第12話 思い出とミリアム様の想い
当時の事……。
「………………」
あの頃の事——……。
「っ……」
「! す、すまない、そういうつもりではないんだ」
「僕も、そういうつもりではないです。すみません、そうでしたね。配慮が足りませんでした」
「あ、い、いいえ」
い、いけません、わたくしったらどんな顔をしてしまったのでしょうか?
お二人にとても心配そうなお顔をさせてしまいましたわ。
気をしっかり持つのです! わたくし!
……今は、関わり合いもないのですから……。
「…………」
落ち着いて。
落ち着くためにも紅茶を飲みましょう。
そう手を伸ばした時に、自分の手が震えているのに気がついた。
思わず右手で左手首を掴んで引っ込める。
当時の事……母に連れ回され、父に怒鳴られ、姉に馬鹿にされ、兄に無視される家。
わたくしの心はストレスで食事も受けつけなくなり、疲弊していた。
感情面は今もどこか機能不全を起こしている気がします。
幸いどんなに食べても太らない体質のようなので、『食欲』に関するエラーもなんのそのですけれど……やはりこのままではいけませんわよね。
前世も病気に苦しみましたから、今世では健康に気をつけておばあちゃんになるまで穏やかで美味しい物を食べられるような日々を送りたいと思います。
そのためにも……!
「あの、教えてください。確かにあまり覚えていないのですが……わたくしは一体、当時どんな理由でアーク様と婚約したのですか?」
はっきりさせましょう。
少しずつでもいいから、昔の自分と向き合って、今の自分を好きになりましょう。
さあ、どんな真実でもわたくしは受け止めて見せますよ!
「……アークとクリスティアの婚約は、私が王太子に決まるまでの仮婚約、という事だったんだが……覚えてないか?」
「…………。……ん?」
え? 仮婚約?
わたくしとアーク様の婚約が?
思わず前のめりになって聞き返してしまいましたが…………えっ?
「五年前の僕は婚約の申し込みが面倒くさくて面倒くさくて……とても困っていたんです。そこへミリアムがクリスを連れてきたんですよ。『自分が王太子になるまでクリスティアの婚約者になって欲しい』って」
「おい待てアーク。なんでクリスティアを愛称で呼んでいる?」
「食いつき早いですね」
「当たり前だろう」
と、ご兄弟で盛り上がっておられますが今ちょっとそれどころではありませんよ、わたくし。
え? え?
ミリアムが、王太子になるまでの仮の婚約者?
え? そうでしたっけ?
待って頂きたい。待って頂きたいのです。
ななななんと? なんと? え? なんと? なんだか、なんだかその言い方では、その言い方では……!
「クリスティアの実家……ロンディウヘッド侯爵家は『より高い地位を持つ王子との婚約』を望んでいたでしょう? だからうちのアークと仮の婚約を行う事で、あなたの家からもあなたを引き離す事が出来たのよ」
「!」
そうつけ加えるジーン様。
……そうです、お父様はわたくしに「必ず王子の婚約者になれ。身分が高く、いずれ王となる王子の」と言い続けてきました。
そして父の中で、次期王となる王太子は身分が高い母上をお持ちのアーク様。
しかし国王陛下は「学園での卒業成績で王太子を決める」とおっしゃっていたらしい。
そこでエリザ様は、ミリアムが必ず王太子になってクリスティア……わたくしと婚約するから、それまでわたくしを守って欲しいと守る役目、そして一向に減らない婚約の申し込みから逃れる防波堤としてわたくしと婚約しないか、とアーク様に持ちかけた。
婚約の申し込みにうんざりしていたアーク様は二つ返事で了承。
現在に至る……と。
「え、あ、あの、お待ちください、ではアーク様は王太子になるつもりは、ないのですか? 王位は……」
「僕は面倒な権力争いは避けたいのでミリアムに丸投げします☆」
「は、はわわ」
と、とてもいい笑顔ーーーー!
「あと国政の仕事とかめっちゃ絶対面倒くさいじゃないですか。責任は重いし、絶対やりたくありませんね」
「お前……」
「はわわわ……」
「僕は公爵家に収まって悠々自適な辺境地生活とかしたいんですよ。もちろんこのまま王都に残ってミリアムを助けるのも吝かではないんですが、あんまり責任が重くて忙しい仕事とかしたくないです」
「はわわわわわ……!」
と、とってもいい笑顔ー!
「……能力はあるのに、どうしてうちの子はこうなのかしら……」
「ジーン様の十年にも及ぶ説得や教育も虚しく、アーク様はこのような思想の方になってしまったのよ、クリスティア」
「……そ、そうなのですね」
これは諦めざるを得ない。
揺るぎなき「王様やりたくない」オーラ!
ジーン様が頭を抱えて俯いてしまわれている……!
「なので、まあ、エリザ様の提案は僕にとっても魅力的だったんですよね。クリスの家はなんだかんだ爵位も高く権威もあったので。堤防としては大変優秀でした」
「恐れ入ります……?」
とてもキメ顔で褒めて頂けましたわ……?
「ただ、まさかその本人がこの約束を覚えていないとは……な」
「すみませんすみません!」
ああっ、ミリアム様にものすごく落ち込まれてしまいました!
すみません、本当にすっかりきれいに忘れていてすみません!
いやだ、どうしましょう……フィリーに「ミリアム様はわたくしを妹みたいに思っている」って言ってしまいましたわ!
…………。ん?
「……あ、あの、ミリアム様……今のお話だと、あの……まるでミリアム様がわたくしを……えっと……」
……どうしましょう。
これは言葉にしてもいいのでしょうか?
自分でここまで口にしておいて、それを聞く事はとても躊躇われた。
だって、だって……。
「っ……そ、そうだ」
「!」
真っ赤な顔の、ミリアム様。
顔を上げて、ちょっぴりだけ起こったような表情。
でも赤いから全然怖くない。
ああ、どうしよう。どうしましょう。
ミリアム様……ミリアム様……わたくしは、あなたのそのキラキラした瞳に……この高鳴る鼓動に——……その名前をつけてしまってもいいのでしょうか。
だってわたくしはアーク様の婚約者なのに……!
「私は、初めて会ったあの日に、もう、お前に告げたつもりでいたが……伝わっていなかったのなら、また告げよう!」
「っ!」
「クリスティア・ロンディウヘッド! 私は君が好きだ! 私が作ったものを口にしてくれるのは、あの日まで母上だけだった。でもあの日、君が涙ながらに褒めてくれたから、私は……とても、救われたんだ。ああ、作ってもいいんだ、と許された。それがどんなに私の心を救ってくれたか……」
そんな。
そんなの、わたくしだって。
わたくしだって、ミリアム様の作るお菓子に、ケーキのおかげで……今日まで生きてこられたのです。
ミリアム様のケーキがなければ、きっとあのままなにも食べられなくて飢え死んでいました。
ミリアム様はわたくしの救世主。
これからもずっと、わたくしはミリアム様のお菓子が食べたい。
ミリアム様にご飯やお菓子を作って頂きたい……!
「……私は君が好きだ、クリスティア! 卒業したら、私と結婚してくれ!」
「……っ!」
ぽろり、と涙が溢れてきました。
どうして? どうしてこんなに感極まってしまったのでしょうか。
嬉しい……嬉しくて……嬉しくて……。
「ミリアム様……」
ミリアム様、ミリアム様……わたくしはアーク様の婚約者なのに……。
でも、わたくしにとってやはりミリアム様は特別な方。
ずっとそうだった……。
「よいのでしょうか……そんな事が、許されるのでしょうか? わたくしはアーク様の婚約者なのに……」
「クリスティア、君の気持ちを聞かせてくれ。私の事は、やはり結婚相手として……見れないだろうか?」
「いいえ! そんな事はありません!」
思わずすぐに否定してしまった。
アーク様が、ジーン様も……隣にいるのに。
けれど止まらない。
今止めるわけにはいきません。
「わたくしもずっとミリアム様の作るすべての食べ物が大好きでした!」
「……。うん!」
「ミリアム様と結婚出来たら、毎日ミリアム様が作るご飯やおやつを食べられるんだろうなぁ、それってとっても素敵で幸せだなぁと思ってきました!」
「うん。そんな気はしていた」
「それが叶うのならわたくし、ミリアム様の作るご飯やおやつと結婚したいです!」
「ご飯やおやつとかぁ……」
そうしたらずっと一緒にいられますよね。
いくら食べてもずっと……ああ、そんな幸せな生活が、ずっと続けばいいのに——!
「…………ここまで盛大にすれ違うといっそ清々しですね」
「ちょっとこうなる気はしていたんだよな」
((息子たちが調教済み……))
(お嬢様ぁぁぁ……!!)
許されるのでしょうか、そんな事が。
ミリアム様が王様になったら絶対にそんな時間は取れないでしょう。
けれどミリアム様のレシピなら厨房の方に浸透するのではないでしょうか!
食材が大変、なような事をアーク様がおっしゃっていたので、わたくし意地でもこの国の食糧問題を解決してみせますわ。
どんな手を使っても。
そうしたら、毎日朝昼晩、そしておやつにミリアム様の作るものと同じ味のご飯やおやつが……きゃぁああぁっ! 幸せ! 絶対幸せですわー!
「「…………」」
そしてそんなわたくしをよそに、ミリアム様とアーク様が謎のアイコンタクトを取る。
その事に勘づいて、お妃様お二人も謎のアイコンタクトを取る。
そう、話し合いはここからが本番だったのです。
「まあ、クリスティアならそう言うと思ったので」
「え?」
「こちらも相応の策を用意しておいた」
「……え? 策?」
なんのお話になっているのでしょうか?
策? なにに対する策でしょう?
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