実業家 飯沼三郎
『東海ドリームランド』について、ネットで調べてみると、最後に遊園地の利権を持っていたのは、飯沼忠久という方で、どうやらすでに物故している遊園地創設者の長男だそうだ。
飯沼忠久さんは現在、東京に本社を置く飯沼工業株式会社の社長をしているそうで、会社に問い合わせたところ、三日後の昼食時にお会いする約束を取り付けてもらった。
僕は家に居た祖母に取材で出掛けることを告げて、交通機関を乗り継いで一路、東京へ向かった。
前日はビジネスホテルで過ごし、当日に待ち合わせ場所である会社近くの喫茶店に足を運んだ。
目的地の喫茶店に到着して中に入ると、端のテーブル席で会社ホームページの写真で見たのと似た顔の人物が、紺色のスーツを着て新書本を手元に開いてコーヒーを飲んでいた。
歩み寄る僕に老人は気付いて、顔を上げる。
僕がテーブルの前まで来ると、老人はこちらの顔に目を据えながら本を閉じて立ち上がった。
「ご連絡をくださった。溜口さんですかね?」
「はい。溜口です」
老人の丁寧な口調に、僕は緊張しながら答えた。
頭髪は白くなって多少薄くなっているが、好々爺然とした顔立ちで紺色のスーツを着こなしていて、風格もあるが実年齢より若々しく見える。
「ご存知かも知れませんが、一応」
そう言って、飯沼忠久さんは懐から名刺を一枚取り出し、僕に向けて見せてきた。
こちらも慌てて、鞄の中の名刺入れから一枚抜き取り、名刺を差し出す。
飯沼さんは僕の名刺を見て、ふむと考えるような顔になる。
「○○出版とあるが、君は何の仕事をしているのかね?」
「自分は主に雑誌に載せる原稿を書いてます」
「ほう、物書きか。それはそれはたいそう頭のいい」
「いえいえ。自分の仕事なんて少し文章が書ければ務まります」
「謙遜なさらなくていい、自分なんか年取ってからやっと読書を楽しめるようになった身ですから」
照れるように笑う。
謙遜ではなく、今のルポライターの仕事は、定職に就けなかった成れの果てでしかないのだ。
飯沼さんはコーヒーを一口含ませてから、顔つきを真面目なものに変える。
「秘書から聞いたが、どうやら父の事業について知りたいらしいね?」
「はい。雑誌で飯沼さんの父君が創業兼経営していた『東海ドリームランド』に関する記事を書くことになりまして」
「『東海ドリームランド』とは、懐かしい名が出たものだ」
まるで厄介者の名を口にするように、苦い顔をした。
長男である飯沼さんにとって、かの遊園地にあまり良い記憶はないらしい。
「それで、『東海ドリームランド』の何が訊きたいのかね?」
「そうですね。遊園地の沿革などは調べてきましたから、飯沼さんの実父である三郎さんについて、お話しを聞きたいと考えています」
「生憎じゃが、わしは父とは仲が悪かった。じゃから詳しいことは知らないんじゃが、それでもいいかね?」
「知っている程度で構いません」
「そうかね」
飯沼さんは僕に確認を取るような前置きをすると、コーヒーカップに目を落とした。
しばしカップから目を離さない。何を話そうか思い出しているのだろうか。
「溜口君」
「はい?」
「わしが話せることと言ったら、父の悪い面ばかりかもしれんが、それでもいいかね?」
「いいですよ。むしろ提灯持ちのような文章は嫌いですから、そのような話が聞けるのは光栄です」
「そうかね。それじゃ、私的なことになるが話そうかの」
飯沼さんはそこに父親の姿が浮かんでいるかのように宙に目を向けて、滔々と語り出す。
「わしは長男じゃったから、幼少期から父に厳しく育てられた。
わしが高校を出て、高校の先輩が経営していた今の会社に就職したんじゃ。
勤めて五年ぐらい経った頃、朝起きてきたわしに、父が言ったんじゃ。「忠久。これから父さんは夢の地を作ろうと思う」
当然、何を言い出すんだと訊き返しましたよ。その時の父は興行、今でいうコンサートみたいなものじゃな、を主催する会社の社長じゃった。
父は目算もなく理想を語る人で、長男であるわしも父の夢想癖には若いながら呆れておりました。
しかし父は常に理想を実現させてきた人でもあったんじゃ。当時人気絶頂だった歌手の興行を地元で開催する、と豪語して、一年後には本当に開催させてるんですから、現在社長の身であるわしには、恐ろしい限りですな。
遊園地の方に話を戻すが、この時も父の理想は叶った。宣言から二年後、父の言う夢の地である『東海ドリームランド』が完成し、開園したんじゃ。
遊園地の業績は鰻登りに上がって、開園から十年後、たしかわしが小規模の工場ながら工場長になった年かの。
夏の盆休みに急に父に、出掛けようと誘われて着いていったんじゃ。
父の運転で高速を使って、半日ぐらいかけて、父がわしを連れて行ったのは、『東海ドリームランド』じゃった。
社長であるはずの父がゲートで普通の一般客に混じって、チケットを二枚分買って、
こう言うんじゃ。
「遊ぼうじゃないか」
仕事漬けで幼い頃のわしを遊びに連れていけなかった負い目なのか、自分の思い描いた夢の地を、息子であるわしに見せたかったのか、理由は定かでない。
事前に職員には訪問することを知らせてあったのか、社長の来園にも見向きもしないで、各々の仕事に従事していた。
ゲートを潜った先には、絵本から飛び出してきたような世界が広がっていた。
ルネサンス様式の街並みを範にしたようなメインストリートの最奥には、来た客の目を奪う偉容のノイシュバンシュタイン城を似せた白亜の城、左手には巷に聞く当時日本最大の観覧車、右手には美麗で絢爛に咲き誇るバラ畑に挟まれた小道を、たくさんの親子連れが笑顔で歩いていた。
「これが父さんの言う、夢の地なの?」
「夢の地は未だに完成していない。俺が夢に見た遊園地には程遠い」
頭の中に鮮明な夢の地の姿が浮かんでいるのか、父は満足していない声で答えた。
わしには父の言う夢の地が考えつかんかった。何のために、何を求めて、何を目指しているのか、見当つけられん。
「じゃあ、回ろうか」
「こんだけ広いと一日で回りきれるのか?」
その時の遊園地の敷地は開園当初の二倍だった。それでも最盛期よりは幾分小さかったがな。
父はどうかな、とわしを測るような声を出した。
しばらく左右がバラ畑の隘道を会話もなく歩き進んでいくと、芝生に埋め尽くされた丘の上にバンガローのような丸木小屋が建っていた。
「あの建物は?」
「レストランだ。今年の四月にオープンしたばかりだが、おかげさまで盛況を博している」
丘の頂辺にまで登ってくると、レストランだという小屋のポーチの前には、すでに何十組かとあろう家族連れが列を作っていた。
わしには小屋レストランの魅力がわからなかった。
「なんでこんなに並んでるんだ。別になんてことない小屋だろ?」
「入っているのが富裕層にも名が知られた一流料理店なんだよ。交渉の末、期間限定で誘致することができた」
「小屋作って、レストラン誘致して、経費も相当なもんだろ。フードコートがあるのにわざわざ増設する必要あったのか?」
洋食ブームとはいえ、何も苦労してレストランを設える必要はないと思うのだが。
わしの疑問が透けて見えたかのように、父はまだ青いなと含み笑った。
「経費が高くついて無用なんじゃないか、と考えただろう?」
「うっ、そ、そうだよ」
「多額の経費が掛かるのは、小屋を建築する最初だけだ。後は小屋の維持費とレストラン誘致の際の契約費が主な経費になる」
「でもよ、レストランに客が集まらなかったら……」
「何のために期間限定にしていると思う。誘致したレストランに集客力が低い場合の損失を減らすためだ」
「じゃあ、どれだけ売れ行きが良くても一店舗に絞ることはしないのか」
「そうだな。客を集められるとわかったレストランとは、度々契約を結ぶことになるとは思うが、独占させる気はない。ただ客が集められるだけでは、目的には沿わないのだよ」
「それじゃなんだ、その目的って?」
それ以上話すのが億劫そうな目になって、父はわしを見つめた。
しかし溜息を吐いて、結局口を開いた。
「目的は新しい客を取り込むことだ。遊園地で楽しむことを理由にうちに来る客の数にも限界があるだろう。ならば客には別の目的を持たせて来場してもらえばいい。それがレストランの誘致なのだよ。うちにまだ来たことのない客がレストラン目当てに来場すれば、必然とうちの来場者数は増える」
わしは胸の内で感嘆しました。
父がただの夢想家でないことが、この時身に染みてわかったんですから。
「次、行こうか」
驚嘆の思いでいたわしに、父は微笑みかけてきた。
その後、父の解説を聞きながら、園内を一巡りした。
白亜の城の背後の稜線に陽が沈みかかろうという時間帯になると、解説を受けていない遊具も大観覧車のみになった。
「壮観だろ」
大観覧車を背中に父は誇る口ぶりで言った。
壮観に違いなかった。
ゲート付近から見た時はその大きさを実感できなかったが、間近にすると上げた首が痛むのではないかと思うぐらいに圧倒的な規模だった。
「さあ、乗ろう」
父は係員に搭乗することを告げて、丁度降りてきた一台に乗るよう促してきた。
促す父を無下にも出来ず、わしはその一台に乗り込んだ。
重そうな振動の後、滑らかに観覧車は動き出す。
向かいに腰掛ける父は、山の麓の街が望める窓外の景色に、顔と目線を止めたまま、沈黙していた。
父とわしの乗っている一台が一番高い所まで上昇すると、ふいに父が窓外の景色から目線を切ってこちらを向く。
父の顔は交渉相手を前にしたように真剣そのものだった。
「忠久、一日遊園地を巡ってどうだった?」
「なんだよ親父、改まって」
「どうだった?」
何かしら答えないと次には進まないと思い、わしは答える。
「悪くなかったよ」
「そうか」
父は何故か自分に言い聞かせるように目を閉じて、わしの返答を受け取った。
観覧車は少しずつ地面に下降している。閉じていた目を開けた。
「忠久に頼みたいことがある」
父の目に掴みがたい感情が宿った気がした。その感情が何なのか、わしには判断できなかった。
「『東海ドリームランド』の新しい遊具を、忠久の工場で作ってほしい。評判は聞いてるぞ、精度の良い加工ができる腕のいい職工が揃ってるそうじゃないか」
あまりにも唐突な仕事の依頼だった。
親子の関係云々を取りさらった、社会人と社会人の交渉。
「なんで、うちなんだ。他にも金属加工の上手い工場はいくらでもある」
それがわしの疑問だった。
何故、うちを選んだのか。
父親としての援助のつもりなら、依頼を断るつもりだった。
「それは……そうだな」
わしの質問に、父は言葉に詰まった。
老いて贅肉のついた太腿に肘をついて考え込む。
その間に、観覧車は搭乗した位置にどんどん近づいていた。
搭乗位置に帰ってきた時、考えるのをやめたように父が口元を緩ませた。
「無駄なお節介だったな、すまない」
わしに一言詫びると、先に立ち上がって係員によって開けられたドアからゆっくりと降りた。
わしが降りる前に歩き出したので後を追ったが、老いたと思っていた父は見た目にそぐわぬ健脚で、すたすたと無言でゲートに向っていった。
早足でようやく追いついたが、父が纏う雰囲気が公私のどちらなのか、結局判別はつかなかった」
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