嵐の日の事件(3)
「速度は抑えていくけど、振り落とされないようしっかり掴まってろよ」
トバリが忠告すると、ラキが首だけ振り返って笑顔を見せた。
「わかっているのだ。トバリ君もラキの道案内をしっかり聞いて走るのだ」
「了解した」
足でブルートドラゴンの腹を軽く蹴ると、それを合図に二足歩行の獣竜は走り始める。せっかちな性格なのかいきなり速度を出したので、トバリはすぐに手綱を締めて足を緩めた。
大粒の雨が体を叩くが、
すぐに重厚感ある石造りの隔離竜舎が雨の向こうに浮かび上がった。歩けばそこそこの距離があるのだが、ブルートドラゴンの足ではあっという間だ。
竜舎の軒先に、見覚えのある人影が見えた。
「クリスロアさん」
トバリがブルートドラゴンの上から声を掛けると、
「あぁ、トバリさん。それにラキさんも。一緒に来たんですね。ふふっ、そうしていると兄妹みたいですよ」
2人が相乗りしている姿を見て、クリスロアが微笑む。
「クリスロア君はここで何をしているのだ?」
ラキが尋ねる。
「僕はここで皆さんが持ち帰る情報を整理しているんですよ。付近を探し回ってもどうやら見つけられなかったようです。もしかしたら〈怪鳥の谷〉まで抜けてしまったかも……」
「〈怪鳥の谷〉?」
トバリが聞き返した。
「ええ、森を抜けた先にある谷の名前です。飛行する魔物の住処となっていて、時折この牧場の上空にも姿を現します。ああ、間違ってもそこには行かないでくださいね。危険ですので。あなたたちには、近辺の捜索をお願いします。そうですね……池がある辺りまで探したら引き返してください」
「池、ですか」
「そう。僕がたまに釣りをしている池です。ここからはそう離れていませんが、もしかしたら見落としているかもしれない」
「……わかりました」
クリスロアの言葉にトバリは頷き、再びブルートドラゴンを走らせた。
森の中は夜のように薄暗かった。雨が木々の葉を叩く音があちこちで鳴っている。
「トバリ君、〈怪鳥の谷〉に案内するのだ」
ラキが突然言い出した。
「ええっ? クリスロアさんは危険だから行くなって……」
「森の道は曲がりくねっているけれど、それを無視してまっすぐ突き抜けていくと〈怪鳥の谷〉に行き着くのだ。ドラゴンさんは人が作った道の通りには走るとは限らないのだ」
ラキの言うことも一理ある。道があるならそこを通っていくと考えてしまうのは相手が人間の場合であって、ドラゴンは茂みを突き破っていった可能性が高い。
だが、指令を無視して危険な場所に行くという思考がトバリには理解できない。兵士団に所属していたトバリにとっては、指令こそまず第一に優先すべきことだったからだ。
(ああ、もう! 命令違反はこれっきりだ!)
トバリは頭を振る。
「では、道案内を頼むぞ。危険になれば自分が対処する」
「……ありがとうなのだ、トバリ君」
感謝を表しているのか、ラキが頭を擦り付けてきた。
トバリは右手で手綱を握りながら、もう片方の手で腰に差した剣を確かめる。
剣を帯びるのも随分久しぶりのように感じられる。いざとなればこいつを抜くこともあるだろう。
自分ができることと言えば、戦うことしかないのだから。
「次の道を右なのだ!」
ラキが雨音に負けない声を張って指示を出す。木々の間にかろうじてある道を曲がり、時には茂みをかき分け進んでいく。
このブルートドラゴンはよほどよく訓練されているのか、騎乗者の意思を汲み取ってその通りに動いてくれる。
せっかちですぐに速度を出そうとしてしまうのは玉に瑕だが。
(イグルカさんがよく言うことを聞くやつを選んでくれたのか)
一本道を抜けた時、急に視界が開けた。周囲の木々がなくなり、雨が再び体を打ち付ける。
「どうやら森を抜けたらしいな」
トバリは手綱を引いてブルートドラゴンの速度を緩める。辺りを見回すが、雨のせいで視界が塞がれ状況がわからない。
「気を付けて進むのだ。ここが〈怪鳥の谷〉。鳥系の魔物達の住処なのだ」
やがて視界が開け、靄の向こうで黒い壁がぼんやりと見える。両側を見渡してみれば、切り立った高い崖に囲まれていた。
(〈怪鳥の谷〉か……)
快晴の時にはさぞ素晴らしい景色が見られただろう。だが、薄暗さから恐怖が掻き立てられ、両側の崖がそびえ立つ巨人のように見えてしまう。
魔物ももちろんだが、落石にも気を付けなければならない。この大雨で地盤はかなり緩んでいることだろう。
崖に囲まれた谷間の道を慎重に進んでいく。
今のところ、
「本当にこっちに来たのだろうか」
「わからないのだ。間違っていたら……ごめんなさい」
指令を無視してまで〈怪鳥の谷〉を調べようと提案したのはラキだ。責任を感じているのだろう。
「危険な場所を優先的に探して安全をいち早く確保するという考え方は間違っていない。指令に反したのは褒められることではないがな。もし見つからなかったらその時は——」
「その時は?」
ラキが緊張したように息を飲む。トバリは告げる。
「2人で、一緒に、謝ろう」
「と、トバリ君は優しいのだ〜!」
ラキが鞍の上で体を反転させ、抱きついてきた。危ないので引き剥がそうとした時、かすかに鳴き声が聞こえた。
「ラキ、静かに。何か聞こえた」
耳をすますが、雨が降る音に邪魔され何も捉えられない。
「何も聞こえないのだ……」
「いや、確かに聞こえたはずなんだが」
あの声が聞き間違いだとは思えない。ならばここは搦め手の使い所かもしれない。
古代語に由来する〈力ある言葉〉を媒介に、超常の現象を引き起こす術——〈魔術〉である。
トバリは三つの〈魔術〉を使うことができる。
その一つが己の視覚や聴覚を一時的に研ぎ澄ます〈
使用中は感覚が冴え、通常時では目に捉えられない速さの物を捉え、聞き取れない小さな音を拾うことができる。
純粋な戦士よりも
「さて——〈
瞬間、トバリの感知する世界が変化する。
落ちる雨粒の一滴一滴が見えるようになり、皮膚に触れる水滴の一粒一粒が立体感のあるものとして感じられるようになった。
そして、一纏まりに聞こえていた雨音が連続して聞こえる音に変わる。ここではない、もっと奥だ。谷の向こうから、鳥の鳴き声のような音がゆっくり聞こえてきた。
音の出所から、おおよその距離と位置は掴めた。
「解除」
〈
感覚を研ぎ澄ましている間に知覚する雨の世界はひどく騒がしい。短時間の使用だったのに、耳がズキズキと痛む。トバリが使用をためらったのは、そういう理由からであった。
「ラキ、谷の奥の方から鳥みたいな声が聞こえた。何やら威嚇しているような声だった。危険だが、行ってみる価値はあるかもしれない」
「すごいのだ! 早速向かってみるのだ!」
この現場における司令官の了解が取れたので、トバリはブルートドラゴンの速度を上げた。
近づいていくごとに、鳥に似た鳴き声は谷間に反響してはっきり聞こえてくるようになった。
鳥の声だけではない。何かがぶつかり合う音、そして風が駆け抜ける音が聞こえる。
間違いない。誰かが戦っている。
突如として大きな影が空に舞い上がり、雨を吹き飛ばすかのように翼を広げた。
トバリとラキの目に映ったのは、猛禽類の頭に発達した獣の四肢。首回りの雄々しいたてがみ。そして前腕と一体化した巨大な翼——
「
トバリの声に応えるかのごとく、魔獣——
どうやら
シオンだ。
彼女が倒れたドラゴンの子供をその背中に庇いながら、魔獣と相対している。恐らく、谷に迷い込んだエルーを侵入者とみなした
「〈
彼女を中心に風が巻き上がり、防壁となる。
だが、
風の防壁が出現したのは一瞬のことだった。恐らく、維持するだけの力が残っていないのだ。無防備のシオンに向かって
「ラキ、ブルートドラゴンの手綱を任せられるか?」
「練習してるから、少しなら乗ることができるのだ!」
ラキが力強く頷く。
「じゃあ谷の入り口に戻って、笛を吹いて仲間を呼ぶんだ」
「トバリ君は!?」
「自分はここで
手綱をラキに渡すと、トバリは走行中のブルートドラゴンの背中の上に立ち上がる。
飾り紐が付いた剣を引き抜き、そのまま跳躍。急降下する
突然の奇襲に
トバリは危なげなく着地する。そして剣を二度、三度体の横で回した後に切っ先を
「ここ最近、どうすればいいのかわからず困惑することだらけだった……だが! 今はお前を倒せばいいんだな? お前を倒せばいいんだな!? 2回言ったぞ。さぁ開戦だ!」
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