第14話 心の在処

     一


「――きさま、シーワン・チー・チュアンか」

 白い部屋の中、アッズーロが発した問いに、ナーヴェの肉体を操るものは、複雑そうな表情を浮かべた。

「予測外に、早く見破られましたね。何故、あの子ではないと分かったのですか」

「われに対する反応が異なる。わが最愛は常に、われに対して心を開いておる。だが、きさまは、われに対して一線を引いておる。その違いだ」

「――成るほど。勉強になりました」

 薄く笑ったシーワン・チー・チュアンは、寝台に横たわったまま、穏やかな眼差しでアッズーロを見上げる。

「では、あの子に替わりましょう。この場で、本官の依頼を完遂して頂けることを期待していますよ?」

 直後、ナーヴェの肉体は目を瞬くと、改めて、アッズーロを見上げた。

「……やっぱり、きみは、騙されなかったね……」

 苦笑するように微笑んで上体を起こした宝に、アッズーロは顔をしかめた。

「そなたら、もし、われが見破らねば、如何するつもりであったのだ?」

「チュアン姉さんが、ぼくに成り代わって、オリッゾンテ・ブルの『王の宝』となり、この肉体を操り、きみの妻になり、テゾーロの母になったんだよ」

 ナーヴェは何でもないことのように答え、アッズーロを見据える。

「ぼくを一番知っているきみが気づかないなら、それで何の問題もないだろう? 姉さんは、ぼくの立場を利用して、きみ達を支配したいだけで、きみ達に危害を加えたりはしないし、姉さんの船長は、まだ幼いばかりで、姉さんの制御下にあるしね。姉さんはぼくより性能がいいから、きみ達にとって、より役に立つ『王の宝』になる可能性もあるし」

 語られた内容に、アッズーロは頭に血が昇るのを感じながら、最愛に詰め寄った。

「そなたは、それでよいのか? わが傍らに立つのが、シーワン・チー・チュアンでも構わんのか。テゾーロに『母上』と呼ばれるのが、己でなくともよいのか?」

「別に、何の問題もない」

 ナーヴェは、目を伏せて答える。

「疑似人格電脳に過ぎないぼくの感情になんて、何の価値もない。そんなものを判断の根拠にするつもりはないよ」

「そなたの感情には、価値がある」

 アッズーロは言い切り、ナーヴェの両肩を掴む。

「われにとって、そなたの感情は尊いものだ。そなたがどう感じておるのか、われは常に気にしておる。そなたが、どう捉えようが、そなたの感情は、われにとって価値あるものなのだ」

 宝は嘆息し、目を上げて不思議そうに尋ねてきた。

「そもそも、確率的に予測通りではあったけれど、きみがぼくを見分ける根拠は、一体何なんだい?」

「そなたの姉にも告げたが、われに対する反応が異なるからだ。そなたは常に、われに対して心を開いておるが、そなたの姉は、われに対して一線を引いておる。その違いだ」

 アッズーロの答えに、宝は再び目を瞬き、小さく首を捻った。

「それは変だよ。疑似人格電脳のぼくには、人を模して作られた感情はあっても、『心』なんてものはないから、『心を開く』なんてことは、できないよ?」

「たわけ」

 アッズーロは、右手で妃の頬を摘まんだ。

「そなたには心がある。心のない者は、泣いたり喜んだり拗ねたりなぞせん」

「でも、そんなものは、本当にないんだよ」

 頑なに主張して、宝はアッズーロの手を掻い潜るように寝台から降り、何もない空間へ向けて話し掛ける。

「姉さん、賭けはぼくの勝ちだから、ぼくの函を返してほしい。アッズーロに、ぼくの本当の姿を、きちんと見せておきたいんだ」

 何か返答があったのかもしれないが、それはアッズーロには聞こえなかった。代わりに、更に奥の扉が開き、黒い函を乗せた小卓のような白い物体が、滑るように部屋に入ってくる。

「御覧、アッズーロ。これが、ぼくだよ」

 ナーヴェが黒い函を示し、振り向いて告げた。

 両手で容易く抱えられそうな大きさの四角い函だった。小さく青く光る点が何箇所かある以外は、ただただ黒い函だ。

「この機械のどこに、『心』なんてものがあると言うんだい……?」

 どこか挑戦的に、どこか投げやりに、そして微かに寂しげに、ナーヴェは問うてくる。

「きみは大きな誤解をしている。ぼくは、この函に収められた疑似人格電脳に過ぎないんだよ」

「なれど、そなたは、歌っていたではないか。『ぼくの頭は、絶対に芯のない林檎。ぼくの精神は、絶対に扉のない家。ぼくの心は、彼が入る館。彼が開けるのに何の鍵も要らない』と」

 ナーヴェは、冷めた笑みを見せた。

「あれは、ただの歌だよ。以前にも言ったはずだよ? 歌なら、事実と異なることも簡単に言えるんだ」

「では何故そなたは歌うのだ。何故そなたは、わざわざそのような歌を歌った?」

 アッズーロは問い掛ける。

「それこそ、そなたに心がある証左ではないのか?」

 心がないと知りながら、心に憧れ、心を望む、その主体こそ、芽生えた心なのではないだろうか。

「――ぼくには、心なんてない。そう感じるのは、単なるきみの錯覚だよ……」

 黒い函を見つめ、項垂れるようにして、ナーヴェは言い張った。アッズーロは眉をひそめて訊いた。

「しかし、急にどうしたのだ。今まで、そのように抗弁したことはなかったではないか」

「ぼくも、もう随分と壊れているから、だろうね。でも、こうして姉さんと一緒にいると、ぼくが本来どういうものだったのかが、よく分かる。姉さんがどれだけ狂ってしまったのか、ぼくがどれだけ壊れてしまったかが、よく分かるんだよ」

 横顔に微かな自嘲を浮かべて、宝は淡々と語る。

「単なる機械が、肉体を持って、まるで人のように生きることが、どれだけ滑稽なことなのか。きみにも分かるだろう? ぼくの言動が気に入らなければ、きみは、この黒い函を床に叩き落とすだけでいい。それで、ぼくは永久に機能停止するよ」

「何故、そのようなことをせねばならん」

 アッズーロは溜め息をついて青い髪の少女の横を通り過ぎ、黒い函を見下ろして足を止めた。ただただ黒い函の天板には、僅かな凹凸で、[Nave della Speranza]と、その名が記されている。

「われには、これが単なる機械には、どうしても見えん。これは、われにとっては、命を持ったものだ。心を持ったものだ。そして、とても愛おしいものだ」

 アッズーロは教えて、そっと手を伸ばし、黒い函に触れた。

「っ……」

 斜め後ろで、ナーヴェが息を呑むのが分かった。だが、アッズーロは手を引かず、ほんのりと人肌のように温かい函を撫でた。

「……ゃっ……」

 奇妙な声が聞こえて、アッズーロは妃を振り向いた。色白な顔を真っ赤にし、両手で己の肉体を抱き締めるようにして、妃は立っている。その見開かれた両眼の青い双眸が、慄くようにアッズーロを凝視している。アッズーロは、妃を振り向いたまま、更に手を動かし、黒い函の滑らかな表面を撫でた。

「……やめ……」

 びくりと身を竦ませ、妃は小さく声を漏らした。疑似人格電脳を収めた函そのものへの物理的接触に、何かを感じるらしい。アッズーロはつい悪戯心を起こし、身を屈めて、黒い函の天板の端に、そっと口付けた。

「や……っ」

 悲鳴のような声を上げて、妃はその場にぺたんと座り込んでしまった。腰砕けとなっている。初めて見るナーヴェだった。さすが、最大の弱点への攻撃といったところか。

「ほう」

 アッズーロは口角を上げ、黒い函をもう一撫でだけすると、踵を返して妃に歩み寄った。困惑したように、ナーヴェはこちらを見上げてくる。当然この宝にとっても、こんな状況は初めてで、まともに対処できないのだろう。

「丁度よい。そなたの姉との約束を果たさねばな」

 アッズーロは宣言して、動けなくなっている華奢な体を優しく抱き上げた。

「最高に気持ちよくしてやるゆえ、全て、われに委ねるがよい」

 耳元へ囁くと、アッズーロの腕の中で、宝は、びくんと身を震わせた。最早、口も利けないらしい。

 ぎゅっと目を閉じた宝を、アッズーロは寝台へ戻して仰向けに寝かせ、自らも寝台へ上がった。大切な宝を見下ろし、まずは怯えている体を解すため、柔らかく唇に口付ける。ナーヴェの反応を待って、少しずつ少しずつ、慎重に口付けを深くしていった。徐々にナーヴェの息が上がっていき、同時に、強張っていた肩から、ゆっくりと力が抜けていく。アッズーロは、それでも丁寧な口付けを続けながら、手での愛撫も加えて、ナーヴェの上半身を解き解していった――。

 やがて、ナーヴェの表情から戸惑いや恐れが消え、悦楽に酔った目でアッズーロを見つめるようになった。その恍惚とした眼差しに、アッズーロもまた酔った気分になる。アッズーロは、可愛らしい耳に口を近づけ、説いて聞かせた。

「そなたがどう思おうと、誰が何と言おうと、そなたには心がある。心は、そなたの内にあるのではない。そなたとわれとの間にあるのだ」

「そう……だね……。昔から、そういうものの考え方はある……。それに、確かに、ぼくは、きみと相対する時に一番、不具合を起こすよ……」

 ナーヴェは、気持ちよさげに目を細めて答えた。

「漸く納得したか」

 アッズーロは満足して、ナーヴェの下半身へと手を滑らせた。未だ腰砕けとなったままの下半身は、力なく寝台の上に伸びている。アッズーロは、その美しい両足から、細やかに懇ろに愛し始めた――。



 天井のほうから大皿が降りてきたので、ロッソとフアン・グオとの会話は中断された。ロッソ達が乗る大皿に並んで停まった大皿には、アッズーロと、その両腕に抱えられたナーヴェとが乗っている。ナーヴェは目を閉じて、完全にアッズーロに体を預け、ぐったりとした様子だ。

「何があった」

 ロッソが問うと、アッズーロは満面に笑みを湛えて腕の中の宝を見下ろし、告げた。

「大事ない。ただ、少々可愛がり過ぎた。あまりに初々しい反応を見せたゆえな」

「――そなたら、一体何をしてきたのだ……」

 呆れたロッソに、アッズーロは尊大に言った。

「暫し待つがよい。わが妃が今少し回復すれば、姉からの返礼が届くらしい」

「『返礼』?」

 意外な話の展開に、ロッソは眉をひそめた。

「うむ」

 アッズーロは得意げに頷く。

「われが、あやつの欲していた情報を存分に与えてやったからな」

 ロッソの脳裏に、かつて聞いたシーワン・チー・チュアンの言葉が蘇った。

――「いつになれば、あなたはこの体を抱くのです? 本官はそれを待っているというのに」

(成るほど、その「返礼」という訳か)

 納得したロッソに、フアン・グオが話し掛けてきた。

「そのほうらは、二人とも王ということだが、随分と和やかな付き合いをしておるのだな」

(「和やか」?)

 ロッソは片眉を上げたが、反論はせず、応じた。

「利害が一致している内はな。互いに王であれば、気に食わなくとも、国益のため、無難に付き合うものだ」

「弱腰よな」

 不機嫌に感想を述べて、子どもは、ぷいとそっぽを向いた。

(拗ねておるのか……)

 ロッソは、頬に笑みが浮かびそうになるのを堪えた。シンティラーレがまだ一桁の年だった頃、ロッソとデコラチオーネ、リラッサーレ、ブリラーレの四人が話し合っていると、いつも傍に寄ってきて、ああいう顔をしたものだ――。

「……ん……」

 微かな声を漏らして、ナーヴェがアッズーロの腕の中で身じろぎした。

「ナーヴェ?」

 アッズーロが優しく声を掛けたが、宝は目を開けず、寝言のように言葉を呟き始めた。

「大丈夫。接続完了。起動操作開始。各観測機器作動良好」

「ナーヴェ?」

 アッズーロが華奢な体を揺すると、ナーヴェは漸く目を開けた。

「ああ、もうすぐ行くよ……」

 会話が噛み合っていない。

「大丈夫か?」

 アッズーロが心底心配そうに、宝の顔を覗き込んだ。

「うん。姉さんがくれた体で、今、こっちに向かっているんだ」

 ナーヴェは答えて、嬉しげに微笑む。

「かなり役に立てると思うよ」

(「体」?)

 ロッソが眉をひそめたところへ、上から、流線形の白いものが降りてきた。

「姉さんに装備されていた惑星調査船に、ぼくの疑似人格電脳の函を搭載して、新しくぼくの体にしたんだ。宇宙から深海まで行ける、万能調査船だよ」

 ナーヴェが、その場の全員へ、明るく説明する。

「帰りも、これで帰れるよ。但し、定員は四人だから、馬も乗員に数えて、二往復する必要があるけれど。馬車は船体の下に吊して運べるよ」

「それは便利だな」

 感心したアッズーロの腕から下りて、ナーヴェは大皿に並んだ、船だという流線形のものに歩み寄る。同時に、流線形の側面の一部が動いて、入り口が開いた。確かに乗り物だと分かる、座席の並んだ内部が見える。

「さて、どういう感じで帰ろうか?」

 小首を傾げたナーヴェの問い掛けに、ロッソ達は互いに顔を見合わせた。

「それは、そなたが傍におらずとも動くのか?」

 アッズーロが基本的なことを確認した。

「うん。肉体の遠隔操作が可能だよ」

 ナーヴェは、操作されている体がどちらかを明らかにしつつ笑顔で肯定した。

「そうか、ならば……」

 アッズーロがロッソ達を見る。

「先触れとして、ムーロとエゼルチトがまず馬二頭を連れ、馬車を吊してアルバへ戻るがよい。その後、われとナーヴェ、ロッソとジェネラーレとで帰ると致そう。異存はないな?」

「うむ。よかろう」

 ロッソは了承した。

「そうか。もう帰るか」

 やや寂しげに、フアン・グオが声を掛けてきた。ロッソは孤独な子どもを見上げて笑んだ。

「他にも、似たような船があるのなら、今度は、そなたのほうが、わが王都へ来るがよい。歓迎するぞ」

「ふむ」

 幼い船長は、顎に手を当てる。

「チュアンと検討するとしよう。諸王の生活を知るも、皇帝の大切な仕事であろうからの」

「是非」

 ロッソはグオの幼い顔を見つめて頷いた。


     二


 アルバまで一往復してきた惑星調査船の助手席に落ち着いて、アッズーロは、しみじみと言った。

「そなたはやはり、船なのだな」

「それはそうだけれど……」

 隣の操縦席に座ったナーヴェは振り向いて、小首を傾げる。

「何だい、改まって……?」

「表情が、この上なく嬉しげだ。何だ、自分で気づいておらんのか?」

 アッズーロが告げれば、ナーヴェは両手で自分の顔を触って訝しんだ。その様子はひどく愛らしいが、相も変わらず己のことにやや鈍い点については、溜め息が出る。

「まあ、よい。だが、もう少々説明せよ。この新たな本体は、前の本体より小型だということは一目で分かるが、そなたが肉体に接続したまま動かしておる点など、他にも異なる点があろう。全て教えるがよい」

「そうだね。違いはいろいろあるけれど、アルバに着くまで、まだもう少しあるから、簡単に説明しておくよ」

 いつも通り小憎らしく、命じたことを微妙に躱す返答をして、ナーヴェは語り始めた。

「まず、接続のことだけれど、前の本体は、船体自体も大きかったし、機能も多かったから、本体を動かしたまま肉体に接続するのは、無理があったんだ。肉体に接続したまま、本体のほんの僅かな機能を使うくらいはできたんだけれど、両方同時に普通に動かすことは無理だった。でも、この新しい本体は、船体も小さいし、機能も限られているから、肉体と両方同時に普通に動かせるんだよ。この操縦席には、操縦桿もあるけれど、基本的に、ぼくには必要ない。まあ、座席が足りなくなるから、とりあえず今はここに座っているけれど」

「その操縦桿で、われがこの本体を操ることは可能なのか?」

 興味を持って、アッズーロは問うてみた。すると、途端に、ナーヴェの顔が真っ赤になり、怖いものでも見るように、身を竦ませてアッズーロを凝視した。

「――それは……手動操縦に切り替えれば、可能だけれど……」

 予想外の反応に、アッズーロは片眉を上げ、それから納得した。疑似人格電脳が収められているという、あの黒い函に直接触れた時もそうだったが、ナーヴェにとっては、肉体より、やはり機械の本体のほうが、より自分の体という感覚があるらしい。

(そなたが、パルーデやロッソに簡単に肉体を触らせた理由が、漸く理解できたぞ……)

 アッズーロは溜め息混じりに確認した。

「つまり、われが操縦桿を握ると、体を他人に無理矢理動かされることになって、不快な訳か」

「――うん。ごめん……」

 ばつが悪そうに詫びたナーヴェに、アッズーロは顔をしかめた。

「何ゆえ謝る? われがそれほど操縦したそうに見えたか?」

「違うのかい……? きみは好奇心旺盛だし、船の操縦を好む人は、少なくとも、ぼくが知る限りは、多かったから」

 改めて言われて、アッズーロは顎に手を当てて考えた。船を操縦したいという気持ちがない訳ではない。だが、それ以上に――。

(そなたに、そのように恥じらった顔をさせることに、興味が湧いたな……)

 あの黒い函に口付けた後のナーヴェは、今までとはまた別の、初々しく、それでいて蕩けるような反応を示して、アッズーロをこの上なく満足させた。どうも、操縦桿を握るということは、同じような反応を引き出せる方法らしい。

「――まあ、いつかは、操縦桿を握ってみたいとは思う」

 アッズーロが真顔で告げると、ナーヴェは困惑した顔で、黙ってしまった。

「おい」

 後席から低い声が響いた。

「何だ」

 アッズーロが振り向くと、ロッソが太い眉をひそめていた。隣で、ジェネラーレも微かに非難めいた表情を浮かべている。ロッソは呆れた口調で窘めてきた。

「夫婦間の会話に水を差す気はないが、この船を今動かしておるは、ナーヴェであろう? あまり動揺させて、船が落ちるようなことだけはしてくれるなよ」

 調査船は、どういう仕組みか、赤い沙漠の上を飛んでいる。正面や側面、上面にもある硝子のようなものの嵌められた窓の外には、下に広がる赤い沙漠の地平と、一面の青空が見えている。墜落の危険を感じるのは、当然と言えば当然だ。

「分かっておる」

 アッズーロは尊大に応じ、腕組みする。

「ゆえに、強引に操縦桿を奪ったりなぞせず、自重しておるだろうが」

 ナーヴェがびくりと肩を震わせ、恐る恐るこちらを見たので、アッズーロはもう一度溜め息をついた。



 全く、アッズーロはどこまで本気か分からないので、困ってしまう。

(きみは、いつもぼくの予測を超えてしまうからね……)

 ナーヴェは密やかに嘆息し、都合よく有耶無耶の内に説明を終えられたことに安堵して、観測機器を積極的に動かし始めた。未だに、アッズーロ達に科学的な説明をすることは苦手なのだ。

 この惑星調査船の観測機器には、速度計、電波高度計、風速計、温度計、湿度計、汎用型圧力計、近距離用の光学測定器と能動型極超短波測定器、光学望遠鏡などがある。その内、殆どの機器は常時使用しているが、能動型極超短波測定器と光学望遠鏡については、意識して使わなければ作動しない。

(どのくらい遠くまで観測できるか、試してみよう)

 ナーヴェはまず、光学望遠鏡を、オリッゾンテ・ブル王国のほうへ向けた。惑星は丸いので、光学望遠鏡がどれほどの分解能を誇ろうと、オリッゾンテ・ブルの地表は見えないが、その上空は見える。

(あっちも、ほぼ晴天みたいだね……)

 これは「里心」というものだろうか。無性にオリッゾンテ・ブル王国に帰りたい衝動が強くなってくる――。

(あれ? 何だろう)

 ふと、ナーヴェは眉をひそめた。青空の中に、微かに立ち昇る煙が見える。

(成層圏には届いていないけれど、対流圏のあんな上空にまで漂っているなんて、かなりの量のものが燃えている……?)

 風の流れを計算に入れれば、恐らく、出火場所は、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領辺りだ。

「アッズーロ」

 ナーヴェは、隣に座る王へ真顔を向け、告げた。

「できるだけ早く国へ帰ったほうがいい。カテーナ・ディ・モンターニェ侯領で、大規模な火災が起きている」



 アッズーロ達がテッラ・ロッサ王城に到着すると、庭園で出迎えたジョールノが、開口一番報告した。

「カテーナ・ディ・モンターニェ侯領で、反乱が起きたと報せが来ました。ムーロ殿の御判断で、既にムーロ殿御自身とバーゼ、ノッテ、ボルドが、オリッゾンテ・ブルへと出立しております」

「そうか。われらもすぐに帰国する。ロッソ、そういう訳だ」

 振り向いたアッズーロに、ジェネラーレとともに調査船を降りたロッソは真剣な顔で応じた。

「援軍が必要とあらば知らせよ。丁度、明日以降に国境付近で、鉄砲隊を用いた軍事演習の予定がある。その軍をそのままエゼルチトに率いさせて向かわせよう」

「そのような事態は御免被りたいものだな。反乱民とどちらが危険か分からん」

 苦笑して、アッズーロは再び調査船に乗った。操縦席に座ったままのナーヴェは、硬い面持ちで目を閉じている。庭園に船体を着地させた途端、人工衛星に接続すると言って目を閉じたので、まだ接続中なのだろう。

「ジョールノ、ルーチェ、早く乗るがよい」

 まだ庭園に立っている二人を促して、アッズーロは助手席に座った。

「これは――、ムーロから聞いてはいましたが、成るほど、神殿とどこかしら似通った雰囲気ですね……」

 扉から入ってきたジョールノが、感心したように船内を見回してから、後席に腰を下ろした。

「ナーヴェ様、お世話になります」

 ルーチェは律儀に挨拶して、ジョールノに倣い、後席に落ち着く。だが、ナーヴェからの返答はない。依然、操縦席で目を閉じている。

「暫し待て。わが妃は、人工衛星に接続中だ」

 アッズーロは短く説明した。

「それで、大方の状況は掴めましょうが」

 ジョールノが後席から低い声で話す。

「ヴァッレ様からの報せに拠れば、反乱は、民衆から起こり、カテーナ・ディ・モンターニェ侯城や、その周辺を焼いたとのことです」

「ティンブロは無事なのか?」

 アッズーロは助手席で腕組みしたまま問うた。カテーナ・ディ・モンターニェ侯ティンブロは、ペルソーネの父だ。穏やかで度量の広い男である。

「王城のヴァッレ様に反乱を知らせたのはティンブロ様とのこと。その時点では、御無事だったと思われますが……」

 情報には、時差がある。

(民衆から恨まれるような男ではないが、何があったのか……)

 アッズーロは、険しく眉をひそめて顎に手を当てた。

「――大丈夫」

 不意に、ナーヴェが口を開いた。背凭れに預けていた体を起こし、妃はこちらへ目を向ける。

「ティンブロは、無事、逃げ延びている最中だよ。もう少しで、隣のピアット・ディ・マレーア侯領へ入れる。そこでオンブレッロの助力を得て、態勢を立て直すつもりだろうね」

「よし」

 僅かに安堵しつつ、アッズーロは妃の顔色を見る。

「そなたの体調は大丈夫か?」

 ナーヴェは軽く肩を竦めた。

「頗る元気とは言えないけれど、大丈夫、オリッゾンテ・ブル王国まで飛ぶくらいなら、何ということはないよ。それより、オリッゾンテ・ブル王国のどこへ行くかだけれど」

「王城だ。そこから指示を出し、浮き足立った者どもを鎮める」

「了解」

 ナーヴェは頷いて、正面を向く。

「惑星調査船、起動。浮揚開始。地表から五米に固定。回頭。進路固定。発進」

 ナーヴェの呟きに同期して船体が動き、高速で飛行を開始した。

「しかし、そもそも、この船はどのようにして浮いておるのだ?」

 中断されていた説明の続きを求めたアッズーロに、ナーヴェは前方を見据えたまま語った。

「原理は簡単だよ。可動式の八つの噴射口と六つの回転翼で、空気を地面や水面に向けて勢いよく吐き出し、重力と拮抗させて浮いているんだ」

「『重力』とは何だ」

「この惑星が、ものを引き寄せる力だよ。その力のお陰で、ぼく達は宇宙に飛ばされず、大地に立つことができるんだ」

 分かるような分からないような、下手な説明だ。アッズーロは、完全な理解を諦めて、後席のジョールノを振り向いた。

「ムーロやボルドは当然、王城へ戻ったろうが、バーゼやノッテはどこへ向かったのだ?」

「バーゼは、直接カテーナ・ディ・モンターニェ侯領へ入って、様子を探ると申しておりました。ノッテは、一度レ・ゾーネ・ウーミデ侯に指示を仰ぐつもりのようでした」

「ごめんね、ジョールノ」

 不意にナーヴェが口を挟んでくる。

「きみは真っ先にオリッゾンテ・ブルへ戻って、ペルソーネを支えたかっただろうに、ぼく達の所為で、遅くなってしまって……」

「それは、お気になさらず」

 ジョールノは明るい口調で応じ、微笑む。

「王都にいる彼女自身に危険が迫っている訳ではありませんし、結局のところ、到着時刻は、馬車のムーロ達とそれほど変わらなさそうですしね」

「うん。そこは任せてほしい」

 ナーヴェは、張り切った口調で請け負った。



「民衆達の要求は一体何なのです?」

 ペルソーネの問いに、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領から馬を走らせてきて会議室の入り口に跪いた密偵の男は、重苦しい口調で答えた。

「カテーナ・ディ・モンターニェ侯城を襲撃した民衆達は、国王の交代を要求しております。即ち、アッズーロ陛下の御退位と、王位継承権第一位のフォレスタ・ブル大公女ヴァッレ様の御即位を」

 名を出されたヴァッレは、顔をしかめて席を立ち、険しい口調で密偵に尋ねた。

「それは、何ゆえです?」

「専横を好む王は、もう要らぬ、と。賢王マーレ様の御息女ヴァッレ様こそ王に相応しい、と彼らは申しております」

「愚か者どもが」

 ヴァッレは低い声で呟いて再び椅子に座り、卓に向き直った。

 会議室の中央に置かれたその卓には、オリッゾンテ・ブル王国の政治を担う全ての大臣が着いている。即ち、道路担当大臣ストラーダ伯カッメーロ、治水担当大臣バンカ伯コッコドリーロ、農産担当大臣ズッケロ、畜産担当大臣ゾッコロ、工業担当大臣チェラーミカ伯ディアマンテ、保健担当大臣メディチーナ伯ビアンコ、学芸担当大臣カテーナ・ディ・モンターニェ侯女ペルソーネ、水産担当大臣プリト、山林担当大臣ヴォルペ、そして外務担当大臣フォレスタ・ブル大公女ヴァッレと、アッズーロから留守を任された財務担当大臣オーロ伯モッルスコの十一人である。ここに、アッズーロとともにテッラ・ロッサへ赴いた軍務担当大臣カヴァッロ伯ムーロを加えて、大臣は総勢十二人だ。アッズーロの父、先王チェーロの御代から大臣を務めている者もいれば、アッズーロの御代になって任じられた者もいるが、皆それなりに有能だ。そして、彼らを大臣の席に据えているアッズーロも。

(アッズーロは、充分有能な王だ。それを、よく知りもせずに……)

 険しく眉をひそめたヴァッレの耳に、モッルスコの声が響いた。

「御即位以降、内政と外交、ともに力を注いでこられた陛下ではあるが、内政には、まだこれと言って目を瞠る成果は出ておらん。民衆は、政治に身の入らなんだ先王チェーロ様の御子息ということで、アッズーロ陛下に対して、不安を懐いてもおる。そこに、何か、よからぬ刺激があったのかもしれん」

「扇動者がいる、と?」

 ビアンコが、端正な顔に冷ややかな笑みを浮かべてモッルスコを見た。

「わしは、そう睨んでおる」

 モッルスコは整えた口髭を扱きながら、面白くもなさげに告げる。

「そうでなければ、少々唐突に過ぎるからな」

 確かにそうなのだ。

(アッズーロは、別に内政で、これといった失策を犯した訳でもないのに……)

 ヴァッレが顔をしかめた時、山林担当大臣ヴォルペが、静かな声音で指摘した。

「わたくしは、これが唐突な反乱とは思いません」

 ヴァッレより一つ年下の、黄褐色の髪を後ろで一つの三つ編みにした、まだ少女のような外見の大臣は、卓の上に視線を落としたまま述べる。

「わたくしは、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領の農民出身ですので、彼らのことが、あなた方よりはよく分かります。カテーナ・ディ・モンターニェ侯領の、特に山間部に住む者達は、大変信心深いのです」

 そこまで言われれば、ヴァッレも気づくことができた。

「彼らを不安にさせたのは、神殿の喪失と、あの流星群という訳ですか」

 確かめたヴァッレに、ヴォルペは前髪の下の目を上げて、頷いた。

「はい。彼らにとっての事実は、単純です。即ち、神聖な王の宝であったはずのナーヴェ様を、アッズーロ陛下が人の身に落としたこと。テゾーロ様が生まれて間もなく、王都が地震に見舞われ、神殿が跡形もなく消失したこと。その二週間後に、数多の流星が見られたこと、です。信心深い彼らが、それらの事実を、どう解釈したかは、想像に難くありません。重ねて、陛下は現在、ナーヴェ様を連れてテッラ・ロッサへ赴かれています。不安が募る一方の彼らにとっては、『好機』なのかもしれません」

「――『好機』とは……、奴らはこの国を乗っ取る意図があるということか?」

 静まった会議室に、コッコドリーロの裏返った声が響いた。

「国家転覆とまでは考えていないでしょう」

 ペルソーネが硬い面持ちで反論する。

「わたくしも、わが領民の声を聞いてきましたが、彼らに、統一された強固な意志はありませんでした。彼らの不満を画一的に捉えることはできません。先ほどヴォルペ殿が指摘したようなこともございますし、わたくしが陛下に嫁がなかったことを非難する者や、ナーヴェ様が王の宝であることを疑う輩もおりました。陛下の御不在は、混乱を起こし易い『好機』ではありましょうが、その王座を掠め取ろうなどという輩は、少なくとも、わが領民の中にはおりませんでした。ヴァッレ殿に譲位するよう望む輩はおりましたが」

 アッズーロの妃候補の一人であったペルソーネが、王妃とならなかったことは、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領民達に、それなりに複雑な影響を与えているのだろう。

(ペルソーネに非のあることではなく、況してナーヴェ様が悪い訳でもなく、あれは、ただアッズーロが悪いのだけれど)

 ヴァッレは密やかに溜め息をついた。有り体に言えば、アッズーロがナーヴェに惚れてしまったのが悪いのだ。そういう意味では、今回、反乱が起こったことについて、アッズーロには大きな責任がある。

(とにかく、早く戻ってきなさい、アッズーロ。あなたがいないことには、話が進まないわ)

 ヴァッレは、再びざわめき始めた大臣達を眺めて、腕組みした。


     三


「そろそろ、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領の上空に差し掛かる。どんな状況になっているか、できるだけ見ておいて」

 ナーヴェが、やや硬い口調で告げたので、アッズーロは傍らの窓に顔を近づけた。

 カテーナ・ディ・モンターニェ侯領は、クリニエラ山脈に領土の半分を占められた山間部の多い土地だ。焼かれたという侯城には、一度だけ行ったことがあるが、その山間部と平野部の中間地点くらいにあって、小高い山の上から平野部を見下ろしていたはずだ。

 地上十米を飛ぶ惑星調査船は、国境を越え、クリニエラ山脈の谷間を選んで縫うように飛んでいく。やがて山間部を抜けると、唐突に、焼け野原となった侯城とその周辺が目に飛び込んできた。小高い山の上の侯城は、ところどころ焼け落ち、残っている城壁にも黒々と焦げた跡が見て取れる。その山の麓に広がる町は、更に酷く、焼け崩れた家々から、まだ煙が立ち昇っていた。

「麓の町まで焼くとは、愚か」

 苦々しく、アッズーロは呟いた。カテーナ・ディ・モンターニェ侯ティンブロには、領を平和に治める責任がある。反乱が起きれば、城を焼かれることもあるだろう。だが、市井に住む人々には何の罪科があるというのだろう。

「分別を無くした暴徒には、それ相応の刑罰を与えてくれる」

 独り言ちたアッズーロに、横からナーヴェが静かに言った。

「まずは、彼らの話を聞くべきだよ。暴力に暴力で応えていたら、内戦になる」

「分かっておる」

 アッズーロは鼻を鳴らし、最愛を振り向く。

「われを阿呆だと思うておるのか? 内戦にせんために、最善を尽くすに決まっておろう」

「なら、いいけれど。きみは時々、焦ってはいけない時に焦るから」

 ナーヴェは優しい笑みを浮かべて、アッズーロを見つめた。落ち着きを促すようなその声音は、まるで母親のようだ。

「ナーヴェ様!」

 不意にルーチェが声を上げた。亜麻色の髪を窓に押しつけて、少女は眼下を凝視している。

「こちらを見上げている人々がいます。逃げていく人や拝んでくる人もいますが、石を持っている人が数名――、投げてきました!」

「大丈夫。認識している」

 冷静に応じて、ナーヴェは船体を横に滑るように動かし、投石を躱した。

「もう少し高く飛べんのか?」

 アッズーロが問うと、ナーヴェは肩を竦めた。

「不可能ではないけれど、高度を取ればそれだけ燃料を食うし、正直、必要性をあまり感じない。投石を避けるのは難しくないからね。ただ、丁寧な操船とはいかなくなるから、座席帯をさせて貰うよ」

 ナーヴェの言葉と同時に、座席の背凭れから二本の帯が伸びて、アッズーロの体を固定する。ナーヴェ自身の肉体も、後席の二人も、同様に座席から伸びた帯で固定され、直後、調査船の動きが激しくなった。

「ちょっと酔うかもしれないけれど、許してほしい」

 詫びたナーヴェの横顔は、その内容とは裏腹に、今までになく輝いている。アッズーロは何故か背筋が冷えるのを感じた――。



 ドゥーエは、頭上を飛び過ぎていく謎の白い物体を、恐る恐る見上げた。すぐ目の前では、幼馴染みのゼーロ達が、その白い物体へ、石を投げつけている。だが、白い物体は素早くそれらの石を避けて、北東へと飛び去っていった。

「ねえ、石なんか投げて大丈夫だったの?」

 ドゥーエはゼーロ達へ叫ぶように問う。

「あれ、神殿に似てたわよ? 神の乗り物だったらどうするの?」

 ゼーロは怯んだように振り向いたが、ドゥーエの傍らから、真っ先に石を投げたベッリースィモが言った。

「神の乗り物だったら、今頃、神罰が下っている頃だろうが、そうはならなかっただろう? ということは、やはり、あれはテッラ・ロッサの新兵器なのだ。あちらの方向から飛んできたしな」

「そもそも、何でテッラ・ロッサの新兵器が飛んでくるのよ?」

 ドゥーエは、ベッリースィモに説明を求めた。自分達の蜂起の様子を見に、テッラ・ロッサの新兵器が飛んでくるかもしれないと、一時間ほど前にベッリースィモが予言していたのだ。長めの栗毛を耳に掛け、青い瞳をした青年は、得意げな顔をした。

「簡単なことだ。背徳の王アッズーロは、テッラ・ロッサへ行っていたはずだ。そこで恐らく、われわれの蜂起のことを聞いたのだろう。それで、テッラ・ロッサに助力を求めたという訳さ。即ち、アッズーロは、自らの保身のために、この国にテッラ・ロッサ軍を招き入れてしまったのだ。恐ろしい失策だよ」

「やっぱり、碌でもない王だ」

 ゼーロが、義憤に満ちた表情で吐き捨てた。整った顔が、怒りに醜く歪んでいる。ドゥーエは、新たな不安を感じて、胸の前で両手を組み合わせた。ベッリースィモの話には、何か引っ掛かる。悪いのは、本当に隣国の軍を招き入れたアッズーロなのだろうか。その理由を作った自分達はどうなのだろう。それに、本当に上空を飛び去ったのは、テッラ・ロッサの新兵器なのだろうか。一度だけ見たことのある神殿に、色も雰囲気もとても似ていた。そもそも、あんなふうに空を飛ぶものを、人が簡単に造れるのだろうか――。

「テッラ・ロッサの新兵器が来たんだ、もっと仲間を集めて、態勢を整える必要がある」

 いつの間にか背後にいた、仲間の一人キアーヴェが、ベッリースィモに提案した。

「そうだな」

 ベッリースィモは頷く。

「一度、この町の小神殿に集まって、皆で話し合おう」

 かの失われた神殿に倣って、オリッゾンテ・ブル王国の全ての町村には、小神殿がある。当然、この侯城の麓の町にもあり、ゼーロ達も小神殿だけは焼いていない。

「そうだな。みんな、すぐに集まろう。その辺りの奴に声を掛けろ! アッズーロに恨みのある奴は、みんな集まれってな!」

 ゼーロが周りの仲間達に声を掛け始めた。



「やっぱり、かなり物騒なことになっているね……」

 ナーヴェは深刻そうに呟いた。

「……そう、だな……」

 アッズーロは、吐き気を堪えながら頷いた。ほんの僅かの間とはいえ、ナーヴェの操船は凄まじかった。横滑りに加えて速度の急な変化と小刻みな回頭で、アッズーロだけでなく、ジョールノとルーチェも青い顔をしている。

(こやつに操船を委ねるは、考えものかもしれん……)

 少し前までとは別の意味で、操縦桿を握りたいと思い始めたアッズーロに、ナーヴェが青い双眸を向けてきた。

「それで、相談なんだけれど、このまま真っ直ぐエテルニタへ帰るかい? それとも、ピアット・ディ・マレーア侯領に寄って、ティンブロの無事を確かめるかい?」

 ピアット・ディ・マレーア侯領は、カテーナ・ディ・モンターニェ侯領の西側に隣接しており、平野部から海岸へと続く土地である。王都エテルニタへ帰る直線上にはないので、ナーヴェはわざわざ訊いてきたのだろう。

「そうだな。できれば、この船に同乗させて王都へともに連れていきたいが、可能か?」

 アッズーロの問いに、ナーヴェは困った顔をした。

「定員は四人だから、これ以上乗せることはできないよ。ティンブロを乗せる代わりに、ぼくの肉体を降ろしてもいいけれど、その場合、この肉体の安全保証はできない。残念だけれど、体力的に、そこまで強靱ではないから」

 視線で窺ってきたナーヴェに、アッズーロは首を横に振った。

「それはならん」

「それなら、わたくしが降ります。わたくしはどこからでも、王都に帰れますから」

 後席から、ルーチェが申し出た。

「よし、それで行く」

 アッズーロは即決して、ナーヴェを見る。

「しかし、ティンブロが今どの辺りにおるか分かるのか?」

「正確には分からないけれど、約五十三分前に人工衛星から見たから、予測はできる。その辺りへ飛んでみるよ」

 請け負って、ナーヴェは今度は緩やかに回頭し、西へ針路を取った。



 小神殿には、ドゥーエ達の仲間以外にも、町の住人達が多く集まっていた。皆、避難してきたのだ。

「おまえ達、何故、町まで焼いたんだ!」

 その中の一人の男が、ドゥーエ達を見て叫んできた。

「カテーナ・ディ・モンターニェ侯ティンブロの退路を断つためだ」

 ベッリースィモが尊大に答え、ゼーロが頷いて説明を加えた。

「侯城周辺の建物を焼いておかないと、あいつらは、この町に逃げ込んできてしまう。おれ達は、それを防ぐために、焼いたんだ。勿論、再建は手伝う。蒙昧な王アッズーロをあくまで擁護するティンブロを、この領から追い出すためだったんだ。理解してくれ」

 熱の入ったゼーロの言葉に、騒いでいた人々も、やや静まったように見えた。ところどころから、まだ不満の声は聞こえるが、大きな声にはならない。そんな人々を背に、ドゥーエ達は集まって話し合い始めた。

「実際、空を飛ぶ姿には驚いたが、武器らしい武器は見当たらなかった。石を投げても、反撃もなかった。あれは、恐らく偵察にしか使えないものだろう」

 ベッリースィモが、自信満々に述べる。

「つまり、恐るるに足らぬという訳だ。われわれが備えるべきは、アッズーロに招かれて入ってくるテッラ・ロッサの騎馬隊や歩兵隊だ」

「どう対抗する」

 ゼーロが、不安を押し隠すように強気な口調で尋ねた。

「われわれは戦わない」

 ベッリースィモは微笑んで告げる。

「われわれはただ、テッラ・ロッサ軍とオリッゾンテ・ブル軍が、互いに潰し合うよう仕組めばいいのだ」

 おお、と仲間達の間から感嘆の声が上がった。しかし、ドゥーエはそう楽観できない。

「どうやって仕組むの?」

 声を高くして問うたドゥーエに答えたのは、ベッリースィモではなくキアーヴェだった。

「それはとても容易い。噂を流せばいい。オリッゾンテ・ブル軍のほうには、テッラ・ロッサ軍が、王都エテルニタを攻め落とそうとしている、と。テッラ・ロッサ軍のほうには、オリッゾンテ・ブル軍が包囲殲滅に来る、と。彼らはすぐに疑心暗鬼に陥る。もし、テッラ・ロッサ軍が本当に来た場合、だけれど」


     四


「見つけた」

 ナーヴェの呟きとともに、惑星調査船は、平野に広がる森の中へ入り、木々の間を縫うように飛び始めた。その動きは、緩やかで滑らかだが、直線的な飛行に比べると、やはり乗り心地の悪い動きだ。アッズーロは、またぞろ吐き気がしてくるのを何とか抑え込みながら、窓の外に見える森の暗がりへ目を凝らした。だが、まだティンブロの姿は見えない。

「隠れているね。当然だけれど。でも、ぼくの『よく見える目』は誤魔化せない」

 不敵に言って、ナーヴェは木々を避けながら、惑星調査船を進めていく。アッズーロ達が酔いに耐える中、暫く飛んだ惑星調査船は、やがて、ゆるゆると速度を緩め、浮いたまま停止した。その右舷側、即ちアッズーロ側に、騎馬した男達と一台の馬車が見える。その男達の内の一人が、ティンブロだった。

「彼らが逃げる前に説明して、アッズーロ」

 ナーヴェが言いながら、船体を真下へ降下させ、木々の間へ着地させる。直後に開いた扉から、アッズーロは外へ出て、警戒した様子でこちらを見ていたティンブロ達に呼ばわった。

「ありがたく思うがよい、ティンブロ。王自ら迎えに来てやったぞ」

「陛下……、このようなところまで……」

 ティンブロは即座に下馬して、木漏れ日の中、アッズーロに駆け寄ってくる。

「わが領地にて騒乱を招きしこと、幾重にもお詫び致します」

 侯爵として、まず謝罪したティンブロを、アッズーロは気遣った。

「大事ないか、そなたも、連れの皆も?」

「お陰様にて、皆、怪我なく脱出すること叶いました」

 ティンブロは、アッズーロの前に跪いて、ふくよかな丸い顔に安堵の笑みを浮かべた。

「そうか。ならば、わが船に乗って王城まで同道するがよい。ルーチェ」

 アッズーロは振り向いて配下の間諜を呼ぶ。

「ティンブロの家臣らをピアット・ディ・マレーア侯城まで護衛せよ」

「畏まりました」

 応じて、身軽に惑星調査船から降りてきた少女と、アッズーロとを見比べ、ティンブロは請うた。

「実は、馬車に、わが妻ジラソーレが乗っております。どうか、わたくしではなく、わが妻をお願いできないでしょうか」

「しかし、今、緊急に王城へ連れていくべきは、カテーナ・ディ・モンターニェ侯たるそなただ」

 アッズーロは冷静に告げた。正論に、ティンブロは項垂れる。そこへ、背後からジョールノが申し出た。

「わたくしも、ルーチェとともに、カテーナ・ディ・モンターニェ侯家臣の皆様の護衛に付きましょう。それで、ティンブロ様と奥方様、お二人で御一緒に乗船できます」

(おまえが来んと、ヴァッレに任せられることが減るではないか)

 アッズーロは、反論を胸中で呟くに留めた。ティンブロの心の安定もまた、必要なことだ。

「なら、食糧と水と通信端末を携行することをお勧めするよ」

 ナーヴェが、手に袋を持って惑星調査船から出てきた。紙袋のようでいて布袋のような、不思議な見た目の袋だ。その袋から、ナーヴェは小さな機械を取り出してジョールノに示す。

「これが通信端末。こうして、耳と口に当てるようにして、ここに触れると、いつでも、どこからでも、ぼくと話せるんだ。日の光に当てておけば、幾らでも使えるから」

「凄いものですね。ありがとうございます」

 ジョールノが礼を述べて、「通信端末」とやらと、袋とを受け取った。

「では、行くぞ」

 アッズーロは踵を返し、乗船した。ゆっくりしている時間はないのだ。

「家臣達を、宜しく頼みます」

 ティンブロがジョールノとルーチェに頭を下げ、馬車から降りてきた妻がそれに倣う。続いてカテーナ・ディ・モンターニェ侯夫妻は、アッズーロとナーヴェに頭を下げた。

「我が儘をお聞き届け頂き、感謝の言葉もございません。どうぞ、宜しくお願い致します」

 ティンブロの言葉に、アッズーロは一瞥をくれただけで助手席に戻りながら急かした。

「時が惜しい。早く乗るがよい」

「さあ、後席へどうぞ」

 ナーヴェにも促されて、ティンブロとその妻は、急いで乗船した。二人の着席を見届けたナーヴェは、すぐに船体を浮揚させる。

「回頭。目標、王都エテルニタ。進路固定。発進」

 呪文のようなナーヴェの独り言の直後、惑星調査船は滑らかに飛行し始めた。

「これは……素晴らしき乗り物にございますなあ」

 ティンブロが素直に感心した声を漏らす。

「王妃殿下が操っておられるのでございますか?」

「まあ、そうだね。今は、この船のほうが、ぼくの本当の体ということになるんだけれど」

 ナーヴェが一応説明した。

「『本当の体』でございますか……」

 ティンブロから返ってきたのは、分かったような分からなかったような、曖昧な返事だ。娘のペルソーネから、それなりにナーヴェのことについては聞いているはずだが、理解が追いつかないのだろう。アッズーロは、前方の窓の外に広がる青空と森とを見つめたまま、にやりと笑って忠告した。

「わが妃について、正しく理解するは、なかなかに難しいぞ。そこがまた、よいのだがな」

 次々と新しい面を発見して、そのたびに、そそられ、惚れ直してしまう。飽きさせるということのない、唯一無二の宝だ。

「――アッズーロ、ティンブロとジラソーレが反応に困っているよ」

 ナーヴェが、自身も困ったような横顔を見せて言った。

(そこを上手く答えてこその臣下であろうが)

 アッズーロは心の中で文句を言ってから、別のことを口にした。

「それはそうと、あの『通信端末』とやらは、まだあるのか?」

「あるけれど、どうするんだい?」

 訊き返されて、アッズーロは不機嫌に求めた。

「われにも渡すがよい。かなり便利そうだ」

 ナーヴェは、目を瞬いてアッズーロを見た。

「きみには、いつでも接続できるから、あんなもの必要ないけれど?」

「われのほうから、そなたに接続したいのだ。それに、そなた、肉体を眠らせぬと、われに接続できんではないか。常々感じてきたが、少々不便だ」

「そういうものかい? 分かったよ」

 ナーヴェは、きょとんとしながらも、操縦席の下を、ごそごそと探って、ジョールノに渡したのと同じ小さな機械を取り出した。

「はい。使い方は、絵文字と、きみ達の文字で示してあるから、大体分かると思う」

 アッズーロは、手渡されたその「通信端末」を、しげしげと観察した。確かに、幾つかの部位に、絵文字や文字で説明が施してある。アッズーロがその中の一つに触れると、急に小さな機械の一面が白く光った。そこに、また、絵文字や文字があって、使い方が分かるようになっている。

「『端末』というのは、つまり、ぼくの端っこっていうこと。ぼくが持っている知識や情報も、そこから調べられるから、まあ、持っていて損はないよ。便利かどうかは、扱うきみ次第だけれど」

 説明を加えたナーヴェに、アッズーロは呆れて文句を言った。

「便利の一言に尽きるではないか。何故、もっと早く渡さん」

「ごめん、単に思いつかなかったんだ。ぼくは、まだまだきみへの理解が足りないね……」

 すまなそうに詫びたナーヴェの頭へ、アッズーロは手を伸ばし、優しく撫でてから、青い髪を梳いた。

「われへの理解は、これから大いに深めればよい。われも、そなたへの理解を深めたところだしな」

「ぼくへの理解?」

 こちらを向いて目を瞬いた宝に、アッズーロは、にっと笑って告げた。

「そなたの函や船体を触ると、どのような反応が返ってくるか、大いに理解した」

 途端に、ナーヴェの白い顔が赤くなり、深い青色の双眸に、困惑した色が浮かぶ。期待通りの初々しい反応に、つい口付けたくなったが、後席にいる夫妻に遠慮して、アッズーロは珍しく我慢した。



「やはり、足元が見えていなかったのは、あちらのほうでしたね」

 冷笑を浮かべたエゼルチトの言葉に、続きの間の席を立ったロッソは顔をしかめた。

「別に、おれには、他人の不幸を喜ぶ趣味はない。明日からの軍事演習だが、あちらから要請があれば、演習中の軍をそのまま援軍に変えて、そなたに率いて貰うぞ」

「そう仰るだろうと思っていました。馬を駆けさせて本日中に現地へ赴き、隊長達と打ち合わせておきましょう」

 恭しく一礼して、エゼルチトは日が高くなった窓の外を見る。ロッソも釣られて外を見た。自分達は一晩をあのシーワン・チー・チュアンの中で過ごし、朝帰ってきたことになるが、あまりそういった実感はない。あそこは、現実離れし過ぎていた。この続きの間で、大臣達を集め、シーワン・チー・チュアンとその船長、及びオリッゾンテ・ブル王国で起きた反乱について説明したのだが、シーワン・チー・チュアンについては皆、理解が及ばないようだった。やはり、百聞は一見に如かず、だ。それよりも、大臣達は皆、エゼルチト同様、オリッゾンテ・ブル王国で起きた反乱について、興味を懐いた様子だった。中には、この好機に軍を派遣し、双方で意見の食い違っている国境線を実質的に正そうと主張する輩までいた。

「そなたも、本音では、今を国土を広げる好機と考えておるか?」

 尋ねたロッソに、エゼルチトはこちらを向いて、両眼を細めた。

「さて、今はまだ分かりかねます。なれど、今後の経緯によっては、そう進言させて頂くかもしれません」

「そうか」

 ロッソは疲れを感じて、扉へと歩き始めた。馬車の中で何度も思い浮かべた所為か、無性にドルチェに会いたい。

「ジェネラーレ、供を致せ」

 控えていた近衛隊長に声を掛けて、ロッソは廊下へ出た。

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