第4章「覚醒ドラグニカ」

覚醒ドラグニカ(1)

 

 かすかな太陽の光の兆しを感じ、トバリは薄目を開けて起床した。

 窓から見える空は黒一色から薄紫色に変わりつつある。兵士団時代は早朝訓練でもなければ寝ている時間帯だが、牧場ではそろそろ始業のために準備を始める時刻である。

 恨みがましくベッドから這い出すと、ゆったりした寝間着を脱いで昨日乾いたばかりの服に着替える。


 部屋の扉を開けて宿舎の廊下に出ると、同じく仕事に向かう寝起きの同僚達が「あー」と「うー」とか唸りながら、だらだら歩いている。皆、無言だ。すれ違っても挨拶する者などいない。

 毎日のことで慣れているとは言え、眠いものは眠いのである。


「おはよ〜なのだ〜、トバリくぅん」


 隣の部屋から炎蜥蜴族サラマンダーの少女ラキが大あくびをしながら部屋を出てきた。寝癖なのか、頭に後ろ向きに生えている2本の触覚が逆立っている。

 トバリは「あうあうお」と言葉にならない声で挨拶を返すと、連れ立って外の井戸に向かう。

 寒さも随分和らいできたとはいえ、この時間はまだまだ冷え込む。

 誰かが先に汲んでおいてくれたのだろう桶の中には水が溜まっていた。2人は両手で水を掬って顔を洗う。


 冷たい水の刺激が心地良く頭を覚ましてくれる。顔についた水を払おうと手のひらを当てた時だった。

 ふにふに、と慣れない感触を顔に感じた。


(ふにふに?)


 もう一回、手のひらを顔に当ててみる。同じ柔らかい感触だ。恐る恐る手のひらを見てみると——


「あぁああああああああ! 豆がぁああああああああああ! 剣だこがぁあああああああああ! なくなっているゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」


 絶叫が早朝の牧場に響き渡った。

 共鳴するように朝鳴鳥達の鳴き声があちこちから聞こえてくる。


「ど、どうしたのだトバリ君。急に叫びだして。ご近所迷惑なのだぞ」


 ラキが耳を塞ぎながら、迷惑そうに言った。


「自分の、手が……手がぁ……こんな無残な姿に……!」


 トバリが膝から崩れて震えていると、横からラキが手のひらを覗き込んだ。


「? どこも怪我していないのだ。立派な大きな手のひらなのだ」


「う、うぅ……違うんだ、ラキ。武人の手のひらはなぁ、毎日何千回も武器を振るうことによって岩のように硬くなっているんだ。それが自分の手はどうだ、まるで赤子のような柔らかさだ」


 心当たりはある。

 ここのところ牧場の仕事が忙しく、満足に剣を振るう時間が取れていなかったのだ。このままではまずいと薄々気がついてはいたが、多忙にかまけて問題を先延ばしにしていた。


「訓練兵時代はなぁ、教官の抜き打ち検査があって全員が一列に並んで手のひらを上に向けるんだ。教官が手のひらを触って、剣だこができていない奴は鍛錬不足だってビビビビーンと殴られたもんだった。だから掃除の時間に箒の柄で手のひらをこすって豆を偽造する奴もいたなあ!」


「お、落ち着くのだトバリ君! 目が虚ろなのだ! 涙が出ているのだ!」


「涙も出るのだ〜!」


 錯乱したトバリがラキの口調で言った。

 まるで丹精込めて育てていた花を枯らしてしまった気分だ。また以前と同程度まで剣だこを育てるためには、何ヶ月、いや何年かかるのだろうか。


「そうだ! 思い出したのだが、今日はトバリ君は非番のようだ。もう1回寝ることができるのだ!」


「非番……?」


 ラキに言われ、ハッと思い出す。3日前にイグルカからこの日は仕事に出ずにのんびり過ごしていいと告げられていた。

 ロンロン牧場では全員が一度に休む訳にはいかないので、輪番で休日が当てられている。2人以上で同時に休みたい時は前もって相談する必要がある。

 ちなみにトバリが牧場に来てから初の非番であった。


「そうか、今日は何をしてもいいのか」


「そうなのだ。みんな、お休みの日はブルートドラゴンを借りて街に出たり、趣味を楽しんだりしているのだ。トバリ君も好きなことをして羽を伸ばすといいようだ」


「好きなこと、か。それはもう決まっている……鍛錬だ!」


 トバリは自分の中の炎が燃え上がるのを感じ、力を込めて立ち上がった。ラキは呆れたように両手を広げた。



・トバリ=テジャ

種族:人間

趣味:鍛錬、訓練、セミの抜け殻集め





「……98、99、100! よし、次は身を引いてからの横薙ぎだ」


 愛剣の片刃剣ファルシオンを手に一通りの素振りを終えたトバリは、複数の動作を組み合わせた連携の練習に入る。

 正面から来た相手の攻撃を身を引いてかわし、後ろに下がった際に曲げた足の反動で一気に斬りかかる。

 反復運動は大切だ。動きを体に染み込ませることによって、戦いの中でも意識より先に反射的に動き出すことができる。


『きゅきゅう〜』


 鍛錬を続けるトバリを近くの木陰から物珍しそうに見ているエルーが鳴いた。トバリは手を止めて、仔竜を見る。


「どうした、エルー。お腹が減ったのか? さっき食べたばかりだろう」


 そう問いかけるが、どうも空腹で鳴いた訳ではないらしい。4本足で立ち上がると、トバリのそばへ歩み寄ってくる。


「あ、わかったぞ。自分が遊んでいると思って、構ってほしいんだな」


『きゅう』


 肯定するようにエルーが鳴いた。


「駄目だぞ、エルー。これは遊びではないんだ。自分は強くならなくてはならない。それが自分の道だからだ。ここに来て他のことに時間が取られてしまっている分、空いた時間は全て鍛錬に費やさなくてはならないのだ」


 ロンロン牧場に来た当初も同じことを決意していた。業務はさっさと終わらせ、後の時間全てを剣術の研鑽に当てようと考えていた。

 だが、仕事はエルーを含めこの牧場で暮らすドラゴン達の命に関わることなので手抜きはできない。あれもこれもしなければと思っている間に、時間は過ぎていってしまう。


 そして鍛錬から心が離れてしまう最も大きな理由は、この牧場の居心地の良さだ。基本的に毎日の業務は同じだが、日々新しい発見があって飽きないし、何より人間関係が楽でいい。

 出世争いがなければ、変な嫌がらせもない。気のいい仲間達と毎日楽しく過ごせている。


「……正直、ここで生きていくのも悪くない気がしてきている。それができれば、どれだけ気楽だろうかと。だが、同時に違和感も感じるのだ。これは、本当に自分がやりたかったことなのかと」


 エルーに話しても何も伝わっていないことは理解しているが、言葉は口を突いて出てしまう。

 多分、自分はずっと抱え込んでいたこの葛藤を誰かに聞いてほしかったのだと思う。


「自分は、炎のように燃える人生を歩みたかった。燃えて、燃えて、燃えたその先に栄光を手にすることができるのなら、それが本望だと思っていた。自分の存在と言うものを、この世界に残したかったんだ」


 志半ばで道を断たれた父の願いを完遂したいという思いも確かにある。

 だがやはり、充実感があったのだ。

 厳しくても、辛くても、自分が成長して前に進んでいるという実感と、命がけの噛み合いっこをくぐり抜けた時の喜びが、割と好きなのだ。


「この牧場にいては、燃え上がるような時間は過ごせない。それがいつか、自分の後悔に繋がってしまうのではないかと恐れているんだ。自分は……この葛藤に答えを出せないでいる」


『きゅう、きゅう』


 うつむくトバリを心配してか、エルーが顔を擦り付けてきた。この仕草はラキが事あるごとに愛情表現として繰り返すものだから、すっかり学んでしまったらしい。


「お前に言っても仕方のないことか。慰めてくれてありがとうな」


 トバリはエルーの頭を優しく撫でる。鱗の冷たい感触が手に心地よかった。

 答えが出ないままでも、口に出したことで多少心の中が整理された。なんだかスッキリした気持ちになった。

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