弟の婚約破棄に姉は怒る
山吹弓美
弟の婚約破棄に姉は怒る
「アリッサ・フランネル。貴様との婚約、今この場で破棄させてもらう!」
「は?」
私のセヴリールがほんの僅か開いてくれた扉の隙間から、愚弟ティオロードの間抜けな宣言が私の耳に飛び込んでくる。
思わず手の中の扇を握り潰しかけたが、さすがにそれは押し止めることができた。もっとも、何の前触れもなく聞こえたならばこの扇はすでに使い物にならなくなっていただろうが。
「クラテリア・ツィパネットに対する侮辱及び暴行の数々、俺が知らぬとでも思ったか!」
「殿下が何をご存知なのか、わたくしの方が存じ上げませんが」
愚弟が呼ばわったその名を、私は記録として持っている。至極最近まで存在しなかった名であるから、面識は皆無だが。
跡継ぎのいないツィバネット男爵家に養女として引き取られた、市井の娘。現当主の弟が出奔し、そして遺した娘と報告書にはあったな。当主の姪であればまあ、婿をとって家を継ぐのは問題なかろう。
ただし、その本人が後継者にふさわしいものであれば、だが。
「それと、ツィバネット……でしたか。男爵家であることは存じておりますが失礼ながら、そちらの方とはわたくしは初めてお会いしましたわ」
愚弟に反論しているアリッサは、公爵家の娘。というかこの私、王家の長女であるローザティアの大切な親友だ。
彼女とはこの学園に上がる前から仲良くしており、それもあって当家長男たる我が弟ティオロードの婚約者となっていたのだが。
そのアリッサを、愚弟めが何やら非難しておるようだな。学園の卒業式、その直後に行われる記念パーティの場で。
父上も母上もお忙しい身故、国王名代として私が出席する手はずになっているこの場をあやつめは、なんと心得ているのか。
「フランネルの娘として申し上げますが、婚約者をお持ちであることを知って殿下に近づくような娘に知り合いはおりませんの」
「ひどいです! アリッサ様、わたしの制服を破ったり教科書を汚したりしたじゃないですか!」
「アリッサ! クラテリアに文句があるのならば、言葉で言えばよかろう!」
ふむ、ティオロードは謙遜ではなく真実愚弟であったようだな。私が国を離れる一年前はそうでもなかったはずだが、この一年で頭の中が煮えたぎったか。ツィバネットの娘も、間抜けた声で反論しているようだがはて。
アリッサが人に嫌がらせをするような女性でないことは私が保証する上に、我が王家に仕える影の報告でもきっちり上がっているというのにな。全く、愚かな弟め。そのくらい、しっかり調査しないのか。
「参られますか」
「無論だ。私が行かねば、フランネルに要らぬ罪を押し付けることになるからな」
ちらりとセヴリールに目を向けると、彼は軽く一礼した後に扉を大きく開いてくれた。愚弟を黙らせなければならんからな、せっかくのパーティを楽しもうとしている皆のためにも。
「何をしているか、ティオロード」
「は?」
楽団の演奏は、私が入る前からずっと停止している。愚弟と、ツィバネットの娘のせいで。
故に私の愚弟を呼ばわる声は、会場内に響き渡った。この場にいる皆の視線が、この私に集まってくるのがわかる。その中で私はセヴリールを従え、ずかずかと愚弟たちに歩み寄った。
「あ、あ、あ、あねうえ? いつこちらに」
「昨夜だ」
先触れを入れておいたはずなのだが、お前は聞いていないのか。まあ、どうせいろいろ浮かれていたのだろうな。だから、このような行為に及ぶ。
セヴリールが、私に鉄扇を差し出した。うむ、これが必要そうだな。受け取っておこう。
「父上の名代として二人で愚弟の卒業を祝いに来たつもりだったのだが、これはどういうことか」
「だ、だってアリッサが! 俺のクラテリアにげふっ」
一応この状況に関する言い訳なりとも聞いてやろうと思ったのだが、さすがにまともな回答が帰ってこないと分かったので鉄扇で腹に軽く一撃くれて黙らせた。このための接近なのだが、警戒していないとはさすが愚弟だな。
だいたい、婚約者を差し置いて男爵家の娘を自分の呼ばわりとは何事だ。愛妾など、十年早いわ。
「貴様の婚約者、私の親友の名を悪しざまに呼ぶな。我が一族の名に傷がつく」
「あ、あねうえ……ひどいです……」
涙目で腹を抱えて不満を口にする愚弟だが、ひどいのはどちらだ。公衆の面前で、一方的に己の婚約者を糾弾しようとする貴様の方ではないのか。
さて、と周囲を見回してセヴリール、愚弟とツィバネットの娘以外の全員がかしこまっている事に気づいた。おお、いかんいかん。私が許さねばこの者たちは、口を開くこともできんのだ。面倒だな、この礼儀。
「ああ。皆の者、楽にせよ。発言も許す。……アリッサ、愚弟が迷惑をかけているようだな」
「ローザティア様、セヴリール様、お帰りなさいませ。わたくしは大丈夫ですわ」
我が友アリッサは、愚弟と小娘の暴言を受けていただろうに笑顔で私を迎えてくれた。私だけでなくセヴリールにも声をかけてくれる、さすがだな。セヴリールは「ありがとうございます」とこれまた目礼するにとどめているがまあ、これはそういう男だからな。
……しかし、ティオロード。私の大切な友を預けてもいいと思ったのに、何がどうしてそうなりおったか。ああ、私としたことが。身内を見る目が曇っていたらしい。
「え、ティオ様のお姉さまなんですかあ?」
そう思う私の思考を叩き切るように、ツィバネットの娘が平民の言葉を口にする。いや、時と場合によっては構わないのだが……何しろ、準公式の場と言っても差し支えないこの場ではな。
「クラテリアとやら。そなた、仮にも男爵家の娘であるならもう少し言葉をわきまえよ。ただの下品な娘としか見られぬぞ」
「へ?」
「その視線を、やめてください」
一応たしなめてはみたものの、当の本人はよく分かっておらんようだ。これは、学園に送り込む前に基本的な教育の一つも施さなかったツィバネット男爵が愚か者だったということかな。今後の登用を考えるべきだな、これは。
ところでセヴリール、ツィバネットの娘の視線は気持ち悪いのかな。顔には全く出ていないが、本気で嫌がっているのが分かるぞ。
どの男でも良いのかな、この小娘は。それに引っかかった愚弟を持つ姉なので、複雑な心境ではあるな。
「それでアリッサ。ティオロードがどのような馬鹿を抜かしたのかな」
「姉上!」
「貴様に聞いてはおらん」
さて、事情はアリッサから聞くべきだと思ったので彼女に声をかけたのだが、愚弟が口を挟んでこようとする。どうせ貴様のことだ、アリッサを悪し様に罵るのであろう? 黙っておれ、と一にらみすればティオロードは固まった。
「アリッサ」
「は、はい。クラテリア様に対して、わたくしが嫌がらせを度々行ったと、ティオロード殿下はそう申しておられます」
「心当たりは?」
「全くございません」
「だろうな」
私は別に、アリッサが我が友であるから贔屓をしているわけではないぞ。愚弟の行い、その周囲にいる者の調査を行っていてくれた影の報告を先に受けているからこそ、アリッサの言葉を信用するのだ。
本当にアリッサがツィバネットの娘に嫌がらせをしているのであれば、それをたしなめるのは友として、王女として当然のことであると私は考えている。そうして彼女の行為が国を害するものであれば、彼女を罰することも。
ただ、此度の騒動はアリッサに非はなく、愚弟とツィバネットの娘にあることは分かっているからな。ひとまず愚弟の話を聞いてみるか。
「ティオロード。誠に愚弟だな、貴様は」
「でも! クラテリアがそう言ったのです!」
「当人の証言だけでは、証拠にはならん。もしその娘が私にいじめられたと言ったら、貴様は証拠もなしにこの場で私を糾弾するのか?」
「い、いやそれはさすぐげっ」
情けないことを抜かしたので、愚弟の眉間に鉄扇で軽く一撃。何だ、アリッサにできることを私にはせんのか。この根性無しが。
アリッサが自分より立場が低いと思っての暴言か、愚か者め。アリッサは私に非があると思えば、遠慮なく言ってくれたのだぞ?
「今の馬鹿な発言とこれまでの愚かな行為、すっかりこちらに報告されておるわ。アリッサ・フランネルはクラテリア・ツィバネットに対し、危害も悪口も加えてはおらぬよ」
「そ、そんな!」
「王家の権力はな、国の者が愚かなことをしておらぬか確かめるときには大変有用なのだぞ。我が配下の影からそこな娘の話を聞いてな、この一年きっちりしっかり調査させてもらった」
手のひらを扇でぱん、と軽く叩けば愚弟も、そしてツィバネットの娘も息を呑んで黙り込んだ。まあ、ここで黙らねばこの扇が己の身に打ち込まれるとでも思ったからだろうな。あいにく、身内にしかこの一撃は食らわせん。
「それから、クラテリア・ツィバネット」
「はい!」
「そなたが愚弟の妻になるなら、好きにするが良い。ツィバネットは後継者がおらなんだからな、これを婿に取ればよかろう」
「え?」
「は、はい! やったよクラテリア!」
おや。
愚弟は私の言葉を許しと見て喜んでいるが、ツィバネットの娘は目を丸くしているな。はて、何か企みでもあったかな?
「え? え? 何で?」
「クラテリア、どうしたんだ?」
「だって、ティオ様が王様になるんじゃないの?」
…………。
うむ、場内が静まり返ったな。なぜティオロードが父上の後を継ぐ、とこの娘は思い込んでいるのか。
「知らなんだか? というか、この国の民であれば皆知っていると思うたのだが」
知らないのであれば致し方ない故、教えることにしよう。……平民の教育課程には入っていないのかな、もしかして。
「我が王家は、問題がない限り第一子が継ぐことになっておる。つまり、王位を継ぐのはこの私だ」
「えぇえええええ!?」
いや本当に知らなかったのか。この場にいる私たち王族や貴族たちには至極当然の常識であるが故に、誰も教えなかったのだろうか。
ま、そのようなところであろうな。ツィバネット男爵も、姪が知らなかったとは思っていなかったのだろう。やれやれ。
「故に、ティオロードは本来であればフランネルの家に婿入りする予定だったのだがな。本人が嫌がっている上に、ツィバネットの娘と恋仲であるのならば致し方あるまい」
「ええーちょっとちょっと! わ、わたしが王妃様になるんじゃないの!?」
「何言ってるんだクラテリア? 俺が君の婿になるんじゃないか、いやだなあ」
さすがの愚弟も、自分が王位に就くなどとはかけらも考えておらなんだようだ。ツィバネットの娘と結ばれるならば当然、そちらの家に入るものだと理解していたのは助かるな。
ま、王族が本来の婚約を破棄して別の家に入るのはさすがに問題だからな。王族の籍を抜いてから、ツィバネットの婿として放り込むことにしよう。
「ティオロードよ、ツィバネットの娘よ。そちらの話は私が父上と話をして進める故、安心して待つが良い」
満面の笑みでそう伝えてやると、小娘めは今更ながらに状況を飲み込んだのか、その場にへたり込んだ。本当に、安心するが良い。
さて、あとはアリッサであるな。私は彼女の前まで進み出て、その手を取った。……愚弟の妻とならずに済んだことを喜びつつ、謝罪せねばなるまい。
「アリッサ、本当に済まなかった。愚か者との婚約については私とセヴリールから父上とフランネル公爵に伝え、然るべき処分を下していただくことにしよう。そのうえで、そなたには愚弟よりも良き縁を結んでもらいたい」
「ありがとうございます、ローザティア様」
「本当は、義妹になってほしかったのだがな。残念だ」
「わたくしも、ローザティア様をお義姉様とお呼びしとうございました」
互いに、義理とはいえ姉妹になる機会を失ったことを悲しむ。顔にも態度にも出さぬが、さすがにへこむな。愚弟のせいだおのれ、と毒の一つも吐きたくなるが、王女としてここは我慢せねばなるまい。
「衛兵。そこのお二方を控室まで、丁重に、案内せよ」
「はっ!」
我がセヴリールが手配した衛兵が、愚弟とその奥方予定の娘を取り囲んだ。そのままひとかたまりとなって、会場の外へと消えていく。それを見送ったところで私は、声を張り上げた。
「愚弟ティオロード及びツィバネット男爵令嬢の処遇については、このローザティアに任せてもらいたい。また、フランネル公爵令嬢については何の咎もないことを、我が名において宣言しよう」
「ローザティア様のお言葉に、感謝いたします」
アリッサがほっとしたように答えてくれたことで、場の雰囲気は和らいでくれたようだ。よかった、うむ。
「それでは、パーティを再開しようではないか。どうか、気分を切り替えて楽しんでくれ」
そうして、私の言葉に続くように楽団が演奏を再開する。……さて、困ったな。さすがに今のアリッサの前でセヴリールと踊れるほど、私の顔の皮は厚くないのだから。
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