悠里の日常 その5

御厨美千穂みくりやみちほを誘拐した者達を制した時も、ゲリラを制した時も、あくまで『理不尽な暴力から命を守るため』だった。それは決して揺るがない。


ゲリラ達が、『生きるために』戦っているのなら、ミハエル達も『生きるために』『仲間を生かすために』力を振るう。


ミハエル達にとってあれはそういう戦いだった。生きるため。生かすためのそれであって、決して相手を自分の言いなりにするためじゃない。


自分の力を示して悦に入るためじゃない。


あの時、ミハエルとセルゲイがゲリラ達の命を奪わなかった意味を、悠里には知ってもらわなければならない。


それを怠ると、ダンピールである悠里にとって、


<母親を攻撃する者>


は、明確な<敵>となり、命を奪うことすら躊躇がなくなる可能性が高い。


いや、そもそも吸血鬼やダンピールにとって人間は<下等な生き物>でしかないので、人間を駆除することに正当な理由を与えてはいけないのだ。


どれほど吸血鬼やダンピールが人間より『生物として優れて』いても、人間を、


『下等な生き物が!!』


と見下し虐げることは、吸血鬼及びダンピールにとっても人間にとっても不幸しか生まないことは分かっている。


だからこそ、目先の感情論では語れない。


目先の感情論で是非を決めれば、それは必ず自分に返ってくる。


正義を振りかざして他人を踏みにじれば、結局、別の正義によって自分が踏みにじられることになる。


ミハエルもセルゲイも、あの時の自分の行いを<正義>だとは思っていない。


あくまで一時的な<緊急避難措置>でしかないのだから。


人間と比べて<圧倒的な強者>である自分達が本気で力を振るえばただの蹂躙になってしまうのを、よく理解している。


ゆえに、悠里ユーリはこれまで、少なくとも本人が覚えている限りでは両親から叩かれた覚えがない。


母親のアオに声を荒げられたことは微かに何度か覚えてるものの、それはすぐに謝ってもらえた。


だけど、父親のことも母親のことも舐めてないし侮ってもいない。


なぜなら、今はもう力では母親には決して負けないもののやっぱり知性や器ではまだまだ敵わないと実感してるし、父親に至っては<力>でも遠く及ばないことは、見ていても分かる。


幼い頃には力比べを挑んだこともあるものの、今でも<力>の使い方を学ぶために軽く<手合わせ>するものの、一度だって勝てたことはないし、今でもまったく勝てるビジョンが見えない。


叩かれなくても怒鳴られなくても、親を舐めなきゃいけない要素はまったく見当たらなかった。


悠里ユーリは、自分から見て<絶対的強者>であるミハエルはもちろん、力ではもう圧倒的に自分の方か強いアオのことも、舐めてなんかいなかった。


そんなことをする必要がそもそもなかった。


確かにアオは、


料理はダメ。


家事もダメ。


対人関係もダメ。


という欠陥だらけの人間だった。けれど、舐めなきゃいけない理由が見当たらない。


自分を愛してくれていて、自分がこの世に生きていることを認めてくれて、自分が存在することを認めてくれていて、そして自分を敬ってくれる。ペットのように玩具おもちゃのように扱ったりしない。


それで何を舐めなければいけないのか?


たかが自分よりは非力だというだけで。


だから妹である安和アンナ椿つばきのことも馬鹿にする必要もなかった。


単に自分より後に生まれてきたというだけで、自分よりは非力だというだけで、いったい、何を馬鹿にしなければいけないのかが、悠里には分からない。


むしろ、『先に生まれた』という、自分の努力でもなんでもないことで偉そうにすることの方が愚かに見える。


そして兄の悠里がそうやって自分達を馬鹿にしないから、安和も椿も兄に反発する理由がなかった。生意気な態度を取る必要もなかった。


「ありがと、悠里……」


自分を気遣ってくれる兄に、安和が、気恥ずかしいのか視線は逸らしながらも、感謝の言葉を口にしてくれたのだった。


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