嵐の日の事件(2)

 

 大きな外套マントを頭まですっぽり被ると、トバリは屋外へ出た。

 外はすっかり雨脚が強くなり、風に煽られ斜めに降り注いでいる。雨粒に打たれた牧草地の草が揺れ、一斉に踊り出したようになっている。


 その中を、トバリは外套マントのフードを手で押さえながら走っていく。隔離竜舎に行くのは初日以来だが、道はしっかり覚えている。


(様子を見に行けとは言われたが、外套マントを渡すくらいしかできないだろうな)


 取りつく島もなく追い出された最初の出会いを思い出す。恐らく今日も会話らしい会話はできないまま、出て行けと言われるだろう。

 靄の向こうに、隔離竜舎の黒い影が浮かび上がった。


(相変わらず、監獄みたいな場所だな)


 トバリは鉄の扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 内部は真夜中の墓場のように静まり返っていた。扉を閉めると雨音も消え、静寂に包まれる。


 エルーのいる檻は一番奥だ。なるべく音を立てないように、慎重に歩いていく。

 檻の前には、少女が膝を抱えて座っているはずだった。だが、不思議なことにその姿が見当たらない。

 疑問はすぐに解決した。シオンは倒れていたのだ。


「シオンさん!」


 慌てて駆け寄り、横向きに転がっている上体を抱え起こす。その体は痩せていて、骨ばった感触が手に伝わってきた。


「だ、大丈夫かっ」


 声を掛けると、少女はうっすらと瞼を開けた。透き通った水色の瞳がかすかに覗く。


「……静かに。エルーを刺激してしまう」


「それより、自分の心配をするんだ。あんたは今ここでぶっ倒れていたんだぞ」


「私は、大丈夫。もうすぐ……もうすぐ声が届くかもしれない。ここで呼び掛けを途切れさせてはいけない」


 シオンはトバリの手を払うと、檻に近づいていく。

 驚いたことに、檻の中のエルーが金色の瞳でじっと少女を見つめていた。その目は未だ警戒心を抱きながらも、少しだけ興味を示しているように感じられる。


(この人は、ずっとエルーに呼び掛けていたのか。自分にはわからない言葉で)


 〈竜の巫女〉はドラゴンと心を通わせることができる、とのラキの話を思い出した。

 初日に彼女を見た時はただ座って観察をしているのだと思っていた。だが、その間にも彼女はエルーに言葉を届けようとしていたのだ。


 歩み寄ったシオンの手が、冷たい鉄格子に触れたその時——

 突如として巨大な雷鳴が響き、続いて辺りが地震のように振動した。


「えっ……!?」


 背中から倒れそうになったシオンを、駆け出したトバリがなんとか支えた。


「大丈夫だ、シオンさん。多分近くに雷が落ちたんだ」


 隔離竜舎の近くには森が広がっている。恐らく森に落ちて、木が倒れたのだろう。直接的な被害はないはずだ。

 だが、この雷が最悪の結果を招いてしまったことに、すぐに気が付くことになる。


『ぐるるあぁあああああ! ぐるるあぁあああああああああ!!』


 エルーが突然の音と振動に怯えたのか、混乱したように吠えて檻の中で暴れ始めたのだ。

 石壁にぶつかり、鉄格子にぶつかり、それでもなお暴走は止まらない。


「止まって、エルー! 落ち着いて、お願い! 誰もあなたを攻撃なんてしていない!」


 シオンが鉄格子越しに叫ぶが、エルーが止まる様子はない。

 それだけでは収まらなかった。エルーの咆哮が、段々と音量を増していく。そしてそれはやがて衝撃波に変わった。

 成長すれば天候をも操るとされるエンシェントドラゴンの力が暴走している——トバリでもそのことが理解できた。


「エルー、落ち着いて! 私の声を聞いて! お願い!」


 シオンの声は咆哮にかき消され、エルーには届かない。


『ぐるるるるらぁあああああああ!!』


 一際大きい叫声が響き、爆発が起きたかのような衝撃が生まれた。

 近くにいたシオンが吹き飛び、床を転がった。続いて鉄格子が外れ、石壁の一部も崩れる。

 崩れた壁の隙間から、風雨が吹き荒れる外の光景が露わになった。


(あ、まずい)


 不安がよぎったトバリが動く前に、エルーは壁を突き破り屋外へと逃げ出してしまった。

 仔竜の背中はすぐに嵐の中に紛れ、森の向こうに消えていく。


「エルー! 待って!」


 咆哮で吹き飛ばされた際に切ったのか、額から血を流すシオンが立ち上がった。乱暴に血を拭うと倒れた鉄格子を越え、エルーの後を追って外へ走り出してしまう。


 トバリは慌てる心を抑え、今目の前で起きた出来事を整理する。

 突如落ちた雷で怯えてしまったエルーが力を暴走させて檻を破壊。外に脱走し、シオンがすぐさまそれを追っていった。


(自分はどうすればいいんだ!? 追うべきか、それとも……)


 トバリは迷った末に、シオンとは逆の方向へ走り始める。


(イグルカ達に知らせなくては……多分これは、自分では手に負えない事態だ)


 隔離竜舎の扉を蹴って激しい雨が降りしきる屋外へ身を踊らせる。嵐の中を走りながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 敵がいるならば、それを打ち負かせばよかった。少なくとも、これまではそうだった。

 だが、今は何と戦えばいいのだ——





 トバリがもたらした情報で、牧場の事務所は上へ下への大騒ぎとなった。実際には一階しかないので上も下もないのだが。


「ブルートドラゴンで森の中を探すよ! 急いで鞍の準備をするんだ! 雷が鳴っているから、臆病な性格の6番と13番、16番は待機。2番と10番も怪我で万全の状態じゃないから選ばないで!」


 イグルカが大声で職員達に指示を出していく。

 職員達は鞍を抱えてブルートドラゴンの竜舎へ駆け出していった。


「イグルカさん! ワイバーンで空から探索はできませんか? ヴェンならばこの雨でも問題なく飛ぶことができるはずです」


 精霊族エルフの青年クリスロアが、早口でイグルカに提案する。

 しかし鬼人族オーガの牧場長は首を縦に振らなかった。


「……この雨では空から探したとしても難しいだろうねえ。ブルートで探しても見つからないほど遠くまで行ってしまったと判断した時にまた考えよう」


「わかりました! 僕は森の北側に回って探してみます」


「いや、北側にはアタシが行く。クリスロア、あんたは隔離竜舎で待機して皆の情報を聞いて指示を出してくれ」


「はいっ」


 クリスロアが外套マントを着込んで、外へ飛び出していった。

 動けないでいるのは、トバリとラキの2人だけとなった。


「イグルカさん、自分も出ます。ブルートなら問題なく乗りこなせます」


 トバリはイグルカに申し出た。周りが忙しそうにしている時に、自分だけ手持ち無沙汰でいるのは居心地が悪い。


「ありがたい申し出だけど、トバリはこの辺りの地理を全く知らないだろう。森の奥では恐ろしい魔物が出没する地域もあるんだ。もしそこに迷い込んでしまったら命はない。気持ちは焦るだろうけれど、ここに残るんだ」


 イグルカが自分用の大型外套マントを羽織りながら言った。


「ラキは? ラキは森の中のことなら誰より詳しいのだ!」


 ラキが自分の存在を訴えるように、跳びながら手を挙げる。


「わかってるさ。ラキちゃんは森のことならなんでも知ってる物知りだ。だけどブルートに乗れないと、追いつくことはできない。魔物に出くわした時に逃げることもできない。ラキちゃんもここに残ってみんなを待つんだ」


 ブルートドラゴンに乗ることはできるが、土地勘がないトバリ。

 そして道に詳しいが、ブルートドラゴンに乗ることができないラキ。


 どちらも片方が欠けているために、一人前に仕事をすることができない。

 トバリもそれが悔しく思わないわけではない。隣を見れば、ラキが涙をにじませた顔をしている。どうやらこの炎蜥蜴族サラマンダーの少女は、人並みに何かをできない時に泣きそうになるらしい。


(2人で力になれることを考えようと話した時も、泣きそうになっていたな)


 あの時は背が低いせいでワイバーンに乗れず、シオンの仕事を引き受けられないことを嘆いていたのだったか。

 いや、待て。


2……?)


 トバリの頭の中で閃きが走った。


「あの、イグルカさん。例えばなんだが、自分とラキがブルートドラゴンに相乗りし、自分がブルートの制御を、ラキが道案内をそれぞれ担当するというのはどうだろうか」


 脚力が自慢のブルートドラゴンならば人間2人を乗せたところで問題なく走ることができるだろう。そもそもラキは常人の半分以下の体重なのだ。


「あー、そうきたか」


 イグルカは困ったように頭を掻き、しかし最終的に頷いた。


「仕方ないね。なるべく危ないことはさせたくなかったんだけど、その熱意に負けたよ。2人で助け合って行ってくるといい。ただし、危険を感じたらすぐに引き返すこと。それからこの笛をしっかり持って、エルーかシオンを見つけたら思い切り吹くんだ。わかったね?」


 そう言うと、手に持っていた紐付きの笛をラキに渡す。

 トバリがラキを見ると、少女はさっきまでの泣きそうな表情はどこへやら、曇天を晴らさんばかりの笑顔に変わっていた。大切そうに両手で笛を握りしめている。


(ころころ表情が変わる子だなあ)


 トバリは一度息を吐いてから、笑みを浮かべる。そして握った拳をラキに向けた。


「頼りにしてるぞ、相棒」


「おうなのだ!」


 二つの拳が力強くぶつかり合った。

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