覚醒ドラグニカ(3)


  *  *  *


「シオン! シオン! シオーン!!」


 トバリは〈竜の巫女〉の少女の名を連呼しながら、宿舎の奥まった場所に位置する彼女の部屋の扉を叩く。

 すでにシオンは昼休憩に入って部屋で休んでいると、竜舎の改築作業をしていたクリスロアから聞いたのだ。


「どうしたの、トバリ。私はどこにも逃げていないよ」


 扉が開き、中から若干迷惑そうな表情のシオンが顔を出した。


「あの、あの! ドラ、ドラグ……ラグア……ドラ、グア……!」


「ごめん、私、大陸共用語しかわからないの。とりあえず中に入って、落ち着いて」


 促されるままシオンの部屋に入ると、部屋に一つだけある椅子に座った。シオンはベッドの縁に腰掛ける。

 物が少ない簡素な部屋には、爽やかな柑橘系に近い香りが漂っていた。その匂いを嗅いでいると、心が落ち着いてくる。


「なんだかいい香りがするな」


 女性の部屋は皆いい匂いがするのだろうかとトバリは思ったが、よく遊びに行く隣のラキの部屋は特に香りを感じたことはない。


「うん。香木を焚いてみたの」


 シオンは机の上を指差す。

 小さな陶磁の皿の上で、盛られた木屑から細い煙が漂っていた。どうやらいい匂いはこの火のついた木屑から漂っているらしい。


「前に、〈コーンフェル〉の材木屋に買い物に行ったでしょう。その時にティビ君がこの香木を贈ってくれたの」


 ティビは最寄りの交易の街〈コーンフェル〉で材木屋を営む犬人族コボルト一家の子供だ。シオンに懐いているのは知っていたが、どうやら贈り物で興味を引くという高度な技術を持っていたらしい。


(なるほど、女性はいい香りがする物を贈られると喜ぶのか)


 とても勉強になるが、それはともかく。


「実は、どうしてもシオンに相談したいこと……ううん、伝えなければならないことがあって」


「うん」


「その……すまないが、人目につかない場所に一緒に来てくれないか」


「うん……えっ?」


 トバリの誘いに、シオンは目を丸くした。





 午後に入り、曇っていた空から太陽が顔を覗かせた。

 トバリはシオンを連れ、隔離竜舎の向こうに広がる森の中を進んでいく。


「ねぇ、トバリ。昼休憩の時間が終わってしまうわ。非番のあなたはいいかもしれないけれど、私は午後からワイバーンの群体飛行をしなければならないの」


 ずんずん森を歩いていくトバリを小走りで追いかけながら、シオンが言った。


「実際に見てもらえばそんなに時間はかからない。すまないが、もう少しだけ付き合ってくれ」


「……わかった」


 トバリの真剣な声から何かを察したのか、シオンは頷いた。

 やがて森の道を抜け、少し開けた広場のような場所に出た。以前ラキに教えてもらい、自分が先ほどまで鍛錬で使っていた場所だ。


「エルー」


 仔竜の名前を呼ぶと、木々の間からエルーが戻ってきた。頭に乗った葉っぱを払ってやる。


「まずは自分のこの魔術を見てほしい」


 トバリはそう言うと、五指を折り曲げた左手を誰もいない方向へ突き出した。


「〈衝波ラグア〉」


 その手から衝撃波が生まれ、空気を揺らす。


鷲獅子グリフォンを叩き落とした魔術ね。それがどうしたの」


 シオンはまだ話が見えてきていないようだった。


「それで、続いてはこっち。エルー、やってくれ」


 トバリはエルーの方に向き、声をかけた。仔竜はしばしトバリの目を見つめた後、何をすべきか察したようだった。大きく息を吸った後、


『きゅくしょん!』


 くしゃみのように口を開き、そこからトバリが出して見せたような衝撃波が放たれた。

 シオンは驚愕し、しかしすぐに顎に手を置き思考を始めた。


「……トバリの魔術を模倣した? そうか……魔術の発動は古代世界の言葉が鍵となっている。ならば、古代の竜であるエンシェントドラゴンが魔術的力に対して親和性があってもおかしくはない、か」


 言い方は難しいが、大方自分が立てた仮説に近いことをシオンも呟いている。どうやら〈竜の巫女〉たる彼女にとっても新しい発見だったらしい。

 それもそのはず、エルーは希少なドラゴンなのだ。生きている間に触れ合う機会がある人間は少ないだろう。


「考えているところ悪いけど、実はもう一つ見せたいものがあるんだ」


 トバリが切り出すと、シオンは顔を上げた。興味を示しているのか、目が真剣だ。

 これから見せるのは自分でもどう扱えば良いのかわからない力だ。そもそも同じことがもう一度できる保証もない。

 いつも〈衝波ラグア〉を放つ方の左手ではなく、今度は右手で構える。五指を折り曲げると、手の甲の〈竜印ドラグニカ〉が青白い光を放ち出す。

 右腕が振動を始める。この感覚だ。この震える力を一気に解放する感覚。

 しっかり腰を落として大地を掴み、右腕に左手を添えて叫ぶ。


「〈衝波ラグア〉!」


 瞬間、ズン、と全身に重たい負荷がかかり足が地面にめり込んだ。

 竜の咆哮のごとき轟音が森中に響き渡り、周囲の木々が揺れる。木の葉が巻き上がり、螺旋の渦を描いて吹き飛んでいく。

 それは明らかに左手で放った〈衝波ラグア〉とは威力が段違いであった。


 台風が過ぎ去った後のごとき光景を、シオンは無表情でじっと見つめている。さすがだ。動揺せずに観察を続けるその姿は尊敬に値する。

 ……と思っていたのも束の間、少女は表情を変えないまま背中からばったり地面に倒れた。


「って、ええっ!? どうしたシオン!」


 慌てて駆け寄ると、シオンは倒れたままの姿勢で瞬きもせず人形のように固まっている。

 トバリが肩を揺らしたり、顔の前で手を振ったりしていると、少女はむくりと上半身だけを起こした。


「ごめん。一度にいろいろなことがあって混乱してしまった」


「あぁ、ならよかった。それにしても、今のは〈竜の巫女〉のシオンからしても驚くことなのか?」


 トバリの質問に、シオンは頷く。


「もし、今の魔術が〈竜印ドラグニカ〉がもたらした力によるものだとしたら、少なくとも私は見たことがない。〈癒し手〉だった母様が見せてくれた〈竜印ドラグニカ〉の契約は、ある程度の意思疎通を可能にしたり、心を落ち着かせたりというものだったから」


 エルーと〈竜印ドラグニカ〉の契約を交わした時に、シオンは仔竜を安心させることが目的だと話していた。てっきり自分もこの印は緩やかな繋がりを作る程度の力だと考えていた。

 だが、今目の前で起きた現象は、〈竜印ドラグニカ〉を通してエルーの力が流れ込んできたとしか言いようがない。太古の世界を支配したとされる〈古代竜王〉エンシェントドラゴンの力、その片鱗を。


「まずは、なんと言うべきかしら……おめでとう、と伝えた方がいいのかもしれない」


 シオンから告げられた意外な言葉に、トバリは訝しむ。


「おめでとう? どうして自分が祝福されるんだ」


「だってそうでしょう。魔術を使うドラゴンと契約し、自身の魔術も強大なものとなった戦士——兵士団からしたらこれほどはいない。このことが都に知られれば、きっとすぐにでも兵士団の本部に呼び戻されるはず」


 トバリはすぐに、少女が言わんとしていることが飲み込めた。

 恐らく、エルーは珍しいだけで戦闘には向かないと判断されて軍用ドラゴンを育てるリーヨン牧場ではなく、面倒な世話を押し付けられるロンロン牧場に送られてきた。

 だが、魔術を模倣し、さらに契約を交わした者の魔力を高めることができるという戦いのための能力が備わっていると知られれば、契約者の自分もろとも戦場での運用を考慮されるだろう。


「あなたは〈魔導竜騎士〉とでも呼ぶべき唯一無二の戦職ジョブとなる。それはあなたが夢描いた姿とは違うかもしれないけれど、もしかしたらさらに上を行く歴史に名前を残せる存在になるかもしれない。それが、おめでとうと伝えた理由」


(魔導、竜騎士……)


 トバリは大きく成長したエルーに跨り、戦場を翔ける姿を想像した。

 平野を進軍する魔物の大群に、自分は空から特大の〈衝波ラグア〉を放ってそれらを蹴散らす。そこを低空飛行したエルーが爪や尻尾で魔物を追撃。自分もその背中から剣を振るってなぎ倒していく。


 そんな華やかな活躍をすれば、どれだけの人が憧れるだろうか。吟遊詩人が英雄譚として歌を作るかもしれない。少なくとも、自分が望む燃え上がるような日々になることは間違いない。


(だが、しかし……それは、つまり……エルーを戦いに巻き込むことにもなる)


 人の都合で親から引き離された仔竜を、またしても人の都合で戦場に連れ出す。

 以前の自分ならば、強くなるためならば一も二もなくそうしただろう。だが、今は、抵抗感が勝る。できることなら、エルーは巻き込みたくない。


(だが、隠し通せることでもない。少なくとも牧場の誰かにはバレてしまう。すぐにでも答えを出さなければならないのか? 報告するか、それとも黙っているのか)


 何も言い出せないでいるトバリを見て、シオンは告げる。


「とりあえず、イグルカさんに報告しましょう」


 トバリはばっと顔を上げた。


「待て! 報告したら、エルーは戦場に……」


「最後まで聞いて。私はイグルカさんを信じている。エルーも、あなたの意思もないがしろにする判断をするような人じゃない。今やってはいけないのは、このことを私とあなただけの秘密にしてしまうこと。何かの拍子で表沙汰になった時に対応ができない」


 そう言って、シオンは森の道を歩き出す。

 少し歩いたところで、頭だけ振り返ってトバリを見た。


「……それでも、判断を下さなければならない瞬間は必ず来る。あなたはよく考えておいて。あなたと、エルーのあり方を」


 少女の背中が木々の向こうに消える。

 トバリはエルーに近づくと、首を撫でた。仔竜は気持ち良さそうに金色の目を細め、トバリの手に体を擦り付ける。


「なぁ、エルー。お前はどうしたいんだ」


 トバリは問いかけるが、仔竜は小さく唸るばかりだ。

 答えはない。そして今の自分に声なき声の向こう側へ踏み出す勇気はない。

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