第44話
僕は、地下の通路を走っている間はなんとか誰とも遭遇せずに辿り着くことができた。だが、階段をのぼりきって一階の通路に躍り出たところで、向こうから何人もの兵士が駆けつけてきた。みな、すでに剣やら槍やらを携えている……。
「そこを動くな!」
それらの切っ先がいっせいにこっちに突き付けられる。うわ、今にも切り捨てられそうな雰囲気だ……。恐怖で足がすくんで固まってしまった。
「貴様、何者だ! どうやってここに忍びこんだ! 言え!」
兵士の中の特に偉そうな雰囲気の中年の男が、僕の喉元に刃を突き付けた。
「そ、それは、そのう……」
声は震え、体はすっかり委縮してしまった。これから僕、いったいどうなっちゃうんだろう……。山岸もすぐ近くで、もうダメという風に顔を手で覆っている。
「言わねば斬るぞ!」
「や、やだあっ!」
と、思わず情けない声を出した瞬間だった。通路の窓の常温氷のガラスをぶち抜いて、一人の男が中に飛び込んできた!
それは黒い装束をまとった長身の男だった。フードをかぶり、顔も覆面で覆っているので、正体は全く定かではなかった。だが、その動きはおそろしく敏捷だった。彼は僕の喉元に刃を突き付けている兵士に一瞬のうちに間合いを詰めると、その顔に裏拳を当てた。
僕と同様に突然の闖入者にあっけに取られていたその兵士は、裏拳をもろに顔に浴びせられた。それは、音からしてたいした力のこもってない攻撃のようだった。だが、次の瞬間、兵士は床に崩れ落ち、動かなくなった。
「き、貴様! 隊長に何を……」
たちまち兵士達に緊張と動揺が走った。彼らはいっせいに謎の男に向け、構える。
だが、その動作は何の意味もなかったようだった。男は兵士達が身構えるわずかの時間にすでに動いていた。身を低くし、半ば跳躍するように一気に彼らのもとに迫った。そして、次々に彼らの顔や腕などに、掌打を浴びせていった。実に流麗で無駄のない動きだった。
彼の攻撃はやはり、とても軽い、殺傷力のないもののように見えた。だが、掌打を食らった兵士達はさきほどの兵士と同様に次々と倒れていく。
やがて、その場に立っているのは僕とその男だけになった。男は深呼吸し、おもむろにこちらに振り向いた。思わず体がびくっと震えてしまった。このいきなり現れためちゃくちゃ強い人、何なの……。
「あ、あのう……」
「俺は言ったはずだ。あいつのことは諦めろと」
男はつかつかと僕に近づいてくる。
「なぜこんなバカな真似をした!」
男は激しく怒鳴り、僕の頬を殴った! い、痛い……。でも、この声はまさか……。
「クラウン先生じゃないかしら?」
山岸がつぶいやいた。そうだ。確かにこの声と台詞、間違いない。
「先生、なんでこんなところに――」
「それはこっちの台詞だ! なぜおとなしくしていられない! お前も死にたいのか!」
顔から覆面を取りながら、先生はまたしても怒鳴った。二十代後半くらいの、猛禽のような鋭い鳶色の目をした精悍な顔だ。だが、その右半分は幾筋もの大きな傷が走っており、瞳の色も右は薄い金色になっている。
この顔の傷は……。そこでようやく僕は、先生の設定を思い出した。確か、昔戦争に参加してて顔にその時の傷があって、それでいつもお面をしてるんだっけ。あと、教師をやりながら、「暁の狼」という裏の組織でも働いてるんだ。合法的な手段では捕まえられそうもない悪人を、非合法に処理する組織だ。クラウン先生というのも、生徒同士で使われてるただのあだ名で、本名は確か、
「ウィンザス・バートブライト……」
「何だ急に? 俺の名前がどうかしたか?」
「い、いや別に!」
あってる! たぶん、僕がなんとなく考えてた設定も全部使ってくれてるよ、この先生!
「ところで、先生。軽く叩いただけで、みんな一瞬で倒れちゃったみたいなんですけど、何したんですか?」
「昏睡掌だ。相手の肌に直接触れ、その体内の
「術ですか……」
魔術と体術、どっちなんだろう。
「でも、触れた一瞬でそんなことができるって、もしかしてすごい術なのかも」
山岸がつぶやく。確かに、理屈はわかるけど、こんな大勢の兵士を次々と倒すってすごいことだ。魔術にしろ体術にしろ。
「長話をしている暇はない。早くここから出るぞ」
「は、はい!」
僕達は割れた窓から外に飛び出した。
外に向かって走りながら先生に転送魔法を使わないのかと尋ねると、「ここで使うのはまずい」と先生は答えた。
「ここの外壁には魔術障壁が張られている。実際、障壁としての機能は弱いが、魔術感知システムは相当な精度だ。それに俺の上位転送魔法が引っ掛かると、さすがに足がつく。ラーファスでも使う者がかなり限られている術だからな」
なるほど、だからわざわざ窓をぶち抜いて……。ってか、なんて現場慣れした台詞なんだろう。まるでプロの盗賊だ。
それから、僕達は入ってきたときに使った非常用の扉から外に出た。途中で二人組の兵士に誰何の声と同時に襲われたが、先生が一瞬で眠らせてしまった。そのへんはプロの殺し屋みたいだった。何でこの人、魔術学校の先生なんてしてるんだろう……。
僕達が外に出ると、当然のように二人の女の子が心配そうに暗がりから出てきた。そして、謎の黒装束の男にぎょっとした。
「ワッフ……じゃないわよね、その人、誰?」
「え、えっと……」
と、僕が口を開いた瞬間、
「アニーベル、ルーフィー、お前達もこのバカな計画に加わっていたのか」
先生が覆面をしたままつぶやいた。低い、怒気のこもった声で。
「その声……クラウン先生?」
「先生、なんでこんなところにいるの?」
アニィとルーは同時に言う。だが、その声はすぐに「ふざけるな!」という先生の怒鳴り声でかき消された。
「いいか、俺がここに来たのは、こいつが昼間、妙な本を図書室から借りていたのを見たからだ! それでまさかとは思ったが、そのまさかだったとはな。お前達の浅はかさにはあきれてものも言えん! なぜこんな無茶をした!」
先生はさすがに殴りはしなかったけれど、殴りつけるような激しい叱責だった。二人の女の子は一瞬で真っ青な顔になり、その場にへたりこんでしまった。
「わ、私達、ワッフを助けたくて……」
「アタイも……ワッフが死んじゃったらやだから……」
二人は震えながら身を寄せ合い、涙目で言った。「何をバカなことを!」先生はさらに追い打ちをかけた。
それから僕達は、先生の転送魔法で学園の中庭にまで瞬間移動させられ、そこで並んで正座させられ、寄宿舎を無断外出した件も合わせて激しく説教されることになった。ルーは途中でアヒルになってしまったが、それでも先生は容赦なかった。人が話をしているときに勝手にアヒルになるな!とも言われていた。いや、そんなこと言われても……。
やがて、夜もとっぷり更けたころ、僕達は長いお説教から解放された。後で反省文を提出すると約束させられて。
先生の去り際、僕はふと、その後ろ姿に尋ねた。「先生はもう、ワッフドゥイヒを助ける気はないんですか?」それは悪あがきにも似た質問だった。だが、先生は振り返らずにただ一言、「俺は俺の仕事をするだけだ」と答えるだけだった。
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