恵莉花の日常 その13

母親のように思っていたベビーシッターが自分を裏切ったのでも見捨てたのでもなかったことを知った千華ちかは、どうしようもない自己嫌悪の中にいた。勝手に裏切られて見捨てられたと思い込んで身勝手な恨みを募らせていた自分が情けなくて情けなくて……


しかも、ここまで自分が何をしていたのか、ベッドにもぐって思い返しているうちに、自身が『嫌な女!』と毛嫌いしていた実の母親とほとんど変らないことをしていたことに気付き、それがまた自己嫌悪を深めていく。


もう、一生、このまま部屋に閉じこもって自分の命の終わりを迎えようとさえ思った。


けれど、自分でもいつ眠ってしまったのか分からないうちに寝て、夢を見た。


あのベビーシッターと過ごした頃の夢だった。


いつも自分を見てくれていた、見守ってくれていた、実の母親よりよっぽど母親らしい存在だった彼女。


雇い主である自分の実の母親にどんなに理不尽なことを言われても口答えせず、丁寧な物言いを心掛けていた彼女。


思えば、自分も昔はもっと<いい子>だった。ベビーシッターの所作を真似て、何でも丁寧にやろうとしていた覚えがある。


なのに、彼女が自分の母親じゃなく、<たまに顔を見せる嫌な親戚>だと思っていた方が実の母親だと気付いた頃から、おかしくなった気がする。


今から考えると、


『たまに顔を見せる嫌な親戚が実の親だった』


ことが受け止めきれず、精神的なバランスを失っていたのかもしれない。


加えて、ベビーシッターが顧客である実の両親に言い返せないのは当然なのだが、幼かった千華にはそれを『仕方ない』と割り切ることができなかったのだろう。


そういう諸々を丁寧に彼女に諭してくれる者もいなかったことで、しっかりと道を示してくれる者がいなかったことで、自分がどうあるべきかも分からなくなってしまったものと思われる。


件のベビーシッターも、シッターとしては優秀だったかもしれないが、雇われているだけの身であることを超えられず、踏み込んだ対応ができなかったのかもしれない。


この事例でベビーシッターに責任を負わせるのは酷ではあるものの、おそらく千華の<心>を守れる可能性が一番高かったのはベビーシッターだったのだろう。その点が最も悔やまれる。


けれど、できる範囲内では努力はしていたと思われるので、千華自身、彼女に対するわだかまりは、現在はもう持っていない。


とは言え、それらについて千華が落としどころを見付けるには数ヶ月の時間を要し、その間、まるで心をどこかに置き忘れてきたかのように、虚ろな様子でただ毎日を過ごす彼女の姿が見られたのだった。


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