オレガノの香りを追って(5)


 再び、多くの人が行き交う喧騒の中に戻ってきた。

 シオンの後に続いて迷路のような市場スークを右に曲がり左に曲がり歩いて行くと、大通りに出る。通りは建物が整理されて並び、雑多な雰囲気があった市場スークに比べると洗練された空気が漂っている。


 商館は他の街や国外から来た行商人が集まる施設で、交易の玄関口となっている。

 〈コーンフェル〉に拠点を構える商売人は度々この商館に顔を出し、商品を売り込んだり、必要としている品を確認する御用聞きをしたりしている。


「ティビ君かい? 顔見知りの商人達と話をした後、随分前にここを出て行ったけれど……」


 商館の受付にいた優男風の青年に犬人族コボルトの子供の行方を聞くと、青年は首を傾げながら答えた。

 商館は宿泊場も兼ねていることから、広間では異国風の服装をした商人達が雑談をしている。商品として香辛料を持ち込んでいるのか刺激的な香りが鼻につく。


「何か変わった様子はなかったか?」


 トバリは続けて質問をした。


「そうだね……あちらの商人さんがハーブティーを振る舞っていて、ティビ君も勧められて飲んでいたかな。だけど口に合わなかったのか、少し気持ち悪そうにしていたよ」


 これは気になる情報だ。もう少し深く調べてみてもいいだろう。

 トバリは受付の青年にお礼を言い、今度はティビにハーブティーを勧めたという商人に話しかける。


「あぁ、確かにハーブティーを勧めたさ。ちょっと珍しいオレガノのハーブティーだ。ただ、味と香りに少しクセがあるから子供の彼の口には少々合わなかったみたいだね。特に、オレガノは乾燥させると匂いが強くなるハーブだ。飲んだ後はさっぱりして気分が良くなるんだがね」


 ゆったりとした服を着た恰幅のいい商人が、申し訳なさそうに言った。

 オレガノの匂いを嗅がせてもらうと、確かに香辛料に似た刺激的な匂いがした。これは鼻がいい犬人族コボルトの少年にとっては強烈な匂いだっただろう。


「私は香りというのが好きでね。良い香りは空気を清めて病気も予防するんだ。ハーブの他に香木なんかも取り扱っていて、あちらの材木店は犬人族コボルトが店主を務めるだけあっていい香木が入ってくるんだ。ティビ君には注文を伝えたから、無事に帰っていてほしいね」


 心配そうに話す商人からは嘘をついている様子は伺えない。

 となると、帰り道の途中で何かしらの騒動に巻き込まれたと見た方がいいだろう。


「これからどうしよう、トバリ。誰か彼を目撃していないか聞いて回りながら戻ろうか。もしかしたら入れ違いで帰ってきているかもしれない」


 商館を出ると、シオンが提案した。


「その前に一つやってみたいことがあるんだ。シオンさんは〈感覚強化エトランジュ〉の術を使うことはできるか?」


 トバリが聞くと、シオンはふるふると首を横に振る。

 〈感覚強化エトランジュ〉はトバリの最も得意とする魔術で、使用中は五感が研ぎ澄まされる。強化された視覚があれば、例え矢の雨が降ろうとその隙間を見切り掻いくぐることすら可能になる。

 そして嗅覚もまた同様である。


「……まさか、オレガノの匂いを辿ってティビさんを探そうとしているわけでは」


「そのまさかで悪けれど、自分の〈感覚強化エトランジュ〉は特別製なんだ。褒められることが少ない凡人の自分だが、この魔術だけは合格点をもらえている」


 おかげで駐屯地時代には人探しや物探しでしょっちゅう駆り出されたものだった。兵士よりも斥候や探偵が天職だと何度言われたかわからない。

 トバリを目を閉じて、深呼吸。いつもより深く集中し——


「〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉」


 瞬間、知覚する世界が形を変える。


 魔術にはがある。

 極めれば極めるほどより深みに潜り、発揮される効果もより強力になっていく。〈第二深域〉はその一つの到達点だ。世間的には〈第三深域〉が終着点とされている。


 トバリの〈感覚強化エトランジュ・第二深域〉は匂いや音、空気の流れをことができる。

 完全な暗闇の中でもわずかな物音と匂いを捉えてその情報を視覚に反映させ、まるで目で見えているように状況を知ることが可能になるのだ。

 かつて暗黒に包まれた洞窟の中で大型岩石百足ロックワームの襲撃に遭い、部隊の仲間が次々と飲み込まれていく中、死の淵で開花させた能力だ。


「見える見える。これがオレガノの匂いだ」


 トバリは宙に漂う赤と黄が入り混じったような色をしたもやに手をかざした。

 香辛料のような匂いだと感じていたからか、まるで粉が漂っているようだ。

 かなり強い匂いだったのと、時間がそれほど経っていないことからはっきりと匂いの跡は残っている。これならば問題なく追えるはずだ。


「トバリ」


 意気揚々と歩き出そうとしたトバリを、シオンが呼び止める。その顔は若干引きつっていた。


「あの……幻覚を見る危ない薬を飲んだわけではない、よね……?」


「うん、よく言われる……」


 人が見えないものを見てしまうと、大体似たような反応をされてしまうのはとても悲しい。





 ハーブティーが残した残留香を辿っていく。


 これが雑多な市場スークの道だったら多種多様な匂いが入り混じり、追跡が難しくなっただろうが、裏路地は邪魔が少ない。ティビとの距離が近づいている証拠に、どんどんオレガノの匂いが強くなっていく。

 誰かが上げた怒りの感情を込めた声が聞こえてくる。続いて、人の体を蹴る音。それも数人分が足を振るっている。


(少し状況は悪いかもしれない。急がなければ)


 何かが起きている現場はまだ先の場所にあるが、音や匂いからそこで何が起きているかトバリの目にははっきり映っていた。


(うずくまったオレガノの匂いの少年に、4人の男が蹴りを浴びせている。そして罵声が聞こえる……亜人デミ亜人デミと)


 亜人デミとは、亜人種への蔑称である。その言葉が吐かれ、暴力が振るわれていることから、何が起きているかは容易に想像できる。

 裏路地の道を何度か曲がり、建物に囲まれた日陰の広場に出た。


 そこにはトバリが魔術で覚知していた通りの光景があった。

 壁際で頭を抱えてうずくまる犬人族コボルトの少年を、4人の男が取り囲んでいる。

 男達は広場に現れたトバリとシオンに気がついたようだった。


「なんだ、お前らは。これは見世物じゃないんだ、消えちまえ」


 男達のうちの1人が唾を吐き捨てた。

 近隣の村から来た住民だろうか。農作業を終えた後のような土に汚れた貫頭衣を着て、羊毛の頭巾を被っている。


「そうもいかない。いい大人が寄って集って子供をいたぶって、恥ずかしくないのか。一体その子がお前達に何をしたっていうんだ」


 極めて冷静に問いかけたつもりだったが、男達は呆れたように手を広げる。


「おれたちは〈解放団〉とかいう亜人デミどもに村の畑を焼き払われたんだ。これはその復讐さ」


「神様も言うだろう? 正しい行いをせよってな。悪を裁いて何が悪い」


「お前も人間ならば、悪魔が気まぐれに作った魔物もどきと善良な俺たちと、どっちが正しいかはわかるはずだ」


 男達は口々に言う。

 〈解放団〉とは、イグルカが話していた亜人種だけでつくられた盗賊団のことだ。以前は南方を活動拠点にしていたが、最近はこの辺りまで進出してきたという噂は本当だったらしい。


「村に被害があったことには同情する。だが、人間にも盗賊はいるし、その子は〈解放団〉ではない。そして少なくとも自分にはお前達が善良には見えない」


 トバリは男達に一歩近づき、言葉を続ける。


「なぜ街には鬼人族オーガ精霊族エルフや他の亜人達がいるのに、わざわざその子を狙ったんだ? 答えづらいなら当ててやろうか? 自分より弱そうに見えたからだ。結局お前達がやっていることは正義の皮を被ったただの憂さ晴らしの弱い者いじめだ。いいからその子を解放しろ」


 〈解放団〉に畑が焼かれるということがなければ、この男達はここまで亜人種を憎むことはなかったかもしれない。

 だが、そうした過程は目の前の凶行を見逃す理由にはならない。

 頭に血が上った男達が拳を握る。だが、4人のまとめ役とみられる男が他の仲間を制した。


「てめえの言い分もよくわかった。だが、俺達もこのまますごすごと引っ込む訳にもいかない。そこでどうだ、交易の街らしく取り引きをしようじゃないか」


「取り引き?」


「あぁ。俺達はおとなしくこの亜人デミのガキを引き渡す。その代わりてめえは——そこの女を寄こせ」


 男は下卑た笑みを浮かべながら、トバリの後ろに立つシオンを指差した。


「顔を隠しちゃいるが、少し見えた限りではなかなかの上玉だった。それぐらいできるだろ? 亜人デミが大切で大切で仕方がないんだからなあ!」


「……もう一度言う、その子を解放しろ」


 トバリは感情を殺した声で告げる。


「あぁ? それでも交渉しているつもりか? 言っただろう、その陰気な女を——」


 瞬間、男の声を遮り、何かがぶちっと切れた音がした。


「交渉? ふざけろ。これは最後通告と言うものだ! できれば穏便に済ませたかったが、お前達はその機会を自ら踏みにじった。来い、剣も魔術もなしだ。2回謝ってももう遅い。弱い者いじめの気持ちを逆の立場から思い知れ!」


 トバリが溢れる怒りのままに、拳と手のひらを打ち合わせた。

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