おいでよドラゴン牧場(5)
「ここが、最後の竜舎なのだ」
ラキが緊張をにじませる声で言った。
そこは牧場の外れにあった。他の全ての竜舎や建物が木造だった中、最後に訪れた竜舎だけは堅牢な石造りだった。
生き物が住む場所というよりは、冷たい牢獄に近い印象を受ける。
「ここは暴れ者のドラゴンを隔離するための竜舎。逃げ出さないように頑丈で、壊れないようにできているようだ。こんなところ、本当は使わないのが一番なのだが、今は1匹だけここに住んでいるのだ」
少女に続いて鉄の扉を開けて中に入る。特別な竜舎の内部は洞窟の中のように暗かった。
金属の檻はどれも空っぽだ。よく見ると、過去に入れられたドラゴンが暴れたのか壁が大きくえぐれた跡がある。
一つの檻の前で、シオンが膝を抱えて座っている。
その目はじっと檻の奥を見つめていた。
「シオン姉ちゃん」
ラキが小さく声を掛けると、シオンが顔を上げた。
「ラキ。どうしたの」
「あのね、新しい人が来たから牧場を案内しているのだ」
シオンはちらりとトバリを見たが、
「どうせすぐにいなくなる」
と呟き視線を檻の中に戻してしまう。
「ま、まあそう言わずに仲良くするのだっ。ほら、トバリ君。挨拶するのだ」
ラキに促されるまま、トバリは渋々前に出た。
「えーっと、トバリ=テジャです」
「私はシオン」
少女は檻から目を離さずに答える。
これきり会話は止まってしまう。恐らく世界で一番短い挨拶だった。
なんとなく気まずくなったトバリは、シオンが見ている檻の方へ目をやった。
よく目を凝らすが、檻の中は闇が広がっているばかりで何も見えない。
「ラキ、中には何がいるんだ?」
トバリはしゃがみ、ラキの耳元に口を当てて尋ねる。
「……この中には、違法に取引されていたある珍しい種のドラゴンの子供がいるのだ。密売人は捕まえたけれど、ドラゴンの子供は手がかかったから5日前にこの牧場に送られてきたのだ」
ラキがトバリの問いに答えていた時だった。
突然、檻の中で二つの金色の瞳が輝き始めた。ラキが「ひっ」と短く悲鳴を上げて腕にしがみついてくる。
檻の奥から、小さな影がゆっくりと歩いて姿を現した。
金色の瞳に、快晴の空のような青の体。大型の犬よりやや大きいくらいだろうか。ドラゴンとしてはまだまだ子供の大きさだ。四つ脚を突き、一対の翼が背中から生えている。
「太古にこの世界を支配したとされる〈古代竜王〉エンシェントドラゴン。その末裔」
シオンが冷たい声で言った。
エンシェントドラゴンの子供は、こちらを睨むと『ぐるるるぅ……!』と掠れた低い声で唸り声を上げてきた。
明らかに威嚇されている。
「理解したなら出ていって。必要以上にエルーを刺激したくない」
「エルー?」
「この子の名前」
「……了解した」
トバリは頷くと、腕にラキをぶら下げたまま来た道を戻って竜舎を出た。
外はすでに夕暮れになっていた。
茜色の光に照らされ、草地が一斉に煌めきを放っている。
トバリはラキを地面に下ろすと、安心させるように頭を撫でた。
「なぁ、ラキ。さっきシオンさんが言っていたエルーってどういう意味なんだ」
「古い言葉で〈空〉と言う意味で、イグルカさんが名付けたのだ。いつか自由な空を飛べるようにと願いを込めて」
ラキは俯きながら言葉を続ける。
「エルーはここに来てからまだ何も食べていないのだ。ずっと怯えて、威嚇して、誰にも慣れようとしないのだ。ドラゴンはしばらく食べなくても大丈夫な生き物だけど、まだ子供のエルーでは限界が近いようだ」
エンシェントドラゴンの子供、エルーはここに来て5日だと言っていた。それよりも前から何も食べていなかったとしたら、一体何日の間絶食をしているのだろうか。
「シオン姉ちゃんがほとんど付きっ切りで世話をしているけれど、状況は変わらないのだ。ラキでは力になれないのだ。仕事を代わってあげたくても、ラキはワイバーンに乗れない。背が、低い、からぁ……!」
ついにラキの炎の瞳から大粒の涙が溢れた。
トバリは何か声を掛けようと口を開けて、そのまま固まる。
(こ、ここ、こういう時、何を話せばいいんだー!)
何せ自分の人生ときたら、「食う」「寝る」「鍛える」「戦う」の四つの
突如泣き出したほぼ初対面の
そんな器用な真似ができるなら、そもそもここには来ていない——!
トバリは少し考えて、そして考えることをやめた。
どうせ洒落た
一つ息をついてから
「自分も何も力にはなれない」
そう話すと、ラキが顔を上げた。
トバリはしゃがみ、小さなラキに目線の高さに合わせる。
「だから、さ。一緒に考えよう。何も力になれない者同士、何ができるかを。いや、もちろんこの場ではラキが先輩だから自分が教えてもらうことばかりだろうが、自分にも何か一つくらい気づきがあるかもしれない」
ラキの表情が和らぎ、そして笑顔になって頷いた。
「……うん! 約束なのだ!」
夕暮れの道を、手を繋ぎながら宿舎まで歩いていく。
今もずっと、シオンはあの暗い竜舎の中でドラゴンの子供と向き合っていることだろう。
(力になる方法を一緒に考える、ねえ)
別にこの場所で認められようとか、かわいそうなドラゴンを助けてあげようとか、殊勝なことを考えた訳ではない。面倒ごとに自分から首を突っ込んでいくのは時間の無駄だ。
亜人族とは距離を取って接するべきだという考えも改めようとは思わない。
ではなぜ自分から深く関わりに行くような提案をしたのかと問われれば、その場の流れとしか説明できない。
(いくら嫌われてもいいつもりだったのに……変な状況に放り込まれて、自分はおかしくなったのか?)
風がそよぎ、黄金色の草原を揺らす。トバリは足を止めてその光景に見入った。
(自分は一体どこへ向かっているのだろうか)
この牧場に足を踏み入れた時に湧き上がった不安が、また蘇ってくるのだった。
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