第42話
山岸の下調べと偵察のおかげで、建物内への侵入にはそれほど苦労しなかった。ただ、ワッフドゥイヒが捕まっている地下へは、山岸の協力だけでは到底たどり着けそうになかった。地下へ通じる階段の入口に二人組の見張りの兵士がいたのだ。
僕はそこで、アニィからもらった薬を使うことにした。彼らに見つからないぎりぎりのところまで来ると、例の小瓶をポケットから出し、中の液体を一気にあおった。そして、その効果を信じて、彼らの前を駆け抜けた。
山岸には依然として僕の姿は見えているようだったが、はたして、見張りの兵達は僕には気づいていない様子だった。よかった。ほっと胸をなでおろした。山岸も僕と眼があうと、安堵した様子で微笑んだ。
去り際、後ろから彼らの話し声が聞こえた。
「先輩、なんで急に見張りしなくちゃならなくなったんですかね?」
二人のうち、若い男のほうが年配の男のほうに尋ねている。
「最近捕まったのはあの恋人の女を殺そうとしたっていう優男でしょ? よくある事件じゃないですか」
「さあな。上からの命令だ。何かあるんだろう」
年輩の男はさもめんどくさそうに答えた。若者の男は「はあ」と、あくびをしながらうなずいた。
そうか。事件の真相はごく一部の人間しか知らないんだ。ワッフドゥイヒは捕まってるとはいえきっとフェトレのことを考えて多くを語らないだろうし。
でも、どっちにしろ、彼はこのままだと危ないんだ。冤罪で処刑されることには違いないんだから。見張り達の話を耳にして、事態の深刻さを改めて思い知った。山岸と無言でうなずきあうと、大急ぎで階段を降りた。照明はまばらで、階段は薄暗く、地下の牢が並ぶところはもっと暗かった。いずれの牢も分厚い
「ここよ」
やがて、一番奥の牢屋の前に来た。ここにワッフドゥイヒが……。緊張しつつ、のぞき窓を開け、中をうかがった。
すると、狭い部屋の奥にうずくまっている人影を見つけた。暗くてよく見えないが、彼だろうか。「ワッフドゥイヒ」声をかけた。
人影は眠ってはいなかったようだ。僕の声にすぐ反応し、頭を上げた。天井近くの小さな窓から差し込む月明かりが、その髪を銀色に照らした。彼に間違いないようだった。その腕にはほのかに光る手枷がつけられていた。
「た、助けに来たよ。早くここから出よう!」
扉を開けようとする――が、当然鍵がかかっていて開かない。仕方ないのであのへっぽこ魔法で鍵を破壊した。扉はすぐに内側に開いた。山岸に見張りを頼み、一人、中に入った。
「ヨシカズ、なぜここに……」
暗がりの中、驚き、戸惑っている彼の声が聞こえた。
「なぜって、このままだと君は処刑されるって聞いたから――」
「それで俺なんかを助けに? たいした勇気と行動力だな……」
彼はなぜか鼻で笑ったようだった。
「とにかく行こう。警備の兵士に見つからないうちに」
僕は彼に手を差し伸べた。だが、彼はうずくまったまま微動だにしなかった。
「悪いが、ほうっておいてくれ。俺は君に助けられる資格なんてない」
それはひどくかすれた、消え入りそうな声音だった。
「し、資格ってなんだよ? 僕達、同じクラスの仲間だろ? クラスメートだろ? だからこうして……」
予想外の反応に動揺しつつも必死に言葉をつくろったが、
「いいんだ。俺はここにいるのがお似合いの人間なんだ」
彼はやはり腰を上げなかった。
「お似合いって何だよ? 君はまさか、本当にフェトレを殺そうとしてたのかい?」
「…………」
彼は返答の代わりのように重く息を吐いた。
今のは一体どういう返事なんだろう。わからなくて、ひどくいらいらした。そもそもどうして彼はここから動かないんだろう。
「ぼ、僕は信じてる。君が無実だってことを。僕だけじゃない。アニィやルーや、先生だってそう信じてる。学園長だって無実だろうって認めてた。もう助ける気はないみたいだけど……。だいたい、君はなんで助かろうとしないんだ? 昨日の朝、学園長の問いにいいえって答えればよかっただけの話だろう?」
「……それで助かって何になるんだ?」
「え?」
「フェトレとは……もう会えない。俺達は永遠に結ばれない……」
それはなかば悲痛なうめき声だった。
「俺だってわかっていた。あの場でどう答えれば助かるかということは。でも、あの瞬間、気付いたんだ。ここで嘘をついて何になるんだろうって……。あれは本当に辛い質問だった。俺だって……俺だって知りたくなかった! フェトレが何者かだってことは……」
彼はうつむき、手枷に額を当てた。
「フェトレにはただの女の子でいてほしかった。そして、俺もただの男でいたかった。でも、彼女は誠実だった。親しくなると、すぐに自分が何者であるか打ち明けてくれた。……俺はそのときどんな顔をしてたんだろう? ショックで口の中がカラカラに乾いて、それでも必死に笑顔を作っていたことはよく覚えている――」
その声音はかすれ、震えていた。辛い気持ちがありありとそこに現れているようだった。
「俺はそれからずっと、彼女に自分の過去を打ち明けようと思っていた。でも、言えなかった。それを伝えるということは、もう一緒にはいられないということだったから――」
「そ、そうと決まったわけじゃ……」
いたたまれなくなって、思わず反論した。だが、彼は弱弱しく首を振った。
「やっぱり、もう一緒にはいられない。俺は彼女が好きだ。愛している。でも、彼女の素性を知ってからは、その感情に耽溺しているだけではいられなくなった。彼女と安らかに過ごしていても、ふとした瞬間に、父さんが殺された時の光景が頭に浮かぶんだ。そして、どうしたらいいのかわからなくなる……。彼女を殺して王に復讐してやろうかと、考えた瞬間がなかったといったら嘘になる。俺は本当に、彼女に対する誠実さを何もかも失ってしまったんだ……」
もはやその声は嗚咽に等しかった。
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