第7話

 その日の夕方、僕は彼のことが気にかかって一人学校に残っていた。彼はきっとアトリエで自分の絵を彼女に見せただろう。それからどうなったのか、僕は気になり彼のアトリエを訪れた。


 彼のアトリエの扉をノックする。しかし返答はなかった。僕の思い過ごしで彼女は彼の絵を受けいれ、今頃他の所でデートしているのかもしれない。俺はそう考えるとホッとしアトリエに背を向けた。


 しかしその瞬間、アトリエの中からガターンっと大きな音がした。僕は驚いてアトリエを振り返った。

 僕はもう一度アトリエを数回ノックする。しかし返答はなかった。


 僕は意を決してアトリエの扉に手を置くと鍵が開いていた。そして恐る恐る扉を開いた。


「僕だよ」


 僕は小さく声を出しながらアトリエの中に入って行った。アトリエ内の殺気は異様で、その空気感を感じた瞬間眩暈がした。


「大丈夫かい?」


 僕はアトリエ内を歩きながらそう言った。彼がどこにいるのか分からない。段々と彼の荒い吐息が聞こえてくる。その吐息はまるで暴れた後の獣の様だった。



 彼がいつも絵を描いている部屋のドアをノックし耳を澄ますと、荒れ狂った人の呼吸が聞こえて来る。ドアを開けて僕は彼の姿を見つけ出した。肩で息をし立ち尽くした彼は背中だけでも苦しみが伝わってくる。


「どうしたんだい、大きな音を立てて。何かあったのかい?」


 僕はなるべく彼を落ち着かせようと、冷静にゆっくりと彼に話しかけた。しかし彼から返答はない。僕は彼に近づいた。


 彼の背後に立った時、僕は彼の背中にそっと触れた。彼が今何を見ているのか覗き込んだ。そこには彼の描いた絵に、ナイフや鉛筆などが何本も刺さっていた。


「何があったんだい」


 僕は彼の背中を摩りながら聞いた。彼は全身を震え上がらせ息を大きく吸った。上手く呼吸が出来ていないらしい、肺が小刻みに動く。


「落ち着いて、ゆっくり息を吐いて。」


 僕の言葉通り彼は息を吐いた。それと共に彼の目から涙が零れ落ちていく。勢いを持ってあふれて止まらない。


 彼は膝から崩れ落ちた。僕はそれを支えながらゆっくりと彼を地面に座らせる。

身体全身の力が抜け落ちて彼はどこか遠くを見ている。


「何があったの?」


 僕は彼の目を見て聞いた。彼はぼうっとしたまま僕を見た。


「拒否されたんだ、僕の絵が」


 彼の涙は止まらない。


「気持ち悪いんだって、僕の絵は」

「信じられないんだって、僕の絵は」

「自分が芸術家だって勘違いしているキモイ奴だって、僕は」

「僕は、僕の絵は、存在価値がないって」

「でも僕は絵を描くことしかできないんだ」

「僕の絵がこの世の害なら」

「僕の生きている意味って何なんだ?」


 彼の言葉は止まらない。


「僕はこの世界の何なんだ?」


 彼が悲しみで消えてしまいそうで、僕は彼を同性ながら思わず抱きしめた。


「君の絵は素晴らしいよ、君の存在は素晴らしいよ」


 僕は彼を繋ぎとめたくて必死で彼を擁護した。


「君の絵は彼女には高貴すぎたんだ。君の絵は害なんかじゃない」

「でも彼女は言ったんだ、好きならもっと綺麗に美化して私を描け、そうじゃなきゃ、絵にする意味がないって」


 きっと、醜い彼女は美しい彼が描く絵で、自身のコンプレックスと劣等感が刺激され、彼に激しい言葉をかけたのだろう。


「僕は彼女の存在そのものが好きだったのに」

「彼女は僕をものとしか見てなかった」

「彼女から見たら僕は、自分の醜さを埋め合わせてくれる道具でしかなかったんだ」

「僕は綺麗だから、僕は誰からも本気で愛されない」


 彼は俯いていた。涙が鼻を伝って床に落ちる。


「見る目がなかっただけさ、君を愛してくれる人は絶対に現れるよ」


 彼はしばらく俯いていた。僕は彼の背中を摩り続ける。


「もう、一人にしてくれないか」


 彼がぼそりと呟いた。


「ああ、分かったよ」


 僕は彼から離れた。


「何かあったらすぐに言えよ」


 僕はこの言葉を残し彼のアトリエを後にした。

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