スワレアラ国王都編

プロローグ

 俺が異世界に来てから、そこそこな時間が経った。

 カレンダーなどがないので明確な日付は分からないが、エルフの里の一件からもう二ヶ月近く経ったのではないだろうか。

 それまでの期間がどうだったかと聞かれたら、特別どうということもなかった、としか言えない。


 朝起きて、

 魔族の少女二人にいいように遊ばれ、

 ピンク色のメイドに金がないからさっさと稼いでこいと言われ、

 いざギルドへ行ったら受付のお姉さんには「あなたが魔物を倒し尽くしてまともな依頼はもうないんですが」と素っ気なく返され、

 日雇いの仕事をやった日もあるが、あの家に住むやつらを養うには全く足りず、

 疲れて帰ったらまた魔族の馬鹿二人に遊ばれる。


 そんな日々を続けていた。

 正直、異世界だがファンタジーな感覚が一切ない。最初の方は色々あってそれが続くのも辛いな、なんて思っていたりもしたが、いざこういった平々凡々な生活が続くと刺激のなく淡々と過ぎていく日々が辛くして仕方がない。

 ゲームやテレビなどの娯楽がない辛さもようやく感じ始めた。

 あまりにも、夢がない。

 しかし、それ以前に。


「…………金がない」


 ご丁寧に家計簿をつけているボタンの横で、俺は力なく呟いた。

 注目すべきは、家計簿の文字が真っ赤に染まっているところだろうか。


「そもそもこの人数を一人で養おうというのが間違っているなのです。シアンちゃんとあの淫乱サキュバスに仕事でもさせたらどうなのですか」


 掃除、洗濯、料理など、この人数の家事を全てこなしているボタンが言う言葉には随分と重みがあった。


「でもなぁ。シアンに働かせたら余計に俺たちの負担が増える気がするんだよなぁ……」


「だったらあのサキュバスを働きに行かせりゃいいなのです! 毎日毎日屋敷で寝てハヤトさんにちょっかいを出すことしかしないバカになんとか言ってやった方がいいなのです!」


「でも、リリナがシアンの遊び相手になってくれてるからシアンがちゃんと毎日大人しく家にいるし、リリナがいなくなったら勝手にシアンがどっか行きそうで怖いんだよなぁ」


「あー、もう! だったらハヤトさんがこんなつけるのも苦痛な家計簿の赤字を全部黒に変えてくれるように稼げなのです! 前にあった貯金ももう一週間もあれば簡単に溶けて消えていくなのですよ⁉︎」


 そう言われても、という感じだった。

 一番簡単に大金を稼げるのがギルドを通したクエストなのだが、ここ一ヶ月でほぼ全てのクエストをこなしてしまったのでもう依頼自体がないのだ。

 いっそ普通の職に就いてやろうかとも思ったが、探せど探せど今の人数を養えるような仕事などどこにもない。

 さて、どうしたものか。


「こうなったら、やるしかないのか……? シアンたちに仕事をさせるという一大イベントを……!」


 クシャクシャと悩みながら自分の頭をかいていたら、屋敷の入り口に訪問者が来ているのか、来訪を知らせるベルが鳴った。

 ちょうど嫌な雰囲気にうんざりしていたことろだ。ここから抜け出せるならなんでもいい。

 俺はすぐに立ち上がって門まで歩くと、そこにいたのは、動きやすそうな布の服と安全靴に身を包み、肩掛けのバッグの紐を握って立つ、スワレアラ国の兵士だった。

 俺の姿を見ると、兵士は彼が兵士たる証明であるスワレアラ国の国章が描かれた服の左胸に手を当てて、


「こんにちは。私、スワレアラ国の兵士でありますが。サイトウハヤト様はいらっしやいますか?」


「あ、サイトウハヤトなら俺ですけど」


「ならちょうど良かった。クリファ女王からの伝言を預かっております」


 兵士はガサゴソと腰あたりにあるバッグに手を入れ、中から紐で縛られ、細長く巻かれた紙を取り出した。

 俺はそれを受け取って開いてみる。

 その内容を見て、俺は兵士に問いかけた。


「…………つまり、どゆことですかね?」


「端的に言うと、依頼状であります。王都の郊外にあるダンジョンに魔物が多く出現するという報告を受け、女王自らがハヤト様を推薦なさったのです」


 俺は再びクリファの手紙を見つめる。

 確かにそこにはクリファが書いたとは思えないほどかなり硬い表現で書かれた文面で、『ダンジョン内の魔物の討伐』という内容が記されていた。

 それ自体は別にいいのだが、問題はもっと別のところなのだ。


「ほーん。……あのさ、ちょっといいっすか?」


「はい? なんでしょう?」


「これってさ、報酬とかも出るんですよね?」


「もちろんです。結果にもよるでしょうけれど、無事にこの依頼を完璧に達成したのなら20万ディールはくだらないかと」


「に、20万ディールぅ⁉︎ ま、まままマジですか⁉︎」


 20万ディールって言ったら、シアンに好きなだけ一日中ご飯を食べさせても三ヶ月は働かずに済むレベルの大金だぞ⁉︎

 てか、下手すると安い家なら買えるぐらいの金額じゃねぇか!


「ええ。ただ、それだけの危険性があるということですが。どうしますか?」


「やりますやりますやらせてください! この話、他の奴らにも言ってないですよね⁉︎ 絶対やるんで! はい!」


 後からグイグイ行きすぎて恥ずかしくなってきたが、これだけの大金だ。行かない手はない。

 と、そこで俺はふと思い出した。


「あれ? この依頼って、王都の方まで行くんですよね?」


「はい」


「こっから王都までどれぐらいかかります?」


「約三日ほどです」


 淡々と答える兵士だが、俺は冷静ではいられなかった。

 前にエルフの里へ行ったときには金に余裕があったから場所を借りられたのだ。

 でも、今は事情が違う。

 火の車では残念ながら王都まで遠征はできないだろう。

 一応、相談してみるか。


「あの、今ちょっとお金が無くて。王都まで行けないかも知れないんですけど」


「ああ。その事ならご心配なく」


 ケロッとした声で兵士は言う。

 起死回生の、神の一声を。


「遠征費と宿泊費はこちらで負担しますので」


「あんた……神様か……?」


「……は、はい?」


「なんて優しいんだ! 万歳万歳! スワレアラ国バンザァーイ!!」


 目の前の兵士も周りにいた人もかなり残念そうな目で泣きながら万歳を繰り返す俺を見ているが、知ったこちゃねぇよ。

 遠征費と宿泊費が出るってことは、タダ飯プラス報酬ってことだろ。

 これは、行くしかない!


「その依頼、受けさせてもらいます! 今すぐ準備をしてきます!」


「かしこまりました。それでは、私はギルドにいますので、準備が終わったら来てもらってもよろしいでしょうか。馬車はそちらに用意しておりますので」


「はい! 了解です!」


 ペコペコと頭を繰り返し下げながら兵士を見送ると、俺はダッシュでボタンの元へと戻る。

 話の途中で勝手にいなくなったから少々不機嫌そうな顔で舌打ちをしていたが、そんなことなど全く気にならなかった。


「ボタン! 大変だ! 大変なんだボタン!」


「何言ってんのか分からないのでシアンちゃんレベルの語彙力からさっさと帰ってきてくれなのです」


「お、おう。と、とにかくだな」


 念のため自分の頬をつねって夢ではないことを確かめてから、俺は改めて声を出す。


「クリファから直々の仕事の依頼だ! 上手くいけば20万ディールだってよ‼︎」


「うぉぉおおおお⁉︎ そ、それは本当なのですか⁉︎」


「ガチもガチ! さらには遠征費と宿泊費は向こうが持ってくれるって!」


「うひゃぁぁぁあああ⁉︎ そ、そそそそんな大盤振る舞いで、スワレアラ国の財政は大丈夫なのですか⁉︎」


 テンションMAXな俺とボタンはその場でピョンピョンと飛び跳ねながら、


「と、とにかくこうなったからにはみんなで王都へ行くしかない! いち早く準備をするんだ!」


「り、了解なのです!」


 ボタンは荷物をまとめるために走り出した。

 俺も早く荷物をまとめたり、みんなに報告をしなくては。

 俺も屋敷の中を駆け回り、皆へと連絡を伝える。

 とりあえずは、一番荷物をまとめるのが遅そうなバカ魔族二人組の部屋へ行こう。

 これだけ大きい屋敷をクリファにもらって空き部屋が何室もあるのにシアンと一緒がいいと同じ部屋に住むことになったリリナと、今日も呑気に俺たちの食費を素敵に抉り取っていくシアンの部屋の扉を、俺は勢いよく開けた。


「二人とも起きて荷物をまとめてくれ! これから王都へ行くことになったから――」


 そこで俺の言葉が止まった理由は、至極シンプルだった。


「ん〜? どうしたって感じなんだケド……」


 むくっと起き上がったのは、なぜかベッドの中からポロリどころではない完全な裸体のリリナだった。

 言うまでもなく、俺には刺激が強すぎる。


「リ、リリリリナナ⁉︎ ふ、服は⁉︎」


「ふく〜? なんで寝るときに服を着るのって感じ〜?」


 サキュバスの性なのか、無意識にも誘惑的に丸出しの乳房を揺らすリリナから俺は慌てて目を逸らして、


「とにかくこれから遠出をすることになったから、さっさと服を着て荷物をまとめてくれ!」


「んなこと言われても、あーしは夜行性のサキュバスだから朝は弱いって感じ……」


 そう言って再びベッドの中に幼虫のようにリリナが潜っていってしまうので、これではダメだと俺は意を決してベッドを思い切りめくる。

 が、どうしても俺のこういった行動は裏目にでるらしい。


「…………ハヤト……?」


 どうやら、リリナの寝るときに服を着ないと言う言葉は、本当に彼らの中での常識だったらしい。

 ベッドにいたのは、全裸のリリナとシアンだった。


「ど、どうして⁉︎ ボタンの宿に最初に泊まったときは服を着てたのに!」


「あ〜。シーちゃんって疲れてるときは服脱がずに寝ちゃうって感じじゃなかった〜?」


「俺の血をたらふく飲んでゆっくり寝てるときは全裸ってか! こりゃ参った!」


 さっきまでのハイテンションのせいで訳の分からないリアクションをしてしまったが、そんなのは目の前の一八歳幼女には無関係である。


「ガブガブ」


「眠いからって色々省いてとりあえず噛むのは辛いなぁぁぁぁぁああああ!!!」


 腕に噛み付いたをブンブンと振り回して振り払うと、荷物をまとめるということだけを伝えて俺は逃げるように部屋を飛び出た。

 広すぎる屋敷の中をドタドタと柔らかなカーペットから音が鳴るほどに踏みつけて走り、着いた先は、エストスの部屋だ。


「エスト――」

 

「安心するといい。もう王都に行く準備は整っているよ」


「耳どころか全てにおいてその早さはさては貴様天才だな⁉︎」


「まあ君とボタンの話し声が聞こえたからなのだけれどね」


 よく見ると、いつものように紅茶を飲んで座っている椅子の横に、少し多めのバッグがあった。

 基本的にエストスは外に出ることには乗り気ではないイメージがあったのだが。

 そう思って問いかけてみると、エストスは不敵な笑みを浮かべて、


「王都には裕福で穢れのない少年達が星の数ほどいるに決まっている。それに、私が少年の素晴らしさに気づいたのも王都へ行ったときだ。もう既に心が踊って仕方がな――」


「失礼しましたそれではこれで!!!」


 ああいう闇の集合体のような存在には近づかないのが一番である。

 さて、これで残るこの屋敷の住人は一人だ。


「シヤクは確か、ボタンと同じ部屋だよな」


 全身ピンクのフリフリなのですメイドの妹、シヤク=ベリエンタール。この屋敷に住んでいる唯一の常識人なのだが、こんな環境にいて常識を見失わないのはむしろ異常なのではないか思い始めているくらい良い子だ。

 確か歳は十三歳だが、成長期はまだ来ていないらしく、十歳程度の身体をしたシアンよりも少しだけ大きい程度だ。


 今頃はボタンと一緒に荷物をまとめているのだろうが、万一の時もあるし、とりあえず俺の口から伝えておくべきだろう。

 そう思って、扉を開けてみたのだが。

 忠告しておこう。たとえ少女であっても、いや、少女ならなおさら、デリカシーなくノックをしないでドアを開けるのはやめておいた方がいいぞ。

 本当に。


「…………ハヤト、さん?」


「いやぁ。まさか姉妹仲良くお着替え中だなんて思わないじゃない?」


 そこにいたのは、着替え真っ最中のボタンとシヤクだった。

 フリフリスカートに手をかけてちょうど太ももまで下ろしているため、ボタンのピンクの下着が眩しいほどに視界に映る。

 さらに、寝巻きからシャツに着替えようとしているシヤクは、まだまだ未発達で発展途上な小さくなだらかな胸を野ざらししていた。

 時が止まっているのかと思うほどの静寂だったが、シヤクの赤味がかったピンクの髪が優しく揺れたので時は止まってはいないようだった。


「…………み」


 噴火する山を早送りで見るように少しずつ全身を赤くするシヤクが、震えるように動き出した。


「みみみみみみ見ないでくださいなのでございますぅぅうううう!!!」


「うごぉぉああああああ!!?!???」


 異常な速度と威力で俺の腹に拳を打ち込むと、なぜかステータスがカンストしているはずの俺が扉を通過して廊下の壁に突き刺さった。

 こういった痛みには慣れてきたが、それでもこの威力はなんだ⁉︎

 シアンほどではないが、明らかに常識人な少女の繰り出す攻撃ではない。


 壁に突き刺さった俺が頭を引き抜くと、既にズボンを履き変えてピンクのパンツを隠したボタンが哀れな目でこちらを見る。


「シヤクは恥ずかしかったり、嬉しかったり、ドキドキするような感情の高ぶりがあると身体能力が上がるスキルを持っているなのです。運が悪かったなのですね、ハヤトさん」


「あははは。そりゃあ大変だなぁ」


 痛みに耐えかねて、俺はぐったりと廊下のカーペットに身を委ねてぐったりと倒れる。

 なにはともあれ、この愉快な異世界はまだまだ俺を楽しませてくれそうだ。

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