牙を持つ亜人、人狼族ウェアウルフの男の肩を叩いた。

 どうやらこの場の指揮を彼に任せて自分はどこかへ引き上げようというらしい。


「そして私はこれより、世界を変える力を手に入れる! 憎き劣等種の支配を終わらせ、我ら優良種の時代を作る太陽の炎のごとき力をな!!」


 身を翻した隻眼の鬼人族オーガは、高笑いと共に夜の闇へと消えていった。

 ガルザリクの後に続き、クリスロアが、そしてシオンを担いだ亜人が離れていく。


(シオン、シオン……! 自分は君を守ることができなかった。自分にとって掛け替えのない、大切な人なのに……!)


 無力な自分が悔しくて涙が溢れて止まらない。

 だが、どれだけ思いを込めようと体は言うことを聞いてくれない。もはや声を出すことすらままならない。


 負けたのだ、自分は。どうしようもないほどに。

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