牧場ではドラゴンに餌を与えないでください!
三ツ葉
第1章「おいでよドラゴン牧場」
おいでよドラゴン牧場(1)
「本部第6中隊所属一等兵士トバリ=テジャ。本日付けで汝の任を解き、王立ロンロン牧場へ出向扱いとする。兵舎の荷物をまとめ、即刻出発するように」
中年の人事官が淡々と告げた言葉は、死刑宣告のようにトバリの心を絶望の谷底に突き落とした。
赤みがかった鳶色の髪と、夜の闇を煮詰めた黒色の瞳の少年兵士は、何度か声を出そうとして失敗し、絞り出すようにしてようやく言葉を発した。
「あ、あ、あのー、人事官殿」
「質問は最後にしてもらいたいものだが、特別に許そう。何かね、トバリ=テジャ一等兵士……いや、元一等兵士」
金属の縁に覆われた眼鏡の奥から、人事官の冷たい視線がトバリに向く。
「一体何なのでしょうか。その、ロンロン牧場とか言うふざけた名前の施設は」
「ふざけているのは貴様の頭だ、トバリ=テジャ元一等兵士。王国に忠誠を誓った者なら、疑問を挟まず指令に従うべきだ」
人事官は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「だがまぁ、特別に教えてやろう。私としても貴様がこれから歩む道に多少の同情がない訳でもない。ロンロン牧場は
生き物の命が循環する輪から明らかに外れた異常な生命体——〈魔物〉。
小型から超大型まで多種多様な種族がいるドラゴンは、魔物の代表格たる存在となっている。
しかしドラゴンを手懐け、育成する方法が確立されてからこの十数年、あらゆる場面でドラゴンが使われているのを見るようになった。かつて馬が担っていた役割は、すっかりある種の小型ドラゴンがとって代わっているように。
「とは言え、兵士団の軍用ドラゴンを育てる栄えあるリーヨン牧場とは違い、ロンロンは荷車引きや郵便配達など雑用ドラゴンを育てる場だ。死にかけや問題のある個体を引き受ける仕事もある。なるべく上品な表現で言うなら……肥溜めのような職場だ」
「はぁ、肥溜めですか」
これからその職場に向かわされる者への配慮が全くない表現に、トバリは辟易する。人事官は机の上から1枚の紙を手に取ると、眉を釣り上げ声をあげた。
「この資料によると、ロンロン牧場での兵士団からの出向者の3ヶ月以内離職率は驚きの7割! 1割も半年以内には辞め、結局職場に定着しているのは1割程度となっている。実に嘆かわしい!」
3ヶ月離職が7割、半年が1割で残っているのが1割なら、残りの1割はどこに消えたのか疑問が喉まで出かかったが、トバリはぐっと我慢した。
「だがまぁ、我が兵士団の精鋭が選ばれる本部第6中隊にまで上り詰めた屈強な貴様なら、立派な牧場職員になれると信じているぞ。以上だ。それでは退出するように!」
人事官に促され、トバリは体に染み付いた形だけの敬礼をして執務室を後にする。
立派な牧場職員。間抜けな響きの肩書きが、心に残って離れなかった。
石造りで重厚な雰囲気が漂う兵士団本部の廊下を、トバリは放心状態で歩いていた。その間も、周囲から隠す気もない陰口が次々と聞こえてくる。
「聞いたか、あいつ牧場送りだってよ」「あんな問題を起こしたんだ、当然の報いだぜ」「精鋭部隊に選ばれてお調子に乗ってしまったのさ。いい気味だ」「あそこは罪人の流刑場だ。3日と持たずに逃げ出すだろう」「あいつ、ドラゴンの糞にまみれながら寝床を掃除するんだろ。あ〜見てみてぇな」「無理だろ。国土の端っこだぞ。この王都から何日かかると思ってるんだ」……
陰口に込められているのは怒りや憎しみではない。
成功した者がどん底に落ちて行く様を安全な場所から見下ろす快感に満ちていた。
(なんで、自分は……なんで、こんなことに……!)
トバリは不意に涙がこぼれそうになったが、ギリギリで押しとどめた。これ以上
無心のまま兵舎に戻って身支度をし、気がつけば小型ドラゴンが引っ張る馬車——竜車の屋根のない荷台の上で、仰向けになりながらごとごと揺られて運ばれていた。
見上げる空の青さが痛かった。
トバリには夢がある。
生まれ育ったこのアトルリア王国で、武人の最高峰たる〈剣聖〉の称号を手に入れることだ。
それは「最も剣聖に近い男」と称されながら不慮の事故で道を断たれ、結果酒と女に逃げてのたれ死んだ父への当てつけでもあり、また幼い頃に見た立派な父への純粋な憧れでもあった。
愛と憎の2匹の蛇がとぐろを巻くような感情に突き動かされるまま、トバリは〈剣聖〉となるべく17年間の人生をほぼ剣術の研鑽に費やしてきた。
王国の兵士団に入団し、訓練兵時代を乗り越え、3年間の辺境の駐屯地の任務を終えた。優秀な戦果を上げた者のみが配属される王都の精鋭部隊に入り、全ては順調に進んできたはずだった。
だが、今は〈剣聖〉への道から最も外れた場所へ向かっている。
光刺す道とは真逆の、軽んじられ、蔑まれ、卑しい者達が行くとされる場所に。
* * *
『牧場ではむやみにドラゴンに餌を与えないでください。一緒にぱくっと食べられたくなければね!——鬼の牧場長より』
トバリがまず目撃したのは、砕けた口調で物騒な言葉が書かれている木の看板だった。
看板には可愛らしく表現されたドラゴンが笑顔で「がおー」と口を開いている絵も添えられているが、今まさに来場者を食べようとしているのだろうか。
(なんだ、この世界の終わりを告げるような看板は! 自分は一体どこに向かっているのだ……!)
トバリは理解しがたい看板を前に、早くも心の中に得体の知れない恐怖が広がっていくのを感じた。
洞窟内で巨大な
「ああ、その看板が気になりますか? 以前、物見遊山に来た若い貴族様が、度胸試しとかで牧場で飼っているドラゴンに餌を手渡しで与えようとして丸呑みにされてしまいましてねぇ。それ以来、安全のために牧場のあちこちに立てているんですよ」
立ち尽くしていると、先導して案内してくれている
「でもご安心を。職員の魔術師が〈
切れ長の目に森の木々を思わせる緑の髪、そして
「……あの、クリスロアさん。ここの仕事はそういう一風変わったものばかりなんですか?」
トバリは手を挙げておずおずと尋ねる。
「いえいえ! 見学に来た方を案内する業務はありますが、丸呑みにされた貴族を吐き出させるなんて仕事は……まぁ、たまにしかないのでご安心を」
たまにしかない、と言うことはたまにはあるのか……とトバリは気が滅入る。
「業務内容については牧場長から詳しいことが聞けるでしょう。なんと言いますか……今は不安が大きいかもしれませんが、きっと分かり合えると思いますよ。さぁ、そろそろ中に入りましょうか。ブルートドラゴンに乗ってください」
クリスロアが近くの木に繋いでいた馬ほどの大きさの二足歩行のドラゴン——〈獣竜〉ブルートドラゴンの鞍に軽い身のこなしで跨った。トバリは小さくため息をつくと、もう1匹に足を掛ける。
2匹の獣竜は楽しそうな足取りで、木を組み合わせて作られた簡素な門を潜っていく。
門には『ようこそ、王立ロンロン牧場へ』と大書され、脇にはトバリが先ほど見た看板と同じように可愛らしいドラゴンの絵が口を開けていた。
(あぁ、そうか)
トバリは自分が感じている恐怖の正体に気が付いた。
(ドラゴンの口の中に自分から入っていく時ってこんな気持ちになるんだろうな)
得体の知れない世界に自ら入っていく恐怖。何かの気まぐれで口をパクッと閉じられたら、そこはもう闇の中だ。この先に何が待ち受けているのだろうか。トバリは唾を飲み込んだ。
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