第8話

「どうしたの、急に? 眼鏡ぐらい――」

「ダメったら、ダメ! 絶対ダメ!」


 山岸はいやいやをするように頭を横に振った。長い黒髪がふわふわ宙を舞った。


「何か外せないわけがあるの?」

「そ、それは……」

「例えば、それは何かの封印で、外すと本来見えないものが見えてしまうとか」

「そんなアニメみたいな設定あるわけないでしょ!」

「ないんだ……」


 とっさの思いつきとはいえ、一蹴されがっかりした。そういう設定はやっぱり、少年少女の永遠の浪漫だと思うのだ。


「とにかく、眼鏡は私の本体なの、外しちゃだめ!」

「本体って」


 今度はどこぞのアニメキャラみたいなことを言う。とりあえず、理由はわからないが、ものすごく眼鏡を外すのがいやらしい。


 しかし、そう言われると、無性に外したくなるのが人間ってものだ……。


「わかったよ。じゃあ、外さなくていいから、こっちに戻ってきて。ペチーンするから」


 と、手招きすると、山岸は恐る恐ると言った感じでまた近づいてきた。野良猫みたいだった。


「本当に、絶対外しちゃだめなんだからね」


 そう言って、顔を再びこちらに近付けてきた。


 僕はさっそく、いかにもこれから山岸の頬を叩くという感じに手を振り上げた。山岸は目を閉じた。今だ。その瞬間、僕は眼鏡を取った。


 そうやって現れた山岸の素顔は、特に変わったものではなかった。予想通りというか、整った顔から邪魔くさい眼鏡がとれ、素直な、可愛い感じの顔立ちになったというか。


「へえ……いいんじゃないの?」


 思わず褒め言葉が口から出てしまった。こういうの全然ガラじゃないのに。


 だが、とたんに山岸は顔を真っ赤にしてその場にうずくまってしまった。


「バ、バカッ! なんで外しちゃうのよぅ……」


 手で顔を抑え、今にも泣き出しそうな声で言う。すごく恥ずかしそうだ。


「なんでって、これぐらい――」

「ダ、ダメなの……私、それがないと……」

「ないと?」

「……」


 山岸は無言で首を振った。その顔はやはり真っ赤だ。


「別に、そんなに恥ずかしがることじゃないと思うけど――」

「か、返して……」


 今度は片手だけこっちに伸ばしてくる。眼鏡を渡せと言わんばかりだ。


 しかし、僕はこのまま眼鏡を返してしまうのが惜しい気がした。「わかったよ」口では一応そう答えつつ、とっさにうずくまってる山岸から十メートルぐらいの離れた。


「ここまで来れば、返してあげるよ」

「な、なによぅ……」


 山岸は顔を手で隠したままよろよろと立ちあがり、こっちに近づいてきた。指の間から外を見ているようだったが、その足取りはおぼつかなかった。手を取ってちゃんと前を見て歩けばすぐなのに。僕は少し笑ってしまった。


 やがて山岸が僕のすぐ近くまで来たので、僕はさっそくその手に眼鏡を渡した。


 と、その瞬間、山岸は石か何かに躓いたらしい。こっちに倒れてきた!


「うわっ!」


 はずみで僕は山岸に押し倒されてしまった。昨日とは全く逆のパターンだ。


「いてて……」


 後ろ頭をさすりながらゆっくりと上体を起こした。すると、すぐ目の前に山岸の顔があった。昨日と同じように一瞬呆けていたが、すぐに僕と目が合った。


「あ……」


 眼鏡をつけてない素顔の山岸は、そのとたんに固まってしまった。みるみる顔が赤くなっていく。体も少し震えてくる。


 しまいには、その瞳にはしずくがたまってうるみはじめた。


「ちょ、ちょっと」


 まさか泣くなんて。あわてて山岸の下から抜け出した。


「ふえええん……」


 山岸は地面に正座を崩したような恰好で座り込み、目を手で覆い、肩を震わせている。その泣き声はまるで子供だ。僕はその膝の上に眼鏡を置いた。


 しかし、涙が止まらないのか、山岸はそれに触りもしなかった。


「そ、その、ごめん……」


 とりあえず謝った。


「ばか。早良君のばかばかばか」


 山岸は顔を隠したまま涙声で言う。


「わ、私、ほんとにダメなんだから……。眼鏡がないと、ほんとに……」

「恥ずかしいの?」


 こくり。山岸は無言でうなずいた。


「泣くほど?」


 ふるふる。山岸は少しして首を振った。


「いやでも、実際泣いてるじゃないか――」

「な、泣いてないもん! 目にゴミが入っただけだもん!」

「そ、そうですか」


 そういうことにしておこう。


 やがて、山岸は落ちついたのか、ハンカチで目元を吹き、眼鏡をかけた。目と鼻の周りが少し赤い以外は、いつも通りの山岸だった。


「ご、ごめんなさい。ちょっと取り乱してしまって」


 山岸は制服についた土を手で払いながら立ちあがった。


「私、その、いわゆる赤面症ってやつなの。人と目を合わせるのが苦手で……。でも、眼鏡をかけてればそうでもないの。だから、私は人前でこれを外しちゃいけないの」


 山岸は僕に背を向け、小声でつぶやいた。そして、「じゃあ、さっきの話、忘れないでね!」と言って、そのまま逃げるように向こうに走って行ってしまった。


 僕は少しの間、その去って行った方をぼんやり見つめていた。


 まさか、眼鏡を外した山岸があんなふうになるなんて。ちょっとした衝撃だった。だって、今まで遠くから観察していた彼女は、他人をわざと拒絶しているような、近寄りがたい印象だったのだ。それが、眼鏡を外したとたん、子供みたいに泣きじゃくって……。


 いや、眼鏡を外す前にしても、ラーファス学園竜都のことで子供みたいに目をキラキラさせていたっけ。


 山岸って、可愛いよな……。


 その眼鏡を外した可憐な素顔を思い出さずにはいられなかった。たちまち顔が熱くなった。

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