覚醒ドラグニカ(4)


「……そうしたわけで、エルーは魔術を模倣する力を持っており、しかもその力は〈竜印ドラグニカ〉を刻んだ契約者にも影響を与えることがわかりました」


 牧場長の執務室には、イグルカとトバリ、シオンの3人だけがいた。

 事の顛末はシオンが説明した。事態が飲み込めていない自分よりも、よほどよく言葉で言い表せている。


「契約者にも影響を与えると言ったね。それはエルーが特別なのかい? それともシオンが施した〈竜印ドラグニカ〉が特別なのかい?」


 一通り話を聞いたイグルカが、静かな声でシオンに問うた。シオンは小さく首を横に振る。


「正直、今の段階ではわかりません。エルーが特別であるのは間違いない。だけど、私が母様から伝えられていないだけで、〈竜印ドラグニカ〉にはドラゴンの意思のみならず力までも伝播させる機能があるのかもしれない」


 そこまで言ってから、シオンは何かを思い当たったように呟いた。


「いや、その機能は……?」


 彼女が言わんとしているのは、〈竜印ドラグニカ〉の能力の一部が何らかの理由で秘密にされて受け継がれていたということだろうか。

 しかしそれは一体なぜ? なんのために?

 考えられうる可能性としては、〈竜印ドラグニカ〉が戦いに悪用されてしまうことを防ぎたかったのではないだろうか。

 自分とエルーは知らずのうちに、禁断の扉を開けてしまったのか——?


「そうか。では結論から考えよう。このことを中央に報告した場合、恐らくトバリとエルーは王都か、もしくはリーヨン牧場に移され戦闘訓練を受けることになるだろうね」


「……その場合、〈竜印ドラグニカ〉はどういった扱いを受けるのでしょうか」


 シオンが緊張をにじませた声で尋ねた。


「エンシェントドラゴンであるエルーの特別性を強調していけば、〈竜印ドラグニカ〉には注目されないだろう。つまり、あくまでも魔術を使えるドラゴンとその主人という形で報告するんだ。トバリの魔術に関しては、もともとそれだけの力を秘めていたということにすれば問題ない」


 なるほど。そもそも右手の〈衝波ラグア〉を使わなければ、〈竜印ドラグニカ〉を通して力が伝播することは表沙汰にはならないのだ。戦いの中でどうしても使わなければならない場面があったとしても、自分の実力だと言い張ればいい。


「別の道は、全てを完全に秘匿することだ。これは少し道のりが長いかもしれない。まずエルーに人前では滅多に魔術を使ってはならないと教えなくてはならない。そして、〈竜印ドラグニカ〉を解除する方法も同時に探していくことになる」


 トバリとシオンは同時に息を呑んだ。

 〈竜印ドラグニカ〉を解除する。それは単純な方法ながら、これまで全く考えつくことはなかった。


 トバリは自分の右手に刻印された模様を見る。円形の縁に竜の爪跡が刻まれたような、不思議な印。この印はずっとこの体に残り続け、自分はどう付き合えばいいかを考えるだけだと思っていた。

 そもそもなかったことにする——それは効果的ながら、まるで体の一部を切り取るような厳しい選択に感じられた。


「シオン、〈竜印ドラグニカ〉の解除は可能なのかな」


 イグルカがシオンを見た。


「母様に手紙で方法を聞いてみる必要はあるけれど、不可能なことではないと思う」


 シオンの答えにイグルカは頷くと、今度はトバリに視線を向けた。トバリは体を震わせる。


「どの道に進むにせよ、選択するのはトバリ、君だ。そしてそれは君の将来にも大きく関わっていくことになる。自分がどうありたいか、どうしたいかをよく考えるんだ。アタシかシオンなら相談に乗ることができる。だけど、決断はなるべく早めにね」


 イグルカに告げられ、トバリは呆然としたまま形だけ頷いた。

 森の中での鍛錬中に、エルーに話しかけたことを思い出す。再び燃えるような戦いの日々へ身を投じるか、それともこの牧場で心穏やかに生きるか。どちらにも心が揺れ動き、この葛藤に答えを出せないでいると、伝わっているはずもないのに弱音を吐いた。

 その答えを出すのはまだ先だと思っていた。

 これほど早く決断を迫られるだなんて、想像もしていなかった。


(人生では、必ず運命の分かれ道に突き当たる。大抵はどちらの道に行きたいか心の中では決まっていて、背中を押されるのを待っているものだが、今回は違う。どちらに行っても何かを失う。それも、掛け替えのないものを)


 トバリは〈竜印ドラグニカ〉が刻印された右手の甲を、左手で大切そうに包む。

 この竜の仔との間を繋ぐ楔は、自分にとって一体どれだけの価値があるのだろうか。ドラゴンの力をもたらしてくれる印。いや、それだけではない何かが確かにある。

 それは——



『あぁ、力、力。やっと見つけた。それが力か!』



 唐突に、地の底から響いたかのような冷たい声が聞こえた。

 全身に悪寒が走る。まるで誰かに心の中を覗かれたかのようだった。

 この部屋にいるイグルカとシオンに視線を走らせるが、2人が言った様子はない。


(自分の空耳か……? それにしてはやけにはっきり聞こえたような)


 困惑した顔で考え込んでいると、シオンが心配そうに覗き込んできた。


「大丈夫? 顔色が悪い」


 トバリは無理やり笑顔を浮かべ、


「だ、大丈夫だ! なんでもない」


「そう。何かあればすぐに言って。私でよければいつでも相談に乗る」


 真剣な表情でそう言ってくれるシオンが頼もしい。だが、今の声については言う必要はないだろう。誰も聞いていないということは、自分の思い過ごしである可能性が高い。


「3日だ」


 イグルカが3本指を立てて告げた。トバリは先ほどの声の件を頭から追い出し、イグルカの話に意識を向けた。


「3日の間に、君がどうしたいか答えを出して聞かせてほしい。もちろん、その間も他の可能性がないか探ってみるし、君がどんな答えを出そうがアタシ達は全面的に援助する。それでいいかい?」


 牧場長の問いかけに、トバリは唾を飲み込み頷いた。


「わかった。だが、先に一つだけ言いたいことがある」


 トバリは一歩踏み出し、真っ直ぐにイグルカの目を見て告げた。


「初めてロンロン牧場に来た日、自分はイグルカさんにこの場所で学べることはなく、この場所に落ち着くつもりはないと言った。あの言葉を撤回したい。ここでは毎日が発見の連続だ。自分が知らなかった知識と感動に溢れている。初めは周りが亜人ばかりで戸惑ったが、今では居心地の良さも感じている」


 そこで一息ついた後、


「正直、自分はどうしたいかまだ心が決まっていない。去るか、残るか、どちらにも揺れている。だが、どうしてもそれだけは伝えたかった。以上だ」


 仮にこの牧場を去るという選択肢を選んだとしても、仕事がきついからとか亜人ばかりの環境に嫌気が差したからとかとは思われたくない。トバリが胸の内を明かした理由はそれだ。

 イグルカの目が大きく開かれた。そしてその顔に穏やかな笑みが浮かぶ。


「そうかい、それを聞くことができてよかったよ。本当に……それだけで……」


 彼女の表情は、これまでに見たことがない優しげなものだった。

 なぜ、イグルカがその表情を浮かべたのか。理由は推し量れないままだったが、トバリは一礼して踵を返した。

 ふと隣を見ると、シオンがこちらを見たまま両手を軽く広げている。


「……何をしているんだ、シオン」


「なぜだろう。無性にあなたを抱きしめたい衝動に襲われている」


「なんだそれはっ! 自分は子供ではないぞ! と、とにかくエルーのところへ戻ろう。くしゃみと一緒に魔術を連発していないか心配だ」


 トバリが執務室の扉を開けると、ちょうど部屋に入ろうとしていたらしいクリスロアにばったりと会った。


「あぁ、トバリさんにシオンさん! やはりここにいたんですね。探していたんですよ!」


 精霊族エルフの青年が安心したような表情で言った。


「クリスロアさん。探していたって……牧場で何かあったのか?」


 もしやエルーが問題を起こしたのではないか、と不安が心を過ぎる。


「ええ、エルーさんの……」


「エルーの……!」


 暴走が始まりました、と続けられたらどうしようとトバリは身構えた。


「エルーさんのお家が完成しましたよ。シオンさんが補強してくれた竜舎の内部の掃除が終わって、寝藁も運びました。今すぐにでもエルーさんを隔離竜舎から移せますよ」


 クリスロアがもたらした吉報に、トバリはその場で飛び上がりたくなるような喜びが胸にこみ上げてくるのを感じるのだった。

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