第30話

「どういう意味だよ?」

「言えないんだ、真実を。俺はずっと彼女に自分を偽って……」


 彼の顔にはやはり苦渋がにじんでいた。いったい彼は何を隠しているんだろう。作者であるはずの僕にもさっぱりだった。山岸なら何かわかるのかもしれないけど。


「今日彼女と会ったのも、本当のことを伝えるつもりだったんだ。でも、できなかった。何も言えなかった……。俺は結局、どうしようもなく卑怯なやつさ。君のように彼女を守ることもできない」

「え、僕が?」


 意外すぎる言葉だった。


「フェトレを守ったのは僕じゃない。ワッフドゥイヒ、君だろう?」

「結果としてはそうなったのかもしれない。しかし、あのとき、君の悲鳴が聞こえなかったら、俺はあの場に駆けつけることができなかった」

「悲鳴、ね……」


 確かに情けない声を上げてた気がする。


「それに、宵闇の陽炎達が現れた時もそうだ。俺は何もできなかった。フェトレを、俺達を救ってくれたのは君だよ、ヨシカズ。俺は本当に君に感謝してるんだ。二度も彼女を守ってくれたんだから……」


 彼はじっと僕を見つめた。さっきまでとはうって変わって熱い視線だった。飾らない真摯な気持ちがそこにあるようだった。


「い、いや、僕は別に!」


 僕はひどくうろたえてしまった。他人にそんなまっすぐな感謝の言葉をぶつけられたことはなかった。今までずっと日陰の人生だったし。


「僕なんか、君が感謝するようなたいした人間じゃないんだ。本当にとてもつまらない、どうしようもないやつなんだ。何でもできる君とは違う……」

「僕なんか、だと? ヨシカズ、君は宵闇の陽炎達を撃退した時もそんな感じだったな。どうしてそんなことを言うんだ?」


 ワッフドゥイヒはとたんに不機嫌になったようだった。


「俺は正直、誰かに礼を言ったり誰かを褒めるのは好きじゃない。それはつまり、相手が自分より格が上だと認めることだからな。そんなのはむかつくに決まっている。だから俺はあまり人を褒めたりしないんだ。そういう、実に気分の悪い傲慢なやつなんだ」


 彼は声を荒げて顔を近づけてくる。


「そんな俺に君は褒められたんだ。感謝されたんだ。それはつまりどういうことだ? わかるだろう?」

「え、えっと……」

「なんでそんな声を出すんだ! なんで目をそらすんだ! ちゃんと俺を見ろ!」


 と、怒号と同時に固い拳が頬に飛んできた。痛い! 思わず後ろに尻もちをついてしまった。


 まさか殴られるとは……。目を開けると、ワッフドゥイヒは、いかにもしまったといった顔をしていた。だが、彼は僕と眼が合うと、また怖い顔になった。


「……君が悪いんだぞ」


 彼は僕をにらみながら、言い訳のように言った。


「内心はどうであれ、俺が感謝してる間くらいは君は王様みたいに踏ん反りかえって、高いところにいるふりをするべきだったんだ。なのに、君は、ことのほか卑屈に構えて……これじゃ、俺がバカみたいじゃないか」


 子供みたいな口調で早口でまくしたてると、彼はそのまま部屋を出て行ってしまった。


 なんだ、あいつ……。


 意味がわからない。僕に感謝してると言ったくせに、いきなりキレて殴りかかってくるなんて。恩人になんて仕打ちだろう。おお、痛い。殴られた頬をさすりながら、ベッドに横たわった。


 そういえば、あいつ、ラーファスからいなくなるんだっけ……。


 ふと、ノートに書いたことを思い出した。今やられたことを思うと、それはとてもざまあみろな話だった。


 しかし、そこで、フェトレのことを考えた。ワッフドゥイヒがいなくなったら、彼女はきっとすごく悲しむに違いない。それは、やっぱり悪いことのような気がする。


 それに、山岸のことは誤解だったんだ。あいつはむかつくやつだけど、フェトレに一途なやつのようにも思える。そういう意味では、そこまで悪いやつでもないような?


 まあ、さすがに追放はないよな。とりあえず、学校が始まったらすぐ山岸に会って向こうの世界に戻り、ノートに書いたことを修正しよう。殴られたおとしまえは別の形でつけよう。そんなことを考えながらぼんやり夜が開けるのを待った。


 だが、ちょうど夜が明けたころ、何やら外から騒がしい音が聞こえてきた。ベッドから起き上がり窓から外を見ると、立派な甲冑とマントを着た集団と、フォルフェリ様が寄宿舎の門のすぐ前に立っていた。そして、彼らと対峙しているのは銀髪の若者……ワッフドゥイヒだった。


 いったいなんなんだろう。不穏なものを感じ、すぐに部屋を出て、彼らのもとに向かった。


 門のところまで走ると、ちょうどフォルシェリ様の声が聞こえてきた。彼女は甲冑集団を背後に従え、ワッフドゥイヒを強いまなざしで見据えていた。その三つ編みにした長い髪は曙光を浴び、金色に輝いていた。


「ワッフドゥイヒ・フォン・レザルツ……いや、フォン・ヴァーレと言うべきか。お前に尋ねたいことがある」


 フォルシェリ様の瞳は鋭い光をたたえている。


「お前は、フェトレが何者であるか知った上で、接触していたのか?」

「それは……」


 彼は瞬間、強く動揺したようだった。絶句し、つばを飲むのが見えた。フォルシェリ様はそんな彼を相変わらずじっと見つめている。その瞳は何かを訴えているようにも見える……。


 やがて、彼はうなだれながら答えた。


「はい。俺は……知っていました」


 それはびっくりするほど覇気のない声だった。


「……痴れ者が!」


 フォルシェリ様は右手の甲で彼の頬を激しく打った。


「なぜ、そう答える! 私は――」

「すみません、学園長……」

「もういい!」


 フォルシェリ様は唇を強く噛むと、彼に背を向けた。そして、高らかに叫んだ。


「質問は終わりだ。ワッフドゥイヒ・フォン・レザルツ。竜都長フォルシェリ・フォン・ラーファスの名において、お前をフェトレ・フォン・イリューシア殺人未遂の嫌疑で連行する!」


 ただちに、甲冑達は彼を囲み、その腕に手錠のようなものをはめた。彼はまったく無抵抗にそれに従った。


 いったい、どういうことなんだ?


 意味がわからなかった。彼がフェトレの殺人に関わっていた? おかしいじゃないか。だって、彼はフェトレが殺されそうになっていたところを、助けたんだぞ?


「ま、待ってください!」


 僕はとっさに飛び出し、叫んだ。


「これはその、何かの間違いで――」

「行くぞ」


 フォルシェリ様と甲冑達は僕の声などまるで聞こえていないようだった。無視なんて、そんな。さらにそばに駆け寄り、後ろからフォルシェリ様の三つ編みをつかんだ――ら、


「私にさわるな!」


 ばきっ! その三つ編みの髪に、すごい勢いで殴られた! 髪なのに、鈍器のような感触だった……。衝撃でその場に倒れてしまった。


「……学園長、少しいいですか」


 と、そこでワッフドゥイヒが足を止め、こちらに振り返ったようだった。顔を上げると、彼の悲痛なまなざしが目に飛び込んできた。


「ヨシカズ、さっきは殴って悪かった……」


 それはやはり、消え入りそうなかすれた声だった。


「もう二度と、君に会うこともないだろう。……じゃあな」


 整った眉をたわめてそう言うと、彼は甲冑達と共に向こうへ去って行ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る