オレガノの香りを追って(3)


「そうか! エルーがご飯を食べるようになって、さらに屋外で過ごすようになったのか。すごい、すごい成果じゃないか! さすがだ2人共!」


 その夜、牧場長の執務室に呼ばれたトバリとシオンは今日あった出来事をイグルカに詳しく報告した。

 鬼人族オーガの牧場長は嬉しそうな声を上げると、大きな手で2人の頭を撫でる。

 幼少期に戻ったようで、トバリは気恥ずかしさを覚えた。隣を見れば同じことをシオンも感じているようで、体を硬くしている。悪い気はしないが。


 イグルカはエルーの世話に掛り切りだった2人と体調を崩したラキの計3人の穴を埋めるべく、業務に奮闘したらしい。さすがの彼女にも疲れが顔に出ている。


「だけど、釣竿を折ってしまって新しいのが必要なんです。毎回クリスロアさんから借りるわけにもいかないし」


「ああ……クリスロアが部屋でしくしく泣いていたのはそういう訳だったのか」


 それではますます借りづらくなってしまった。今回はあの精霊族エルフの青年に迷惑ばかりをかけている気がする。


「あと、近いうちにエルーを別の寝床に移したいのですが、例の空き竜舎を改修するには資材が少し足りません。肉も追加で発注しておいた方がいいかもしれません。街に買い出しに行く許可をいただけませんか?」


 シオンが手を挙げて尋ねた。


「そう言うことなら、明日の午後から2人で街に行くといい。トバリは釣竿の素材を、シオンは竜舎の整備に必要な資材をそれぞれ買ってくること。トバリは針を使わずに肉を吊るす方法を考えておくようにね」


 イグルカが笑いながら答える。

 また牧場長に負担を押し付けることになるのは申し訳ないが、好意に甘えるとしよう。


「あの、イグルカさん。ついでと言ってはなんだが、個人的な買い物を一緒に済ませてもいいだろうか」


 トバリも質問をする。街に出る機会も少ないので、せっかくだから買っておきたいものがあるのだ。


「内容によるけど、何を買うつもりなんだい?」


「寝込んでいるラキに果物のような栄養のある食べ物を。それからクリスロアさんへのお詫びで新しい釣竿がほしい」


 夕方にラキの病室を訪ねてみたが、あまり食欲がないようだった。食料の備蓄は穀物や肉、野菜ばかりだったので、さっぱりとした果物ならおいしく食べられるのではないかと考えたのだ。

 クリスロアは詫びはいらないと言っていたが、それでは個人的な気持ちが収まらない。


「うーん……どちらも業務中の出来事に起因しているから、予算で買ってもいいよ。ラキちゃんのための食材の買い足しはこちらからお願いしようとしていたところだしね」


「あ、ありがとうございます!」


 どちらも私費から捻出しなければと思っていたので助かった。まだこちらに来てから給料が出ていないので、懐がそぞろ寒かったのだ。


 出発は午後なので、午前中は当然業務がある。

 夜の鍛錬もそこそこに、トバリは早めに寝床について明日に備えるのだった。



  *  *  *



 牧場には荷車が2台保管されている。

 1台はブルートドラゴンが1匹か2匹で動かせる小型のもの。もう1台はファードラゴンの毛皮の出荷や幼竜の移動などに使用する大型の4頭立てだ。

 この日、トバリとシオンは小型の荷車に乗り込んだ。2匹のブルートドラゴンがそれを牽引する。


「それじゃあ、しっかり買い物頼んだよ。近頃は街も物騒だからね。気をつけて行くんだよ」


 イグルカが牧場の門まで見送りに来てくれた。仕事は溜まっているだろうに、上に立つ者としての責務は怠らない姿には尊敬を覚える。


 トバリは午前中、もう一度だけクリスロアから釣竿を借りてエルーに給餌をした。今度は竿を折らずに肉を与えることができたが、緊張続きで心臓が痛くなった。

 寝床を整え隔離竜舎を離れる時に聞いた『きゅおん、きゅおん』という寂しげな鳴き声が耳から離れない。早いところ快適な竜舎に移してやりたいものだ。


「御者席には自分が座ろう。シオンさんは荷台に乗っていてくれ」


「そう? 疲れたらすぐに言って。代わるから」


 御者席は2人が座れるが、わざわざ窮屈な思いをする必要はない。

 トバリが手綱を軽く打つと、ブルートドラゴン達が荷車を引いて走り始める。2匹のドラゴンの力は強く、ぐんぐん速度が上がっていく。体力の温存も考え、トバリは手綱を引いて適度に速度を調整する。


 丘の上に立地する牧場がどんどん離れていく。

 牧場に来る時は、クリスロアに先導して案内してもらった。今はシオンと2人で同じ道を逆に辿っていく。


(ん? シオンさんと2人……?)


 そこで始めて、自分がという事実に思い至る。

 こんな状況は17年間で一度もなかったことだ。何せ、自分の人生ときたら、「食う」「寝る」「鍛える」「戦う」の四つの選択肢コマンドのみで構成されていたのだから——!


 ちらっと目線だけで後ろを見ると、シオンが荷台の壁に寄りかかって座り、銀髪を風に揺らしながら涼しげな目で青空を見上げている。

 その姿は控えめに言っても絵画に描かれる令嬢のようであった。


「……どうしたの?」


 トバリの視線に気が付いたシオンが声をかけてくる。


「なん、でも、ない!」


 トバリは慌てて視線を道の向こうに戻した。

 変なことを考えてしまったせいで、釣竿を折らないように慎重にエルーに肉を与えていた時以上に心臓が痛み出す。


(これは気軽な業務の買い出しではない……試練だ。厳しい試練だ)


 純情少年トバリは思い知るのであった。

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