ラキ画伯とエルーのおうち(2)
案の定、エンシェントドラゴンの子供エルーは隔離竜舎前の野原の上で虫を追いかけていた。名前を呼ぶと、トバリの方へ駆け寄ってくる。
『きゅー、きゅー』
甘えた声を出して擦り寄せてきた頭を、トバリは優しく撫でる。少し大きくなったようで、四足歩行で立った高さは自分の胸あたりまで届いている。
「エルーよ、今日は高名な画伯がお前の絵を描くそうだ。よかったなあ」
『きゅう!』
言葉は通じていないだろうが、楽しそうな雰囲気は伝わったのかエルーは喜びの声を出す。
エルーを連れて改築中の竜舎に戻ると、ラキが大きく手を振りながら近づいてきた。
「わぁ! エルーちゃんが外を歩いているのだ!」
ラキは今日復帰したばかりだから、まだエルーが屋外に出ている姿を見ていなかったのだろう。喜びが満面の笑みから伝わってくる。
ラキは一定距離まで走ってきた後、エルーの様子を見ながら少しずつ歩み寄ってくる。
無駄に刺激しないようにという彼女なりの配慮なのだろう。
「さ、触ってもよいのだ?」
手で触れられる距離まで近寄ったラキが、トバリを見上げて聞いてきた。
「もちろん。大分度胸がついてきたから、触られてもビビらないぞ」
ラキはそーっと手を伸ばし、エルーの青い鱗に触れた。触っても大丈夫なことがわかると、両手を広げて抱きついた。
「エルーちゃんからお日様の香りがするのだ!」
よほど嬉しいらしく、少女は何度もエルーの体に頬を擦り付けた。頬スリスリは彼女の愛情表現だ。
エルーはと言うと、友好的な小さな生き物に関心を示したらしく首や背中の匂いを熱心に嗅いでいた。
早速、新しい竜舎の壁をキャンバス代わりにした青空写生が始まった。
「こっちの壁に遊んでいるエルーちゃん、あっちの壁に寝ているエルーちゃんを描くのだ!」
小さな画伯は俄然、創作意欲が掻き立てられたようで、大きな筆を手に張り切っていた。
「と言うわけで、助手のトバリ君にはエルーと遊んでもらいたいのだ」
「えぇ……遊ぶって言ってもなぁ……」
これまでエルーに対しては、食べ物を与えるか体を洗うかくらいしかしてやってこなかった。いきなり遊べと言われても、何をすればいいのか見当もつかない。
そう言えば、駐屯地時代に近所の子供が骨を投げて、飼い犬がそれを拾いに行くという遊びをやっていたのを見たことがある。あれを試してみてもいいかもしれない。
その辺で拾った少し太めの棒切れを、エルーの目の前で振る。その後に、放物線を描くように棒切れを投げた。
『きゅう!』
反射的に動き出したエルーが棒切れを走って追う。すぐにそれを咥えて戻ってきた。
今度は近くでより高く投げる。エルーは着地点で待機し、たくましい4本足で地面を蹴って空中で捕まえた。
「おお、すごい! 見事なのだ!」
ラキが遊ぶエルーと壁を交互に見ながら筆を走らせる。エルーの鱗の色に似せた青の絵の具は、少しずつドラゴンの形となっていく。
それを何度か繰り返した後に、ラキから新たな注文が入る。
「トバリ君! 今度はエルーちゃんの表情を見たいから、向こうからこっちに走ってもらうようにしてほしいのだ」
「はいはい」
トバリは離れた場所に移動すると、今度はラキがいる方へ棒切れを投げる。おもちゃを追うエルーの姿をラキは正面からじっと観察し、そしてその記憶が新鮮なうちに絵を描いた。
やがて改装中の竜舎の壁に、エルーの絵が完成した。
飛び跳ねながら草原を走っている様子を描いた絵は、エルーが遊びに夢中になっている表情をうまく捉え、眺めていると楽しい気持ちになってくる。体の部位の釣り合いも取れていて違和感がなく、非常に精巧に描けている。
「ど、どうかな……!」
じっと絵を見られるのが恥ずかしくなったのか、ラキが照れながら尋ねてきた。
「うまい……うまいよ! 遊んでいるエルーがはしゃぐ様子がすごくよくわかる。自分は絵に詳しくないが、色使いがいいし翼のような難しい部位もよく描けている。エルーの家の玄関にはぴったりな絵だよ」
トバリは誇張なく本心から誉めた。
「よかったのだ!」
ラキは絵筆を握ったまま、飛び上がって喜んだ。それに釣られたのか、エルーも一緒になって飛び上がる。
「次は寝ているエルーちゃんを描きたいのだが……エルーちゃんは眠くなさそうなのだ」
気持ちよく体を動かしているからか、エルーは元気いっぱいだ。眠りにつく雰囲気はない。
「……それなら、いい案があるぞ」
トバリは改修中の竜舎に手を置いて言った。
「ここはもうすぐ完成して、エルーが移り住む。本当の意味で『エルーのおうち』になるんだ。そしたら眠っているところをいくらでも見られるし、時間をかけて絵を描ける。その方がいいんじゃないかな」
そう提案すると、ラキは元気よく頷いた。
「そうするのだ! エルーちゃんがここでぐっすり眠っているところをラキはしっかり描くのだ!」
エルーを隔離竜舎の付近に帰した後、画材道具をまとめて片付ける。
トバリは踏み台とおもちゃの棒切れを持ち、絵の具や筆を抱えるラキの後ろに続いた。
「この牧場は、ラキのおうちなのだ」
「だから、トバリ君やエルーちゃん達、新しい家族ができて嬉しいのだ!」
トバリは、イグルカが話していたラキの過去を思い出す。
ラキにとってこの牧場は避難所のような場所だとイグルカは言っていたが、どうやら彼女にとってはもう立派な「おうち」らしい。
親や故郷から引き剥がされたエルーも、この場所を家だと思うようになるのだろうか。
追われたもの、逃げ出したもの、奪われたもの……居場所を失ったもの達が傷を癒し、帰ってこられる家を作る。それはとても難しく、そして素晴らしいことなのではないかとトバリは思った。
風がそよぐ。
牧草は揺れる。
追われたものである自分もまた、この場所を居心地がいいと感じ始めている。しかし、それは〈剣聖〉になるという自分の夢が遠ざかっていく気持ちであることも理解している。
夢か、今か。
すぐに答えを出すことはできない。
「どうしたのだー? トバリ君」
ラキが振り返り、太陽のような笑顔を浮かべた。
そんな笑顔を見ていると、悩んでいることが馬鹿馬鹿しく思えてくるわけで。
(もう少しだけ、ここにいるのもいいかもしれない。少しずつ、少しずつ、何かを知り、何かを学びながら)
「なんでもないよ」
トバリはラキに笑みを返すのだった。
・ラキ=トラバルト
種族:
趣味:お絵かき、森のおさんぽ、字のお勉強
* * *
翌日。
改築中の竜舎にとんてんかーんと威勢の良い釘を打つ音が響く。
「板」
「へい」
「釘」
「へい」
トバリは、大工仕事に打ち込む親方の指示通りに工具や資材を渡していく。親方はまるで石飛礫の雨のような勢いで金槌で釘を打ち、みるみるうちに完成が近づいていく。
「ふぅ」
しかしそんな親方にも疲れが見えたのか、一息つくと金槌を脇に置いて頭を巻いていた布を解いた。
中からふわりと雪のように輝く銀髪がこぼれる。
シオン親方は暑そうに
「どうしたの、トバリ」
トバリの視線に気づいたシオンが尋ねてきた。
「い、いや、なんでもない」
「そう」
少女は再び頭に布を巻くと、猛烈な勢いで釘打ちを再開する。
金槌が振るわれるごとに、トバリが彼女に対して抱いていた冬の静かな湖面という印象も砕かれていくのだった。
(なんでこう、
・シオン=メア=ハーミット
種族:人間
趣味:
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