悠里の日常 その4

聞き分けのない相手を叩いていいのなら、ボコボコになるまで叩いてやりたい人間が、ネット上には溢れていた。


人を傷付けて平然としていられる人間達を、足腰立たなくなるまで痛めつけてやりたいという思いはあった。


けれど、悠里の両親は、悠里に対してそれをしなかった。それをしないことで、


『人を傷付けて平然としていられる人間達を、足腰立たなくなるまで痛めつけてやりたい』


という思いが正当なものではないことを教えてくれた。


もしそれが正当なものであるなら、悠里には容易く実行できてしまう。まず、ネット上で<蔑称>を使う者は一人残らず二度とネットができなくなるまで痛めつけてやろう。


次に、創作物に非合理な難癖を付けてくる奴も。特に、母親の作品を愚弄している奴らは一人も許さない。


外見上はわずか三~四歳くらいの悠里でも、人間相手ならその程度のことは造作もない。ダンピールであるがゆえに。


もっとも、ただの人間でさえ、<武器>を使えばそれなりのことができてしまう。実際、武器を手にしたことでその力で他人を屈服させようと行動に出た者が起こした事件もある。


素手ではまともに喧嘩もできない者でも、ガソリンをぶちまけて火を点けるだけで何人もの人間の命を容易く奪うことができる。


しかも、それをした者は、自分こそが正しいことをしていると思っている。


だからこそ、ミハエルもアオも、力で相手を屈服させることを悠里には教えてこなかった。


「それをしていいのは、生きるためにする時だけかな。自分や自分の大切な人を生かすためだけと考えればいいかもしれない」


ミハエルは悠里にそう諭した。


ただしそれについても、<拡大解釈>はしないように気を付けなければいけないけれど。


『力を振るっていいのは、生きるためだけ』


ミハエルは悠里ユーリに対してそう諭してくれた。


かつて、御厨美千穂みくりやみちほを誘拐した者達を制した時も、ゲリラを制した時も、あくまで『理不尽な暴力から命を守るため』だった。しかも、『可能な限り相手の命も奪わないため』に、敢えて圧倒的な力を用いて一瞬で制圧した。


そういうことだ。


あのゲリラ達については、その後、銃殺刑になった者もいるらしいが、その部分はあくまで人間達同士の問題なので、ミハエル達には関与できない。


ゲリラ達が死刑になる可能性があるのは分かっていても、あの時、優先すべきは<仲間>だった。


彼らが『生きるために』戦っているのなら、ミハエル達も『生きるために』『仲間を生かすために』力を振るう。


あれはそういう戦いだった。生きるため。生かすためのそれであって、決して相手を自分の言いなりにするためではない。


自分の力を示して悦に入るためではなかったのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る