第60話

「ヨシカズ、あいつとまともにやりあおうとするな。槍斧と剣じゃ、こっちが圧倒的に不利だ」

「まともに、か。まともじゃなければいいってことかな?」

「そうだ。君ならどうする?」

「相手の意表を突く。でも、どうすればいいのかはわからない。ワッフドゥイヒ、そこは君が考えてくれ。君の得意分野だろう?」

「君は俺をなんだと思ってるんだ」


 彼は笑った。その瞬間にも、ジレの槍斧の刃は僕達に次々と迫ってきていた。だが、僕はその動きが妙にゆっくりに見え、かわすだけなら容易だった。そして、いつもの僕とは比べ物にならないくらい、体がよく動いた。そう、まるで自分が自分じゃないような……。


 そうか。これはワッフドゥイヒの身体感覚だ。彼の中の戦いの勘のようなものが、剣を通じて、今僕の身に宿ってるんだ。


 だが、それを持ってしても、正面からジレの懐に潜り込むのは厳しいように思われた。早くしないと。ジレの槍斧を剣で受けるたびに、次第に腕がしびれてくる。ウニルももう限界だ……。


 と、そのとき、


「ヨシカズ、上に飛べ!」


 ワッフドゥイヒが鋭く叫んだ。


 上に? そうか――。その言葉の意味を僕は瞬時に理解した。あぶみから脚を外し、勢いよく鞍から真上に跳躍した。


 ジレの槍斧は、ちょうど僕の正面にあった。次の瞬間には僕はその刃の上に足を乗せていた。そして、さらにそこから前に跳躍した。右手の剣をジレに向かって大きく振りおろしながら――。


 呆気に取られているジレの顔が、まず目に飛び込んできた。次に感じたのは右手の剣が肉を斬り裂く感触だった。ジレはとっさに身を反らしたのだろう、僕の剣は彼の右肩から左胸を浅く斬っただけだった。だが、その一撃は、彼にとって致命傷になったようだった。彼はすぐに槍斧を下に落とし、苦しみ始めた。


「これはいったい……?」


 ウニルに無事に回収されたところで、僕は彼に振り返った。


「あれは竜魔素ドラギル中毒の症状だ。君の剣の刃から直接高濃度の竜魔素ドラギルを食らったんだよ。宵闇の陽炎達と同じだ」

「え? でも、あいつ防御魔法使えるんじゃ?」

竜魔素ドラギル遮断の術は術者の体の表面を防御結界で薄く覆うものなんだ。剣で肉を斬り裂き、体内から竜魔素ドラギルを直接注入されればそんなものは役に立たない。あいつはもう戦えないだろう」


 と、彼が言うやいないや、ジレは自分のレ・ヌーの上で気絶してしまったようだった。彼のレ・ヌーは切なそうに一声鳴いて、そのまま下にふらふらと降りて行った。ここでリタイヤって感じだ。


「君も早く行くんだ、ヨシカズ。君の――俺達の目指す場所へ!」

「ああ!」


 僕達の勝利をさえぎるものは、もう何もなかった。そのまままっすぐコースを駆け抜け、広場のゴールをくぐった。いっぱいの歓声に包まれながら。


「やった、優勝だ!」


 思わず叫んだ。その一瞬だけ、僕はワッフドゥイヒのことを忘れた。ただ純粋に自分が一番になったこと、まわりの大勢の人たちがそれをたたえているのがうれしかった。今までずっと日陰の人生で、こんな晴れ舞台に立てるなんて夢のようだった。


「おめでとう、ヨシカズ」


 頭の中でそんな声が聞こえた。


「早良君! ほんとに優勝しちゃったのね!」


 山岸はすぐに泣きながら駆け寄ってきた。そして、僕に抱きついてきた。すかっ! 当然、その体はむなしく僕の体を通り過ぎてしまった……。うう、いまいちきまらないなあ。


「幽霊の友達の祝福の抱擁を受け止め損ねたって感じだな。きっと可愛い女の子なんだろう?」


 ワッフドゥイヒがにたにた笑っている。顔は見えないが、そういう感じの声だ。くそ、図星だ!


「う、うるさいな! すぐに幽霊じゃなくなるからいいんだよ!」

「はは。その時は俺にも紹介してくれ――」


 と、そこでにわかに彼の声は途切れた。まるで電話が突然切れたようだった。


「あれ? もしもし、ワッフさん? もしもーし?」


 剣を叩きながらささやいたが返事がない。ただの剣に戻ってしまったようだった。


「心配するな。あいつのかけた感覚共有の術が切れただけだ」


 クラウン先生が人だかりをかきわけながら、僕達のところにやってきた。


「優勝おめでとう、ヨシカズ。約束通り、君の友人は救われるだろ……う……」


 先生はそこで、いきなり前のめりに倒れ込んできた。うわ、なんなんだ! とっさにそのぐったりした長身の体を支えた。重い……。


「彼なら大丈夫よ。寝てるだけだから」


 今度は、テティアさんがこっちにやってきて、先生の体を僕から引きはがし、そばに控えていた魔術騎士たちに渡した。よく耳を澄ますと、確かに仮面の下から寝息のようなものが聞こえてきた。


「彼、ここ数日、ずっと不眠不休で調べものをしてたの。だからきっと、あなたの優勝を見届けて、緊張の糸が切れたのね」

「不眠不休で調べもの? 何してたんですか?」

「そりゃあもちろん、今回の事件のことよ。事件に関わった人間の詳細や、さまざまな証拠や、黒幕から末端への金の流れなんかを仲間と一緒に徹底的に洗ってたわ」

「仲間? 洗ってた?」

「あ、彼は副業で探偵をしているの」


 ものは言いようだ。それ、「暁の狼」って組織だと思うんだけど。


「これからあなたの受賞式だけど、フォルシェリ様はいらっしゃらないわ。もうすでに、薄汚い陰謀に加担した犬どもの粛清を始めてるはずだから」


 うふふ、と、テティアさんは微笑んだ。氷のような冷やかな笑みだった。


「じゃあ、学園長は今回の件で、ちゃんと真犯人を捕まえる気だったんですか? だったら、何ですぐにワッフドゥイヒを助けてくれなかったんですか?」

「あら、彼女はちゃんと彼を助けたでしょう」

「え?」

「彼女はどうして、感覚共有の術を使ってまで、彼にあなたのレースを見せたのかしらね?」


 テティアさんはそれだけ言うと、クラウン先生を抱えた魔術騎士たちと共に向こうに行ってしまった。一体今のはどういう意味なんだろう?


「私、わかる気がするわ」


 山岸が僕の前に回り込んできた。


「だって、さっき一番でゴールしてきた早良君、すごく……かっこよかったもん」


 山岸は照れ臭そうに笑いながら言った。


「そ、そうかな……」


 僕もとたんに顔が熱くなってしまった。でも、それって今のテティアさんの話とどうつながるんだろう。やっぱりよくわからなかった。


「じゃあ、私、そろそろ病院に戻るね」

「え? もう行くの?」

「うん。あんまり体と離れたままだと、元に戻れなくなっちゃうかもしれないでしょ? 早良君とは後でいくらでもお話できるし」


 山岸はそう言うと、「じゃあ、またね」と手を振って、空の彼方に飛んで行ってしまった。

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