第4話「正直。」




 とある夜。この街の季節は、暖かな春も姿を隠し、本格的な暑さが始まる夏に入ろうかというような季節だった。

 夜にもなれば、太陽は姿を隠し月が頭上でキラキラと輝く。

 この地域一帯では、過ごしやすいお昼とは一転し、身が凍えるように一層寒さが増す。身体を突きぬける風が着実に体温を奪う。そんな寒い風が吹く路地裏を歩く人々など、ほぼゼロに近いだろう。

 そう誰もが思っている中、薄暗くなった路地裏の奥から一人の女性と、小さな動物が現れる。



「ふぅ、食べすぎちゃったね。」


「もう食べれないー………満腹。」



 小さな動物はお腹をすすりながらパタパタと翼をはためかせる。

 隣に歩く女性はそんな様子を見て満足気な顔をする。



「もうこんなに遅くなっちゃった。早く帰らないとみんなが心配しちゃう。」



 女性は自分の目指す家で待つ家族のことを思い、少しでも早くと足を速め街灯が照らす大通りに出る。



「……うん?何かいる?」



 壁際に置いてある誰もが使えるゴミ捨て場から、黒い影がモゾモゾと動いたように見えた。

 街に住み着いた動物か何かがゴミを漁っているのかと思い、興味心からそーっと近づいてみる。すると…



「あ、あぁ…………たす、けて…くださ、い………」




「………ひっ、」



 そこには、まるでムンクの叫びがとでも思いたくなるほどやつれた少女が横たわっていた。

 その目は開いているのかも分からず、倒れながらも痙攣したかのようにピクピク動くその姿は、夜遅くに見ればかなりホラーにも映るだろう。



「きゃぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!」



 なんでもないようなことがその日。深夜の街中に一人の若い女性の声が甲高く響いたという………。

















 何か音が聞こえる。

 さっきまではシーンとしていて、何も見えない真っ暗な意識の中にあった自分が、徐々に表面へと浮上していき現実世界からの音を拾う。



「ーーでね、そしたら、ーーー」



 これは、女の子の声だ。とても高く鈴の音、もしくは天使の声のような印象。とっても心が落ち着く、そんな声。



「ーーなの?ふふ、じゃあ、ーーーー」



 それともう一つ、これもまた女性の声。さっきの声とは違い、こっちはまるで自分の母親かのよな落ち着く声だ。



「……うっ、うぅ…………ん。」



 人が一人寝るには少し大きめのサイズもあるベッドの上で、少女のうめき声があがる。

 その声に気づいた天使の声は、もう一人の女性ではなく、今度は自分に向けて言葉を発してくれる。



「あっ、起きた!ラクお姉さん、リィお姉ちゃんが目ー覚ましたっ!」



 どこか聞き覚えのあるような声で、これまた聞き覚えのある言葉が紡がれる。



「あぁ、よかった…。なら、私呼んでくるから、トーラはリリカちゃんをお願いね。」



 声質から全てを包み込む母性を感じるような優しい女性の声は、パタンと扉を閉じる音と共に消えていく。



「うぅ………ん。この声…トー、ラちゃん……?」



 やっとの思いで開いた瞼は、いつぞやに見た、キラキラ輝く白い髪を伸ばした眩いトーラの姿を写す。

 そこで、先程の声と姿が一致する。どういう経緯かは知らないが、何故か目の前にはトーラがいる。先刻お店で別れたはずのトーラの姿が。

 ならば、先程の母性溢れる声はおそらくラクの声だろう。未だ覚醒しない頭で何とか思考を巡らせる。



「うん、久しぶりー…って言っても、あれからそんなに時間たってないけどね。」



 トーラは手を伸ばし、不器用ながらに優しく璃々花の頭を撫でる。その手の暖かさに、璃々花の顔は思わずふにゃりと崩れる。



「はぅ…トーラちゃんの手、暖かいです……」


「そう?じゃあいくらでもギュッてしていいよ!リィお姉ちゃんだけ特別ね!」



 璃々花の反応が嬉しかったのか、トーラは笑いながら璃々花の頬に両手を押し付ける。

 そんな少女らの憩いの場に、一人の声がかかる。



「それだけ元気でしたら、もう大丈夫そうですわね。」



 声がする場所を見れば、先程ラクが抜けていった扉から、前に会った事件の時とは違い、軽装になったキラキラとした金色の髪をたらす女性の姿が現れた。



「……!フィリアさん!」



 眉を下げながら安心した顔をするフィリアを見て、璃々花は目を輝かせる。

 まさかここでこうやって再会できると思わなかった。みんなと別れてそう時間が経っていない。それでもまたみんなと会えたことに、璃々花は嬉しく思う。



「…あれ、でもなんで皆さんここに?というより、ここはどこでしょう…?」



 璃々花はキョロキョロと周りを見渡す。自分の座っている大きめのベットや綺麗な装飾のされたシャンデリアめいた灯り、とても高級そうな花瓶にびっしりと本が詰められた本棚など、一人ので使うには広すぎる部屋だ。

 見たままで答えるなら、これぞ『お金持ちの家』という感想が飛び出るだろう。

 だが、少なくともこんな部屋は璃々花は知らない。そもそも誰かの家など行く事がなかった璃々花には、思い当たる節は見当たらない。

 ここは一体誰の部屋で、一体誰が運んでくれたのだろうか。頭の中に色んな疑問が出てくる。



「ここは私の部屋です。私の家の近くで倒れていた貴方を、ラクさんとチビド………トーラが運んできたのです。」


「ラクさんとトーラちゃんが…?」



 えへへ、と誇らしく嬉しそうに笑うトーラとフィリアの隣に立ちニコリと笑いかけるラク。



「そうなの。私たちあの時に、リリカちゃんたちと別れた後に食事に行っていたの。私の誕生日を祝うためにってトーラが…それで、食事も済んで二人で家に帰ろうとしていたら……」


「そしたら、リィお姉ちゃんがゾンビみたいな顔して倒れてたの。どうしよーってバタバタしてたら、すっごくキラキラした大きな家を見つけたんだ!」


「ーーあぁ、なるほど、それが私の家だったと………ですが、それでしたら治療所に行けばよかったのでは?怪我や体調不良でしたら、そちらが専門ですのに。」


「あぁ…うん、そうなんだけどね?ほら、家を見つけてよーく見たらティラエルって書いてあるじゃない?それで、ここがフィリアちゃんの家なんだって思って…ほら、ティラエル家って魔法の専門家でしょ?治療所はちょっと遠いし…知り合いの方がいいかなぁって……」



 ラクは身振り手振りで今までの経緯を答える。確かに、緊急で慌てている時に知っている人の家を見つければ助けを求めてしまうのも無理はない。

 そんなラクの説明にフィリアは「はぁ…なるほど…」と一つため息をこぼし、呆れた顔で璃々花を見る。



「それで、リリカさんは何故倒れていたのですか?あの後ご自身の家に帰ったのでは?」



 璃々花はフィリアからの質問に言葉を詰まらせる。



「あー……えっと、ご飯が無くて。お腹が空いていたんですけど……私、お金も持ってなくて…どうしようかなーって街をさまよっていたら、すっこぐいい匂いしたから、そこに導かれるように歩いていたんですけど……」


「その途中で倒れてしまったと……ですが、お金が無くとも、それこそ家で食べれば良かったのではないですか?」



 ごもっともである。

 確かに、事情を知らぬものであれば、璃々花の話を聞いた全員がそう答えるだろう。

 正論を叩きつけれられた璃々花は一層言いづらくなるが、重くなった口を無理やり開く。



「あの……実は私、家が無い、んですよね……家族も…えーっと、今は居ないですし……」



 璃々花は目線をズラす。自分の言っていることは何一つ間違ってはいない。確かに、この世界に自分の家は無いし、家族も来てはいない。

 思えば璃々花は何も持たされずにこの世界に来てしまった。無一文とはこの事だろう。事が突然だったこともあるため、準備が出来ていないのは分かるが、それにしても急だったなぁと璃々花は思う。



「……家が、無い?しかも、家族もいないって………」



 ラクは信じられないと口を抑え璃々花を見る。クールな性格をしているフィリアでさえ、目を大きく開いている。



「いや、あの、えーっと……」



 璃々花は思わず言葉を濁してしまう。別に異世界のことは禁句だとは言われてはいなかった気がする。だが、異世界だとか、転移だとか女神だとか。そんな情報を言ったところで信じてもらえるとは到底思えない。

 むしろ、警戒されてしまうのではないか。

 そう思ってしまうと、仲良くなった皆に嫌われるのは嫌だと口が固くなってしまう。



「…言いたくないの?」


「…えっ?」



 顔を伏せ困っていたとき、ギュッと握りしめていた手の上に、自分よりも小さな手が包むようにして置かれていた。



「ううん、リィお姉ちゃん、何だか悲しい顔してたから。」


「…辛いことなら、無理して言わなくてもいいのよ?私にとってトーラはもう自分の娘のような存在。そんなトーラとこんなに仲良くしてくれるリリカちゃんも、もう私の娘みたいなものだし。」



 「ねっ?」と優しく言葉をかけてくれるラクに、思わず目の奥が熱くなってしまう。



「…言ったら、私……嫌われちゃうかも、しれないから……」


「………何を言うかと思えば。」



 口から出てきたネガティブな言葉を、凛とした声が吹き飛ばす。

 ふと見れば、璃々花の空いた左側には、ベットに腰をかけ優しく微笑むフィリアの姿が見える。



「お昼時もそうですし、ここまで巻き込まれてるのです。もう他人事ではないですわ。リリカさんご自身が辛くなるのならまだしも、貴方の事情を聞いて私たちが嫌うかもという考えでしたら、逆に怒りますわよ?」


「…フィリアさん。」


「私たちが嫌うことなどありません。どうぞ、言いたいことを言ってください。」



 暖かい。なんて暖かいものなんだろう。嫌われるかもという恐怖心で冷めていた心がこうも容易く包まれるなんて。

 仲良くはなったと言っても、今日一日、しかも事件に巻き込まれた関係だ。仲が良くなるとは到底思えない関係性だというのに、彼女たちはここまで優しくしてくれる。

 こんなに優しい人に、久しぶりに会った気がする。久しぶりに触れた暖かい心に、璃々花は目からつい数粒の涙を零してしまう。



「……私、この世界の人じゃ、ないんです。」



 この人たちなら大丈夫だろうと、璃々花は重い口を開けて、自分に降りかかった状況を言葉にする。



「本当は…魔法だとか、ドラゴンだとか、そんなのが無い世界に居たんです。」



 璃々花が何とか絞り出した声をフィリアたちは聞きこぼさないようにと耳を傾ける。



「魔法が存在しない世界…そんな世界があるの?」


「はい……私、そこで生まれて、魔法とかとは関係ない、普通の学校に通ってたんです。それで学校から家に帰ったら、変な手紙があって。何だろうって開いたら、急に女神様だって言う人が現れて…」


「……女神…?」


「その女神様は、今の人生に不満がある人が選ばれるって、それで私が選ばれて。私、最初は凄くワクワクしたんです。どんな場所なんだろうって、私の知らない魔法とかってどんなのなんだろうって。だけど……」



 ふと頭によぎる。皆と別れ、行く場所もなくさまよっていた。徐々に下がっていく気温と、共に誰も居なくなっていく街に、恐怖した。



「まるで、私が見えてないみたいだったんです。他の世界から来た私なんて、居ない人みたいに。私、ひとりぼっちなんだって…何も出来なくって、不安で……凄く…凄く……怖くて………」



 言葉を一つずつ紡ぐ度に、瞳から大粒の涙が零れる。

 そこで理解した。自分がどれだけ馬鹿なことをしたのかと。

 今の生活が楽しくないからと、ただそれだけの理由で自分の知識が通用しない、自分の知らない世界に行くなど。

 あの時の自分は、“世界を移動する”というバカげた行為のリスクなんて、何一つ考えてなかった。

 それを考えるだけで、ここでは一人なんだと自覚すればするほど心の奥からただ一つの『怖い』という恐怖が込み上げてくる。



「私ーーっ、私、本当にバカだなぁ。後のことなんて考えなくて、それで、こんなに…迷惑を、かけちゃって………」



 璃々花は思わず自分を責める。今の自分ではなく、あの時、手紙を貰った時に、女神に話を聞いた時に、一時の好奇心に考えを任せていたことを。

 自業自得だ。

 悪いのは女神でも他の誰でもない。

 自分のことをよく知りもせず、的確な判断ができなかった自分のせいだ。



「私……これから、どうしたら、いいのか………分かんなーー」



 こわい。ただ、ただ、こわい。

 何も知らない、常識が通用しないこの世界で、どうやって生きていくのだろう。

 身体を恐怖が包む。

 寒い。気温じゃない。身体の内からどんどんと寒さが襲ってくる。




「ーーーーまったく。」



 体が揺れる。

 体に強く、優しい衝撃が走る。



「ーーぇ?」



 揺さぶられるなんて事ではなく、優しくふんわりと自分の体が誰かの体に包まれる。




「ー本当に、聞くだけで呆れますわね。そんな詐欺みたいな言葉を信じるなんて。……でも、嫌になる今を変えたい、その気持ちは私も分かります。」



 顔を上げたその目線の先には、優しく微笑むフィリアの顔をが映る。

 璃々花を優しく胸で受止め、優しく頭を撫でてくれる。目を閉じて安心させるように語りかけてくれる。



「一人なんて、言わないでください。こうやって、手を伸ばせば手に入りますわ。」


「ーーそうだよ、リィお姉ちゃん!」



 フィリアに続いて、トーラが重くないようにと、優しくふんわりとお腹に抱きつく。




「ボクと、リィお姉ちゃんは友達っ!ボクお姉ちゃん大好きだもん。お姉ちゃんがいいなら、いつでもギューってしてあげるっ!!」



 優しく包むように微笑むフィリアと、強くここに居ると教えてくれるように笑顔を見せてくれるトーラ。やり方は違えど、二人は同じ思いで璃々花を抱きしめる。



「フィリア、さん……トーラちゃんも………へへっ……」



 二人のほんわかな心に璃々花の顔に笑顔がもどる。



「笑いましたわね。笑えるなら、もう一人ぼっちなんて思いませんわよね。」


「リィお姉ちゃんはやっぱり笑顔の方がいいよ!」


「お二人とも……ありがとう、ございます。」



 二人の気持ちに触れ、笑顔が舞い戻った璃々花の顔を見て、離れて見ていたラクが「ふふっ」と微笑む。

 今日会ったばっかり、お昼までは赤の他人だった三人が、今ではこうやって励まし合うほど仲がよくなった。それがラクには微笑ましく見える。



「若いっていいなぁ。」



 まるで長い時を過ごした人のように、ポツリとラクが思わず口に出す。





「ーーいや、君もまだまだ若いだろうに。」





 すると、璃々花たちの居る部屋に、扉の横で見ていたラクのうしろから身長の高い男性が入ってくる。

 髪の毛もバッチリに決めており、かなり若い印象を受ける。顔つきはどことなくフィリアに似ていなくもない。おそらくフィリアの兄弟か何かだろう。



「!お父様!」



 と思っていた璃々花だったが、その考えはフィリアの言葉により裏切られる。



「「お父………様??」」



 突如現れた名義と人物にトーラと璃々花は同時に首を傾げる。



「居たのでしたら、声をかけてくだされば良かったのに。」


「いや、すまない。いい雰囲気だったものでなかなか入ることができなかった。タイミングを失ってしまっててね。」


「……えーっと、お父様って、フィリアさんの…?」



 突如現れた男性に璃々花は目を開き驚く。



「どうも、初めまして。私はこのティラエル家の現当主、サリア・ティラエルと申します。」



 己の名前を告げ、無駄な動作もなく綺麗なお辞儀をするサリアの姿は、その姿がまさに、貴族と言わんばかりな高貴さを持っており、トーラや璃々花は目を奪われる。



「は、初めまして。私、あ、綾瀬璃々花って言います…」



 そのオーラに目を奪われながら、璃々花は慌てて自分も自己紹介をする。

 サリアと違い、ぺこりといかにも庶民的なお辞儀をする璃々花にサリアは優しく微笑む。



「あぁ、知っているとも。数時間前に我が娘から話は聞いていたので。とても謎な女の子に出会ったと。」



 サリアの言葉にフィリアはサッと視線を避ける。

 自分の事を話してくれたのは嬉しいが、謎な女の子という不思議な紹介の仕方に璃々花は複雑な気持ちを抱く。



「そしたら、その噂の子が家の近くで倒れて運ばれてきたと聞いて。どんな子なのかと見に来たのだが………すまない、盗み聞きはするつもりは無かったんだ。」


「あっ、ご、ごめんなさい!!迷惑をかけるつもりは無かったんですけど……」


「いやいや、なに。困っている時はお互い様だ。」



 璃々花はペコペコと何度も頭を下げる。サリアは特に気にしていないのか笑って許してくれる。

 意に介してない様子を見て、自分が迷惑をかけた家の持ち主に許してもらえた事で、璃々花は少し心が軽くなったような気がした。



「リリカくん、だったね。今の話を聞いて、実は君に提案をしに来たんだ。」


「提案?お父様、それは一体…?」



 フィリアはサリアに目線を戻し問いかける。フィリアの質問にサリアは「あぁ」と話の本筋を示す。



「家が無い、家族が居ない。そもそもこの世界の事が分からないときた。ならば、話は簡単なことだ。リリカくん、キミこの家に住んではみないか?」









「「………………えっ?」」









 フィリアと璃々花、二人の言葉が同時に同じ言葉を出す。



「この家は見ての通り、広さだけは格別だ。住む者が一人増たところで何ら問題は無い。ダメかい、フィリア?」



 サリアの言葉を聞きフィリアは璃々花を見る。

 まだ璃々花がどういった子なのかはよく知らない。それでも、璃々花がどういう状況でいるかは、先程の涙を見ればよく分かる。



「………まぁ、私は構いませんわ。流石に、帰る場所のない人を追い出すわけにはいきませんし。」



 フィリアはチラッと璃々花を見て答える。自分は璃々花のような体験はしたことがない。それでも、見知らぬ世界にたった一人で、しかも自分よりも下の年齢で迷い込むのはとても怖いだろう。ここで嫌だと答えるのは人として終わっている。



「で、でも、そんな迷惑はかけれません!こうして助けてもらったのに、また助けてもらうなんて…」


「では、他に行くあてはあるのですか?」


「っ!それは………」



 ここまで親切にしてくれた上に迷惑をかけるなど、璃々花にはとんでもない事ではあったのだが、だからと言って他に行く場所も思いつかない。

 これ以降、何も知らないこの世界で居場所も無く生きてはいけないだろう。何も知らない世界で一人ぼっちなど心細い事この上ない。

 無一文で居場所すらない璃々花にとって、その提案はとても助かる。とても助かるのだが、璃々花の親切心的にこれ以上助けてもらうのは気が引ける。

 そう思い断るものの、フィリアの真面目で少し優しさが含まれた言葉に言葉が詰まった。



「…では、こうしよう。リリカくん、君がどうするか決めるまで、ここの家で働けばいい。そうだな、言わば使用人のようなものだ。家の掃除やフィリアのお世話などをしてくれればいい。そして、その代わりに、君はこの家に住む。住み込みで働くということさ。ご飯も三食付きと来た。自分で言うのもなんだが、快適な家だとは思うんだが………どうだい?」



 サリアは扉から離れ、璃々花の目の前まで来ると膝をつき顔を見上げる。貴族であるにもかかわらず、膝を着いたことによる服の汚れを気にしないその行動に璃々花は少し考える。



「…本当に、迷惑じゃないですか?」


「勿論だとも。私たちは全力で君を歓迎するよ。」



 曇りなく、澄んだ目で訴えられる。あまり人と接してこなかった璃々花でも、サリアが嘘を言ってないということが分かる。



「…………ありがとうございます。私、頑張ります!」



 ギュッとベッドのシーツを握りしめ、璃々花は決意する。

 その璃々花の表情を見てサリアは顔をほころばせて立ち上がる。



「よし。では決定だ。ならば、この家の諸種の説明はまた後日にするとして…生活するのに必要な必要最低限の説明はしておこう、リリカくん、ついてきてくれ。」



 サリアの背中に璃々花はやる気に充ちた足取りでついて行く。



「良かったね、リィお姉ちゃん!!」



 すると部屋の端で事の結末を見ていたラクとトーラが満開の笑顔で近づいてくる。



「ごめんなさいね、リリカちゃん。私の家でもって思ったけど…私の家小さいし、トーラのいる施設も魔物でいっぱいだから…」


「いえいえ、そんな気にしなくても。その気持ちだけでも嬉しいですっ!」


「ふふっ、ありがとうリリカちゃん。……フィリアちゃん、サリアさん、どうかリリカちゃんの事、お願いします。」



 まるで実の娘を泊まりに出す母親のようにラクは頭を下げサリア達に後を任せる。

 それを聞き届けたサリアは笑顔で答える。



「いやなに、こちらこそ感謝します。貴方達のおかげで、こうやって一人の少女を助けることが出来た。これも、ここに連れてきてくれた貴方達の行動あっての事だ。………事情は聞いています。ここからだと保護施設には少し遠い。迎えを出しましょう。」



 サリアは指をパチンと鳴らすと、どこからともなく黒いメイド服を着た女性が現れる。女性は道を示すように礼儀良く手を指すと、ラクとトーラはそれに続き部屋を出る。



「それじゃあ、頑張ってねリリカちゃん。何かあったら直ぐに言ってね。」


「まだまだいーっぱい話し足りないし、今度はボクの家に遊びに来てね、リィお姉ちゃん!!」


「…!はいっ、ありがとうございました。また今度お礼に行きますね!トーラちゃんも、また遊びに行きますねっ!」



 小さく手を振るラクと、大きく手を振るトーラを見送り、その姿が見えなくなるとサリアは「さて」と仕切り直す。



「それでは、とりあえず部屋の説明ぐらいは今日の内にやっておこう。それが終わったら疲れているだろうし、湯船に浸かるといい、こんな寒い中倒れていたんだ、体が冷えているだろう。」


「なら、案内は私が。同性の方が色々と助かるでしょうし。」


「むむ、そうか。なら、フィリアに頼もうか。お願いするよ。」


「分かりましたわ。それではリリカさん、行きましょう。」


「はいっ!」



 フィリアに連れていかれるように璃々花は歩き出す。実の娘があれほど仲良くしているのは久しぶりに見る。余程璃々花の事が気に入ったのだろう。

 璃々花の小さな体の少女の姿を見て、サリアは嬉しそうに微笑む。



「…さて。」



 途端、サリアは先程までの微笑みを無くすと、何かを睨むような目つきになる。



「………言われた通りにしたぞ。これで良かったのか?」



 その声は威圧的で、少し怒りを込めたような声質。先程までの優しい雰囲気なサリアからは想像出来ない表情と声色に、サリア以外居ないはずのこの場所に見えもしないが居ると感じる何かが反応する。



「うん、それでいいよ。流石は、世界に名を馳せるティラエル家の当主だね。君に任せてた自分は正解だったようだ。」



 誰も居ないはずのその廊下で、どこからともなく女性の声が響きわたる。その声は飄々としておりまるで遊んでいるかのような軽い気持ちを抱く。



「それじゃあ、事の結末を見届けたし、あの娘の事をお願いね?あの娘は私にとって、とっても大事な"鍵"なんだから。くれぐれも、手荒な扱いはしないように。」



 謎の女性は内容を掴めない謎の言葉を残しその場から気配を消す。

 威圧的にも取れた気配が消えた事を確認すると、サリアはギリギリと歯を食いしばり、手を強く握りしめる。



「……ちぃっ、あの悪神め…っ!!私たちだけではなくあの少女にまで手を出すとは……思い通りにはいかせん。利用などできるなと思うなよ………ッ!!」



 怒りと憎しみが混じりあった感情を溢れさせる。あの謎の気配が利用しようとしている少女を実際に見て、サリアは決意する。二度と、アレの思う通りにはいかせやしないと、そう強く誓った。













 冬の冷たく少し強い風が吹く街の、雲を超えた遥か上、天の空にまるで一つの島が浮いているかのように緑の生い茂った大きな岩が浮いている。

 その船から体を半分ほど乗り出し、はるか下に見える街の、更に細かく仕切りのされた家にて過ごす少女をとある女性は視ていた。



「自分であんなスキルあげといてなんだけど、上手くいってるみたいね、璃々花ちゃん。」



 まるで人々を見守る女神のように見える女性は、遥か下で生きる璃々花を見て微笑む。



「まぁ、死ぬレベルの手荒さじゃなければ大丈夫だけど。ホントに、気をつけてよねー、彼女が死ねば、私も、そしてこの世界も困るんだから。」



 飄々とした喋りをしているが、その言葉には重圧がのしかかるように重く強い。



「ま、死にたくても死ねないだろうけどさ。」



 彼女の漂う天空は宇宙に近い場所にあるため、気温がとてつもなく低いのだが、それとはまた違う、阿寒とも言うべき寒さが漂う。



「さーって、私も頑張らないとねー。」



 ぐーっと背伸びをすると、それに呼応するかのように浮岩は回転し方向を変える。女性は密かに自分の野望を胸に抱き、天空を駆けて行くのだった。

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