おいでよドラゴン牧場(2)

 

「よぉ、来たか。待っていたよ、新配属君! 王都から遠い道のりを越えて、ようこそ王立ロンロン牧場へ。アタシは牧場長を務めているイグルカだ。よろしくよろしくゥ!」


 牧草地を望むなだらかな丘の上に立つ木造の建物の一室に通されたトバリを待っていたのは、声が大きければ体も大きい女性だった。褐色肌で、白銅色の髪と黒目という外見だ。


「王国兵士団本部第6中隊から来たトバリ=テジャです。こちらこそ、よろしく」


 トバリはあまり感情の入っていない声で名乗り、牧場長イグルカと握手を交わした。

 しかしその間も、ついつい目線はイグルカの額に行ってしまう。


「ん? 気になるのかい。アタシが鬼人族オーガだってことが」


 女牧場長の額には短い角が2本、誇らしげに生えていた。

 鬼人族オーガ

 通常の人間とは異なる特徴を持つ亜人の一種で、額に生えた角と尋常ならざる怪力を持つ。火山地帯など気温の高い場所に好んで住み、豪放磊落な性格の者が多いという。


「……国が管理する施設の長に、亜人族が就いているというのが初めてのことだったので、少し意外に思っただけです。他意はありません」


「そんなに驚いたかい? 看板には分かりやすいようにそう書いたつもりなんだけどねぇ」


 看板、とはここに来るまでに最初に見た恐ろしい警告のことだろうか。

 確かにそこには『鬼の牧場長』と書かれていた。てっきり鬼のように厳しい牧場長がいるのかと考えていたが、そのまま鬼人族オーガの種族を指していたようだ。


「知ってはいると思うけど、ここはドラゴンを育てる放牧場。世話をするのは温厚なやつばかりとは言え、常に危険と隣り合わせさ。ぱくっと食べられるのは危機感の足りない貴族サマだけじゃない、アタシたちの可能性だってある。業務も大変だから、誰もやりたがらない。だからアタシや精霊族エルフのクリスロアみたいな亜人種が優先的にここに配属されるって訳さ」


 イグルカが両手を広げてため息をつく。

 トバリはこのドラゴン牧場への異動が告げられた時に、「罪人の苦役場を兼ねている」だの「どんなに屈強な兵士でも3日と持たずに逃亡する」だのと噂されていたのを思い出した。


「さて、業務内容はこの後、実際に牧場を見てもらいながら説明するとして、アンタのことをもっとよく知っておきたいな、トバリ=テジャ君」


 イグルカから鋭い視線を向けられ、トバリは身構える。


「ある程度のことは先に送られてきた履歴書を読んで知っている。素晴らしい経歴じゃないか。訓練兵を次席で卒業。部隊が半壊した大型岩石百足ロックワームの襲撃事件でも生き残り、討伐に貢献。辺境の駐屯地では単独で水蛇竜ヒュドラを撃退。そして……本部で直属の上官を殴って歯を2本へし折った」


「……驚きました。まさか履歴書にそんなことまで書いてあるとは」


 最後の経歴こそ、トバリがこの場所に送り込まれることとなった原因である。

 嫌味ったらしい上官にある屈辱的な言葉を吐かれ、カッとなった時はもう遅い。体重が乗った右拳が上官の顔に炸裂していたという、酒場で聞くようなひどく単純シンプルな話だ。


「ふふっ、上官殴りは口頭で聞いただけさ。それにしたって豪胆な話じゃないか。選り抜きエリートの道を最短で突き進んでおきながら、たった一度の激情でそれを捨ててしまうなんて。よほど腹に立つことを言われたんだろうねえ」


「その話について詳しく語ることはありません」


 トバリは悔しさを押しつぶすかのように奥歯を噛み締めた。


「それに、最短からは外れたとは言え、自分は〈剣聖〉への道を捨てた訳ではありません。最初に言っておきますが、自分はこの場所に落ち着くつもりは全くない。危険だから、厳しいからではなく、単純にこの場所で学べることはないと判断しているからです」


「へぇ、言うじゃないか」


 イグルカが椅子から立ち上がり、顔をトバリに近づける。

 間近で見る鬼人族オーガの迫力にトバリは圧倒されそうになったが、拳を握って視線を留め続けた。


「ま、アタシは正直なのは嫌いじゃないよ。突然こんな場所に左遷とばされて、腑に落ちてるはずがないからねえ。だけど、アンタからアタシたちに対する蔑みや見下す気持ちが感じられないのはいいことだ。うまくやっていけそうだね」


 圧力を掛けてきていたイグルカが突然笑顔になった。トバリは思わず拍子抜けして瞬きを繰り返す。


「え、えぇ……あの、話は聞いていましたか? 自分はこの場所に落ち着くつもりはなく——」


「落ち着くつもりはなくても仕事は覚えてもらうよ! 何しろこっちは人員が減って一人当たりの業務量が増えて、せっかく入った職員が激務で辞めていく負の連鎖に陥っているんだ。妖精猫ケットシーの手も借りたいこの状況で、元気な若者に何もさせないなんて贅沢は考えられないよ!」


 トバリの言葉は、イグルカの勢いに押されてかき消されてしまう。


「それに、アンタの勤務態度を評価するのはアタシなんだ。しっかり働けば内申点も上がり、それだけ早く王都に戻ることができる。いいことづくめだ! なんにせよ、自分の興味がないことに真正面から向き合う時間も大切だってことさ。さぁ、早速牧場を巡って仕事を覚えてもらうよ。案内役を呼んでくるから、ちょっと待ってておくれ」


 イグルカが素早い動きで扉を開けて牧場長の執務室を出ていく。

 案内役とは、近くの街からこの牧場までブルートドラゴンに乗って道案内をしてくれた精霊族エルフの青年クリスロアのことだろうか。いつの間にかいなくなってしまい、それきりだ。

 騒がしい人がいなくなったせいか、部屋の静寂がやけに気になり始めた。


(あんなことを言ったら、普通自分を嫌うはずなんだがなあ。一体何がどう評価されたのか全くわからん!)


 トバリは先ほどの牧場長とのやり取りを思い出して頭を掻いた。

 いくら人手不足であろうとも、これまで剣を振るってばかりいた自分が仕事を満足にこなせるはずがない。生き物を飼育した経験など訓練兵時代にまで遡り、寮に住み着いていた猫に友人たちと協力してこっそり餌をあげていたくらいである。

 牧場の仕事に対する責任感や情熱なんてものは当然ない。変に期待されるくらいなら最初から疎まれていた方が好都合だった。


(魔物を育てるなんて、ましてやなんて……!)


 トバリは怒りに似た黒い感情が体の内側から込み上げてくるのを感じた。


「やぁ、待たせたね! これからこの子と牧場を回ってもらうよ。しっかりご指導ご鞭撻をしてもらうように!」


 乱暴に扉が開けられる音がして、トバリは我に返る。

 イグルカに続いてちょこちょこ部屋に入ってきたのは、髪も目も燃える炎のように赤い小柄な少女だった。頭には後ろ向きに2本の触覚のようなものが伸びている。


「君が新しく来たトバリ君だね! ラキはラキ。ラキ=トラバルト。よろしくなのだ!」


 少女——ラキが天真爛漫と表現するしかない明るい笑顔を浮かべて手を振ってきた。その腕は、蛇の鱗のようなもので一部が覆われている。

 亜人であることは間違いない。だが、これまで見たことがないような種だった。


「ラキちゃんは炎蜥蜴族サラマンダーなんだ。体温が高くて、とても温かいんだよ」


 と言いながら、イグルカがラキの頭を撫でる。


炎蜥蜴族サラマンダーと言ったら、希血種レアブラッドじゃないか! 話に聞いたことはあるが、会うのは初めてだ)


 地水火風、この世界を形作る四つの精霊のうち火の精霊に最も近しい亜人族とされている炎蜥蜴族サラマンダー。火山の中腹に村を作り、ひっそり暮らしていると何かの本で読んだことがあったが、外の世界で暮らしている者もいるというのは初めて知った。


精霊族エルフ鬼人族オーガに、さらには炎蜥蜴族サラマンダーか……自分の頭にも角が生えてるんじゃないかと錯覚してしまうな)


 この牧場で出会った全ての人を思い出し、トバリは苦笑いする。少数派になって初めて自分が人間であることを意識するのだった。


「そういえば、クリスロアさんは?」


 あの精霊族エルフの青年が引き続き牧場内を案内するものだと思っていたが、どこに行ってしまったのだろうか。


「あぁ、クリスロアはこれから別の大切な仕事があるからね。ラキちゃんにお願いしたんだ。それとも、彼女じゃ不満だったかい?」


 イグルカが言うと、彼女の隣にいるラキが一転泣き出しそうな顔に変わる。


「いや、いや! そういう意味で言ったんじゃない! ただ、ここまで案内してくれた礼をまだ伝えていなかったな、と」


 トバリが慌てて付け加えると、ラキの表情が太陽のような笑顔に戻った。


「クリスロア君なら厨房にいるのだ! 案内するからラキについて来てほしいのだ!」


 炎蜥蜴族サラマンダーの少女は跳ねるように歩き出し、扉から部屋を出て行った。フリフリ揺れるお尻から、長いトカゲのような尻尾が生えているのが見えた。

 トバリが少女の後に続こうとすると、イグルカに呼び止められる。


「ああ、そうだ。トバリ、ここに来るまでの間に〈解放団〉の襲撃には遭わなかったかい?」


「〈解放団〉?」


 聞きなれない言葉に、トバリは首を傾げる。


「そう、亜人族だけで結成された盗賊みたいな連中さ。前は南方を荒らしていたんだが、どんどん活動域が近づいているらしい。ま、何もなかったら良かったよ」


 亜人族の待遇はひと昔前に比べてかなり改善したらしいが、それでも偏見と差別は無くならない。今の話に出て来た〈解放団〉のように徒党を組んで人間への復讐に走る者達も少なくない。

 だが、イグルカのような真っ当に生きている亜人族からすれば、自分達の印象を悪くする目の上のたんこぶなのだろう。


(ま、自分には関係ないがな)


 亜人族と上手に付き合うコツは、一定の距離を置いて当たり障りのない話に徹することだ。

 相手を否定せず、かと言って過剰に肩入れせず。面倒ごとに自分から首を突っ込んでいくのは、時間の無駄だ。特に亜人問題のようにいろいろな立場の感情が入り乱れている話は。

 今最優先で考えるべきは、いかに早くこの牧場を離れて王都に戻ることができるかだ。


(ふん、見ていろ! 例えこの牧場で蛇のように嫌われようとも、自分は最速で王都に帰還する。かな、らず、だ!)


 心の中で誓いながらトバリは牧場長に頭を下げ、執務室を出る。

 廊下で手を振っているラキのもとへ小走りで駆け寄った。

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